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ダロンの夜再び

 ダロンのカーオでとった宿には衣類や食料を備蓄してある。

 帝府で必要な潜入の準備としては武器くらいのものだ。

 そして防具も必要になる。殊に連続して使われた魔封粉の類は要注意だ。

「これは魔界のウドラ渓谷で使われている防護マスクだ。一般の防臭や有害な気体(ガス)や薬品から肺を守ってくれる。理論上は魔封粉の類にも有効だと思う」

 アイサは誠一に対魔法粉用の防護マスクのレクチャーを受けていた。

「今、研究室でフェイたちが使用された薬剤の分析を行っている。現在の吸収缶がそれに対応しているかチェックして、不足なら改良品を作ってすぐに届けるからな」

「助かるわ。息を止めて戦闘は出来ないもんね」

「まあ呼吸にはそれなりに抵抗がかかるから、あまり激しく体を動かすと息が詰まって来る。その辺は気を付けてくれ」

 了解、と答えるアイサは誠一の顔をじっと見た。彼の顔は合議中と変わらず沈んだ表情のままであった。

「あたしじゃ、頼りないかもしれないけど出来る限りのことはするわ。あまり沈んだ顔してるとエミーちゃんに笑われるわよ?」

「ん? そうか、そんなに沈んでいるように見えたか……でもまあ……」

「なに?」

「エミーやシーナの事もそうだが他にもな」

「他に気になる事が?」

「ん~。と言うか、以前テクナールにな……」

「テクナール? 天界12神の火と技術の最上級神?」

「そう、昔の事……いやまだ4年前のことだが、そのテクナールに言われたことが引っ掛っててな」

「なんなの?」

「君には腹の立つことだろうが……奴は4年前の王都大乱で、魔獣の脅威は残して旧ミカドの魂だけを追放する事を目論んでいたんだ」

「魔獣の脅威を……残す?」

 誠一に言われた通り、アイサは些かムッとした。それは取りも直さず自分の両親のような被害を無視すると言う事に他ならない。だが同時に、12神たるもの、その言葉には何かの思惑があっての事ではあるのだろう、とも思った。

「その目的は?」

 アイサは感情を出さないように注意して誠一に続きを聞いてみた。

「魔界や人間界、更に天界も加えて魔獣を三界共通の敵として残し、人間同士や魔族同士または三界間のいざこざを防ごうと考えていたのさ」

「魔獣の脅威が残れば人間たちは共闘して、人間同士では争わない……そう言う考え方?」

「ざっくり言うとそんなところだ」

 それだけ聞けばアイサとしてもその先の話は見えてきた。今のこの状況はテクナールが一番危惧していた状況であるだろうことは簡単に想像がつく。

「アデスは魔素異変以降、人間同士や魔族同士では小さな紛争やいざこざは有ったかもしれないが、それよりも魔獣の脅威から身を守る事が優先され、そう言うのは無視、もしくは棚上げが出来ていた。しかし今は……」

「そう、ね。テクナール様の言う通りかもしれないわね」

「俺たちの世界でも人類の敵は人類だった。アデスの様に500年もの間、世界のどこにも戦争と呼べるほどの争いが無かった時代など俺たちの世界にはなかった。一部地域限定でと言う条件ならまあ無くも無かったが」

「……」

「それがアデスでも共通の敵が弱まったと見るや、すぐさま人間同士で争いを始めようとしてしまっている。たった4年でだ」

 誠一は首を横に振りながら話し続けた。

 考えようによっては自分の親は魔獣の脅威によって死んでしまったのであるが、彼は自分の妻子が起こり始めようとしている戦争によって身の危険にさらされている。

 ――どちらに転んでも泣く人の数は変わらない? そんな事……

 アイサも気が重くなってきそうだった。シュナイザーでとにかく我武者羅に体制に逆らっていただけの頃が気楽であったし懐かしくさえ思える。

「いやスマン。今はそんな事を考えている場合じゃ無かった」

「ええ、今はとにかく奥さんやお子さんの無事を」

「そして君の相棒もな。なんでもいい、どんな小さな情報でもいいから見つけ出してくれ。もしも魔獣による襲撃が本当だとしても、その段階で阻止すれば人間同士の紛争は避けられる可能性も出て来る」

「そのためにもレイたちの居所を掴まないとね」

「……礼を言うよ、アイサ」

「ん? 何よ突然?」

「本来俺たちは君たちの敵のはずだ。だが今回は俺たちと歩調を合わせてくれた。俺たちでは過激派組織に近づくのは難しかった」

「そうね、あなたたちも、帝府軍の皆も育ちがいいから悪ぶったとしてもあたしたちの様に連中には溶け込めなかったでしょうね」

「今でこそお貴族様ぶっちゃいるが、俺たちだって所詮は庶民の出なんだがな」

「なるほど? だからあたしもレイもあなたたちに気を許しちゃったのかしらね。まあとにかく、あなたたちと歩調を合わせるのはあたしの望む理想があなたたち帝府と同じ方向だからよ」

「そうか……」

不穏分子(テロリスト)崩れの小娘だけど、出来る限り探って来るわ。吉報を待ってて」

「よろしく頼む」

 誠一は深く頭を下げた。



「ミカちゃん、ちょっと聞いてくれる?」

(なんじゃ? ヨウコがそんな風に()うて来るのは珍しいのぅ)

「あの子たちに付いててくれない?」

(なんじゃ? アイサとか言う不穏分子の目付か?)

「て言うか、あの二人を見守ってほしいのよ。状況次第で手助けも」

(ふむ。いざという時はテコ入れしてやればええんかな?)

「よほど魔力が高い魔導士でもなければミカちゃんを感じる事は出来ないわ。あの二人が倒されたり、魔法を封じられたりしても、あなたがあたしたちに連絡してくれれば」

(なるほど、状況も逐一実況できるな)

「ミハルの時と同じ轍は踏みたくないわ」

(よっしゃ分かった! 久しぶりの作戦参加じゃな、腕が鳴るぞい!)

「頭と右腕だけしか無いけどね~」

(それを()ーな。じゃあ出発の時にでも移ろうかの)


                  ♦


 ダロンの首都カーオの宿屋から歩いて30分ほど。誠一経由でケバブ屋のオヤジからの情報を得たアイサとシオンは、ダロンの反体制組織としては3番目くらいの規模であるぺロスと言う組織の構成員が集うと言う宿場近くの酒場に赴いていた。

 シーナとエミーが拉致された時点で蜂起軍の作戦はスタートしたとみていいだろう。普段はダロンの東南部を根城にしているぺロスの連中がカーオに集結し始めているのもその証左であろう。

 予想される展開地のニベア台地はカーオの北東方面であるから、今現在、過激派連合はカーオ市内、若しくはその周辺からニベア台地に向かう道中で野営していると予想される。

 シーナらの拉致をエスエリア寡占派の仕業だとの偽情報を拡散し、軍や組織連合の蜂起をぶち上げるのに3日と掛ける事は無いだろう。猶予される時間は多くは無い。

 シオンは酒場内の会話に聞き耳の感度をフルに上げて探りを入れていた。

 ぺロスのメンバーには二人とも面は割れていないはずだが、念のために肌が見えるところには褐色のドーランを塗り、金髪のシオンは茶髪に、銀髪だったアイサは黒髪に染めて偽装してみた。エトラッコ辺りの連絡員がアイサの顔を覚えてないとも限らない。

 で、肝心な情報はと言うとシオンの聴力に頼らずとも過激派たちの威勢の良い声がアイサの耳にも聞こえてきていた。

「急にぺロス(俺たち)にも動員がかかって例の計画が決行されるとと聞いた時ゃ何事かと首傾げてたら、エスエリアの野郎どもにダロンへの技術供与交渉に来た帝府の情報大臣を拉致されたって聞いてよ、頭の血が逆流するかと思ったぜ!」

「ブラッカスの血の即位式事件で、この計画は一旦は延期になったんだがなぁ。帝府があの騒ぎにめげず、ブラッカスが落ち着くまでの間にダロンとの交渉に入るつもりだと聞いた時は『帝府は各国平等にしようとしてくれるんだ』って喜んでたのにな」

「しかしいくら既得権益を守るためとは言え、帝府要人を攫うかね? 何考えてんだエスエリアの寡占派は!?」

 良二らの予想通り、シーナ母娘の拉致は技術独占を目論むエスエリア寡占派の仕業であるとの情報が(まこと)しやかに流されたようだ。物証はなくともそれなりに筋が通った、と言うか納得できる話でもあり、特に不利益を被るダロン・ブラッカス両国民にとっては実際はどうあれ「それが真実だ」と思い込みたい、そんな願望が後押ししているのではないかと見えるほどだ。こうなると尾ひれ足ひれも当然のように付いてくる。

「血の即位式も噂通りエスエリア寡占派の自作自演だと考えるのが妥当だもんな。あれでエスエリアは態度を硬化させて報復として新技術の移転を阻止する名分にしやがったんだ」

「明日から俺たちやダロンとブラッカス軍の一部も演習を装ってニース台地への進出が始まる。それに魔界からの支援部隊が到着すれば……」

「おい、喋り過ぎじゃないのか。どこに敵の隠密がいるかわからんのだぞ?」

「なあに。隠密やら密偵やらがこれからエスエリアに報告したとして増援部隊を準備させるのには時間がかかる。そいつらがニースに到着するころには俺たちが街を解放しているさ!」

 ぺロスの構成員は意気軒昂のようだ。それ自体は結構なことであろうが、わきが甘くなるのは考え物である。

 最もアイサらにとってはそちらの方が好都合ではあるのだが。

(あの連中に当たってみるわ)

(気を付けてね。酒が入ってる相手は当たりが緩い所と予想外の反応が極端よ)

(わかってる)

 アイサはゆっくり立ち上がると先ほど勇ましく盛り上がっていたぺロスの連中に、これまたゆっくり近づいた。

「ねぇ、あなたたち?」

 警戒されないそれなりの距離で、アイサはやっと届く程度の声量で話しかけた。

「あ? 何だい、ねぇちゃん?」

「あなたたちぺロスの人たちでしょ?」

「……それが、どうかしたか?」

 ぺロスの連中は一瞬、ついさっき「喋り過ぎじゃないのか?」と誰かが諫める言葉が脳裏を過った。浮ついていた目つきに不穏分子たるの光が戻ってくる。

「やっぱりそうなのね?」

「だから、それがどうしたと聞いてるんだが?」

「今回の事、あたしたちブラッカスの組織にも届いてたんだよ。近々主だった組織が組んで大きな計画があるって。あなたたちの話も聞いていたけどエスエリアに一泡吹かすんでしょ? ならあたしたちも入れないかと思ってさ?」

「……売込みならよそを当たれ」

「まあ、聞いてよ。あたしたちもさぁ、微力ながら参加しようって段取りだったんだけどぉ、ほら、ブラッカスは血の即位式のおかげで取り締まりがキツくなって、幹部連中も挙げられちまってね」

「どこのモンだよ?」

「南の方で活動してたディミトスってんだけど……知らない?」

「知らねぇな」

「田舎だからね~。でもコネはあるんだよ?」

 そう言いながらアイサは肩から吊った鞄から、以前マシャルに書いてもらった紹介状を取り出した。

「ほう! ブラッド会頭直筆の紹介状かよ!」

「これなら身元は確かだろうが……でもよ、それがあればウチみたいな中堅どころかNO1のガガラやブラッカスのエトラッコにだって入れるんじゃねぇか? なぜウチなんだ?」

「だってペロスってランクは3番目とか言われてるけど、今は2番手のボウゾウと肩を並べられるくらいだって噂よ? やっぱり勢いのあるところでガンガン行きたいじゃん!」

「そんな噂流れてんのか?」

「うちを高く買ってくれるのはいいけどよ、紹介状を持ってる程の奴だと俺たちじゃあ決められねぇよ。やっぱ(かしら)に聞かなくちゃな」

「会わせてくれない? お頭さんにさ。例の計画、すぐにも開始なんだろ?」

 男らはしばし目を合わせながら思案していた。やがて、

「班長。他のもんならともかく、ブラッド会頭の紹介状は無視できんだろ?」

とアイサらに有利に動き出しそうな方向に向いた。更に続いて、

「そりゃわかってるが頭は今日、ペンゴンさんと会うんじゃなかったか?」

――ペンゴン! 

と正に棚から牡丹餅。アイサは感情が表に出ないように一瞬呼吸を止めて落ち着きを維持しなければならなかった。

「ブラッド会頭の名前ならペンゴンさんも無視出来ねぇだろ?」

「だな。おい姉ちゃん……」

「うん」

「……耳貸せ」

 男がアイサを人差し指で招く。

 アイサも招かれるまま耳を班長と呼ばれた男の口に近づけた。

「頭はこの店から南に行ったパルサって宿にいる。この店のアドルから聞いたと言えば会える」

 ニヤリ……アイサのほくそ笑み。その笑みに二重の意味があったことをアドルは気づかなかったであろう。

「ん! ありがとアドルさん! 今から行ってくるわ!」

 アイサは満面の笑顔でアドルの頬にキスするとシオンを手招きし、

「口説き上手だねぇ、班長?」

「役得だなぁ、へっへっへ」

などとアドルを囃し立てるメンバーらを背にしながら店を出た。

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