西へ
アイサたちはそのまま倉庫奥まで荷車を押した後、車体を起こして壁に立てかけて採光窓までの足場とし、
「うりゃああ!」
ダクティの雄叫び一閃、大槌を窓に叩きつけて粉砕した。小さい窓だが脱出するには十分な大きさは有った。
次に窓からロープを城壁に向かって放り投げる。城壁上部に憑りついたロープと壁上面をアイサは氷魔法で氷結させ、固定した。
「行け、ミハル、アイサ!」
言われてアイサたち女性陣二人はロープを手繰り城壁外へ向かった。
アイサがミハルと共に城壁に辿り着く頃、衛兵が倉庫裏に回り込んでいた。
――ちくしょう、あと4人いるのに!
今はフォルドとスペンスがこちらに向かっている。夜間で高さもあるとは言え距離も近く、弓兵に狙われるとマズい。
「ん?」
ところが衛兵たちは遠巻きにこちらを狙っているだけですぐには攻撃してこなかった。
――なに? 何か企んでいる?
衛兵の妙な動きに引っ掛りを感じながら、二人は到着したフォルドに手を伸ばし、こちらへ引き入れた。
と次の瞬間。
「討て―!」
号令と共に弓矢や投げられた槍がスペンスと、渡り始めたダクティに放たれた。
♦
帝国宮殿内貴賓室は、帝国が招く国賓あるいはそれに相当する賓客に利用して頂く特別室である。帝府使節団情報省大臣の寝所として割り当てられた部屋で一人の女性が窓の外を眺めながら誰かと念話で通信していた。
「……三人が渡り終えました。残りの捕縛にかかるよう、国防軍にはお伝えください」
(了解シー……いえ、情報大臣殿)
「もう、先輩ったら。いつも通りでいいですよ、情報省次官殿?」
(あなたもね。でも公式の場なんだからそう言うわけにもいかないでしょ? あっと、攻撃が開始されたわね。うーん……多勢に無勢、残りの三人は捕らえられたわ……深手を負った者もいそうね)
「わかります。二人はロープから転落しましたね。死者が出なければいいのですが」
(場外へ出た残りは……予想通り神殿ゲートに向かってるわね。仲間を置いていくことに文句言ってる奴もいるわ)
「さすがエスエリア王室直属の諜報部、草出身ですね。地獄耳だわ」
(あなたの旦那様にはかなーり前からバレてたみたいだけどね~。あの人はホント油断できないわ……あら?)
「どうしました? あ、三人が神殿ゲートから離れていきますわ……ああ、索敵範囲から離れられちゃいました」
(みたいね。ゲートの警備部が城内の騒ぎに反応したのかしら? あそこには話、通してなかったよね?)
「できる限り秘密裏に進めたのが仇になりましたね……仕方が有りません、この三人は帝国にお任せしましょう」
(そうね、各国のゲートで待機している局員に連絡しなきゃ)
「お疲れ様でした。お戻りください、シオン先輩」
念話を終え、情報相がふーっと一息つくと、部屋の扉がノックされた。
「はい、どうぞ」
「失礼いたします、大臣。連中のゲートへの誘導、残念ながら失敗してしまいました。ゲート警備隊が敷地内の警衛隊の動きに過剰反応してしまったようで……申し訳ありません、この不手際、なんとお詫びしてよいやら」
「お気になさらずに、国防局長殿。不測の事態と言うものは、いつでも起こりえるものですわ。さて、ゲートが使えない以上、予測される彼らの脱出ルートは如何ほどありますかしら?」
「元々外国への高飛びを計画していたわけですから帝都内や国内に潜伏は無いでしょう。一番考えられるのは海路かと? 港への非常線を展開いたしましょうか?」
「いえ、捕縛行動はとらず、彼らが乗った船の行き先を確認してください。そして間違いなく出港したことを見定めた後、ご報告くださいませ」
「承りました、エウロパ情報大臣閣下」
30代にしては些か毛髪の薄さが気になる国防局長は、一度低頭すると持ち場へ向かって去って行った。
♦
「三人を置いてくの! ねえフォルドさん!」
「今は問答は無しだ! ゲートに向かうぞ!」
ブラッカス公国へ脱出するべく、神殿ゲートへ向かって疾走している中、アイサの抗議をフォルドは秒速で却下した。
「今戻っても、あたいらまで捕まるだけさ! それよりも今回の計画、一体何がどうなってるか探らなきゃ!」
「ミハルの言う通りだ。裏で何か妙なものが蠢いてるぞ!」
三人は西門の近くにある神殿ゲートに向かって走った。
もう既に夜もとっぷりとくれてはいる時刻。しかし6か国へ移動する門が運用されている入手国管理局は各国の時差もあるので終夜開場されている。とは言え当然ながら、帝国側利用者は減るので遅滞なく速やかに出国できるはずとアイサらは踏んでいた。
「隠れろ!」
神殿入口まで近づいた一行は、フォルドの指示で街路樹の陰に隠れた。
入り口付近にいる神殿警備隊の数が普段の数倍も多いのが見えたからだ。
「遅かった?」
「こちらもすでに手配されてしまったか」
ミハルとフォルドが眉間にしわを寄せながら言う。
「面まで割れているかな? 普通の出国者として自然に振る舞えば……」
「そいつは甘いんじゃないかなアイサ。こんな夜も更けた時間じゃ、利用者は全員職質されると見た方がいいよ」
「俺もそう思う。こちらは諦めた方がいい」
「じゃあどうするのよ? ぐずぐずしてたら城内の警衛隊に追いつかれるわ」
「港へ行こう。客船は無理でも貨物船なら夜でも出ているはずだ」
「やっぱり国から出るの? 国内のどこかに隠れるとかは?」
「いや、本計画は成功したらブラッカス公国の同志と落ち合い、状況を報告するはずだったんだ。先へ進むならやはりそこだろう」
フォルドの説明に、アイサも得心が行った。少なくとも我々がそこへ行くのは当初の計画の内だ。結果、表が出ようが裏が出ようが避けるべきところではない。
ただブラントらを置いて行かなければならないのが心残りだ。
「よし。港へ向かうぞ」
三人はゲート警備隊の目を盗みつつ、その場を離れ一路港を目指した。
♦
港湾作業所に務めるターゲサンの協力者の伝手でアイサらはアマテラ王国経由ブラッカス公国行きの貨物船に、臨時の作業員として兼務する事で乗り込む事が出来た。
各国間や魔界、天界への往来を可能にする門が出来てからは船による人員、貿易品の移動は減少はしたのだが、物資の搬送については大量に運べる船舶の需要は廃れることはない。
門自体は開門時より拡張傾向にあるが、場所は6か国の首都であり、地方、辺境へは従来通りの運搬が必要である。それ故、海路の方が結局は早くてコストも低い事が多く、今回の経由地、アマテラ王国の様に国境が険しい山脈に囲まれて移動や貿易は海路重視の国などは門の恩恵はあまり受けられない。海運業の需要はまだまだ高いのだ。
今回の船は食料品や酒類などもあり、アイサの氷魔法は重宝がられた。とは言えしょっちゅう氷を作っている訳でも無く、荷室の温度管理が終われば掃除やネズミ捕りに追われる毎日だ。
シュナイザー帝国西海岸からアマテラ王国までは風次第ではあるが14~20日程度である。
「今日で12日目か~。アマテラまで、あとどれくらいかかるのかな?」
「早ければ明後日、まあ恐らくは3日後だろうな」
甲板で昼食を摂りつつ、アイサはミハルやフォルドと駄弁っていた。
全員船酔いはしない体質なのは僥倖だったが陸暮らししか、したことの無いアイサにとっては流石にストレスが溜まって来た。
「目的のブラッカスには更に10日くらいか……しんどいな~」
「アマテラからアーゼナルに渡って、そこの門から移動も考えたんだが……アーゼナルもアマテラも反体制組織は脆弱だからな。接触できるかもわからないし、ましてや査証の偽造を頼んでも覚つかんだろうな」
「ブラッカスについてからも難儀だね。今回の、この穴ぼこだらけの計画って、どうにも合点がいかないよ。現地で待ってるはずの連中だってホントは官憲側で、いきなりあたいらを襲ってくるかもだし?」
「ミハルさんに大体同意。城内での警衛隊の動きはあたしたちの動きを完全に知った上での展開だったよね?」
「爆裂粉の燃える光を見て突発的に動いた、って感じでは無かったな」
「あたしたちが城壁跨いで脱出する時もおかしかった。ミハルさんとフォルドさんが辿り着くまで兵士たちは傍観していたよ。なのにフォルドさんが付いた途端にスペンスさんらに攻撃が始まった」
「あたいらだけを、わざと逃がした?」
「可能性はあるな。一体、どこまでが敵で、どこまで計画が漏れていたのか? あの爆裂粉が偽物だとしてそれがどこですり替えられたのか? しかし、もし俺たちが泳がされているなら、軍は俺たちがどこへ行き、誰と接触するかはわかっていないと言うことだ。ミハルの言うようにブラッカスで待つ組織が連中の手先なら、俺たちを泳がす意味がない」
「望みはそこよね。いずれにしてもブラッカスを目指すしかないわね」
そう言うとアイサは最後のパンを口に放り込み、茶で流し込んだ。
「おう、メシは済んだか?」
アイサらの今後に関する密談は、顔を出してきたライハン副長によって中断した。
「今終わった。昼からは甲板の補修にかかるよ」
「すまんがちょっと急ぎでやっておいてくれ。アビドが水銀柱睨みながら気圧が下がり始めたって心配しててよ」
「嵐でも来るの?」
「航海士のアビドさんが言うなら気を付けた方が良さそうだね。あたい、道具取ってくるよ」
そう言うとミハルは船倉に向かった。
「まあ、この時期のアーゼナル近海は結構大きな嵐にぶつかるからなあ。そこそこの強風なら足も早くなるんだが暴風となるとな。特にアマテラ辺りだと月に二つくらいデカいのが発生しやがる」
「季節柄、アーゼナル経由は人手も集まらないって聞いたな。だから俺たちも仕事にありつけたわけだが」
アイサたちは、船員たちには支援者の推薦での一時雇用と言う事になっており、彼女らが反政府組織の一員でお尋ね者である、などと言うことは全く知らされてはいない。
「代わりに航賃も高めってわけよ。まあ補修を急げったっても必ず嵐に合うわけじゃないしな。よほどの大嵐でも1~2日で行っちまうし、言っちまえば嵐が発生してない日の方がダントツに多いわけで。そうビクビクしてちゃゼニは稼げねぇしな」
などとライハンはドヤ顔で胸を張って見せた。海に関しては素人のフォルドやアイサは自信たっぷりに宣うライハンの言葉に、胸を撫で下ろしていた。
しかし、もしも日本人がこの場に居たとすれば「何フラグ立ててくれてんだよ!」と怒鳴ったことだろう。
フラグはものの見事に的確な仕事をした。
翌日の日暮れ辺りから波風は急激に荒れ始め、船は複雑にぶつかり合う波に翻弄され、現代で言えばジェットコースターの軌道の方が穏やかだろうと言うくらいの動きで流されまくっていた。
荷は転倒や損壊を防ぐためにロープで固定されてはいるが、大嵐の激しい動きには耐えきれず、所々に弛みや解れが出て来る。その度に他の船員と混じってアイサらも作業はするが10日ほど練習しただけの付け焼刃な索具操作ではあまり良い効果は得られない。
おまけに船倉ごとシェイクされているような動きも相まって船酔いはしなかったアイサらもさすがにへばってくる。
「そうじゃねぇ! そこはマンシン結びを使うんだよ!」
索具の覚束ないアイサに、荷室係の船員ペレスの怒鳴り声が浴びせられる。
「俺がやる! 荷物を思いっきり押さえとけ!」
日本で言う南京結び、万力結びに似た結び方であろうか? 荷崩れ対策に効果的な縛り方を慣れた手つきでスルスルと行う船員。動滑車の原理とよく似たこの縛り方で荷はガッシリと締め付け固定された。
「おーい! 手を貸せ! マストがやられそうだ!」
上からの応援要請がきた。
「ち! こっちも手が離せねぇってのに! おい、嬢ちゃん! ここは俺がやる。お前上、手伝ってこい!」
言われて、アイサは力無く頷くと、上への階段に向かった。が、アイサの腹は限界に来たようだ。
いきなりしゃがみ込み、
「ぐぶ! うぅええぇぇ!」
戻してしまった。胃の中を全部ぶちまける勢いで。
「ったく! しょうがねぇなあ」
咳込むアイサの頭を持ち上げるペレス。
――ごめんなさい……
アイサはそう謝ろうと口を開きかけた。
と同時に、ぺレスは自分のゴツく太い指をアイサの口にねじ込んだ。
「ぐぼふぁ! あがぁ……えげ!」
咽喉深く刺激され、さらに嘔吐するアイサ。再び咳込む。
「吐くんなら全部吐いちまえ。残すと余計苦しいぞ」
言いつつアイサの背中を摩るペレス。少し楽になって来た。続いてぺレスは腰の水筒をアイサに含ませる。
「あまり飲むな。口をゆすぐ程度だ」
言われるまま口の中をゆすぎ、胃液の苦さが収まった辺りで、つばを飲み込むよりちょっと多い程度の水量で喉を洗うように飲んだ。
「大丈夫か?」
返事したいが今一つ呼吸が収まらない。
「大丈夫か!?」
もう一度、強めに聞かれる。
「だ、大丈夫……ありがと……ございま……」
よし! ぺレスはそう言いながらアイサの頬を軽くペチペチと叩き、上へ向かうよう指示した。
甲板に出たアイサはまだ息は上がってはいたが、胃の方は結構楽になっていた。胃のムカつきに耐えて重かった頭も多少スッキリしてきた。
「サイーダ(アイサ)! 補強の打ち込みを手伝え!」
船上では後方のミズンマストがメインマストに向けて倒れかかっていた。根元近くで亀裂も入り始めている。
「ひけー!」
「うおおおおー!」
船員たちが集まれるだけ集まってマストを引き戻す。直立させたところでロープを固定し、亀裂部分をアイサが魔法で凍結させ、修繕の船員が全体に補強材を当てて打ち込む。
「よおし! 完了だ!」
おお~! 取り掛かっていた全員が安堵した。下手に崩れるとメインマストも巻き添えにしかねない状態だった。あとは何とか嵐が去るまでもってくれれば……
「船長ー! 左に貨物船接近中! 衝突コースだー!」
「何ィ!」
船長が左舷方向を見る。アイサも同じく左舷に向いた。
警報通り、本船より一回り大きな船が近づいてきているのがアイサの目にも映った。
この暴風雨の最中、音も視界も遮られている上にマスト対策にかかりつけだったのだから発見が遅れるのも止む無し……などとも言ってはいられない。貨物船との距離はもはや目と鼻の先。相手の船もたくさんの照明魔石のランプを振り回し、何やら喚いている様にも見える。恐らく進路を変えろとか言っているのだろう。
だがこんな状態では操舵なぞ出来るはずもなく、と言うか自分たちも操舵出来ないからそんな事を言うわけで……正に万事休す。
「衝撃に備えろー!」
もはや衝突は不可避。アイサも修繕が終わったマストのロープにしがみついた。
グガガァーン! ゴガガガガ!
激突の激しいショック。アイサはしゃがみ込んでいたがそれでも転倒、ロープは離さなかったものの、甲板上は風雨で濡れており右へ左へ振り回される。
直角とまでは言わないが、相手貨物船はかなり深い角度で衝突した。