刺された看護師
これは、私が訪問看護師として働く中で出会った、とある利用者さんの影響で書いた処女作です。
その方は小説を書くのが趣味で、訪問のたびに作品について語り合ったり、アイデアを共有したりするのが楽しみになっていました。
ある日、「一緒に書きましょうよ」と誘われたのをきっかけに、思い切ってペンを取ることにしました。
もともと私は異世界もののライトノベルが好きで、読むだけではなく書いてみたいと漠然と思っていました。
ですが、実際に文章にするのは初めての挑戦です。
辻褄が合わなかったり、拙い部分も多いかもしれませんが、温かく見守っていただければ幸いです。
ここから始まる物語が、少しでも皆さんの心に何かを残せたら――そんな願いを込めてお届けします。
僕は名前はけんたろう。
37歳、精神科看護師歴13年。
病棟での仕事はすっかり慣れたものだ。
患者の症状の変化に合わせて動く日々。
ただ正直、飽きていた。長く勤めていると見たくないものも見えてくるものだ。
一日の始まりは、今日一緒に仕事をこなすメンバー表をみることから始まる。
「あーぁ…」
最悪だ。
病院の業務には慣れても、同僚たちの機嫌を伺う日々には嫌気が差していた。
患者ではなく看護師同士の顔色を見ながら仕事をするなんて滑稽だ。
そんな日々に疲れ、僕は病院を辞めた。
新しい職場は精神科の訪問看護。
腕時計もつけていい、パワーストーンもok。
移動中に買い食いだってできる。
病棟勤務の制約だらけの毎日とは違い、のびのびと働けるこの環境は快適だった。
やがて、信頼されるようになり、訪問看護ステーションの立ち上げ話が舞い込んだ。
責任なんて負いたくないと思いつつ、流されるまま管理者になった。
僕は結局、責任から逃れられない人間なのかもしれない。
――――――――――――――――――――
そんなある日、いつものように訪問看護の仕事に出かけた。
「今日はどんな話をしようかな」
僕は利用者の部屋に向かう道中、今日の晩酌のつまみについて話題にしようかなんて軽く考えていた。
利用者は50代の男性、Aさん。統合失調症の診断があり、最近は落ち着いているように見えた。
僕は彼と雑談を交えながら、穏やかな訪問時間を過ごすのが好きだった。
『ピーンポーン』
インターホンを鳴らす。
返事がない。
「あれ?」
普段、外出するタイプではないのに。少し不思議に思い、もう一度鳴らす。
『ピーンポーン』
それでも返事がない。
ドアには投函口がついているタイプだった。
僕はそっと投函口を開け、中の音に耳をすませた。
「……はぁ、はぁ……」
いる。中にいる。
ノックをして声をかける。
「Aさん? 訪問看護のけんたろうです。開けてくださーい」
しばらく沈黙が続き、やがてカチャリ、と鍵が開く音がした。
ドアを少しだけ開け、室内に声をかけた。
「失礼しまーす」
その瞬間――
ドンッ!
体に衝撃が走った。
ハグされたのかと思ったが、違う。熱くて鋭い痛みが胸に広がる。
「あ……」
視線を落とすと、自分の制服が真っ赤に染まっていくのが見えた。
刺された。
Aさんは叫び声を上げながら罵倒している。
「信じてたのに!なんで悪口言ってるんだ!裏切り者!」
彼の顔は怒りで歪み、目は血走っていた。
恐らく幻聴や妄想が酷くなっているのだろう。
それが僕を攻撃の対象に変えてしまった。
こうしたことは精神科では珍しくない。
だが、それを理解していても、この痛みと恐怖は消えない。
僕は力を振り絞り、Aさんから距離を取ろうとしたが、足が動かない。
全身の力が抜け、床に崩れ落ちた。
視界に広がるのは、血の海。
『ああ……これ、ダメなやつだな……』
僕は薄く笑った。自分の命がここで終わると悟ったからだ。
胸から流れる温かい血を感じながら、瞼が重くなるのを止められない。
「けんたろうさん!けんたろうさん!」
遠くで誰かが叫ぶ声が聞こえる。
サイレンの音も混じっている。
『病院か……』
意識が薄れていく中、僕は深い暗闇に引きずり込まれていった。
最後に見たのは、Aさんの震える手と、泣きそうな顔だった。