計画実行
アイサの所属している集まり、ターゲンサンと言う名の集団は、いわゆる反政府・反体制組織である。
こういった組織はいつの時代、どんな体制であっても存在するもので、剣と魔法が跋扈し、魔界・天界・人間界の三界を以って存在する世界、アデスにおいても同様だ。主義主張、民族意識、信仰、慣習などなど多数の思考や権力の力や数によって服従させられ、それらを心の内から取り下げる事を良しとしない者たちだ。
その中でもターゲサンはテロ活動を主体とした過激派と言ってもいいだろう。
活動は主にシュナイザー帝国内ではあるが、四年前の安寧計画以降に天界・魔界を後ろ盾として興された帝府の活動に世界の大勢が靡きながらも、今までの既得権益の分散・変化・消滅などを好まない勢力もまた新たに湧きあがって来ており、それは6大国内に留まらず各国間の組織との連携を模索し、大きな勢力を作ろうとする動きすらあるとのこと。
今回の計画もエスエリア及びブラッカス公国やダロン王国で活動する同志たちとの連携のおかげでここまで辿り着けられたのである。
アイサたちが話していた通り、今回の計画が成功すれば各国の組織と共に更なる活動の飛躍が見込まれており、脱出後はブラッカス公国に集まって一部始終を報告し、今後の礎と成るよう目論んでいるわけだ。そんな思惑もあり、本計画にはアイサも十分気合いは入っていた。
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安寧計画が実行された頃、アイサは14歳であった。
アデス安寧計画――本来ミカド新生計画と呼ばれていたのだが、当初の目論見からかなり中身が変わってしまい、目的としてはアデス三界の安定が最優先だったわけで、今は変更されたこの名称で呼ばれている。舞台となったエスエリアではその被害の大きさから『王都大乱』とも呼ばれる事が多い。
実際には計画自体は三界合同で数年かけて創案されたが、その影響力故に市井に知らされたのは直前であり、本戦場となるエスエリア以外は更に周知が遅れてしまっていた。
それでもシュナイザー帝国はエスエリア王室の一時避難先として比較的早くから通知はされてはいた。しかしながらシュナイザーはエスエリアの2倍近い国土面積を持ち、念話――遠く離れた者同士で意思の疎通・会話が出来る魔法・スキル――を扱える念話士によるネットワークも精々行政機関までで、それ以外は書簡・伝聞が主である。行政機関の役場がある街から遠く離れて牧場を営んでいたアイサの一家にそれが伝わったのは計画による魔獣の暴走が始まる前日であった。
時差があるため、暴走した魔獣がアイサの牧場付近に現れたのは深夜であった。避難の荷造りもそこそこに、アイサ親子は出発を余儀なくされた。
星明かりがあるとは言え、暗い夜道を魔獣の襲撃に気を配りながら馬車を走らせるのは困難を極めた。
通常なら魔獣や夜盗を警戒し、必要火急でも無い限り夜の移動、ましてや家族総出などと言うことはあり得ない。
その結果は、アイサがうなされた夢の如くである。
暴走し、共食いし合っていた野獣の群れに遭遇し、アイサたちは迂回を試みたものの一部の魔獣に見つかって襲撃されたのだ。
魔獣に馬を倒されて転倒・損壊した馬車を捨ててアイサ親子は全力で走った。
もちろん現実には夢で感じる泥濘のようなもどかしい感覚とかは無く、三人はただひたすら走り続けた。
追いかけてくる魔獣は狂黒熊や牛頭鬼のような大物を含めて十数頭はいた。
そして夢に出て来る、あの吊り橋に差し掛かる。
アイサの父親は吊り橋を突っ切り、橋を落とそうと画策したのだが、重量級の魔獣が殺到したため、父親が手を下すまでもなく三人が対岸に届く寸前で吊り橋は重量に負け、崩落を始めてしまったのだ。
アイサの母親は最後の力でアイサを突き飛ばし、対岸へ辿り着かせた。
転倒したアイサが体を起こして崖際から下を覗いて見たのは、両親と魔獣が100m近い谷底へ悲鳴と共に落ちていくところだった。夢と違う所は自分が落ちるか落ちないかの違いである。
夜間、谷底はもちろん、崖の様子すら分からない状態ではアイサはへたり込んで涙を流し続けるしかなかった。
やがて地元領主配下の巡回の兵士に保護されるまで、アイサは泣き続けた。
――もし、あの知らせが一日早ければ……
一番近い街の避難所に収容されたアイサが、計画自体は数年前から取り掛かっていた事実を知ると彼女は全身の血を逆流させてしまった。
そんなに前から準備されてたならなぜもっと早くに知らせなかったのか? 数年掛かりの計画なのに、なぜたった一日の差で両親は死なねばならなかったのか?
半狂乱のアイサはそれを知らせてくれた役人に掴み掛ってしまった。声にならない怒声と共に役人を殴りつけた。引っ掻いた。蹴り飛ばした。
それがアイサの体制に対する初めての攻撃だった。
その後、アイサは傷害の罪で領主城下の監獄に放り込まれた。
14歳の独り身の少女では牧場経営も叶わず、刑期を終えた後はその城下町でその日暮しに近い生活をすることになった。
国家や体制を憎むあまり、地元の警察機関――城下警衛隊とはよくいざこざを起こして何度か投獄もされた。
そんな投獄中のある日、とにかく役人に反抗的な態度を隠さないアイサを見た、対面の房にいた囚人が彼女をターゲサンに誘った。
「理由は人それぞれで良い。力を合わせて帝国政府に一泡吹かせたくはないか?」
当然アイサは、最初はその誘いを胡散臭く思った。特に「理由は人それぞれで良い」などと、そんな曖昧で協力し合えるものなのか?
とは言うものの、このままでは今の生き方は変わらない。雑役を見つけては小銭を稼ぎ、警衛や役人たちに喧嘩を吹っかけては牢獄の繰り返し、そんな先しか見えない。
結局、役人や体制を許す気になれないのなら、連中に一矢報いるのなら……
ターゲサンに入る事を了承するか否か、その結論を出すため考える時間はアイサには一晩で十分だった。
アイサのターゲサン入団の理由は復讐であった。
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フォルドたちは既に昨日、食糧庫内壁の修繕の下準備を行っている事もあり、アイサやブラントらは新顔ではあったがそれほど入念には検査されなかった。武器や火気の元になる様な物の持ち込みさえさせなければよい、そんな検査だった。
現場の食糧庫に入り、まずは普通に職人の作業を行い始める。
外壁の手前まで内壁を削り、昨日練り合わされた虫殺しの壁土を塗り込み、さらにその上に通常の壁土を塗る。
手際が悪いと怪しまれるので、計画の数カ月前から日雇いの壁づくりの仕事があれば請け負い、半人前程度の技術は習得していた。
また、この半人前と言うのがミソで、それを理由に作業遅延の言い訳にも出来るのだ。
わざと手間を取らせて残業を余儀なくさせる態を演出するわけだ。
日没を過ぎても本日分が終わるまで上がれない、そんな自然な遅れをアイサたちは装った。夜陰に紛れるために。
「よぉ、遅くまでご苦労さん」
作業進行の様子を見に来た宮殿営繕班の班長、最近揺れ始めた下腹を抱えたエフダフが若干皮肉を込めた口調でフォルドに話しかけた。
作業終了の確認をするまで帰宅するわけにはいかないので予定外の残業に、つい口に出してしまったのだろう。
「すいやせんねぇ、班長さん。応援の職人がまだ慣れて無くてねぇ」
愛想笑い満面で答えるフォルド。ちょいとムクれて唇を尖らすもエフダフに軽く頭を下げるアイサ。自然に、自然に。
「でも、もう上がりでさ。今日の分は今しがた終わりましたんで、班長さんに検査してもらおうと思ってたところなんで」
と、これまた愛想笑いの上、胡麻擦るみたいな表情のダクティがエフダフに話しかけた。
「まあ予定通りの分はちゃんとやってくれたようだしな。残業した甲斐があるってもんだ」
「じゃあ、私らもこれで引き揚げますんで……」
フォルドはエフダフに行程予定表を差し出した。毎日最後には、営繕班長の点検を受けた後、署名をしてもらうのだ。
「おう、お疲れさんだったな。ん? 樽は毎日持って帰るのか?」
エフダフがミハルらが空になった樽を荷車に乗せているのを見て尋ねた。
「ああ、持って帰って明日の分の壁土を仕込んでおくんだよ。一晩寝かさなきゃいけないもんでね。それにこの臭いだろ? 一晩中この臭い撒き散らしてちゃ嫌がる人も居るだろうしね」
「ああ確かに、俺もこの臭いは勘弁だ。よし、これで今日は仕舞いだな。もうすっかり暗くなったから、気を付けて帰るんだぞ?」
「ええ、お疲れ様でした班長さん。お休みなさい」
おお、お休み! と答え、倉庫の施錠と点検のため残ったエフダフを後に、アイサらは荷車を引いて通用門に向かうフリをして魔導殿研究倉庫を目指した。
城内への門周辺はかがり火も多いが、ターゲサン一行が進むルートは人の往来も少ない裏側でもあり、道中の照明は少なめで都合が良かった。とは言え、国家機密に関する物品も多い魔導殿研究倉庫周辺はそれなりに明るく照らされており、警備の衛兵も2名が入口で周りを見張っていた。
「おい、お前たち!」
警衛兵の一人が一行を呼び止めた。
「出入りの工事業者か? この周辺は工事の報告は聞いてないぞ、なぜここにいる?」
「へぇ、食糧庫の壁塗りやってる者でさ。帰るところなんすけど、すっかり暗くなって迷っちまって……北の通用門はどっちでしたかねぇ?」
「工事の工程書は?」
衛兵に言われ、フォルドはエフダフに署名してもらった書類を見せた。
「ふむ、食糧庫の壁塗り業者か……北門は、ここからだとそこの三叉路を……」
と衛兵が道を指差して教えようと目を離した瞬間、フォルドは衛兵の後ろに回り口を塞いだ。
「何をするかー!」
フォルドの襲撃に、もう一人の衛兵はそう言おうとしたかっただろう。だがその兵にアイサは瞬時に念を込め、得意の氷魔法で口と鼻を凍らせて塞ぎ、兵に声を出すことを許さなかった。
兵は氷で呼吸を止められ即座に酸欠を起こし。藻掻き始める。そこにミハルが猫族の獣人並みの身軽さと速度で近付いた。
ミハル渾身の掌底が兵の顎に炸裂、口周りの氷を砕いてくれたはいいが脳震盪を起こした兵はあっという間に昏倒した。
フォルドとダクティも最初の兵を窒息させ無力化し、スペンスとブラントは荷車を倉庫入口に付けた。
ブラントが錠前に斧を当て、スペンスが10kgほどもある大槌で思いっきり叩きつける。
ガン! ガン! ガシィ!
三回目の打撃で錠前は壊された。同時に入り口を全開にする。
男勢が中に突入し、アイサとミハルは入り口付近で警戒にあたった。
ダクティとフォルドが爆裂粉を仕込んだ樽を降ろし、スペンスがキリ穴をあける。
キリが貫通すると、ロープに紛れて隠しておいた導火線をブラントが差し込み「点火するぞ!」と声を掛けると三人は荷車を引いて倉庫外へ出た。
それに続いてアイサやミハルも入り口から離れたのを見るとブラントは指先に念を込めて炎を浮かび上がらせ、導火線に着火した。
導火線の燃焼が始まったことを確認したブラントは自身も倉庫から駆け出し、先程衛兵が指差した三叉路付近でアイサらと合流、全員が荷車を盾にして数秒後に起こるであろう爆発に備えた。
発火したのは皆が伏せて6~7秒くらいだろうか? 彼らには大変長く感じた6秒であった。だが、その長い6秒の後、シュバッ! っと眩い光がアイサらを襲い、6人は皆、閃光に目を瞑りながら「やった!」と確信した。次に来るのは倉庫を吹っ飛ばした爆風であるはず……だった。
シュバ! バチバチバチ! シュババー!
着火はした。その発光度は夜陰に慣れたアイサらの目には痛いほどだった。
しかし爆発は起こらず、樽はまるで花火さながらの真っ白い光を放ちながらシュバシュバ噴き出すだけであった。当然倉庫は無傷だ。
「失敗……だと?」
「そんな! 配合は間違ってないはずだぞ! 多少の誤差は有っても全く爆発しないなんて!」
アイサたちは呆然とした。6カ月以上かけた爆破計画の結果がこのありさまだ。せめて燃焼した炎が火事でも起こせばまだ救われたが倉庫も貯蔵品も全くの無傷で終わってしまった。
「全員そこを動くな、テロリスト共!」
自失していたターゲセンメンバーの耳に轟く声。同時に探照球(魔法照明弾)が上がり、辺り一面を真昼のごとく照らし出す。
「な、なんだぁ!」
スペンスが思わず声を漏らした。
「逃げ場は無い! 抵抗しなければ命まで取るとは言わん、大人しく縛に付け!」
声の主は帝国防衛軍警衛隊長であった。
周りを見ると三叉路上の三つの道にはすでに警衛隊が展開しており、アイサたちの逃げ場を塞いでいた。しっかり囲まれている。
「くぅ……なんてこった」
――手際が良すぎる。まるで待ち構えていたみたい……
「罠……だったのか?」
ブラントもアイサと似た考えに至っているようだ。自分らの仕掛けた爆弾の光が他の衛兵の目に停まっていたとしても、こんなに早く兵を展開できるとは思えない。
なにより警衛隊長の横に営繕班長エフダフがうすら笑いを浮かべて立っている事実が、その疑惑を否が応にも掻きたてる。
「どう言うこったよ。なんでエフダフの野郎まで!」
「奴も知っていたんだ。とどのつまり、俺たちは連中の掌で踊らされてた……」
スペンスの疑問にフォルドが答える形で言った。しかし、それでも釈然とはしない。なぜなら、
「どこまでがホントなんだよ! これじゃあの爆裂粉もハナから偽物掴まされたって事だよ! いったい何がどこまで!」
とミハルが混乱するのも当然と言えば当然。この顛末では最初から失敗するのが確定していた計画で、それを知らなかったのは最悪自分たち6人だけ、ということになる。
しかしそれなら何のために? 自分らが不穏分子だとバレているのなら最初か|ら我らを捕らえればいいはず。
「フォルド! 全員に投降を指示しろ! 手間を掛けさせるな、残業はこれっきりにしようぜ」
いやらしい笑顔満面にしてエフダフは毒づいた。驚愕で自失していたアイサの胸の内に、今度は怒りが沸き上がる。
「小馬鹿にしやがって……あの野郎、ぶっ殺してやる!」
アイサは右手に念を込め始めた。出来るだけ多くの氷矢を作り、全弾あのニヤけたクソ官憲に叩きつけてやる、と。
「アイサ落ち着け、勝てる見込みはない」
昂るアイサに気が付いたか、ブラントは彼女を諫めた。
「ブラントの言う通りだアイサ。もう爆裂粉も武器もない状態だ、脱出を最優先で考えろ」
フォルドもブラントの言葉に続く。
しかしどうやって? 城外に続く道は全て押さえられてしまっている。数も多く、一点突破するにも少しでも手古摺れば、すぐに他の集団から追撃されてしまう。
「俺が奴の気を引く。合図したら倉庫内へ飛び込め。そして一番奥の採光窓を破って城壁まで飛ぶんだ」
「え? でも……」
確かに倉庫の立地は城壁の近くではある。だが当然ながらその間には哨戒用の幅4mはある通路がある。
「いや、そこしかないよ。この大人数は相手できない」
「ミハルの言う通りだ。いいな?」
そう言うとフォルドは数歩前に出て警衛隊長に向かって叫んだ。
「わかった! 命の保障はしてくれるんだな! だったら指示に従う!」
「上からの命令だ、嘘は言わんよ。では全員手をあげてそこを動くな」
警衛隊長の指示に従い、フォルドは両手を上げた。衛兵たちが陣形を解き、捕縛のために前進を開始した。とその時、
「今だー!」
フォルドが叫ぶとアイサたちは一斉に反転し、全員で荷車を押して倉庫内に突入した。
投降し始めたフォルドの動きに気を緩めた衛兵たちは一瞬、虚を突かれた。しかし、即座に追撃に入る。
片やアイサらは倉庫に入ったと同時にフォルドとブラントが戸を閉めて内側の錠前に斧の取っ手を突っ込み、荷車の鎖を巻き付けて閂代わりにした。
一方、最後の悪あがきと肩を竦め、帰宅時間がまた伸びてしまいそうだと不機嫌になる警衛隊長とエフダフ。忌々しそうに一つ大きなため息をついた。
「馬鹿めが。文字通り袋の鼠だと言うに」
「しかし、窓を破られると城壁まではすぐだ。半数を裏に向かわせよう」
警衛隊長はエフダフの意見を取り入れ、1個分隊を倉庫裏に回らせた。そこで、
「隊長、本部より通達! 倉庫裏からの捕縛行動は別命あるまで厳禁とのことです!」
隊の念話士が眉間に手を当て、本部から受け取った念話による命令を伝えると、隊長は徐に眉を顰めた。
「なに? 手を出すなだと?」