ハンドグライダー
11月11日の今日、両手一杯の大きさのハンドグライダーが、この丘にやって来る。
名も知らない薄い黄色の花たちが気まぐれに着飾り、ふわっとねこやなぎが乗っかった丘に。
そこには、リンゴの木が一本立っている。早熟の、その代わりあまり甘くない果実が熟し、あるものは風と重力に負けて落ちている。
その中の一つを拾い、表面をジャンパーの袖でこすり、控えめにかじる。水分が多い果実だが、酸っぱい。甘さはなく、味もない。けれど、ほのかにリンゴのあの優しい香りがする。そのままデザートの皿に置くよりも、煮込んで発酵させて、リンゴ酒にすれば良いのだろう。と何も知らないのに思う。
去年、ハンドグライダーはこの丘にやって来た。今年は……どうかな? 今年も来るかな?
グライダーは魔法電池を動力にし、遥か遠い土地、エルムストラという街だそうだ、そこから4か月の旅をして、ここにやって来る。
まだハンドグライダーはやって来ない。冬の低い空、青いというよりも淡い水の空。雲はぽつぽつと。だけど、背後から少しずつ暗雲が迫っている。そこにハンドグライダーは映らない。
*
去年、彼女から、ペンネームはLALA、その彼女からハンドグライダーの手紙が来たのは、僕がなんともなしに、リンゴの木を背に丘から地元の村を眺めている時だった。小麦の種まきが終わり、少し暇になったころ。教会では信者が今年の収穫を祈る「ついで」に、同じ仲間たちと談笑し、小さな旅行の計画を立てる。ちなみに、どちらが、「ついで」かは怪しいと僕は思う。結局は、人は神よりも人間の方が好きなんじゃないか。そう思ったりもする。僕はあまり両方とも縁が遠く、だからこの丘で一人なんだ。
そんな時、空に妙に不格好な鳥が飛んでいるのに気付いた。どころかこちらにやって来る。それがグライダーだと気づいたのは、充分にその木の外観とおまじないの魔法の煌めきが見えたからだ。本当はおよそ鳥らしくもない、その水平な軌道というか軌跡から気付かないといけないのに。僕はやっぱり何かが遅れているのかもしれない。間抜けなのかもしれない。
駆ける。駆ける。駆ける。だって、そのグライダーが余りに美しいから。下手に落下して、壊れて欲しくないから。
駆けながら右手を一杯に伸ばして、キャッチする。
機体は余りにも軽く、溶けそうなほどに淡いコーディングの魔法は今にも終わりそうだが、その最後の疾走に、僕は機体にてってっと振り回され、よろけ、転び、そのまま機体が離れようとするのを両手でがしっと掴んだ。目立つところに紅く光る丸いボタンがあったので、起動スイッチだと思い、いや、そう身体が反応して、ボタンを押した。すると機体は、ひゅるひゅると鳴り、その動きを止めた。
壊れてしまったのか。はじめはそう思った。そして点検というか、観察というか、その魔法のハンドグライダーを眺めた。木のような色をしていて、木目もあるのだが、その滑らかな感触は、魔法学科の実験で使われる材質のように思えた。腹に物を入れる空洞があるようで、小さな取っ手がついていた。
その中に何があるのだろう? ポケットいっぱいの金貨か……あるいは秘匿された魔法の隠し資料か……戦争を知らせる暗号か……! はじめはドキドキし、次いで不安が襲って来た。このまま開けて良いのだろうか。皆に知らせるべきではないか。それとも観ないふりをして、埋めてしまうとか。だけど、18の年の幼い僕の好奇心は、開く以外の選択肢を選ばせなかった。
中には少しの銅貨袋と地図とグライダーの設計図と手紙があった。それぞれに小さな付箋が貼ってあり、銅貨袋には『グライダーにかける魔法費用』と、地図には『このグライダーがやって来たわたし(LALA)がいる場所』とあり。設計図には『このグライダーの製作図、送り返すときは× 印の地点より11月18日正午、南南東45、7368度、運行距離1872626、56280197ハイドにして飛ばしてね』とある。そして手紙には、「あなたには大したことないでしょうが、わたしには大切な手紙」とだけ書いてあった。
古い羊皮紙の地図にある目的地は、ナルタシャ国、オルドール、エルムストラ、と書いてある大きな畑のような場所だった。
驚いた。3つの国を渡ってこのハンドグライダーは来たのだ。どれぐらいの時間をかけて? 途方もない年月のように思えた。そして、何か不思議な違和感もあった。
僕は温かな日差しの元、リンゴの木の下でLALAからの手紙を読んだ。
「わたしのペンネームはLALAです。少し大きめの農家の地主の娘です。三番目です。季節は春が好きです。春の渡り鳥が飛んでいく空が好きです。あと太陽の光も。
さて、わたしが手紙を出したのは、第一にあなたに友達になって欲しいです。友達、という言葉の定義は難しく、国によって違うようですが、わたしには心を通わせることのできる友達がいません。いろいろなことを教えてくれる個人教師。簡単な魔法学を一緒に実験してくれるじいさん。あとは幾つかダンスパーティだけで出会う、オシャレしている同年代の男の子、女の子。彼らと会うことが出来るのは、季節に一回くらいのこの時だけなのです。ああ、わたしの年は17です。りゅうちょうに書けなくてごめんなさい。この手紙が届くだろうあなたの国の言葉は、幼少から学んでいるのです。ですが、まだまだ使いこなせないのです。書くのだけでも大変でお喋りなどとうていできません。ここまでつづるのに、実は一週間ほどかかっています」
予想した宝物や秘密の設計図ではなかったのだが、何かそれ以上に嬉しい気持ちになった。ここまで必死な、照れくさくなるほどに必死な子は今まで会ったことが無いし、それがたまたま自分の元に来たのに、幸運というか運命すらも感じてしまう。何よりも女の子、というのが僕をどきどきさせた。僕も男なのだ。
そこからは、大好きな料理が、川魚のワイン蒸しだということ、行ってみたい土地が、オーロラの見える北の果てなのだけど寒かったら嫌だなとか。なにか外国語での会話集でのテンプレートのようなものだけど、彼女の人柄とそれを異国語で書いてくれた労苦が詰まった文章が20枚ほど続いた。どれほどの時間をかけたのだろう。そのことを思うと、呑気にりんごを背に鳥の鳴き声と共に温かなお日さまの元で生きている自分が、恥ずかしいというか、なんともいえない向上心が沸き、僕も背を伸ばして精一杯生きなきゃいけないなと思わせてくれる。そんな元気の出る魔法の手紙だった。読んでいる内から、僕は返事を書かなければと、もう思っていた。
最後にさり気なさそうで、だがとても取扱いに気を付けるのが透ける文章で、この手紙は閉じられていた。
「ほんとうは、わたしは17なのだけど、成人したら親が決めた人と結婚しないといけません。それがこの国の常識だし、この家のしきたりなのです。でも、わたしには抵抗があります。親はとても優しいのですが、それがまるで綺麗な人形へのような行儀のイイペットへのような優しさなのです。まだ、婚約相手が決まっているのなら、わたしなりに納得できるかもしれませんが。父母はより条件のイイおむこさんを探しているようで、直前までオークションにかけているようなのもイヤなのです。わたしはどうしたら良いのでしょう。この手紙を受け取ってくれたあなたなら、どうしますか? ああ、受け取るのが女の人じゃないのかもしれないんですね。でも、男の子だったらどう思うのだろう? わたしどうすれば良いのだろう? 誰にも相談できず、この手紙を書いてみた次第です。ありがとうございました。本当にありがとうございました」
そうか女の子の方が良かったのかと、がっかりが半分で、でもやっぱりがっかりさせ続けたくないなって言う訳の分からないやる気が半分で。僕は手紙を何回も読み返した。
そして空がコンソメ色に柔らかく染まったころ、家のジャガイモのスープと取って置きのハムのステーキを期待しながら、その期待は大抵裏切られるのだが、家路に着くことにした。途中、見知った小さな子供が泣いており、「カレンがカクレンボでまだ見つからないの。もう帰りたいのに」と言って来たので、「もうお帰り。カクレンボでも鬼ごっこでも、続きは明日にしよう。カレンを見かけたらそう伝えるから」と言ってやった。その子はぱっと表情を開き、でも少し不安そうに「お願いね」と言って帰って行った。まだ見つからないカクレンボの達人のお子様は、僕が必死に三十分もかけて見つけてやった。おかげで帰るのが遅くなってしまった。だが、それも家を空けていた口実に、「子供と遊んでいた」が使える良い機会なのかもしれない。だって、「異国の手紙を読んでいた」なんてロマンチックだが、怪しまれるのは分かりきっている。
厚切りのハムではなかったが、パリパリのベーコンの美味しい夕食を終え、僕は自分の部屋に入った。そこで手紙の返事を書き始めた。何か月もかけただろう彼女の労力に似つかわしくないだろうが、溢れていく僕の想いを出来るだけ忠実に素直に書いて、手紙の返事にした。
「LALAさんへ。
ペンネームをつけるのは初めてです。こういうケイケンが無かったので。ENと言います。ENとはえんで、炎のEN、円いEN、そして人と人をつなぐ縁のENとも言います。どうでしょう? 急造なわりに僕は気に入っているのですが……
さて、この手紙が届くのは春だと思います。11月18日に出した手紙が4か月の旅をするのだから。僕も春という季節が好きです。それも冬の終わりではなく、夏の訪れを知らせる初夏のリンゴの木の下での日溜まりだったりします。夏が来れば来れで、こちらはとても暑いのでヘバッテしまうのですが。なんというか春から夏がやって来る、本当に短い、奇跡のような季節が好きです。夕食はハムのステーキが好きです。それにシチューがあったら最高ですね。僕はLALAさんと違って貧しいのですけど、そのぶん偶に食べる贅沢な肉料理がたまらないのです。豚肉は何かお祭りや誰か偉い人の誕生日、例えば教会の聖人の、そんな時に、お祝いとして、えいと豚農家のさっちゃんが豚一匹丸々と村に捧げる、訳ではなく売買するのです。行きたいところは特になく、でも、僕はLALAさんの手紙を受け取ったあの丘が好きです。春にはタンポポがさき、夏には緑豊かで、秋にはねこやなぎで一杯です。リンゴは特に美味しくはないのですけど、喉の渇きを満たしてくれます。こう書きながら、行きたいな、と思っているところがうっすらと出来ているのを感じます。それはLALAさんの住む国や土地です。もちろんその距離は遠く、国家間のしがらみというか、何というか、行儀の悪い喧嘩のせいで、一生できないでしょうが。(この手紙も、兵隊さんに見つかったら、LALAさんと僕ENが同時に処刑されるかもしれませんね。でも、それもそれでドラマチックかもしれません)
さて、どうでも良い話は置いといて。と言いたいところですが、このどうでも良い話を話し合える友達って僕は余りいないのです。だから嬉しく、ここに書きました。喋りました? そういうことで何気ないことを話せる友達になれたでしょうか? あとはLALAさんが僕を友達だと思ったら、僕たちは友達です」
そこから別の紙に代えて、ゆっくりと書いた。
「婚約者の件ですが、あなたが好きな人を選ぶと良いですよ。あなたはとても魅力的だと思うし、あなたが思う「好き」という気持ちは本当に美しいと思います。だからあなたの「好き」が成就する、結ばれる、良い恋をしてください。それが親が決めた相手か、LALAさんが見つけた相手か。そういうのはどうでも良いのです。そんな回答で良いですか? 駄目ですか。
こちらこそ、お手紙をいただいてありがとうございます。僕たちはお互いに顔も知らないし、これから知ることもないでしょうが、出会えて良かったなと思います。LALAさんはどうでしょうか? お手紙、ありがとうございました」
*
手紙はまだ来ない。去年もらった手紙の同封の地図には、今日正午にはハンドグライダーが帰ってきます、と書いてあった。その通りなら、とっくに一時間前に着いているはずなのだ。確かに僕とLALAの距離は遠く、道中何があるかわからない。だが、しなやかな高級の魔法材質のグライダーと魔法のおまじないで、予定通りに着くものだと僕は思っていた。何せ僕は魔法には疎く、日常生活に使う基礎魔法くらいしか習わず、ただ「魔法って凄い!」と叩き込まれただけだから。でも、それは修正しないといけない。
いや、もっと悪いこと、考えたくないこともある。LALAが期待した手紙ではないと判断し返事をよこさなかった場合。父母に見つかって止められた場合。最悪、彼女が死んでしまった場合。
後ろ向きな僕は、実はそういうことを良く考えた。手紙を出してからの一年間、彼女が僕の返事に満足して更に返信しようとハンドライダーを飛ばす。という妄想よりも、彼女が僕の返事に愛想をつかし、いや返事自体なんらかの事情で受け取れず、婚約者と一緒にダンスしているような妄想。
僕の心は後ろ向きなのだ。そしてそれがパッとしない僕の人生に良く似合った考え方なのだ。
天は水色の空を隠し、代わりに黒みがかった灰色の雲を配し始めた。そしてポツポツと雨が振りはじめ、それが直ぐにボツボツと、やがてザーッとなった。
後ろ向きな考えしかできない僕は、もう去っても良いはずだった。だけど、僕はただ雨の中、リンゴの木に寄り添って僅かながらの雨を防ぎ、でもずぶぬれになっていた。冬の冷たい温度が、水に濡れた服を冷たく肌にひっつけた。髪はくしゃくしゃで、一番のお洒落なのを着たコートや靴はぐしゅぐしゅになった。それでも僕を帰ろうとさせる誘惑は、企みを成功させることは無かった。むしろ強い雷雨が、僕がここにいる意味を与えるかのように、僕に意味不明の意思を与えていた。
よろよろとそれがやって来たのは、日が落ちてから随分と後だった。夕食時は過ぎていただろう。雨もあがっていた。僕ははじめ、雷雨に立ち向かい勝ったような気持ちというか、まるで嵐を乗り切った船乗りのような放心状態で気付かなかった。月も星も雲に隠れた真っ黒な夜の中、ハンドグライダーは僕に、リンゴの木に導かれるように、ゆっくりと空を泳いでいた。そして、力尽きたように、びゅんと地面へと落下した。僕は反応も出来ずに、ごつんという音と何かが分解するカラカラという音に、驚いた。後でそれが、ハンドグライダーの最後だと知った。
僕はもうLALAに返事が出来ないショックなど、どうでもよく、最後まで伝えきろうと必死に二人の間を泳いだハンドグライダーに「ありがとう、ありがとう」と言っていた。
その手紙にはこうあった。
「久し振りです。お元気ですか? また会えましたね。わたしはそこそこに元気です。毎日をせいいっぱい楽しんでます。ENさんの返事をいただいてから、わたしLALAは毎日ENさんの見たこともない日常を心に描き、そこで出会っていた気分になっていました。実際、ENさんの育った土地の風物、習慣までちょっと勉強というか漁ってしまったと言ったらヒクでしょうか? 友達ですよね。わたしたち。ねぇ? ははは。
でもENさんから見たら、わたしと出会うのは二回目ですね。だから、わたしもあなたがわたしと毎日出会えることをイメージできるような、毎日のちょっとしたこと、こちらのコーヒーは少し苦く大人しか飲めないこと、わたしにも実はちょっと厳しく未だ牛乳で割っていること、今春の空に不思議なおー、おーえきょ、と鳴く不思議な緑色の鳥がいること。そんなことを書きますね。退屈かもしれませんが、友達のお喋りにちょっと付き合ってください。そして退屈では無かったら、どうかあなたの小さなこともどんどん喋ってください。それを何回も繰り返していきましょう。気が早いですか?
では、はじめますね」
僕はその言葉も嬉しかったが、恐らく必死に勉強しただろう、言葉の流麗さ、そして柔らかく心を開いただろう、話の中の日常の美しさに打たれた。そして返事が出来ないことを改めて、気付き、泣いた。泣きながら続きを読んだ。
*
それから四年後の11月11日。リンゴの木のあの丘で僕は空を見ていた。あれから色々あった。色んな仕事をした。仕事をするために旅もした。話したいことが一杯できた。そのうち、何人か心が通っていると思える友達も出来た。
だけど、この丘に来るときは、何時も僕は一人だ。ここは僕、一人の為の場所。いや、僕とリンゴの木の為の場所。ねこやなぎがブラウンに色づいて、止んだばかりの通り雨の水滴をしたらせ、それが日光に輝く。虹が出れば良いなと思うが、案の定、僕の楽観的予想は外れ、出ることは無いだろう。やがて、遠くからあのハンドグライダーがやって来る。僕が三年働いて買ったハンドグライダーだ。はじめは余りの高さに根負けしそうだったが、身の上話をすると、それは嫌々そうに始まり嬉々として続いたのだが、少しだけ魔法雑貨のおじちゃんはまけてくれた。LALAがまた新しいハンドグライダーを寄こすのかなとそれから毎年、ここで待ったのだが、来なくて、悲しいというより申し訳なさで一杯だった。だから、去年新品のちょっと大型のハンドグライダーに、たっぷりの手紙とお土産を込めてLALAのあの場所に渡したときに何か、とてつもなく嬉しかった。ときめいたと言って良い。それはラブレターを渡すようなのかもしれない、と思い、それも違うなと即座に心が否定した。やっぱ違うな。だけど、水色の空をやって来るLALAからのハンドグライダーを見た時に、全身が踊り、破顔してしまうのだ。また、会えたね、LALA、って。