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幕間_記憶を見る


思えば最初から疑問に感じるべきだった。

人間だから、今までになかった事例だからと見落とすべきじゃなかった。

この場所に入った時点で彼女も管理対象になっていたはずなのだから。


けれど、結果的にはこちらが苦労をせずに済んだ。

彼女の魔力は自身を守ることに特化しているのだろう。

本来なら精神に影響を及ぼすような力をこの世界の住人が持つべきではない。

それが一方的な洗脳になってしまえば争いの火種になりかねないからだ。

人同士の傷つけ合いを禁じているこの世界でその手の力は強い危険性を持つ。

例え父様が特別に作ったこの場所とはいえ、強制介入も考えられただろう。


ただ、幸いなことに彼女は自分の魔力の扱い方を知らない。

こちらで教えたりしない限り、恐らく彼女自身であの魔力を洗脳まで練り上げることは不可能だろう。

自分以外の精神に介入し操作するというのは非常に繊細で一瞬たりとも気を抜いてはいけない(わざ)だ。

なまじ才能があるからといって素人が無理をすれば逆に自分の精神を壊しかねない。

そんな危ない綱渡りは彼女には出来ない。

彼女の本能にとって自己防衛は最優先事項だ。

だからこそ現状の彼女に出来ているのは自分が好意的だと魅せることだけ。

それだけでもこの場所では十二分の効果がある。

無意識にではあろうが既に彼女はその力でこの場所に溶け込み始めている。

人間を何よりも恐れる者たちが心を許せる人間として。

まだ効き目が薄い者もいるとはいえ彼女の性格が上手く魔力の効き目を促進させているので、完全に信用を得るまでそう時間はかからないだろう。


厄介な自分の精神を守る力の方は彼女の方から解いてくれた。

多分信頼に値すると思ってもらえたのだろう。

お陰で無理矢理こじ開ける必要も、複雑な手順を踏んで解析する手間も省けた。

覗けた記憶量はちょうど20年分。

この場所に呼ばれた者にしてはしっかり量がある。

でも、気まぐれに覗いたテハイサ村に生きている者たち数人と比べれば少ない。

短命、加えてこの場所に相応しい殺され方をされた人生だと言えるだろう。



睦宮小夜。

生まれた当初の姓名は今とは違う。

けれどそうであった時期を今の彼女は思い出すことはできない。

記憶というものは事細やかに保存されてはいるが、ひとつを参照するには引き出すための鍵がいる。

鍵の管理を行う脳味噌の性能は個々で異なり、管理が行き届いているほどその人間は自分の記憶をすぐに思い出すことができる。

けれど脳味噌の仕事は鍵の管理のみではない。

円滑な仕事をするために脳味噌は参照の少ない記憶の鍵を管理から外すことで負担を軽くする。

その過程により人間は昔の記憶ほど思い出すのが困難になっていく。

つまり彼女の脳味噌の中では睦宮小夜ではなかった時期の記憶の鍵は管理外になっている。

だから彼女は睦宮小夜ではない自分を思い出す事ができない。

故に睦宮小夜ではない自分を彼女は“知らない”と思い込んでいる。

その記憶と認知の齟齬によって彼女は苦しんだと言っても過言ではない。


3歳、物心がつき始めた頃に彼女は両親を事故で失った。

彼女にとって一番の不幸は、その3歳までの間に愛されて幸せだった時間が存在してしまったこと。

そもそも幸せを知らなければ不幸はわからない。

喜びを知らなければ悲しみはわからない。

愛されなければ愛されていないことはわからない。

両親を失った後の彼女の人生には一切の愛情がなかった。

生まれた時から不遇な境遇であったなら彼女は自殺を選ぶまでに至らなかっただろう。

けれど彼女は思い出す事ができないだけで幸せも喜びも愛情も知っていた。

だから悲しかったし苦しかったし自分を傷から守ろうともした。

忘れた幸せをいつかまた感じられるという希望を捨てられなかった。

その為に彼女は人生の最期で深く絶望してしまった。


結果だけ見れば彼女は自ら命を絶った。

そこに他人は関与していないし、殺されたとは言えないだろう。

けれど彼女は死んだ後にこの場所にやってきた。

それはつまり結果など関係なく彼女は人間に殺されたと判断されたということに他ならない。

彼女は間違いなく人間に殺された。

両親を失ってから引き取られた先での仕打ち、罵声、嘲笑、扱いの全てが彼女を追い込んだ。

ああそうだ、彼女は人間の勝手な都合に殺されたのだ。

無理矢理言う事を聞かされただ道具として使い捨てられたケルピーのように。

存在が危ないという理由だけで駆逐されたコカトリスのように。

ただそこに居ただけで一方的に殺されるスライムのように。

人間に殺された。幸せというものを味わうこともできずに殺された。




「……だからね。キミはここで幸せになる権利があるんだよ」


すぅすぅと寝息を立てる彼女を見下ろして小さく呟く。

その安らかな表情に安堵する。

自分の力で穏やかな眠りに就かせてあげられるとはいえ記憶に紐づいた悪夢を見る者は少なくない。

その夜泣きに付き合うのも役割の一環ではある。

けれど、どうやらその必要はないらしい。

しばらく寝顔を見守ってから呪文を唱え家の外へと転移する。

既に眠りの霧を撒いておいたため自分の魔力が外には立ち込めている。

白い霧として可視できる魔力の流れに滞りがないのを確認して、空を仰いだ。


遥か過去の時代に上げられた星々が今日も瞬いている。

けれどここから月は見えない。

それが当たり前の場所だから当然ではあるが、いつか見たあの眩さをここでも見られたらいいのに……そう願ってしまう日もある。

久しぶりに新しい住人を迎えたせいで感傷的になってしまっているようだ。

幸せを知らない命の記憶を見るのが苦しいわけではないが、果たしてこの命を無事に幸せにできるだろうかという不安は抱く。


「……僕が父様のような存在だったら、こんな悩みを持つこともないんだろうか」


じっと見つめる星は、夜空は遠い。

せめて声だけでも聞きたい。

けれど応えてくれる気配は今夜もなさそうだ。


そっと視線を地上に戻す。

愛しい命たちの寝息が耳に届いてほんの少しだけ寂しさが和らいだような気がした。


「今日もおやすみ“エリュシオン”の命達。

優しい夢を見るんだよ。キミ達のためだけの幸せな夢を。

そして明日も幸福な日にしよう。

その為に僕は頑張るから。その為に僕はここに居るんだから。

血も、涙も、痛みも、穏やかな幸せで塗りつぶしてしまおうね」


願いを呟いてからふと頭にある考えが過ぎる。

それはここでは叶わない、だけどそうする事でより幸せになれるなら、背中を押すのも役割のひとつかもしれない。

だって、彼女はその選択を選ぶ事ができる人間なのだから。


「ねぇサヨ」










「キミは、全てを忘れてしまった方が幸せなのかな?」


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