漂着
相手貨物船はアイサ側の船の左舷深くまでめり込んできた。
これはどう贔屓目に見ても沈没は免れない。対する相手貨物船も船首に深い損傷を受けている。浸水が始まれば恐らくこちらも絶望的だ。
「アイサ!」
フォルドがアイサの名を呼んだ。もはや偽名を使っていても無意味である。
見回すと彼はマストの立て直しで船尾でロープを引っ張っていたらしく、こちらに向かってきた。
「沈むぞ! 巻き込まれる前に脱出だ! ミハルはどこだ!?」
「確か船倉で荷を見張ってたはずだけど……あ、上がって来た!」
アイサはちょっと前まで自分が上がって来た階段を見た。ミハルが這々の体で這い上がってくるのが見えた。
「ミハルさん大丈夫!?」
「なんなのよもう! いきなり壁が破れて海水が噴き出して来たわ!」
「他所の船がぶつかったのよ! 早く上がって!」
アイサはミハルを引っ張り上げた。その次にペレスが昇ってくる。ペレスは既に胸まで水に浸かっていた。
「ペレスさん、こっちよ!」
ペレスに手を差し出すアイサ。彼もそれに応えて自分の右手を伸ばした。
一瞬、ペレスの笑顔をアイサは見た気がした。
今度は俺が助けられたな……そんな思いが滲み出ていた笑顔だった。
が、次の瞬間、
ザバアァー!
船倉内の水位が突然上がり、ペレスは押し流されて来た荷物に挟まれてしまった。
「はぐ!」
挟まれた衝撃で気を失ったのか、それとも身体が押しつぶされたのか、ペレスの差出した腕は力なく崩れ、そのまま一気に沈んで行ってしまった。
「ペ、ぺレスさーん!」
アイサは身を乗り出した。だがフォルドがアイサの腰ベルトを掴み引き戻した。
「もうダメだ、諦めろ!」
「でも! まだ生きているかも!?」
「荷が海流でぶつかり合っている! とても助けられない!」
フォルドに腰ベルトを掴まれたまま、アイサは放り込まれるように海へ一緒に飛び込んだ。ミハルもそれに続く。
ザバッ!
水中に潜ると一瞬嵐の音が耳から消え、静寂を感じた。しかし、
「ぷは!」
海面から顔を出すとまた猛烈な風雨や荒波の音、それに混じって2隻の船の崩壊音、乗員の悲鳴、叫び声が耳を襲った。
悪夢だ……両親を亡くした時の夢と同じく、新たにトラウマになってしまいそうな、阿鼻叫喚の惨状が目の前で繰り広げられている。
しかし悪夢に魘されるのも行き残ったらの話だ。ここで死んでしまえばトラウマが刻まれる事も無く、悪夢を見る事さえ出来なくなる。
一生懸命に藻掻くが潮の動きは全く予想できず、顔を水面に上げていても細かい水飛沫が止め処なく襲い呼吸を阻害する。海面の上でも窒息してしまいそうだ。
「とにかく船から離れろ! 沈没に巻き込まれる!」
三人は嵐の起こす荒波に弄ばれながらも必死に泳ぎ続けた。
どれほど藻掻いただろうか? やがて波が穏やかになって来た。
どうやら暴風雨は抜けたらしい。しかしまだ夜は明けない。
アイサはフォルドやミハルとは逸れる事も無く、何とか一緒に居られた。また、同じく海に投げ出された航海士のアビドも合流した。
船が沈没した後、浮いてきた備品や、損傷した船体から出た丸太にしがみつき、嵐が収まるのを待ち続けた。
最後に時計を見たのは12時を少し回っていた頃のはずだが、時間の感覚など、嵐と一緒に水平線の向こうまでぶっ飛んで行ってしまった感じなので、今の時刻も分からない。
風雨は収まったと言えど空はまだ雲に覆われて星も見えず、方角も時間も見当がつかない状態だ。
「でも、天測器も無いし、星が出ても位置は分からないんじゃないの?」
「方角くらいはわかるさ。最後に計測した位置からどれだけ流されたかは分からないけどね」
ミハルの問いに力なく答えるアビド。
「嵐が来る前のペースなら夜明け辺りにアマテラ近海に来れてただろうけどなあ」
「とにかく、目指すならアマテラ方面か……」
とは言え、方角が分かっても進む体力がどこまで続くか。食料はしがみ付く丸太や樽を見つけた時に運よく拾えたリンゴが2個。飲料水は生活魔法の範疇でも出せるが、喫食はぎりぎりまで抑えなければならない。
「そろそろ交代しようか?」
水から上がっていたアイサが交替を申し出た。
浮いていた漂流物で簡易な筏を作ったのだが、一度に乗れるのは精々一人。順番に乗って、少しでも体力を温存させようと試みている。
「そうだな。ミハル、今度はお前が上がれ」
「ん、ありがと」
アイサはミハルと交代し海に入った。
幸いにも水温は結構高く、その点はありがたかったが、そう言う所では獰猛肉食の海生生物、サメとか若しくは海生魔獣とかが襲ってくる可能性もある。
交代したアイサは水に浸かり、丸太に掴って出来る限り身体を楽にする。
ポジションが決まり、フッと周りの海を眺めるとアイサの目は何かの輝きを捉えた。
「何かな……?」
「うん? 何か見つけたか?」
とフォルド。
「ん~? 星かな? 雲、晴れてきた?」
水平線近くにボヤっとした光。他の三人もアイサの視線の方角を見た。
「確かに何か見えるわね」
「星……いや」
アビドの声に力が入った。
「星じゃ無いぞ! あんな揺れる光の星なんか観測された事は無い! ありゃ火の光だ!」
火の光!?
「じゃあ、別の船か、それとも島か陸地……とにかく人が居るって事だよね!」
アイサの声も弾んできた。希望が出てきた。
「と、とにかくあの光に向かって進もう。ミハル、上がったばかりで悪いがお前も手伝ってくれ!」
「合点!」
4人は筏を横にして全員並んで水面を蹴り始めた。
あの光はやはり火の光らしく、目指している途中で小さくなり消えてしまってはいた。
消えた後もアイサらは方角に見当をつけて水を蹴り続けた。
やがてついに足が海底を捉えた。水深が身長より浅くなったのだ。
陸地だ! 島か大陸かは分からないが4人はとにかく地に足が着く所まで来た。
目標からはいくらか流されただろうが、4人は何とか無事に陸に辿り着くことに成功した。周りに岩場も多くさほど広くはない砂浜を四人は這いずるように揚がって来た。
「やったぁ……」
アイサらは波打ち際に仰向けに大の字になって寝転び天を仰いだ。
皆、安堵と喜びで胸は一杯だった。しかし泳ぎ続けた疲れもあり、喜びより安堵の気持ちが強く、寝転んだ状態でも身体は非常に重く感じて声を出すのもやっとであった。
水平線に目を移すと朝日が顔を出してきた。
いつの間にか雲も晴れ、暴風一過の爽やかな陽の光がアイサたちに注がれた。
濡れた服部分はともかく、手や顔の素肌は朝日に照らされ、冷えた体の体温の回復を手伝ってくれる。
――生きてる……
生の実感を堪能するアイサ。
両親と死に別れた時は生き残った喜びは感じず、むしろ生き残ったことを呪わしく感じたものだった。しかし今は喜びと安堵でいっぱいだ。
わずか10日だが寝起きを一緒にした船員たちの安否も分からない状況、いつかはそれが自分に圧し掛かってくるかもしれない。目の前で海に沈んだペレスの夢にうなされるかもしれない。
だが今は、ターゲサンの仲間フォルドとミハルとの、そして船員のアビドと共にあの天災、大事故から生還したことを喜びたかった。
グウゥゥ~
ホッとすると同時に、アイサのお腹は他の三人にも聞こえるほど盛大に空腹を訴え、アイサの顔を赤面させた。沈没から何も食せず、しかもアイサは胃の中の物は甲板にあがる前にすべて吐き出してしまっていた。腹の虫が喚くのも止むを得まい。
「アイサ」
フォルドは拾ったリンゴ一個をアイサに手渡した。
「ありがと。でもあたしの力じゃ半分に割れないよ。フォルドさん割って」
「ううん、それはあんたが1人で食べな」
「ミハルさん、それってどういう?」
ミハルは海をツンツンと指差した。続いてフォルド。
「リンゴ二つじゃどうせ足りない。ここはアイサにひと踏ん張りお願いしたくてな?」
アイサはしばしキョトンとした顔をしていたが、
「…………あ~、そう言う事。わかった、遠慮なく頂くわ」
と納得してリンゴを齧り始めた。
果汁が口内いっぱいに広がり甘い酸味がまるで舌や腔内に突き刺さるかのような味わいに思わず目を力いっぱい瞑るアイサ。今まで食べた、どのリンゴより美味であった。
身体を休めながらリンゴの芯まで食べ切り、若干空腹を満たすとアイサは立ち上がって歩き出す。
漂着した砂浜に隣接する岩場まで来ると、アイサは上着を脱ぎ、再び海に入った。ゆっくり静かに水中にもぐる。
――お、いるいる!
アイサの目当ては岩場に屯する魚だった。アイサは魚に向かって念を込め、
――ふん!
と、泳いでいる魚を一気に氷魔法で凍らせた。静かに近寄り、凍った魚を掬い上げると水上に出て、浜で待ち構えているミハルに次々と投げた。
その間、フォルドとアビドは薪を拾って火を起こし、アイサの捕まえる獲物を待った。
「はぁ~、食った食った! ようやく生き返った気分だ。アイサちゃんに感謝!」
焼き魚を残らず平らげ、尖った骨を爪楊枝替わりにシーシーしながらアビドが満足げに腹をポンポン叩いた。
「まさかお前らが密航者だったとはなぁ」
「すまん、訳ありで詳しくは話せないんだが……」
食事中、聞いていた名前で呼び合っていないことに気付いたアビドはフォルドらに事情を尋ねていた。ターゲサンに関しては話してはいないが、お尋ね者的な立ち位置だということは何となく説明した。
「まあ、この業界、訳ありは珍しくないし何よりこの命、お前らと一緒にいたから助かったわけだしな。うまい魚にもありつけたし。しかし氷魔法で漁するとかなぁ」
「こういう時のアイサは頼りになるよ。距離が近けりゃ飛んでる鳥でも凍らせて落としちゃうからね」
「ほお、すげぇな! じゃあ今夜は焼き鳥か?」
「ちょっとぉ、それより先に考える事、あるでしょぉ?」
アイサの言う通り、何とか命は繋げたのだから次に必要なのは現状の把握だ。
「だな。この浜は一体どこなのか? 大陸なのか島なのか? どこの国や地域に属しているのか?」
「わかってるよアイサ、フォルド。一番可能性があるのはアマテラかアーゼナルのどこかだろう。とにかく港を目指したいな。海運業社か組合でもあれば伝手を頼れる」
「その辺りはお任せだな。じゃあ、ちょっと休んだら周りを調べてみる……か……」
周辺を見回しながら話すフォルドの語尾が変に聞こえた。アイサはフォルドの顔を伺うが、彼は自分の後ろの方を凝視している。
何か気掛かりなものが目に入ったか? アイサやミハルもフォルドの視線を追った。
「お前たち、何、もの!?」
いつの間にか男が一人近寄って来ていた。疲れていたとは言え、足音も気配にも気付かず接近を許していた。
「何、もの!」
言葉のイントネーションが何か妙に聞こえる。この地方の方言だろうか?
それはさておき、問題はその男が小柄な体格ながらもアイサらに槍を突き立てていることだ。
歳の頃、14~5歳に見える、どちらかと言うとまだ少年の面影を残すその男は中々に鋭い眼で四人を睨みつけている。
「ここは、僕たちの、海! 勝手に、魚、取るな!」
地元民か? 言い方が縄張りを荒らされた漁民らしくは聞こえる。しかし浜をちょっと見回しても漁村はもちろん船らしきものも見えない。
「一人か……どうする? 〆る?」
「待てミハル、俺たちに全く気付かれずにここまで接近したのは侮れない。気配を隠して仲間が潜んでいる可能性もある。俺が交渉してみる」
ミハルを抑え、フォルドが前に出た。手を上げつつ、ゆっくりと歩く。
「ここは君の縄張りかい? それは悪かったね、船が難破して命からがらここまで辿り着いてなぁ。腹も減ってしまっててつい、獲ってしまったんだ。勘弁してもらえないかな?」
「船、難破?」
「そうだ、俺たちは貨物船でアマテラ王国のミズシ港を目指していたんだ。ここはどこの国だい?」
「お前ら、どこの、国?」
「シュナイザーだよ」
「シュナイザー……シュナイザー、帝国? タゲ、サンの……」
アビドを除く三人の目に緊張が走った。
タゲサン……ターゲサンの事を言っているのか? もしそうだとして、自分らの組織名をこんな異国で聞くのも衝撃だが、なぜ知ったのか? どちら側としてその名を知ったのか?
だがフォルドは、それについては突っ込まず、
「ああ、シュナイザー帝国の船乗りだ。で、ここはどこの国のなんて地方だい?」
あくまで右も左も分からない(実際にそうだが)難民として、今欲しい情報を求めた。
「……アマテラ王……アマテラ国、だ。ミズシ、ここから、何十km、も、離れてる」
少年は、王国と言いかけて、王を外して言い直した。フォルドも、そしてアイサもそこに引っ掛った。
王国である事を言い直す……希望的観測をさせてもらえば王制であることを否定したがっている風にも聞こえる。
加えて、漁村とも言えないこんな場所での縄張り意識丸出しの言い方……
水心に魚心、同類相哀れむ、ではないが何かこの少年の言葉には心が傾く。
しかし彼がこちら側だったとしたら、アビドの処遇が問題になってくるが。
「いや、すまなかった。見ての通り、着のみ着のままで船から逃げ出したんで腹が減って仕方が無かったんだ。君らの漁場を荒らしたんなら謝らせてほしい」
フォルドの謝罪に、こちらを凝視する目は変わらないが次手を出せないでいそうな少年は、いきなり左手を上げた。
何かの合図? 少年の行動はアイサやミハルは真っ先にそんな印象を受けた。
案の定、岩場はもちろん、砂浜の窪みや叢から7~8人の武装した男たちが立ち上がって来た。
フォルドの予想は的中した。この少年の仲間は自分たちをとっくに包囲・捕捉していたのだ。
連中は、サッと動き出すと瞬く間にアイサらに接近、取り囲んで槍の切っ先を突き付けて来た。
「漁師の動きじゃ無いねぇ」
ミハルがボソッと零した。
「大将! この筏、確かに急ごしらえのシロモノだ。丸太の折れ口も新しいに」
「ふむ。夕べの嵐に遭ったんなら難破も嘘じゃないか……」
筏を調べていた者の報告を聞き、大将と呼ばれた歳の頃40くらいの男が納得したみたいに頷いた。
「信じてほしい。あんた方の魚を勝手に獲ったのは申し訳なかったが、こちらも死にたくなかったのでね。俺たちは残念ながらこのざまだから魚代を払うことも出来んが」
「難破が本当なら、目を瞑ろう。だがすぐ断定するわけにもいかんし、周りを勝手に歩き回ってもらうのも困る。ちょっと同行してもらおうか。おい!」
へい! と返事した他の男たちはアイサらに近づき、四人に目隠しを施し始めた。これから連れて行くところへの詳しい位置、道順を知られたくないのだろう。更に後ろ手に手首を縛られる。
――これはいよいよもって、こちら側かも?
ターゲサンの三人はそう感じ取っていた。だが、カタギであるアビドは、
「なんだ! 何で目隠しなんだよ! 何する気だ!」
とパニクリ始めた。
「落ち着きなよ、アビドさん。別に獲って食おうってわけじゃないさ」
ミハルがなだめるが、釈然とはしないアビド。だが右も左も分からない現状では逃げ出す訳にも行かない。それほど取り乱していないアイサらを見て、結局アビドも彼らに従った。
目隠しが終わると、四人は男たちの言うままに歩かされ始めた。