驕り
目の瞳孔が開き始めた。光が黒に吸い込まれていく。輝きが消えていく。
「ミハル、さん!」
「ミハル!」
「ミハル! く!」
容子が身を乗り出し、ミハルの顔を覗くアイサらを押しのけ、自らの口をミハルの口に当てて息を吹き込み始めた。
「隊長!」
息を二回吹き込んだ容子は誠一を呼んだ。
「みんな離れろ!」
容子が息を吹き込み始めたと同時、既に誠一は上着を脱ぎ、準備していた。ミハルの服をはだけさせ、胸の上と下に手を当てる。
「3、2、1!」
バシュッ!
誠一の念と共に電流がミハルの心臓を走り、身体がバンッ! と跳ね上がる。雷属性に秀でた誠一による簡易AEDだ。
即座に脈・呼吸を確認するメア、ロゼ。
「ダメっす!」
「回復しません!」
蘇生失敗! 再び誠一がスタンバイ。
「行くぞ!」
バシィッ!
二度目のAED。しかし、メアとロゼの首は空しく振られる。
「もう一回!」
更に誠一が三回目の通電を試みるも、心肺は復活しなかった。
「もう一度!」
容子が四回目を求める。しかし誠一は、硬い表情で首を振る。
「ダメだ、俺の魔法ではこれ以上やると、心臓が、焼き、付く……」
「くう!」
容子はミハルの胸の横に立った。両手を重ね、圧迫による心臓マッサージを始める。
「お願いミハル、目を覚まして!」
続いて息を吹き込み、そしてマッサージ。
「だめ! だめだめだめ! 逝っちゃダメ―!」
なおもマッサージを続ける容子。しかし、
「容子……」
良二がその腕を止めた。
「止めないで良くん! まだ……まだ!」
「容子!」
「う……ううう、ううう~!」
容子はがっくり肩を落とすと良二に抱き着いた。抱き着いて嗚咽を漏らし始めた。
周りの者たちも全員項垂れ、眼を覆い、口を覆い、かけがえのない仲間を失ったその現実を突きつけられ、泣いた。ミハルの名を呼びながら泣いた。泣き叫んだ。
「ミハル、さん……ミハ……うう、うあああああー!」
アイサもまた、床に突っ伏し泣き叫び続けた。
秋が深まり、遅くなり始めた夜明けの日差しが、帝府官舎の医務室の窓に差し掛かって来た。
いつのまにか寝入ってしまったらしい。掛けた覚えのない毛布が朝の冷え込みからアイサの身体を守っていた。
「……将軍……起きてたの?」
ミハルの眠るベッドの横の椅子で寝ていたアイサは対面の椅子に座ってミハルを見つめている良二を見つけて話しかけた。
「もしかして、寝ていないの?」
「少し、 ウトウトしたよ……」
周りを見ると、美月や史郎、容子ら帝府組も他の椅子やベッドで寝息を立てていた。そしてレイも。
「俺たちの故郷だと、人が死んだらほぼ丸一日、様子を伺いながら付き添う習慣があってね。稀に息を吹き返す場合もあるからだとか、由来ははっきり知らないんだけど……」
アイサは改めてミハルの顔を見た。開いていた眼は閉じられ、正面を向いている。
笑顔……ではないが、あのような大怪我をした割りには、安らかな死に顔だとは思う。
いや、本当に寝ているような顔だ。揺すれば目を開けるのではないか? とさえ思えて来る。
「ああ、夜中に見ていても、突然起き上がるんじゃないかって……何度も思ったよ。苦しんだ顔のままで逝かなかったのはせめてもの……かな?」
「こんなこと……今聞いてもいいのかわからないけど……」
アイサの言葉に、良二はミハルを見ていた目線をアイサに向けた。
「彼女は、スパイだったの?」
聞かれた良二は一度目線をミハルに戻すと、目を閉じ、
「ああ、そうだ」
と頷いた。
「エスエリアの? それとも?」
「彼女の所属は帝府だ。俺の直轄だよ。俺たちの指令で一年ちょっと前から、ターゲサンに潜入してもらってたんだ……」
「そんなに前から?」
「君の方が所属歴は長いんだろ?」
「ん、まあ……ターゲサンは人数も支部も多いし、彼女と組むのは今回で二度目だったから……あまり過去の事は……」
「王都大乱後のエスエリアの復興のために俺たちは自分たちの持つ技術の一部を優先的にエスエリアに供与していたのは知っているよね? それは復興に着手してからほどなく行われた。だから2年もたてば他国との差は目立ち、技術・経済格差が広がり始めて各国の不満がくすぶるようになってきた。だが、そうは言っても、エスエリアは人間界の盾となって傷ついた事、それは事実だ。だから、不満を持つ政界や財界の連中もそうそう真正面から抗議が出来なかったもので君たち過激派を支援して、代わりに訴えさせようとし始めたんだ」
「あたしたちは……その連中の、コマ?」
「自然に恵まれたトラバントはともかく、他の国、特にダロンとブラッカス、そしてシュナイザーが連携する動きが認められてね、元エスエリア王室の諜報員として動いていたミハルを受け入れて探ってもらっていたんだ」
「……」
「そして三カ国を中心に、劣勢のエスエリア反体制派が加わって大規模な共闘連合が催されると言うのが確定的になった。まずはシュナイザーで実験を兼ねた爆破工作を起こし、テロ活動が控えめなアーゼナル・アマテラの辺りで次の工作をさせて目を向けさせたところに、ダロンとブラッカスを中心とした勢力がエスエリアに対して蜂起すると言う流れになりはじめた、までは掴んだんだ」
「もしかして……あたしたちのバルンでの失敗は……」
「そう、添加剤を偽物に変えたのはミハルだよ。そしてシーナに先端技術供与の意向を手土産に訪問してもらって、シュナイザーは国として反連合に回るように交渉したんだ」
「じゃあアマテラでガショーが失敗したのも……」
「ミズシの港へ行く途中で察知したミハルが俺とカリンに連絡したのさ。おかげでアマテラ・アーゼナルを狙った陽動爆破工作はお流れになった」
「……全部あなたたちの計画通り?」
「船が難破するところは完全に想定外だったさ。幸運にもアマテラ沿岸までは近付いていたから火を起こして目印にさせたんだが」
「あの火はあなたたちが……」
「台風一過の夜中に焚火なんておかしいと思わなかった?」
「完全に乗せられてたのね……」
「気を悪くするな、とは虫のいい話だが……でもミハルは、ガショーの連中、事にアイサには危害が及ばないように手を回してくれとお願いされたよ」
「ミハルさんが?」
「ああ、だから君とレイがカリンの部屋に乗り込んだのは偶然とは言え僥倖だった。でもカリンを刺しかねないあの状況には、さすがに俺もちょっと頭に血が昇っちまったが」
良二は苦笑した。
「最後のアジトでの会議で奴らの動向は分かった。あとは各国政府と直接交渉するから直ちに撤収しろと言ったんだが、どうしても君たちを連れて行くと聞かなくてね……」
「あたしたちを?」
「危険になったら救援に向かうからすぐに知らせろと言ったんだが……あまり表立って動けない俺たちに気を使ったのか、ギリギリまで念話してこなくてなぁ。最後の言葉は……」
「……」
「将軍、二人を助けて……だった……」
アイサの眼にまた涙が込み上げてきた。堪え切れず、毛布で顔を覆う。毛布で口を押えて嗚咽を漏らして周りの人を起こさないように声を殺した。だが、
「ん……ん、起きててくれたか、良……」
誠一が目を覚ましたようだ。右手で交互に両目をこすりながら起き上がってくる。
「おはよう黒さん。少しは寝れた?」
「すまん、寝ちまった。一緒に付き添おうと言っておきながらなァ……交代しよう、部屋で休め」
「ありがとう。でも……」
「今日の夜は前夜祀(通夜)がある。ホーラが司祭をやってくれるそうだ。午後から準備が始まる。今のうちに少しでも寝ておけ」
――12神が司祭を? 国葬でも上級神が精々なのに……
改めて彼らの親交の広さと深さ、強さを思い知るアイサだった。
「うん……わかった。ちょっと休ませてもらうよ」
良二は今一度ミハルの頬に手を当てた後、自室へ仮眠を取りに行った。
「初めての殉職者なんだ……」
「ミハルさんが?」
保温ポットの茶を入れたカップを誠一から受けとりながら、アイサが聞いた。
「2年……いや2年半前くらいまではエスエリアの復興や帝府設立のゴタゴタやら続いていてな。人間界の守護としてようやく体裁が整った頃には、各国との関係にひびが入り始めていた。エスエリアは王都大乱でかなりやられはしたが、他の国も魔獣の暴走と言った被害もあったのにそちらへの配慮は遅れた」
「その辺は将軍から聞いたわ」
誠一は一瞬、茶を飲む手を止めた。そして、
「そうか。じゃ、端折っていいな」
と言いながら、またカップに口を付けた。
「なぜ、ミハルさんのような……」
「ん?」
「あなたたちなら、スパイなんか使わなくても……」
誠一は一度ミハルを見つめ、目を瞑ると小さく嘆息しながら頷いた。
「確かに俺たちは知識や技術もさることながら、人並外れた魔力を持っている。12神や8魔王並みにな。だが、だからこそ表に出てはいかんのだ」
「……力で抑えても反発は生まれるわよね」
「君たちみたいにな。しかも俺たちはよそ者だ」
「……」
「アデス人同士のいざこざはアデス人同士で解決するのが一番だ。いつかお互いを慮って、世界が協調して生きていける様にね。だから我々は傍観者である必要があったんだが、それには出来得る限り情勢を知った上でなければならない。トラブル当事者のそれぞれの事情を客観的立場で見られないと、仲裁するにも見落としがあってならないからね」
「本音を引き摺り出すには帝府であることが邪魔なのね?」
誠一は顔のそばで人差し指をピッピッと縦に振り「正解だ」と答えた。
「だから、アデス人の目と耳で情報を届けてもらう必要があったんだよ」
「そう……か……」
「世界の半分が裏側から結託すると言う動きは見過ごすわけにはいかなかった。ミハルにはこちらからの各国へのアプローチでどう動くか、その動向と、この流れの中心をシュナイザー内から洗ってもらっていたわけだ」
「危険な仕事ね。言ってしまえば全方位が敵。体制側だけ気を付けていればいいあたしたちよりも……」
「そうだな。それを俺たちは侮っていた。窮地に陥っても念話と転移を使えば最速で救助に向かえるとタカをくくっていた。それで……この、ザマだ!」
拳を握る誠一。そのまま肘掛け辺りを殴りたかったであろう。
だがそれを思い留まる程度の冷静さは彼はまだ持っていた。
「アイ、サ……」
「ん? 起きた、レイ?」
レイの寝起きの声に二人の気は逸れて、誠一も拳の力を抜く事が出来たようだ。
「アイサ、徹夜?」
「ううん、さっき起きたところよ。お茶入れるわね」