私の気持ちを言おう
お風呂から出て2階に向かう途中でふと扉の隙間から溢れる灯りが目に入った。
少し考えてから私は静かにその扉に近づく。
コンコンコン。
控えめにノックをすれば扉の向こうの気配が近づいてくる。
「どうかしたの?サヨ」
扉を開けて顔を覗かせるのはこの家の主人である少年。
……の、なんだかすごい雰囲気を纏った姿であった。
夜色の衣はよく見れば光沢のある糸で織り上げられていて袖にも金糸が使われている。
手首や腰の装飾具は重厚に輝き、材質は金で違いないだろう。
朱い髪も一房だけ長く伸びているだけで普段よりも大人びて見える。
眠りの神様ヒュプノスの分体だと彼は言った。
人間離れした人っぽい存在だと思えばいいと言われはしたが、話が一区切りした後に指をひと鳴らししただけで霧を晴らし、地面から出した椅子や灯りを片付けてしまった技を見せられてしまうと、本当にそれでいいのかと思えてならない。
それに今夜の彼は夕食を摂ることはしなかった。
『久しぶりにいっぱい話したら気持ちが昂っちゃったみたいで……喉に通らなさそうだからやめておくね』
そう言いながら私の夕食を準備して早々に彼は自室に入ってしまった。
ここに来て初めての1人の食事はとても静かで少し寂しかった。
「えっと……本当にどうかした?何も言ってくれないと心配になるんだけど……」
「あ、ごめんなさい。その、ノックしたのはいいけど何を話そうかちゃんと決めてなかったから……考えちゃって」
「そう?ん〜……こんなところで話したらサヨが湯冷めしてしまいそうだし、折角なら何か飲みながら話そうか」
行こうと言っていつものダイニングへと手を引かれる。
飲み物を選び出した彼の肩を私は控えめにつついた。
「ん?どーしたの?何かリクエストがある?」
「あの、リクエストに、近いのだけれど……その、今日のお使いの時に一緒に買ってきたお茶があって……」
「ホント!じゃあそれにしよう!」
ニコリと彼は屈託のない顔で笑う。
その笑顔だけ見ていればとても彼が神様の分体であるとか、強い覚悟で使命を全うしようとしている人には見えない。
背丈だって私とほとんど変わらない姿。
この体に私では到底計り知れない沢山のものを抱えているのだと思うととても遠い存在に感じてしまう。
「サヨ〜買ってきたっていうお茶はどこ〜?」
「あ……まだ籠に入れたままなの……えっと」
私は慌ててダイニングの隅に置いた新しいバスケットを手に取る。
買ってきた茶葉の袋を取り出して振り返れば彼がじっと私の手元を見ていた。
正確には、私が選んで買ってきたバスケットを。
「思ってたより大きいサイズにしたんだね。オススメされた?」
「ううん。私が、コレにしたいって言ったの」
「どうして?」
「えっと、これなら沢山入るから……」
「あはは、そうなんだ。でも入れすぎると重くて運ぶのが大変だからそれは注意した方がいいよ」
「あ、そっか……うん。気をつける」
「まあ、いざとなったらガグラでもお供に連れて行けば手伝ってもらえるよ。まあ、村の中までは連れて行けないけど」
「そういえば、どうして村に入らないの?そういう躾?」
「あの村の中まで行っちゃうと領域の外だからね」
すっと私の手からお茶の袋を抜き取ると、いつの間にか火にかけられているヤカンを背に彼は言う。
「サヨがいつも見ていたあの子達の姿はボクの魔法で作ったガワみたいな物なんだ。
まあ……あっちの方が動きやすいって言う子達もいるけど……中身は人間が見慣れた動物とは違うからね。
万が一でも本来の姿を見られると村の人間に何をされるか分からない。
そしてバレないように付けているガワは一定の領域の中にいないと剥がれちゃうんだよね……」
ピリッとお茶の袋を開封して、彼はお茶を準備するため私に背を向ける。
見慣れているはずの背中なのに少し違うだけでなんだか知らない人を見ているような気持ちになった。
でも、そんなものなのだろう。
だってまだ1週間しか経っていない。
そんな短い時間で知ることのできる部分などたかが知れている。
話さないよう伏せられていたのなら、尚更。
頭では分かっている。
だけど、なぜだろう。さっきはあんなに安心したのに、今は胸が痛いほど不安でいっぱいだ。
「サヨ?」
名前を呼ばれてハッとすれば2人分のティーカップを持った彼がすぐ隣に立っていた。
美味しそうな香りもしているのに、気づけなかった。
「あ……ごめんなさい。考え事をしていて……」
「さっきの話なら無理に全部を理解しようとしなくてもいいんだよ?
ボクも調子に乗って色々言ったけど、振り返ればサヨに関係のないことばっかり言っちゃったしね」
はいと渡されたティーカップを受け取る。
温かい湯気ののぼるカップは少し熱い。
日中飲んだ紅茶と違いミルクが入っていて滑らかな赤色が小さく揺れている。
「そういえば、今日の村の様子……この前一緒に行った時と全然違っていた。
色んな人が喋っていたし親切に話しかけてくれて……前はあんなに静かだったのに、どうして……?」
「多分、今日サヨが見て、聞いてきた村が本来の姿だよ。ボクは知らないけどね。
ホラ、これでも神の分体だからね……特に魔力が多くない生き物は本能的に萎縮しちゃうみたい。
別にボクの方からは何もしてないし、門の外で賑やかな声は聞いたことがあるけど……入った途端にスッと静かになるんだ。
人気も急になくなるし、返事も最低限の人形みたいに表情の変わらない人しか今まで見たことがない。
でもみんなのご飯は必要だし、全部自力で用意するのは骨が折れるから店は利用させてもらってるけど」
そこまで言って彼はカップに口をつける。
一口飲んだのだろう、一連の動作をじっと見ていたら怪訝そうな顔がこちらを見返してきた。
しばらくお互いに見合う。
10秒以上経っただろうか、先に相手が口を開いた。
「ねぇサヨ」
「……なに?」
「ボクのこと……怒ってる?」
目を合わせたまま投げられた言葉に私は目を瞬かせる。
しばし考えてみるがどうして怒っているなどと問われたのか分からない。
胸が痛くなるくらい不安はあるものの、先日自認したような怒りは抱いていない。
それとも不安が顔に出ていて、それを怒っていると勘違いされたのだろうか。
とりあえず「いいえ」と首を横に振ると、彼の眉間の皺が深くなった。
私の返答が信じられないとでも言いたげな表情にますます困惑する。
手に持ったティーカップを机に置いて再度思考してみても、やはり思い当たる節はない。
「えっと……本当に何も怒ってないんだけど……私なにか勘違いさせるとうなことをした、かな?」
「……サヨの記憶が見えなくなってる」
「え?」
「外で話したけど、初めて会ってからしばらくは記憶が見れなかったって言ったよね。
いま、あの時みたいにサヨの記憶が見えない。
サヨが使ってる守りの魔法がまたボクの力を阻んでるみたいでね。
流石に正体を明かしただけでコントロールできるほど簡単な魔法じゃないし、キミが自分で見えなくしてるとは思えない。
そうなるとサヨの中でボクへの評価が下がって和らいでた守りが強くなった……だから怒らせちゃったかなと思った。
でも、そうじゃないって言うから原因がわからないんだけど……。
ねぇサヨ、ボクはキミを失望させちゃったかな?」
「……! そ、そんなこと無い!
むしろ、隠していた事を話してくれて安心した……んだけど……」
「でも、何か引っ掛かっているんだね?
……こんな明け透けな言い方も良く無いとは思うけど、キミと夕食前に別れるまでは記憶が見えてた。
だからキミが安心してくれたのが嘘じゃないのは分かってるんだ。
遅い言い訳だけどボクは別にみんなを監視するために記憶をのぞいてるんじゃない。
ボクは、みんなに幸せを感じて欲しい。
使命とか言ってしまったし押し付けのようにも聞こえちゃうだろうけど、心の底からそうあって欲しいと願っているんだ。
だからその為にボクからは不快に思うことはしたくないし、傷つけることも避けたい。
心の問題だから完璧にはできないけど、それでもできる限りは努力したい。
その為にもボクはみんながどう思ったかを知っておきたくて記憶を見る。
何を好きと感じたか、嬉しいと思ってくれたかを知りたいんだ」
そこまで言うと彼も持っていたティーカップを置いて小さく目を伏せる。
その後に続いた声は覇気がなく僅かに震えていた。
「……そうしないと、幸せにできる自信がないんだ。
ボクは生まれた時からこの場所にいたし、今までに千を超える命を迎えて、眠りについてもらった。
どの命も幸せだったって言って、穏やかに眠ってくれた。
だけど、幸せの形は千差万別で……こうすれば絶対に正解だっていうものはない。
それでもボクは此処に来た全ての命に幸せになって欲しい。絶対に。
そうして穏やかに眠ってもらいたい、だから……」
彼の視線が再び私の方へ向けられる。
数多の光を含んだ暗い黒い瞳が真っ直ぐに私を見た。
「だから、思うことがあれば言ってほしい。
キミのような……記憶が見えなくなる人は初めてなんだ。
キミが此処にいてくれる事を望んでくれた以上、ボクはその思いを後悔にさせたくない。
ボクの何かのせいで不信に思わせているなら、ボクはそれを直したいんだ。
何でもいい、どんな事でもいいから、思うことがあるなら教えて、サヨ」
真剣な眼差しを向けられて私は困ってしまう。
だって私は、私の中にあるこの大きな不安をどう言葉にして伝えたらいいか分からない。
苦しいくらいの不安が渦を巻いているのに、頭の中に何ひとつ言葉が見つからないのだ。
きっかけは先ほど明かされた話にあるのは間違いない。
なのに、その中の何で私はこんなにも不安になっているのかがハッキリと見えない。
何回も、何回も、何回も、ずっと今日の出来事を繰り返し思い出す。
でも、不安の正体が分からない。
私がだんまりになってしまったのを見て、彼は呟くように声を出す。
「……それとも、やっぱり此処にいるのが怖くなった?」
暗い黒い瞳が揺れる。
不安そうに眉が下がって、唇が閉じてしまう。
その表情で、視線で、私の中にあるモノが輪郭をもつ。
抱いていた不安が膨れ上がるのを感じる。
そして、理解する。
私が彼に伝えたい気持ちが何であるのか。
「ひとつ……聞きたいことがあるの」
ようやく口を開いた私に彼は再び真剣な表情になる。
だけど瞳に残る小さな揺らめきを私は見た。
私は胸に手を当てて静かに深呼吸をする。
だけど不安を抑えられない。
あの時とは違う、けれど抱いた淡い期待を裏切られるのが怖い。
手のひらにギュッと力を込めながら私は声を絞り出す。
「私が初めて来た時に貴方は言っていたこと……。
3年ほど前にお父さんが出ていって帰ってきてないという話は、本当のこと?」
「…………」
彼の瞳がじっと私の真意を確かめるように見つめてくる。
その眼差しを受け止めながら私は言葉を続ける。
「自分は人間じゃないって貴方は言った。だから……少し分からなくなったの。
私には貴方が普通の男の子に見えていたけどそれがどこまで本当の貴方だったのかって……。
私に合わせて……人のように振る舞っていただけではないのかって……」
そこまで言って、私は口を閉じてしまう。
実のところ、私が確かめたいのはいま言ったことのさらに先の部分である。
だけど、そこを直接聞く勇気が今の私にはなく、一歩手前の質問になってしまった。
彼の答えが怖い。
直結していなくても十分不安の要因に近いことを声に出したから。
胸に当てた手のひらに力を込める。
静かにこちらの言葉を聞いていた彼は静かに口を開いた。
「……本当か嘘かで答えるなら、どちらでもあるということになるかな。
確かに人間ではないボクに人間らしい生活は必要ない。
この1週間のボクは普段やっていないことも普段のことだと言って行動してた。
例えば3食の食事や夜の睡眠は……キミがいたから偽っていた部分だ」
「…………」
淡々とした声に胸がズキズキと痛くなる。
顔を上げているのが辛くて私は胸を押さえたまま俯いた。
「……様子を見る為にキミに嘘をついていた事は、遅くなったけど謝りたい。
ごめん、サヨ。キミは人の嘘で傷ついた事があるのにボクまで同じ事をしちゃった。
だけど……だけど、全部が嘘だったわけじゃない。
父さんの話も、王都に出稼ぎに行ったっていうのは嘘だけど……でもあとは本当の話だ。
ボクの……本体であるヒュプノスの父神ニュクスは確かに3年ほど前まで“エリュシオン”に居た。
みんなが眠りについた後、夜の間中いろんな話をしたり悩みを聞いてくれていたんだ。
でも、それが突然居なくなってしまった……どんなに声を投げても何も応えてくれなくなってしまった……。
夜になればいつだって感じていた隣に居る気配が……なくなっちゃったんだ。
父さん……ううん、父様は今夜も何の返事もしてくれない……。
これは、偽りのない事実だよ……今更信じろっていうのも虫のいい話だけど……」
尻すぼみに彼の声が小さくなっていく。
私は顔を上げた。
彼は俯いていた。
その姿はとても哀しんでいるように見えた。
胸が痛む。先ほどとは違う理由で。
「……さ、みしい?」
私の問いかけに彼が顔を上げる。
辛そうな瞳が、ここに初めて来た時に見た時のものと重なる。
あの時と違って彼は何も答えなかった。
だけど、目の前にいる今にも壊れしまいそうな姿が見えているだけで、私には十分な返事だった。
「シュラフ」
彼を呼ぶ。正確には彼の名前ではないというけれど、私の知っている呼び名はこれだけだ。
「…………なに?」
ただ一言。それだけで、返事をしてくれたという事だけでも、私は気持ちが軽くなる。
不安に押し留められそうになりながら、私はちっぽけな勇気を振り絞る。
「シュラフ、私ね……此処に居たいよ。
みんなの本当の姿に慣れるには、もうちょっと時間がかかるかもしれないけれど……絶対に慣れるから。
私ね……私、どうしても此処でやりたい事があるの」
「サヨの、したい事?それは何?」
「私ね、シュラフに少しでも寂しいと感じない時間を作ってあげたいの」
彼が、シュラフが驚くように目を見開く。
いまの私はシュラフの目にどんなふうに映っているだろう。
みっともなく震えてしまっているかもしれない。
変な事を言っている滑稽な人間に見えているかもしれない。
ああ、自分の願いを口に出す事が、こんなにも怖くて不安なものだと知らなかった。
泣き出してしまいそうなのを堪えながらシュラフを見つめる。
「もちろん貴方のお父様の代わりになろうなんて思わないよ。
私にはもう分からないけど、実の家族がいない寂しさは……きっと誰にも埋められるものじゃない。
それでも……私はね、シュラフがみんなに幸せになって欲しいと思うように、シュラフに心から笑って欲しいって思うの。
それが私を幸福にしてくれるって約束してくれたシュラフに私がしたい恩返し」
「……そう、キミは、心からそう願ってくれるんだね」
シュラフの顔が歪む。
それは怒っているようにも哀しんでいるようにも見えたし、喜んでいるようにも見えた。
徐々に彼の唇が形を変える。
多分、笑顔だ。
確信できないのは、その笑顔が普段のものとあまりにもかけ離れたぎこちなく見えたから。
「あは、は……変なの……どうしようもなく笑ってしまいたいのに、うまく笑えないや。
まるで作り笑いができないくなっちゃったサヨみたいだよ。
別にボクは誤魔化す時以外はしっかり笑いたくて笑っていたけどね?」
シュラフがゆっくり私の方に近づいてくる。
あと一歩で互いの距離がゼロになるというところで歩みは止まり、彼は両の手を私が胸の上に置いたままの手にそっと重ねた。
シュラフの温かさがゆっくり伝わってくる。
「そうだね、キミはずっとキミのしたい事を自由にできなかった。
それを口に出す事さえ……とてつもない勇気が必要だったのに、それでも言ってくれた。
それが……僕は嬉しい。
サヨが思ってくれるだけで、飛び跳ねてしまいそうなくらい嬉しいよ。
だから、また僕の事を甘やかしてくれる?」
「……! うん……!」
心の中の不安が一瞬で吹き飛んでいく。
あんなに重かった気持ちが、今ではどこかに飛んでいってしまいそうだ。
気がつくと私の体は勝手に動いてシュラフの体を抱きしめていた。
「わっ」と小さな声を上げてシュラフが私の体を支えるように背中に腕を回す。
「……あはは!サヨのギュッは突然な場合もあるんだね。
やっぱりあったかくて落ち着くや……直接触れ合うのって、こんなにあったかいんだね」
「? お父様はしてくれなかったの?」
「うーんある意味ではいつも抱きしめてもらってたようなものだけどね。
父様は夜そのものだから、実体があったわけじゃないんだ。
だからこうやって同じ体型の生き物と体を寄せ合ったのはこれで2回目だよ」
「……シュラフが嫌じゃなかったら毎日でもするよ?」
「わあ、魅力的なお誘い……でも、あんまりイチャイチャするとサヨの親衛隊に嫉妬されそうだから時々でいいかな」
すっとシュラフの体が離れていく。
今度はいつも通り明るく笑っていた。
その笑顔を見ただけで私も嬉しい気持ちになる。
心がふわふわして、もっと見ていたいと思う。
「私ね、少しずつでいいからシュラフのことが知りたい。
シュラフが私のことを知って幸せにしてくれようって思うみたいに、シュラフの好きなことや嫌なことを聞きたいの」
「……あはは、そんなこと初めて言われたな……きっと長い話になるよ?」
「うん、だから今夜は一緒に寝ようか」
「うん゛ん゛っ!?」
ゴホッと突然シュラフが激しく咳き込む。
私は慌ててその背中をさする。
「ど、どうしたの?私変なこと言っちゃった……?」
「ゴホッ、いや、あの……うーん……サヨが僕の事を異性って枠組みで見ていないのは重々理解してたけどさ。
それにしたって躊躇がなさすぎでしょ……僕ちょっとサヨのことが心配」
「そう……?でも、シュラフは私に変な事はしないし……。
それに一緒に寝ながらならゆっくりお話も聞けるかなと思ったのだけど……」
「まあ、そこまで絶対的に信用されてるのは悪い気しないけどさぁ」
ふぅとため息を吐いてシュラフはティーカップに残っていたお茶を飲んだ。
私もそこで思い出して自分用のお茶を口にする。
すっかり冷めてしまってはいるけれどこれはこれで美味しいと感じた。
「ああ、そうだ。もうひとつ話忘れてた事があったんだよね。
サヨの使ってる魔法は2つあるって言ったでしょ。
自分を守ってる方ともうひとつ、相手に干渉する魔法について説明してなかったよね」
飲み終わったティーカップを片付けたシュラフがちょんと私の頬を、正確には私の瞳の近くをつつく。
「さっきも話した通りサヨのように瞳を使って魔法を発動させるタイプは珍しいんだけど、そもそもの魔法も珍しい種類が多いんだ。
ゴルゴーンやコカトリスの石に変える魔法みたいにね。
サヨが使っているのはそれよりは簡単なものだけど、他の魔法で代用するのは難しい魔法だね」
「そ、そんなものを……?えっと、それってどんな魔法なの?」
「魅了」
ニヤリとシュラフが口角を上げる。
その表情と言われたな言葉の意味をすぐには飲み込めなくて、たっぷり3秒使ってから私は顔が熱くなるのを感じた。
「み、みりょ、う……!?」
「あはっ!顔が真っ赤のサヨも可愛いね!
もっと細かくいうとサヨの魔法は“相手に好意を抱いてもらいやすくするもの”って言うのかな。
目を合わせた相手の自分に対する印象を良いものに思わせるって感じだね。
大まかに言えばもう一つの魔法と同じで自衛のための力とも言える。
だってちょっとでも好きだと思った人にわざわざ悪意を向けるなんてそうそうしないでしょ?
つまりはキミを守る力だし、多分効き方も個体差が大きいものだから効かない時は一切効き目がないね。
でも、逆に効果抜群だった時はすごいよ〜?目を合わせただけでサヨ一筋にしちゃうかも!」
「私一筋…………一筋?ちょっと待って、それって……?」
「あ、気づいた?いや〜罪深い魔法を習得してるよねサヨは。
お陰でパフォスを筆頭にニースや他のファンもサヨにメロメロ。
いや〜モテちゃう人は大変だねぇ」
「わ、笑い事じゃないと思うの!あの……解く方法は……?」
「うーんサヨの魔法の性質的に解除魔法はない、かな?
精神操作の魔法ならそういうものもあるけど……サヨについては相手の印象を好意的な方向に向けるだけのものであくまで効くかどうかは相手の気持ち次第だからねぇ……なんとか解いたとしても好意が消えるわけじゃないから別に変わらないんじゃない?
それにサヨが操ってるわけじゃないんだから、困る必要はないと思うよ」
「で、でも……」
「サヨを好きになれる子がちょっと早く好きになってくれるってだけのことだから、悪い事をしてると思わないで」
穏やかに諭され私は口を閉じる。
ここにいるみんなと少しでも仲良くなれるなら悪くもないと自分に言い聞かせてみる。
でも、やっぱりどうしようもなく恥ずかしかった。
なんだかはしたない事を無意識にしてしまっているような……そんな気分になる。
「……まあ正直魅了より自分の行動の方がお嬢様的にははしたなさそうだけどねぇ」
「? シュラフ何か言った?」
「ナニモイッテナイヨ」
ニコニコと笑う顔が作ったもののように見えて怪しい。
だけど聞こえなかった事を強く言及するのも子どもっぽいような気がしてやめた。
とりあえず明日から誰かの目を見る時は気をつけよう。
「さて、サヨがせっかく提案してくれたから添い寝させてもらおうかな。
僕の部屋のベッドでいい?多分サヨの部屋にあるのと同じ大きさだから2人だと狭いだろうけど」
そう言ってシュラフに手を引かれる。
されるままについて行って、部屋に入る直前に私はふっと頭に浮かんだ言葉を口にした。
「そういえば、シュラフは私の目を見ても大丈夫だったの?」
扉に手をかけた彼が振り返る。
少しだけ考えるようなそぶりを見せた後、シュラフは悪戯っぽく笑った。
「さあ、どうだったかな?確かめたいなら……いっぱい話そうか。
僕がサヨにメロメロかそうでないかは……サヨ自身が見極めてよ」
そう言って部屋の扉を開く。
静かな牧場の小さな家の中で2人分の足音が響いている。
パタン。
扉の閉まる音と共に小さな楽園は夜の眠りに包まれた。