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道を選ぼう


村を入ってすぐ、私は周囲の様子に足を止めてしまった。


ざわざわ……ガヤガヤ……。


人の声、足音、様々な物が立てているだろう響きが四方八方から聞こえてくる。

前はこんなに賑やかではなかった。

何か催し物でもあるのだろうか、そう思って辺りを見渡す。

けれど目に映る人々は特に浮ついているようには見えない。

みんな楽しそうで、嬉しそうで、穏やかで、こんなに賑やかなのに落ち着いているように見える。

まるで当たり前の日常を送っているようだ。


「……………?」


頭の中で浮かんだ言葉に私の胸がざわつく。

当たり前の日常。

ふと、目の前に見えている景色が霞んで違う風景が浮かび上がる。

それは私の記憶。

私が死ぬ前に見た景色。

学生の時、婚約者と義家族に連れられた外出の時、横目で見ていた風景。

たくさんの人がそれぞれ目的を持って動いていく。

忙しそうなサラリーマン、友達と楽しそうに話をしている子ども、スマホを見ながら歩いていく若者。

誰かが話す声、何重にも響く靴音、車の駆動音、電気屋から溢れる宣伝の音、遠くから聞こえる曲。

記憶の中の喧騒がすっと村の人々の動きや音と重なる。

勿論ここは私の知るビル街ではないし、人も少なければ音だって記憶のものと比べれば静かなものだ。

すっと記憶の光景は消え、村の様子が再び私の目に映る。

私は確信する。


いま目の前の様子こそ本来この村の当たり前の姿なのだと。


でも、だとしたら、1週間前の村の様子はどういうことなのだろうか。

あの時はまばらにしか人はいなかったし、賑やかな物音も聞こえなかった。

彼が引いていた荷車の立てる音が一番の大きな音だった。

取引先の相手を彼が呼んだ時の声が一番の大声だった。

どうして?



「あら、サヨちゃんそんなところに立ち止まってどうしたの?」


知らない女性の声にえ、と私は驚いて振り返る。

そこには知らない恰幅の良い女性が笑顔でこちらを見ていた。

私の様子が不思議だったのか女性はすぐ笑顔を引っ込めて不思議そうな表情になる。


「どうしたんだい?そんなに驚いた顔をして……具合でも悪いのかい?」

「え……いえ……えっと……だって……」

「あら、もしかしてまだ人見知りしてるのかしら?そうだったらごめんなさいね。

サヨちゃんは繊細な子だものねぇ、アタシみたいな無神経なおばさんに絡まれたら困っちゃうかしら」


あははと陽気に女性は笑う。

女性の言っていることは何一つ覚えのないこと、なのにどうしようもなく自然な親しさをこの人から感じる。

まるで何度か顔を合わせたことがある間柄のような、そんなはずはないのにそう錯覚してしまいそうになる。


「でもサヨちゃん、本当にどうしたんだい?ぼーっとしているように見えるよ」

「……あ、ちょっとびっくりしただけ……です」

「あらあら、おばさん声が大きいから驚かせちゃったのね。

ごめんなさいねぇ、生まれつきこんなに声が大きくて抑えられないのよねぇ。

でもサヨちゃんが嫌なら気をつけるわね」

「そ、そんな……気にしないでください。私が、慣れれば良いことなので」

「やだわぁこんなに良い子なんだから……でも嫌なことはちゃんと嫌って言いなさいね?

アタシとの約束よサヨちゃん」


ニコリと笑う女性につられて思わず頬が緩む。


待って、どうして私は当たり前のように知らない人と話をしているの?


ハッとして目の前の女性を凝視する。

穏やかな笑みを浮かべる女性。

記憶を辿ってもこの人の事を私は知らない。

なぜか私の名前を知っているようだけれど、私はこの人の名前すら知らない。そのはずなのに。

体の中でさまざまな感情がせめぎ合う。

一歩、後退り距離を置こうとしたところで服のポッケからかさりと擦れる音がした。

あっと思い私はしまってあったメモを取り出す。

ぼんやりしていた思考がすっとクリアになったような気がした。


「あ、私……やる事があるので失礼します!」


何かを言いたげな女性にぺこりと頭を下げてそのまま背を向ける。

駆け足でその場から離れた私は先日彼と共に訪れた店の前にやってきた。

走ったことと、言葉にできない気持ちが混ざって荒い息を吐く。


「おやおや、そんなに急いだ様子でどうしたのかな?」


店の奥から近づいてきたのは前に彼が声をかけていた店主だ。

整ったあごひげに小さなメガネをかけ、普段は細いだろう目を見開いて心配そうにこちらを見ている。

一見すると厳しそうな印象を受けそうな顔立ちをした男性だ。

けれどそんな印象を消すように店主は柔和な笑みを浮かべる。


「あんまり急いでも疲れるだけだよ。ほら、良かったらお茶を飲みなさい。

今年の茶葉は出来がいいからが匂いがとても良いんだ」


さあと言って店主に通された店内で小さな丸椅子に座るよう促される。

言われるまま腰を下ろせばすっとティーカップを渡される。

受け取れば湯気とともにふわりと優しい紅茶の匂いが鼻をくすぐる。

一口こくりと飲めばお茶の風味と甘い砂糖の味が口の中に広がって全身がほぐれるような心地になる。


「美味しいです」

「そうだろう?どんな事をするにしても心に余裕がなければ良さは見つけられない。

急ぐ事も大事な時はあるが、マイペースを保つのが一番自分のためには大切だよ。

ちなみにこのお茶に使っている茶葉は本日特売で3小銀貨だ」

「ふふ……商売上手ですね」


飲み干したティーカップを渡せば店主はオススメだよと言いながら受け取り、片付けるために奥に入っていく。

しばらく椅子に座ったまま店内を見回し、それから手に握ったメモに目を落とす。

オリーブ、ハム、塩、あとは私が食べたいものと新しい籠。

お茶はひとつ買ってもいいかもしれない。

そう思って立ち上がり棚に置かれた紅茶の茶葉が入った小袋を手に取る。


「おや、サヨさんも今日はお買い物?」


聞き覚えのある声にそちらを向けば、先日服を買わせてもらった店の女性がゆっくり歩いてくるところだった。

白いボトムスに淡い花柄が綺麗なトップスを身につけている。

柔和な笑みも合わさってお上品なマダムのようだった。

ぺこりと頭を下げれば「ご丁寧にどうも」と女性が微笑む。


「おすすめした服を早速着てくれていてとても嬉しいわ。

着心地はどうかしら?気になったら言ってちょうだいね、すぐに直させてもらいますから」

「ありがとうございます。でも大丈夫です。

すごく着心地がいいし……初めて着た色ですけどすごく気に入ったので……」

「それは良かった。サヨさんの綺麗な髪とも合っていますし、すごくお似合いだわ」


そう言って目を細めながら女性が笑う。

先日感じた作り笑いには見えない、ごく自然な柔らかい表情だ。

返事をするように笑み返せば奥に行っていた店主が戻ってきて女性に気づいた。


「おお!いらっしゃいセレスさん!今日も別嬪さんだねぇ」

「ダイオプさんもお上手な口の調子が良さそうで何よりだわ。

今日は魚が欲しくて来たのだけれど、いい物があるかしら?」

「それならさっき入ってきたカワカマスがいい。ほら、サヨさんも今夜のおかずにどうだい?」


店内に設置されたケースから一匹の細長い魚が店主の手で取り出される。

見たことのない魚だ。

けれど女性は落ち着いた声音で「それをいただくわ」と店主に告げる。

おそらくこの辺りでは食卓によく並ぶ魚なのだろう。


「私は……もうちょっと考えてからにします」

「はいよ。他には何か欲しいものがあるかい?」

「えっと……今日は、オリーブとハムと塩……と、それ、から……」


買うべきものを言っていくと、どんどん頭がぼんやりとしていく。

あと何を買うのだったか、考えようと思うのに思考がまとまらない。

手に持っていた茶葉に視線を落とす。

そこでようやくぐちゃぐちゃになっている頭の中が整理されていく。


「……お茶に合うドライフルーツがあれば買いたいです」


口から出ていった言葉を聞いた店主が笑顔で応える。

隣にいた女性も良い物を聞いたと自分の分を追加で頼み始める。

「美味しいですよね」と私が言えば女性はごく自然な笑顔で「そうね」と返してくれた。


穏やかだ。

知っている人と話をしながら、次のお茶の時間を思い浮かべる。

窓から外を眺めながら飲むのが良いかもしれない。

誰かが声をかけてくれたら、店で売っていた事を伝えれば店主の人も喜んでくれそうだ。

そういえば服屋で気になっていた別の服もあった。

今度見に行こうか女性に伝えておけば購入がスムーズかもしれない。


未来の計画がするすると出来上がっていく。


間違いなく楽しい時間になるだろう。


一緒にいる人と言葉を交わせば新しい予定も頭の中で増えていく。


私の“生活”が組み立てられていく。




くちゃり。

手の中で何かが潰れるような感触と音がした。

2人と話していた視線を手のひらの中へと落とす。

1枚の紙が潰れていた。

見覚えのある気がする文字で買うべきものが箇条書きされている。

だけど潰れた時に一番下に書いてあった文字が随分くしゃくしゃになってしまったようで読めない。

じっと目を凝らすがどうしてもその部分だけ読む事ができない。

他の記号は全体を見ればちゃんと読めるのに。




なぜ、私は文字を読む事ができないのだろう?

破れたわけではないのだから単語を拾い集めれば読めるはずだ。

いや、それは無理な話だ。

だってわたしはまだこの記号の意味を全部覚えられていないのだから。

それはおかしい。

だって私はもうずっとこの村で暮らしているはずで、文字の読み書きもずっと昔に教わっているはずだ。

そんなはずはない。

私はまだこの世界で1週間ほどしか過ごしていないし、この村に来るのもまだ2回目じゃないか。




「どうしたんだサヨさん?急に俯いてしまって」

「体の調子でも悪いのかしら……顔が青いわよ?」

「さっきも急いでいたようだし、なにか困った事でもあったかな?」

「それなら私達に話してみない?悩み事は話すだけでも気持ちが楽になるわよ」

「そうだとも、案外かんたんに解決法が見つかる事もあるしな」

「どうかしら、サヨさん」


顔を上げる。

優しい言葉。

優しい声。

優しい表情。

心の中で温かい人達へと手を伸ばそうとする。

きっと手を掴んでくれる。確信がある。

口を開いて言葉を紡ごうとする。

私は。





ふっと頭に哀しそうにこちらを見ている顔が過ぎる。

さみしいと言っていた、頼りなさそうで、今にも壊れてしまいそうな一瞬の表情。


そうだ。


私は、彼に、少しでも寂しく感じないでほしいと思ったではないか。



「私、もうひとつ買う物を忘れていました」







もう少しで村の東門をくぐるところまで歩いてきた。

日差しは傾き、背にした太陽の光で私の足元からまっすぐに長い影ができている。

小脇に抱えたバスケットを私は抱え直した。

中には頼まれた物にいくつか私が選んだ食材が収まっている。

重い物ではないけれど、持ち慣れていないから何度も抱え直してしまう。

その時に中の物が落ちたりしないよう気をつけながら、私はいつもよりゆっくり歩いていく。


村の門を抜ければ隣からワフンと鳴く声が聞こえた。

視線を向ければ大人しく待っていた大きな犬が尻尾を振りながらこちらへ駆け寄ってくる。


「待っていてくれてありがとう」


慣れない手つきで頭を撫でれば、ガグラはもう一度ワフンと鳴いた。

頼もしいボディーガードは行きよりも遅い私の歩調に合わせて共に歩いてくれる。

決して先に行こうとはしない。

時々私の方を見上げながらぴったりと隣に寄り添い、まるでエスコートしてくれるように進む。

その様子に胸の中が温かくなるのを感じながら木漏れ日も薄まった狭い道を歩いていく。


日が沈み切る前に帰ってきた牧場で、彼はじっと空を見ていた。

足元には犬猫達。馬やニワトリも柵の端に集まり彼を見ている。


「……帰ってきちゃったんだね」


優しいけれど、どこか哀しそうな声音で彼は呟く。

空に向けていた顔をゆっくりとこちらへ向ける。

黒い瞳がまるで虹色のように全ての色を持って光る。


「種明かしの時間だよ」


パチン。


乾いた指を鳴らす音が響き渡る。

そして、私の目に映るものたちが一変した。


馬だったものは全身が濡れポタポタと滴を落とす。

ニワトリだったものは蛇のようになった体をくねらせ瞳を光らせた。

そして、犬や猫だったものは全てブヨブヨとした不定形の何かに変わる。

すぐ近くでずりずりと這うような音がして視線を移せば、大きな犬だったはずの何かが体を転がすようにして彼の方へと帰っていく。


異様な光景に私は声を出す事ができなかった。

たくさんの瞳がじっと私を見ている。

怖い。

その感情が体を覆う前にふとひとつの視線と目が合う。


馬だったものの一頭が白く濁った瞳でこちらを見ている。

それは記憶の中の一頭と違う姿だというのに、なぜか私はその視線に安心感を覚えた。

初めてここに来た時から熱心に私を見つめてくれていたあの子が今も変わらず私を見ている。

そう分かると同時に体を強張らせていた恐怖が消えていく。

よく見ればどの視線もじっと私の様子を伺っているようだった。

それは敵意を持ったようなものではなく、まるで私という存在に怯えているような印象まで受けた。

変わってしまった姿を一通り見てから、もう一度彼へと視線を戻す。

彼は静かに私を見ていた。

その表情は私の知っているどれでもない。

厳しく、険しく、けれど落ち着いた、ピンと張り詰めた糸のような表情。


「……彼らが怖いんじゃなかったの?」


静かに問う声に私は少し緊張する。

言葉を選ばなくてはいけない。でも、同時に素直な気持ちを伝えなければ意味がない。

深呼吸をして私はこちらを見つめる彼の瞳をまっすぐ見つめ返しながら口を開いた。


「……怖いよ。私を見てくる沢山の瞳も、見たことのない知らない生き物の姿も、すごく怖い。

だけど……だけどそれは見た目が突然変わって驚いたから。

この子達は、間違いなく私の知っているこの牧場の生き物で、私を怖がらせるようなことはしない。

……それに、もしそんな事になったとしてもきっとそこにいるパフォスが助けてくれる。そんな気がするの」


そこまで言うと一頭の馬だったものが、パフォスがブルルルルッと鳴いて体を揺らす。

白く濁った瞳がなんだか嬉しく細められたように見えた。

そんな姿に思わず口元を緩めれば、小さな溜め息が聞こえてきた。


「やれやれ……ただでさえ魅了の術で敵意を削ぐ事ができる上に強い味方までつけているときた。

キミはボクが思っている以上に強かな女性だね、サヨ」


そう言うと彼の周りの空間がぐにゃりと歪む。

驚いて瞬きをした一瞬で、彼の姿は変わっていた。

動きやすいシャツとパンツは金の装飾が付いた夜色の衣になり、うなじから一房、地面につくほど長い髪が伸びる。

背丈は変わっていないのに私の知っている少年ではない人がそこにいた。


日が沈み出し、少しずつ辺りが薄暗くなっていく。

だというのに彼の人の瞳は暗闇に溶けることなく光り輝いている。

夜空に光る星でも月でもない、怪しく誘うような暗い色が私を見ていた。



「キミは選んだ。何も知らずに穏やかに暮らせる道ではなく、苦しい記憶を抱えながら生きる道を。

だから……だからこそボクは改めてキミに告げなければならない」




「ようこそ、睦宮小夜。

此処は不遇な命が幸福を得るために創られた小さな箱庭。

キミが……キミ達が穏やかな夢を見る“楽園”(エリュシオン)

幸せを得られずに殺されたキミを、ボクは歓迎しよう」


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