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お使いにいこう


この牧場にお世話になるようになって1週間が過ぎた。

少しずつシュラフのやっている事を隣で教えてもらっている。

けれど私は昔から不器用で覚えが悪く、この牧場でもその要領の悪さが発揮されていた。

昨日も畑の隅を耕すというので少しだけクワを持たせてもらったのだが、私が振った刃先は何故か土ではなく隣に生えていた木に刺さった。

あの時のシュラフの遠くを見る目が忘れられない。


「まあ……何事も失敗を繰り返しながら慣れていくものだしさ。気長に行こうよ」


そう慰められはしたものの自分の出来の悪さが嫌になる。

思い返せば学生の頃も怒られてばかりだった。

特に小学生の頃は義家族のみでなく、同じ生徒のみんなにも「どうしてできないの?」と繰り返し言われた。

私は私なりにみんなと同じ事をしているのに、どうしてか結果はそうならないことばかり。

あの頃、義母からの当たりも特に酷かった記憶がある。

大きくなって少しずつマシにはなったが、その年齢になれば何もやらせてはもらえなかったし、必要がないと言われた。


心のどこかでシュラフに見捨てられるのではないかと怖くなる。

少しでも父親のいない彼の寂しさを埋められたらと思っていたが、そんなどころではない。

今の私はただの役立たずだ。

お手伝いを任される段階にも達する事ができない。

もし、ここを追い出されたら、私は一体どこに行けばいいのだろうか。


そもそも、私が生きていける場所なんて、あるのだろうか。





「お使い?」


それは私が馬の寝床の掃除をしている最中の事。

理由は知らないが毎日よく湿っている古い藁を道具 (ホークというらしい)を使って運び、新しい藁を敷くのが私のなんとか出来る手伝いと認定された翌日。

水分で重い藁を移動させているところにシュラフがやってきてお願いをしてきた。


「そ、サヨができる事探しの一環じゃないけどさ、テハイサまで買い物を頼みたいんだ」

「で、でも……私ひとりで買い物もしたことないけど」

「お金の単位は覚えたでしょ?それだけわかっていれば大丈夫だよ。

最悪、買うものさえ分かっていればあとはお店に丸投げしてもいいわけだし」

「……そういうものなの?」

「そういうものだよ〜お使いのメモを渡してこれが欲しいです!ってお願いするとより確実かな」


そういうわけでハイ、と言いながらシュラフが小さな紙切れを渡してくる。

受け取ればそこには買ってくるものが箇条書きで書かれていた。

まだ記号の読み方は勉強中だが、相変わらず一つの塊として見れば読める。

なぜ異なる言語を見て読めるかは未だに分からない。

シュラフに記号を教えてもらうためにこの現象について話もしたが彼にも首を傾げられた。


『とりあえず読めるなら勉強しなくてもいいんじゃないの?』


そうは言われたけれど理由も知らずに結果だけわかるのはなんとも言い難い気持ちになるのだ。

モヤモヤ……というより不気味とでも言えばいいのか。

もしかしたら明日突然読めなくなるかもしれない。そんな不安に苛まれる。

それに何かを覚えて暗記する事は私にとって数少ない好きなものだ。

学生の時も暗記系科目のテストは得意だった。

一から記号を覚えていくためまだ頭で理解して読めないけれど、いつか本当の意味で自分の力で読めるようになれたらと思う。


メモにはオリーブ、ハム、塩、サヨが食べたいもの、新しい籠と書かれている。

はて、と思いメモを見ながら口を開く。


「シュラフ、この新しい籠って……サイズはどのくらいの物にすればいいの?」

「ああ、それは別にここで使う用じゃなくてサヨがお使いで持ち歩ける籠を買って欲しいんだ。

うちには背負い鞄や麻袋しか容れ物が無いからね。

だからサヨが持ち運びしやすいサイズや形の籠を選んできてよ」

「……私が食べたいものといい……そんなに私の判断に委ねた買い物で本当に大丈夫?」

「なんとかなるよ。サヨは人から好かれそうだしさ。

人って第一印象が良ければ大抵どうにかなるものだったりするよ」


そういうものなの、だろうか。

なんだかいつもより彼の言っている事が大雑把な気がする。

普段ならもっと細やかな部分にも気を配った言い方をするのに。

私が望みすぎているだけだろうか。

もしかしたらこの生活に慣れてきて私の考えも贅沢になってきたのかもしれない。

ぎゅっと、シュラフに見えないように唇を噛む。

ただでさえシュラフには一から十まで世話になっているのに情けない。

苦労を軽くしたいと思っているのに私が甘えて負担を増やしているのでは駄目だ。

まずは出来ることを増やさないと。

彼の提案はその良い機会だ。怖気付いていてはいけない。

渡されたメモに再度目を通してから私はぐっと握り拳を作った。


「じゃ、じゃあ……やって、みる……!頑張るね」

「…………うん。サヨが引き受けてくれるなら助かるよ。

ああ、そうそう。道中何もないとは思うけど一応ボディガードにってことでガグラも連れて行って。

のんびりした子だけど体が大きいからいざって時には頼りになるよ」


そう言ってシュラフが指を咥えてヒュイっと口笛を吹く。

少し待てば外からのっしのっしという具合で毛の長い大型犬がやってきた。

目元も口元も長い毛が覆っていて一見大きな毛玉が歩いているようだ。

近づかれれば頭が私の腰よりも上にくるほど大きい。

小さな子どもなら背中に乗せられるのではないだろうか。

確かにこの子が隣で歩いてくれるなら頼もしい。

シュラフは自分が呼び出した犬の背中を何回か撫でる。


「……、………、、…………、」


犬に頭を寄せたシュラフの口元が何かを話すように動くのが見える。

だけど、声が一切聞こえない。

それなのにガグラというらしい犬は「ワン」とシュラフに返事をするように鳴いた。

まるで私には分からない言葉を交わしているようだ。

ずっと牧場を維持してきたのだろうシュラフだから出来るコミュニケーションの取り方があるのかもしれない。

撫でられ終わったガグラが私の隣でお座りをしたところを見てそう思う。

すっと、シュラフが私の手に握られたホークを取り上げる。


「じゃあこっちは僕がやっておくからサヨは支度をしてきてね。

初めてのお使い、健闘を祈ってるよ!」


ニコニコと笑うシュラフ。

まだ不安を抱えながらも私はひとつ頷いてからまず着替えるために家の方へと向かった。






さわさわさわ……。


風が葉を揺らす音を耳にしながら木漏れ日の下を行く。

私は先日買ってもらった若草色のワンピースに麦わら帽子を被った姿で細い道を歩いていた。

本当はもっと軽装で行こうとしたのだけれど、なぜか私の姿を見たシュラフに待ったをかけられてしまった。

お使いではあるが折角のお出かけでもあるし着てもらいたいと彼は言った。

仕方なくもう一度着替えてくれば、今度こそシュラフはニコニコ笑ってお財布を渡して送り出してくれた。

牧場を出る直前に一度パフォスが大きな声を出して驚いたが、すぐにシュラフが宥めていた。


『お洒落なサヨが変な人に声をかけられないかって気が気じゃないみたい』


シュラフはそう笑って言った。

彼の隣ではパフォスが大きな声を出したのが嘘のように大人しくじっと私の方を見ていた。

その視線になぜか後ろ髪を引かれるような、そんな思いになったが遅くなってはいけないと思いそのまま牧場を出た。


視線の端でひらりひらりと歩みに合わせてスカートの裾が揺れる。

見慣れない動きに合わせて胸の内の不安が大きくなっていくような錯覚がする。

ちらりと隣を見れば私の歩調に合わせてのっしのっしと歩くガグラの姿。

その足取りは軽快で時折覗かせるピンクの舌とハッハッと溢す呼吸もどこか楽しげだ。

犬と人間の間では当たり前だが会話などない。

その違いがきっと不安を生んでいるだけ、そうに違いない。

小さく深呼吸をして前を向く。

美しい木漏れ日の道を一歩一歩確かめるように歩いていく。

やがて視界が開けて、なだらかな坂の先にテハイサ村が見えた。

シュラフの書いたメモがちゃんとポケットにある事を確認し、村に入る。

その時だった。


「………? どうかしたのガグラ?」


村の門をくぐるその直前でお供の犬が軽快に動かしていた足をピタリと止めた。

気づいた私が視線を向ければ、ガグラは数歩横に移動して門の足元にお座りしてしまう。

踏み出そうと意気込んでいた気持ちに待ったをかけられ少し迷ったものの、そのまま進むのをやめてガグラの方へと歩み寄る。


「えっと、どうしちゃったの?ついてきて欲しいのだけど……」


そばにしゃがみ込んで視線を合わせようとするが、長い毛に覆われていてガグラの目が見られない。

ハッハッと舌を覗かせながら座り込んでいる姿は、飼い主の言うことを聞いている忠犬のような佇まいである。

もしかして村に入らないようシュラフに躾けられているのだろうか。

2分ほどガグラと向き合い続けるが動いてくれる気配はない。


「……ここで待っていてくれるのかな?」


ワフンと元気な返事が返ってくる。

どうやら村の中までの同行は諦めるしかないようだ。

突然ボディガードを失うことになり気持ちが下を向くが、ここで諦めるわけにはいかないと自分を奮い立たせる。

怖さと不安を息と共に吐き出してから私はガグラからそっと離れる。

門の下で胸に手を置きながら深呼吸をひとつする。


「………………よし」


ぐっと拳を握りしめて私は震えそうな足で一歩ずつ村の中へと進んだ。




その様子を門の外から見守ってガグラと呼ばれた“犬”はその場で体を丸めた。

太陽はちょうど中天で燦々と輝いていた。


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