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外に出かけてみよう


目が覚めて最初に見えた見慣れぬ天井をしばらく眺める。

寝起きの頭がゆっくり覚醒し、数秒してからやっと私は自分の現状を思い出した。


「そうだ。私は、シュラフの家にいたのだった……」


ゴソゴソとベッドから出てゆっくり部屋を見回す。

朝の日差しが木製の壁の隙間からうっすら入り込んでおり、机と姿見があることが確認できた。

ゆっくりと姿見に近づいて自分の姿を映す。

まだ整えていないせいで髪がボサボサしているものの、昨日見た自分の姿に変わりはない。


そう、変わっていない。

自分の記憶と違う赤紫色の瞳が鏡の中からこちらを見ている。


「……寝て起きたら治るものでは無いのね」


はぁとため息を吐く。

そのまま身だしなみを整えてしまおうと思い、ふと気づく。


「そういえば今日のための櫛も服も借りてない……」


櫛はまあ良いとして、服のことは完全に失念していた。

今着ている寝衣を借りる時に気づければ、そう朝から後悔しつつもう一度姿見を見つめる。

道具がないため手櫛で何とか髪を整える。

元々癖っ毛ということもあり、いくつかまとまらない髪の束があるもののそこは諦め姿見から離れた。

昨夜借りたタオルを持って部屋を出る。


扉を開けば階下からふわりと美味しそうな匂いが漂ってきた。

くぅと自分の腹が音を立てる。

誰にも聞かれているわけがないのに、慌ててキョロキョロと辺りを見回してしまった。


「私ったら、こんなにお腹の鳴る人間だったのね……」


恥ずかしいと思いながら動かないわけにもいかず、本日2回目のため息を吐きながら私は階段を降りていった。





「おはようサヨ!昨日はよく眠れた?」


ダイニングに入ってすぐこちらに気づいたシュラフが元気に声をかけてくる。

朝からニコニコと笑っている姿に、先程までの憂鬱な気分が晴れたような気持ちになった。


「おはようございます。シュラフは朝から元気がいいのね」

「そう?あんまり気にしたことないけど……あ!でもこの家の中で誰かにおはようって言ったのは久しぶりだったからそれはあるかも!」


彼のそんな言葉に私は少しだけ目を伏せる。

3年ほど前に突然父親が家を出たきり、彼はこの家に一人で暮らしているらしい。

シュラフはとてもしっかりしているが、中身は大人になっているとは言い難い子どもだ。

その胸の内に父親のいない寂しさを抱えていることを私は知っている。

私に彼の父親の代わりになれるような資格も頼り甲斐も有りはしない。

だけど、少しでも彼が寂しさを感じない時間があればいい。そんなことを思う。

私なんかに出来るかは分からない。

だけど意識しないよりはマシだと、そう考えよう。

少し間が空いたものの私は伏せた目を上げてシュラフを見つめる。


「……そっか。そう思ってもらえるなら何度も挨拶しようかな。貴方が満足するまで」

「あははっ何それ変なの〜!でも、いいね!僕もサヨにいっぱい挨拶したいもん」

「あ……そういえば、起きて早々わるいのだけど、お願いがあって……」

「うん?」


ほんの少し言い出すのに迷っていると、シュラフは作業を中断してとことこと近くに寄ってくる。

まるく大きな瞳をこちらに向けてじっとこちらが言い出すのを待っている。

あまり真っ直ぐ見つめられても言いにくい、とは言えずに私は何とか口を開く。


「その……今日着る服が無くて……そちらも借りたいの、と……櫛も、できれば……」

「あっ!そういえばそうだね!ごめんね気づかなくって!」

「ううん。忘れていた私が悪いから……」

「もーそこは二人とも忘れてたんだからお互い様っていうところだよ!」


ぷうと頬を膨らませてみせたあとシュラフはぱっと私の腕を掴む。

こっちと手を引かれるままついていくと、彼はダイニングの奥の部屋の扉を開ける。


「僕の部屋へようこそ!散らかってるのは目をつむって〜」


えへへと誤魔化すように笑って室内へ連れていかれる。

確かに少々物が散らかっているがとても生活感のある部屋だ。

物があるという違いはあるがベッドや机は借りている部屋にあるのとほぼ同じ。

あとは木製のクローゼットと本棚、そして部屋の隅には箱があり玩具のような物が乱雑に詰め込まれていた。

シュラフはようやく私の手を離すとクローゼットを開ける。


「サヨに貸す服……うーん……」


じっとクローゼットを見つめるシュラフの隣からチラリと中身を見る。

動きやすそうなシャツが何枚も並んでいる。

あとは色褪せた上着や少し袖のほつれた作業着が数枚。

男の子がどのくらい服を持っているものかは知らないが、随分服が少ないような気がした。


「これは……借りたらシュラフが困らない?」

「うん?別に……汚れがつかなければ2日くらい同じ服着てるから平気かな」

「そう、いうもの、なの?」

「あっ!もしかしてサヨは毎日しっかり着替える人?!僕の服いやかな!?」

「そういうわけでは、ない、けど……服って毎日着替えるものじゃない……の?」

「そうしたら毎日洗濯しないといけなくならない?」

「……確かにこの数の服だとそうしなければダメそう」


そんな会話をしながらシュラフはシャツを一枚出す。


「よし!じゃあ今日はサヨの服を買いに行こう!」

「…………え?」


渡されたシャツを反射的に受け取りながらシュラフの言葉に目を見開く。

シュラフはニコニコしながら今度はズボンを取り出し始めるが、私はそれどころではなかった。


「そ、そんな!これ以上迷惑をかけるのは……!」

「でもしばらく家に居てもらうんならやっぱり服は必要だし……それに男の服ばっか着せてるのもなぁって思うし。

ほら!その分はサヨがお手伝いで還してくれれば良いんだよ!とーかこーかんってやつ?」

「その使い方は間違っていると思うのだけれど……」

「とにかく!今日は朝ご飯を食べたらお出かけね!

それまでは僕の服で我慢してもらって……あ!櫛もいるんだよね!」


どうにかして断りを入れようと考えている間にシュラフは私が要望したものをぽいぽい渡してくる。


「じゃあ僕はついでに村で売るものの準備してくるから!

朝ご飯はお皿に盛っておくから着替えたら食べて!そしたら外の小屋の前に集合ね!」


有無言わせぬ勢いでそこまで言い残しシュラフはさっさと部屋から出ていく。

遠ざかっていく元気な足音を聞きながら、私は手の中にある服や櫛を見つめはぁと何度目かのため息を溢した。






身支度と朝食を済ませて家から出ると、足元を昨日見た犬達が元気に駆け回っていた。

私に気づいた子からじっとこちらを見つめてくる。

じっ。じっ。じぃっ。じぃ〜。

どんどん増えていく視線に私は家に引っ込んでしまいたくなる気持ちを堪える。

恐る恐る一歩踏み出してみた。特に反応はない。

二歩。三歩。

そこで小柄な犬がちょこちょこと私の前に近づいてきた。

尻尾を振りながらキラキラした瞳で私を見上げてくる。


「え……と……」


動くに動けずゆっくりその場にしゃがむと尻尾の振りが大きくなる。

あまり動物には詳しくないが、犬が尻尾を振るのは嬉しい時だとどこかで聞いた記憶がある。

おずおずと手を出そうとすればそれを見た犬がその姿に見合った高い声で「キャンッ」と鳴いた。

驚いた私は咄嗟に手を引っ込める。


「ヒィイイイインブルルルルッ!!!!」


私も犬達も全員飛び跳ねてしまうほどの物凄い鳴き声が聞こえてきた。

視線を向ければ少し離れた柵の中でドタバタと落ち着きのない白馬が見える。

私が初めてこの牧場で触れた馬だ。

確かパフォスという名前で呼ばれていた。

他の2頭が慌ててパフォスから離れていくのもお構いなく白馬は柵の中で忙しなく動く。


「どーうどうどうどう?!突然どうしたのさパフォス。落ち着いて……」


小屋の影から驚いた様子のシュラフが出てくる。

彼は白馬から少し離れた位置で宥める様に声をかけた。

それでも動きが収まらないのを見るとキョロキョロと周囲を見回し、遠くで見ていた私と目が合う。

そのまま視線が足元の犬達へ向き、そこでシュラフは大きく肩を落とす素振りを見せた。


「もう〜驚かさないでよ。男の嫉妬は見苦しいって誰かも言ってたよ?」

「ブルルルルッ!!!」


呆れた様なシュラフの言葉を理解しているのか、まるで抗議する様にパフォスは口元を震わせる。

はいはいと言いながらシュラフは白馬に背を向けてこちらへ歩み寄ってきた。

途端に犬達がわらわらとシュラフの足元に吸い込まれていく。


「キミたちも落ち着いて〜?サヨと遊びたいのは分かるけどちゃんとパフォスに見えないところでやってね」

「それでいいの……?」


思わず首を傾げてしまう私だが、ふと視線を感じて隣を見る。

するといつの間に近づいていたのか先ほどの小さな犬がしゃがんだ私の傍に伏せて座っていた。

ハッハッハと舌を出しながら未だに尻尾を振ってこちらを見上げている。


「あ〜……またまた、どうしようもない頑固者を射止めちゃってサヨったら……」

「わ、私まだ何もしてないよ……!?」

「ほんとに?ニースはおチビさんに見えるけどここの群れで3番目に偉くて気難しいヤツだよ」

「ほ……本当に何もしてない……!!」


外見からは想像できないほど位の高い犬の視線を感じながら私はぷるぷると首を横に振る。

シュラフはしばらく疑うような視線を向けてきていたが、やがてまぁと口を開く。


「厄介者を惹き寄せちゃうのがサヨの魅力なんだろうね。次は小屋の中で寝てるセニを射止めると良いと思うよ。

馬と犬と猫でいい具合に小夜をめぐる闘いが起きそうだから」

「し、しません!!!」


悪戯っぽく笑い始めるシュラフにあまり抱いたことのない昂りを感じる。

顔が熱くて、どうしてだかすごく大声で叫び出したいような気分で、少し涙も出そうだ。

そんな私に気づいたようにシュラフがすとんと私の正面に勢いよく座り込む。


「からかっちゃってゴメンって……そんなに怒らないで?」

「? 怒って、ないよ?」

「ウソ。ぷるぷる震えて今にも爆発しそうだもん。顔だってトマトみたいにまっかっか」


しゅんとした表情で言う彼の言葉を私はうまく飲み込めずにいた。

怒っている。私が。

怒られたことは何度もある。だけど、自分が誰かに怒りを向けた覚えは、振り返れば一度もない。

そもそもこんなに体の内側が火照るような昂りを感じたことすら、今まで経験がなかった。

少しずつ萎んでいく気持ちを慌てて追いかけるように胸を押さえる。


「……私、怒っていた?」

「うん?僕にはそう見えたけど……?」

「そう……私、怒ることもできたんだ……」

「ん〜?よく分かんないけど、サヨは変なことを言うね。

怒るのも悲しいのも嬉しいのも誰だって必ず持ってて感じるものだよ。

もしかして、怒ったりしたこと今まで全然なかったの?」


こくりと頷けばくすりとシュラフが笑う。


「あはっ、じゃあ今日は記念日だ!サヨがエウイオンで初めて怒った日〜!」

「……シュラフ」

「わ〜!ごめんごめん!調子に乗りました!だから機嫌直して〜!」


苦しいとは違う胸のモヤモヤにきゅっと口を引き結ぶ。

途端慌て出すシュラフを見て、すぐにモヤモヤはスッと消えていった。

逆に、どうしてか可笑しくて口元が緩む。


「あ!笑ってくれたね!うんうん、笑顔の方が一番きれいだねサヨは!

さあ!ちょっと遅くなっちゃったけどそろそろ行こう!」


にはと笑ってシュラフが元気よく私の手を掴んで立ち上がる。

あまりの勢いに立ち上がりながらバランスを崩しそうになるが、上手くシュラフが受け止めてくれた。

遠くでまたブルルルルッと鳴き声が聞こえたが彼はそれを気にせず私の手を引いて歩く。


牧場の入り口(看板が立っていたためそう思っているだけだが)の方向に歩いていけば小さな荷車が置いてあった。

少し古い物に見えるが立派な車輪が付いている。

荷台には小さな木箱が2つ、空の麻袋が3枚積まれている。

木箱の隙間から等間隔に並んだ鶏の卵が見えた。

穴の空いた木枠に詰まっているようなので揺れても心配はなさそうに見える。


「お金も持った。荷物も積んだ。サヨも来た。出発進行だね!」


手を離したシュラフは元気な足取りで荷車の前方へ行くと持ち手を掴み上げる。

行く気満々な様子の彼を見ながら私は自分の身辺を確認した。

見事に何も持っていない。手ぶらの状態である。


「……私は何をすればいい?」

「うーん……とりあえず道中隣で一緒に歩きながら話をしてくれたらいいかな」


じゃ行こっかと軽い調子でシュラフはゴトゴトと荷車を引いて歩き出す。

車輪に巻き込まれないよう気をつけながら私は慌てて彼の隣へ向かった。

古ぼけた立て看板を通り過ぎ、細い道を昨日とは逆の方向に歩いていく。


今日も天気が良く、微かな風に木漏れ日がキラキラと揺れる。

向かうのは道をまっすぐ進んだ先にあるテハイサの村だという。

何でも牧場の卵や、まだ見に行っていないが家の奥にある畑で取れた野菜を買ってもらっているのだという。

大きな村ではないが必要最低限の物が揃うだけのお店はあるとのことだ。

それと服屋さんを営んでいる奥様は優しくて気の良い人だというのも聞かせてくれた。


そうやって村のことを聞きながら歩いて10分は経っただろうか。

普段長い距離を歩き慣れていない足が痛みを訴え出した頃に、木々に囲まれていた視界が開ける。


なだらかな坂道の先にいくつもの屋根が見えてくる。

大きな畑に囲まれたのどかな風景は頭の中に雰囲気としてある田舎を彷彿とさせた。


「サヨ?どうしたの〜置いてっちゃうよ〜?」


見慣れない景色に見入って足を止めてしまっていた私をシュラフが荷車を引きながら呼ぶ。

数秒ほどの間に大きく空いてしまった距離を慌てて追いかけ、なんとか彼と共に私は小さな村へと足を踏み入れた。



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