お客さんを迎えよう?
本当の意味でエウイオン牧場こと“エリュシオン”の一員になった翌日。
いつものダイニングで窓からの日差しを受けながら私達は朝食をとっていた。
私の正面に座ってはちみつトーストを食べるシュラフ。
その姿は昨夜の夜の衣ではなく、シャツに使い古した上着を羽織った見慣れたスタイルだ。
一房だけ長かった髪もなくなっている。
「む?ほうはひはのはよ?(どうかしたのサヨ?)」
シュラフは顔を上げて、ちょっとお行儀悪く口に物を入れたまま喋る。
じっと不思議そうにこちらを見つめる暗い黒い瞳もいつも通り。
「……ごくん。何か気になる?」
「えっと……シュラフにとって髪の長さや着ている衣装が違うのに意味はあるのかなと思って」
「ああ、なるほど」
彼はトーストの最後のかけらを頬張り、マグカップを手に取ってミルクを飲む。
そしてことりとマグカップを置くと、んーと唇に人差し指を当てた。
「まあ、あんまり意味はないんだけど……気分の問題?
今だって魔法は問題なく使えるんだけど、気持ちが乗らないというか……使い分けというか?
あっちの着物だと動き回ったりしにくいから作業は今の服でいつもやってるし。
逆に夜中の眠りの霧を撒くとか、魔力を使う時はあっちの服にするって決めてあるね。
スイッチの切り替えみたいなものかなぁ」
「そっか……てっきり外のみんなのように私が驚かない姿と本当の姿があるのかと思った」
「あはは、確かにアッチは真の姿って言えそうではあるけどね。
今着てる服と違って魔力を織り込んで作られた服だから他人の使う魔法効果を軽減させてもくれるし……。
あ、でもサヨの魔法は特殊だからアッチの服になっても変わらないだけど」
「……それも、私の魔法が珍しいから?」
手で自分の片目を軽く覆う。
今朝も身支度中に見た鏡の中の私は赤い目をしていた。
魔力を帯びた事で変わった瞳。
その力で勝手に使っているという魔法についてはいまだに自認できないでいる。
「うーんそれも大きい部分ではあるけどね?
でも遮断ができない主な理由はサヨが無意識に使ってる事と、無意識だから害意がないって事なんだよね。
これは魔法に限らない話だけど攻撃って誰かの意思によって行われて初めて攻撃になるんだよね。
ほら、ある人がコイツだって決めて投げた球が当たるのと、赤ちゃんが振り回して遊んでた球がすっぽ抜けて運悪く当たったじゃ意味が違うでしょ?
大雑把に言えば敵意ってやつ?要はその有無だね。
もしサヨが「誰かを思い通りに操ろう」と思って使う魔法なら遮断できる。
でも実際のところは自分じゃ使ってるかも怪しいって認識のものだからね……その分厄介ではあるけど」
「厄介?例えば?」
「誰彼構わず誘惑しちゃうとか」
「……むぅ」
シュラフの言い方にムッとささくれ立つような気持ちが生まれる。
ぎゅっと唇に自然と力が入ってしまう。
それを見たらしいシュラフが眉を寄せ、困ったような表情をする。
「冗談!冗談だよ〜!
でも実際問題何かに好かれるって厄介なんだよ?
執着が強いやつを引き寄せちゃったりすればサヨに害はなくてもその周囲で騒動が起きるかもしれないし。
今はお目溢しをもらってるけど、そんな事になれば他の神が介入してくるかもしれないし……。
そうならないようにこれから魔力のお勉強もしようね!」
「う……うん……?」
ギュッと眉間に皺を寄せた渋面のシュラフが真面目な声で言うので思わず頷く。
ムッとした気持ちは落ち着いたけれど新しい疑問が浮かぶ。
神さまの介入とはどういうことだろう。
どう尋ねようか考えていればシュラフが空になった食器を持って立ち上がる。
「じゃあ僕は先に仕事始めてるから!サヨも食べ終わったらきてね!」
「あ…………」
呼び止めるより先にシュラフはダイニングから出ていってしまう。
少し胸がモヤっとしたが首を振って気持ちを切り替える。
焦る必要はない。一緒になる時間はこれからたっぷりあるのだから。
それにきっとシュラフは大抵の質問にはちゃんと答えてくれるはずだ。
聞いてはいけない事ならハッキリと駄目だと言ってくれるはず。
あと、忘れてはいけないけどシュラフが相手にする対象は私だけじゃない。
この牧場にいるみんなを気にしなくてはいけないのだ。
あんまり私だけがシュラフを一人占めしてはいけない。
彼の体はひとつだけなのだから。
そう自分に言い聞かせ終わってから自分なりに急いで朝食を飲み込む。
それから作業着に着替えて私も家の外へ出た。
昨日ぶりの牧場は少し様子が変わっていた。
犬や猫のみんなが好きに動き回っているのは相変わらずだ。
でも馬はみんな本来の姿であろう体から水を滴らせた姿だった。
ニワトリの柵の中に至っては半々くらいでトリとヘビみたいな姿が各々過ごしていた。
じっと牧場を観察していれば聞き慣れたフルルルッという鳴き声でパフォスに呼ばれる。
そちらを見れば全身をしっとりと濡らしたパフォスが首を振っている。
近づいて恐る恐る額に触れてみれば、やはり湿っているけれど思っていたよりサラリとした毛の感触。
よく見ればパフォスの足元は絶えず水が滴り落ちているのに土が全く濡れていない。
不思議に思って落ちそうになっている雫の下に手のひらを置いてみる。
数秒して落ちてきた雫を受け止めた。
けれどそれは手を濡らすことはなく、触れたと思った瞬間に空気に溶けて消えていってしまった。
「水……ではないの?」
「フルルルッ?」
思ったことを口に出せばパフォスが不思議そうに首を傾げる。
その額に触れ何とも不思議な感触を味わうように撫でていく。
触れれば触れるほど新鮮な手触りに両手を使って首を撫でていた。
ふと、こちらに向いていたパフォスの視線がよそへ向く。
つられるように私もそちらへ顔を向けた。
馬の柵の向こう、木々が壁になっている方向へと。
この牧場はぐるりと森に囲まれているため、基本的に看板の立っている出入り口以外から行き来ができない。
獣道もこの1週間を過ごした間に見た覚えはない。
だというのに、その生き物は木々の隙間に道があるかのように自然な足取りで歩いてくる。
一見すれば馬だ。
純白の体毛にうっすら青みがかかった長く艶のある立て髪。
全身にうっすら光を帯びているような眩さを纏いながら、一際目を引いたのは額に生えた一本の角。
真っ直ぐに空へ向かって伸びる立派な美しい角は体の揺れに合わせてまるで指揮棒のように揺れる。
歩く姿も思わず見惚れてしまうほどに優美だ。
しかし。
ヒッヒイイイイン!!!!ブルルルルッ!!!!
ワンワンワンッ!!!!グルルルバフン!バウワン!!!!
フシャーーーー!!!!フッシャッーーーーーー!!!!
コケッコッコーーーーーーーーー!!!!!カッカドゥードゥルドゥーーーーー!!!!!
警鐘にも似た鳴き声のアンサンブルがけたたましく牧場に響き渡る。
本能的に怖くなった私は思わずパフォスの首に抱きつく。
当のパフォスも初めて聞くドスの効いた低い鳴き声を出していた。
いま、牧場の全ての鳴き声が一頭の馬に向けられている。
優美に歩くツノの生えた白い馬に。
けれどそんなブーイングに臆することなく白い馬は歩みを止めない。
その進行先が自分だと白い馬からの視線で気がつく。
パフォスにしがみつく腕に力を込める。
徐々に近づいてくる、その距離が5メートルを切ろうというところで。
「止まれ」
幼くもハッキリとした声が響く。
全ての音がピタリと止む。
やがて私と生き物の間に割って入るかのようにどこからともなくシュラフが姿を現した。
ぶわりと風を纏って瞬間移動してきた彼の姿は夜色の衣を纏っていた。
長くなった髪の毛が揺れるのを見ながら私はシュラフの背中越しに様子を伺う。
歩みを止めていた白い馬は数度尻尾を揺らす。
そしてどこからかはぁというため息が聞こえた。
「全く、この場所の好待遇ときたら……いつきても変わらないね☆」
場違いに明るく、聞いたことのない男性の声だった。
え、と思っている間に白い馬の全身が白い光を放つ。
光は馬の形から、まるで粘土をこねるようにぐにゃりと変形していき、徐々に小さくなる。
そして稲光のように強く瞬き、パッと光の粉を散らすと中心に誰かが立っていた。
透き通るような白い肌に、肩まで伸びた艶やかな薄青色の髪。
青い唇は柔らかな笑みを浮かべ、長いまつげに縁取られた瞳は透き通った群青に輝いている。
怖いほど人間離れした美貌を持った青年。
その額には先ほどの白馬と同じ大きな角が生えていた。
ふふっと笑みを溢した青年はふぁさっと髪を派手にかき上げる。
「さぁ☆先ずは抱擁から始めようかお嬢さん☆」
「帰れ」
「きみには話しかけてないよカミサマ?」
「か、え、れ」
シュラフの怒気を含んだ低い声が青年を威圧する。
相当怖い声なのに青年は全く意に介した様子はなくニコニコと笑みを浮かべて立っている。
私はゆっくりパフォスから手を離しシュラフの背後に移動する。
そして小声で彼に声をかけた。
「……ど、どちらさま……?」
「キミが名前を覚える価値もない部外者だよ」
「ぼくのことが気になるって☆?マイスゥート☆☆」
青年は突然大声と共にガバっと両手を広げる。
驚きのあまり私はシュラフの背中にしがみついた。
「おおっと☆シャイなお嬢さんなんだね?でも大丈夫☆ぼくが優しくエスコートするから☆☆☆
その前にわたしの名前が気になるって?よく聞いてくれたねお嬢さん☆
ぼくはナルシセス☆今日からきみのベストパートナーになる世界一の美男子さ☆☆☆☆」
「五月蝿いよ、馬」
「ユニコーンと言っておくれ☆☆」
「ユニ……コーン……?」
シュラフの後ろから謎の青年を見ながらユニコーンについて思い出す。
確か西洋にいるという角の生えた馬の妖精だった気がする。
何かの絵本で見た覚えはあるけれど、具体的な逸話などは知らない。
そういえばこの青年にも先ほどの白馬にも立派な角が生えている。
でも、今そこにいる青年の賑やかさは幼い頃に描いていたユニコーンの神秘な雰囲気とはかけ離れていて、どうも結びつけることができない。
「ユニ、コーン………………」
「ああ、かわいそうに、夢を壊されちゃって……ヨシヨシ」
「わあ☆まるでわたしが悪いような言い方だね☆
そんなはずがないじゃないか☆見て☆この輝きを☆
神秘を纏った肉体に完璧な美形☆誰もが思わず嫉妬しちゃうこの容姿☆
パーフェクトビューティーとはまさにこのわたしさ☆☆☆」
「スライムのみんな〜?いっぱい遊んでいいよ〜」
「アッ、それはやめ……」
シュラフの一変した楽しそうな掛け声に青年が青い顔になる。
静止しようと伸ばされた手にものすごい勢いで一頭の小型犬が突撃した。
そして瞬く間に牧場中の犬と猫が青年めがけて駆け寄り、体当たりしていく。
青年を中心に毛玉の山が出来上がった。
青年の悲鳴と犬と猫の鳴き声が牧場中に響き渡る。
「はい、じゃあサヨは僕とこっち」
そう言って彼は振り返りつつ私の手を取って小屋へと歩き出す。
引かれるまま小屋の中へ入る。
そのまま何故か馬の柵の中にシュラフが入っていくので私もついていく。
すると外から急ぎ足でパフォスがこちらに駆け寄ってきた。
鼻先で頬を突かれたので撫でてあげれば、パフォスはホッとしたように目を細める。
「さて、和んだところでアレについて説明するね。
さっき呟いてたけどアレはユニコーン。サヨの世界だと一角獣とか言われる幻獣だね。
この世界にも何頭か暮らしてはいるけど、基本的に人前に姿を現すことはない生き物だ。
あんな感じだけど強い魔力を持っているし額の角にはどんな病気も癒す伝説もある。
まあ、この世界において病気はあってないものだから無用の長物だけど」
「病気があってないものってどういうこと?」
「ああ、この世界は神様が1人ずつ体を作り変えてるって言ったでしょ?
その時に加護代わりの魔力が付与されるから細菌やウイルスによる病気にはかからないんだよ。
ただし食べ過ぎれば腹痛や嘔吐はあるし、体の調子が悪くて出てくる頭痛や発熱みたいなのはあるけどね。
無理をしなければ常時健康でいられるから、あってないものって言い方をしたんだ」
「それは……すごい事ね……」
病気が無いと断言されるとなんだか漠然とした感想しか思い浮かばない。
まだここにきて1週間しか経っていないから実感がないだけだと思うが、考えてみれば物凄い事だ。
私が以前いたところは冬季になれば必ず流行病があったというのに。
そういう当たり前は通用しない事を改めて実感する。
「ちょっと話が逸れたけど……とにかくユニコーンは本来珍しくて力のある賢い生き物だ。
ただ、さっきのアレは例外っていうか……見境がないっていうか……」
「つまり博愛主義ってことだよぉ☆☆☆☆☆」
バァンと激しい音を立てて小屋の扉から先ほどの青年が現れる。
しかしその姿は犬と猫のせいでボロ雑巾のように酷い状態となっていた。
ニコニコ笑っていながら胸に手を当ててゆっくりこちらへ近づいてくる。
しかし、私達が馬の柵の中にいると分かると今度は青年の顔が赤くなる。
「なっ☆なんてところにいるんだい☆?
そんなケダモノの寝所に女性を連れ込むなんて、正気かいカミサマ☆☆」
「正気も何もここが一番安全地帯だからね」
「なんてことだっ☆ああ、無力なわたしにお嬢さんが汚される様を見せつけようというのかい?
あんまりだよ☆カミサマがそこまで最低な思考の持ち主だとは思っていなかった☆失望だね☆☆」
「最低なのはお前の頭の中だよ」
「こうなったら颯爽とわたしが攫ってあげるしかないね☆
お嬢さん☆きみは今夜わたしと満天の星空の下で愛を囁き合うんだよ☆」
「ざんねーん、この子はもう僕と同衾しましたー愛の囁きも終わってまーす」
「うっうううううううううう、う、ウソはいけないよカミサマ☆
こっこっこんな、良い匂いの女性がそこまで身を許している筈がないに決まってるじゃないか☆☆」
「聞こえたサヨ?今の良い匂いっていうのがコイツのここに来た理由だよ」
「え……?」
あんまり理解できない会話を聞いていればシュラフが突然こちらに向き直る。
青年が何か言葉を重ねようとしたが、シュラフがパチンと指を鳴らし、犬猫が再び青年に群がる。
再度毛玉の山となった青年を横目にシュラフは言葉を続けた。
「ユニコーンの存在そのものは神聖視されることも多い生き物だ。
さっきサヨが夢を壊される前のみたいになんとなく綺麗な生き物だって思われる。
それこそ象徴として建物に紋章として付けられることも多い。
そんなユニコーンだけど、潔癖とでも言えばいいのかな……ある趣向があるんだよ」
「潔癖……?それが匂いと関係があるの?
個人的なイメージの話だけれど、潔癖な人って匂いを嫌いそうな気がするけれど」
「身なりとか空間の綺麗さではないんだよね。
アイツにとっての良い匂いって男のことを知らない女性って意味だから」
「??? どういうこと?」
「直球に言えば、処女が好きってことだよ」
シュラフの言葉をゆっくり噛み砕く。
恐る恐る毛玉の方を見れば、その隙間から青年が熱い眼差しをこちらへ向けていた。
全身にゾッと悪寒が走る。
考えるより先に私はシュラフの背後へ隠れた。
「カミサマ☆余計な入れ知恵を☆☆」
「五月蝿いよ色狂い。今までただ五月蝿いだけのお邪魔虫だったくせに気配を感じ取ったらこれだ。
言っておくけどお前の住処に彼女を連れ込もうものならウラヌスのようにアレを切り落とすから」
「つまり指先のテクだけで悦ばせろって事だね☆☆☆」
「訂正、髪の毛一本でも触ったらその角もへし折って魔力を剥奪する」
「幸せの楽園の管理者とは思えない、地獄へ突き落とす行為だね☆☆」
「お前が不幸になろうが知ったこっちゃないよ。よそ者への慈悲はあいにく持ち合わせていないからね」
「ふぅん?それは彼女が懐に入ってこなかった場合のことも指すのかな?」
スッと周囲の空気が変わる。
シュラフの影から覗いた青年の瞳は先ほどまでの賑やかさが嘘のように冷たい。
鋭利な刃物のような視線をシュラフに向けている。
「…………何が言いたい?」
小屋に響くシュラフの声は少し怒っているような気がした。
それを分かっていないはずがないのに、青年は温度のない笑みを浮かべて口を開く。
「わたしは知っているんだよカミサマ。
そちらの女性をこの楽園から追放しようとした事をね」
え、と思わず溢れた言葉が空気に溶ける。
シュラフから反応はない。
青年は言葉を重ねる。
「お嬢さんは知らないみたいだから教えてあげよう。
きみはね、昨日この楽園から追放されるところだったんだよ。
そしてお嬢さんが自分だった記憶も人格も全て奪って、人形のように生きる事を強要しようとしたんだ。
ねぇ、カミサマ?」
温度のない笑顔で投げられた言葉に、彼からの返事はなかった。