哀しき幸福
夕暮れ時、隊商は無事の内にタラ村に到着した。
祭り本番を迎える夜までは少し時間があるので、その間に商いが行われる。
祭りの会場である中央広場の一角にマシャルが持ってきた商品が並べられ、村民がさっそく収穫した農作物などを持ち寄り取引がスタート。
農作物は量も質も例年通りの出来で、真新しい鍬や鎌などと次々交換されていった。
一応値段は付けるが、有る物は目いっぱい交換するので貨幣が動くのは端数分くらい。有事の際の備えとしてその端数分が蓄積される、つまり貯金となる。
だがここ数年はその貯蓄額に変化が出てきていた。
収入の柱の一つである魔石採取。これが減少しているのである。
「安寧計画で魔獣が減ったから?」
「皮肉な話です。魔獣による襲撃の被害は確かに激減しましたが、それを日々の糧にしていた方々の収入が減ってしまいました。冒険者の数が減ったり、報酬が減額されてきているのと同じです」
「多くの安心、安全を得ている人の陰で、苦しくなっていく人も居るのね」
「いみじくも、今の大国がやっている事と似ていますね。人口の多い町を優先し、そのかげで泣く少数の村々……」
「ここの人、からすれば、安寧計画、無くて、よかった?」
「それも違うでしょう。国の中枢や大都市が滅べば、作物を買ってくれる人も、田畑を耕す道具を作ってくれる人もいなくなるわけですし、魔石採取はこの村にとって大事な収入源ですが、その魔獣に襲われ、命を落とす方は、やはり居ます」
「むずか、しい……」
頭を抱えるレイの横でアイサは大人たちが商いをしている間、ちょっと離れたところで
子供たちが集まっているのが目に入った。
「さあ、突然、現れた魔獣の大群。助けを求める村に救助隊が辿り着くにはどうしてもこの魔獣たちを倒さなければなりません! しかし相手は大きくて凶悪な魔獣、狂黒熊! 救助隊が怯える中、そこで颯爽と現れる我らが勇者様! 神々のご加護と魔王の力を賜った勇者様の光輝く魔法剣は群がる魔獣をバッタバッタと切り倒し~!」
マシャルのサービスの一環である人形劇が子供たちを夢中にさせているようだ。
クライマックスに近づき、「行け行けー!」「頑張れ勇者様ー!」と声を上げながら夢中になる子供たち。無邪気なものである。
「安寧計画の冒険譚かしら?」
「あれ以来、あの時活躍した軍の英雄や四天王の足跡を基にした戯曲や物語は街では大流行でしたからね」
アイサは人形劇を見ている子供たちの一部、年長を中心に本らしきものが5~6人に一冊ぐらいで手渡されているのに気付いた。内容と劇を見比べているらしい。
「ん? 絵草子かな?」
「ここではあまり必要が無いせいか、読み書きできる子供はほとんど居ないんです。教えられる人も少ない。せめてこういう娯楽を含めたやりかたで少しでも興味を持ってくれればと……」
「いろいろ考えているのね」
「いや実のところ、商い中にお子さんがウロチョロすると邪魔だし、刃物とかにイタズラされると危ないから一所に纏めちゃえ、てのが始まりなんですけどね」
苦笑しながらマシャルは本音を吐露した。
商いも終わり、周りはすっかり暗くなった。だが本番はこれから。
年に一度の収穫祭の開催である。
村長の祭り開会宣言と同時に村中央の広場に積まれた薪に点火されると、村民みんなが杯を傾け、この一年の労をねぎらいあっていた。
子供たちは用意された馳走に群がり、大人たちは隊商から購入した酒肴を楽しみ、酒が回ると土着の楽器の伴奏で老いも若きも男も女も踊り出す。
日頃の苦労はこの一日のため、とでも言いたげに村民総出で祭りを楽しんでいた。
アイサもレイも酒を奨められるのは当然だが、子供たちが道中の砂虫討伐を隊商の一人から聞いたらしく、それこそ「そこんとこ詳しく!」とばかりに話をせがまれた。
人形劇でテンションの上がっていた子供たちは二人のリアルバトル話には興味津々。アイサとレイも身振り手振りに加えて砂虫を模したロープや氷結魔法で作ったジャンプ台のミニチュアなどでバトルを再現。子供たちは目を輝かせながら没頭した。
やがて夜も更けていき、年に一度の一大イベントも、時間と共に子供らが引き揚げ、大人たちも底抜けの呑兵衛どもはともかく、一人二人と家に戻っていく。中には将来の伴侶と決め合う男女がチラホラ居るのもこの手の祭りのお約束。中には木の陰で熱烈にキスし合うカップルもいて、目撃してしまったアイサ思わず赤面。まあ、その場で腰を振り始めないだけマシであろう。
レイは帝府に続いてここでも子供たちにまとわりつかれ、男の子に剣技の真似をせがまれ女の子にはダンスに誘われ、その後は酒盛り。すっかりダウンしてしもうていた。
アイサはつぶれたレイの肩を担いで馬車に向かった。二人の寝床は荷の番も兼ねて荷台なのだ。
「相変わらず子供にはモテモテねぇ、あんた」
「疲れた、でも、みんな、可愛い」
「元帥も言ってたけど、あんたは根が優しいのね。いいお父さんになれそうだわ」
「アイサも、お母さん、なれる。優しい」
――優しい!?
またしてもアイサ、ボッと赤面。
「え、ちょ、い、いきなり何よ」
「でも、こわい……けど」
「な! そこで落とす!? って、あれ?」
レイは荷台に上げる前にくーかー寝息を立て始めた。
やれやれ、とアイサはレイを荷台に預けながら乗り込んで安らかな寝息のレイを、よいしょぉ~っと引き摺り上げた。
砂漠地もそうだが、秋の深まったこの山沿いの村も朝晩は冷え込む。
レイに毛布をかぶせると、自分用の毛布も引っ張り出して広げた。
と、その時、人影が視界の隅に入った。
瞬時に身を低めて身構えるアイサ。
「おっと、驚かせてしまいましたかな?」
マシャルの声だった。
ふうっ、と安堵したアイサは構えを解きながら、
「村長の家に泊まるんでしょ? 何か忘れ物?」
と聞いた。
「ええ、ある方にお渡しする物があって……」
そう言いながらマシャルは保管箱から、手の平よりちょっとはみ出す程度の包みを取り出した。
アイサは、その包みの中身が何か? より、今のマシャルの声が何となくか細く、弱弱しく聞こえたのが気になった。
周りには自分と酔い潰れたレイ。別段、周りに憚って声量を抑えたとも思えなかった。
「何なの?」
「ちょっとした菓子なのですが……」
菓子? 菓子を渡すぐらいで何でそんな声? アイサはちょっと首を傾げた。
「……もしよろしければ、ご一緒なさいませんか?」
疑問に思ったのがアイサの顔に出ていたのだろうか。マシャルがアイサを誘った。
なぜだかアイサは「ええ」と即答し、荷台から降りた。
マシャルは山側の村はずれに向かっていた。ある程度進むと、前から村へ戻って来る数人の沈痛な面持ちをした母子連れとすれ違った。村長が寄り添い、慰めているようにも見える。
「もう、出られたのか?」
マシャルはそう言うと歩を速めた。その速度でしばらく歩くと、山へ向かう荷車が見えた。
近づくと月明かりではあるが、荷台にはかなり高齢そうな老婆が乗っており、中年の男がそれを引っ張っているのが見えてきた。
「ニエムさん、ブラッドです。お渡ししたいものが!」
マシャルがそう声をかけると荷台が止まり、ニエムと呼ばれた老婆が顔を上げた。
「おや、ブラッドさん。見送りに来てくださったか?」
――見送り? こんな深夜?
「遅れてすみません、ぜひこれをお持ちいただきたく」
ニエムに包みを渡すマシャル。老婆は震える手でそれを受け取った。
だが、包みが老婆の手から滑って落ちそうになった。マシャルがサッとそれを受け止める。
高齢のせいだろうか? どうやら指がうまく動かないようだ。
「おお、すまんねぇ。指がすっかり言う事を聞いてくれんくなってのぅ。ところでこれは?」
「魔界のマフィンです。以前、あなたからお話ししていただいた……」
「ああ! もしやあれをわざわざ! そんな高価なものをわしなんぞに……」
「ニエムさんには長らくお世話になりましたから、いつか必ずと思っておりました」
「おお、おお、ありがたい話じゃ、こりゃ何よりの土産じゃぁ」
「土産って、こんな時間にどこへ?」
アイサが聞いた。話が通らない。
「白い肌に銀髪……初めて見るお方じゃな? お付きの方かな? ああ、わしはこれからお山に入るんじゃ」
「お山に、入る?」
とりとめのない単語、ニエムが言った言葉を単純に捉えるなら確かにそうだろう。
しかしアイサの背筋には得も言われぬ寒気が走った。
深夜、老婆、沈痛な母子、山に入る……並べられるキーワードには楽観できるものは何一つない。思わず、答えを求めるようにマシャルを見た。
「……この村の慣習です。高齢で、体の自由が利かなくなった方が祖先の眠る山に入り、一体となるのです」
「そ、それって!」
予感が当たった。
「ああ、わしはわしの父母やご先祖さまのところへ行くんじゃよ」
アイサは荷台を見た。一応食料と水も置いてはあった。
しかしその量は食の細い老人と言えど一日と持たない量であろうことは一目で分かった。
「そんな! まだ生きているのに病気の犬でも捨てるみたいに!」
「アイサさん!」
思わず声を荒げたアイサにマシャルが諫める様に言った。
「どうか……言葉を選んでください、アイサさん」
「異国の方かな? なら知らんかもしれんが、これがわしらのしきたりでな」
ニエムは全く口調を変えず、微笑みながらアイサに話した。
「なんで……なんで」
「どうなされた、異国の譲ちゃん?」
「おばあさん……なんで笑ってるの?」
「そりゃあ、わしが幸せだからじゃよ」
「なぜ! これから、これから死にに行くのに、なんで!」
「アイサさん!」
マシャルがアイサの肩を掴んだ。止めさせようとしているのか。
「嬢ちゃんも見たじゃろう、この村はわしらの先祖が少しずつ少しずつ努力して築き上げた村なんじゃ。じゃが、ご覧のように村は貧しく自然は厳しい。お天道様がほんのちょっと機嫌を損ねりゃすぐ不作になって食うや食わずの毎日になってしまう。わしより若く、病や事故で逝ってしまい、魔獣や野獣の餌食になる者もおる。それどころか生まれて三歳まで生き延びられる子供は半分程度じゃ。お山に入る前に、逝んでまう者がほとんどじゃ。そんな中でわしは歳で体が動かなくなるまで生きてこられたんじゃよ。今日の祭りで、笑ってはしゃぐ子供たちの孫たちの姿を見て、ああ、この子らに任せれば村はこれからも大丈夫だ、わしの食い扶持はこの子らが次の村を支える糧になるんじゃ。それを見届けられてからお山に入る、これほどの幸運は無いぞえ」
「でも、でも……」
アイサの眼は耐え切れず、涙がこぼれ始めた。なぜ、なぜこれから死にに行くと言うのに笑顔でいられるのか?
アイサはそんな理不尽さ、自分たちとあまりにも違う死生観。それを受け入れている村の現実、全てが悲しかった。
「今日会ったばかりで泣いてくれるか、嬢ちゃん。嬉しい事じゃ、胸を張って祖先の下に行けると言うもんじゃ。なあ嬢ちゃん、このマフィンはな、わしが嬢ちゃんくらいの頃、村始まって以来の大豊作の年にな、ブラッドさんのじい様に売ってもらった物なんじゃ。これがほんにおいしくてのう。もう一度、食べてみたいと思っとったんじゃ。まあ、あれほどの豊作にはその後は恵まれんかったもんであきらめとったが……ええ土産話になった。先立った連れ合いのじいさんに話したら、うらやましがるじゃろうなぁ」
「もう、いいかな?」
荷車を引く男、おそらくはニエムの息子であろう。絞り出す……と言うより口と鼻から同時に出たような涙声であった。
「お引止めして申し訳ありません。ではニエムさん、これで……」
うんうん……そう頷いたニエムは、息子に引かれて夜の闇に消えて見えなくなるまで笑顔を絶やさなかった。
アイサはニエムを見送った後、その場にへたり込んでしまった。
「前にも言いましたが……」
もう見えなくなった荷車の方を向いたまま、マシャルはアイサに語り掛けた。
「この村はとても貧しく、何度となく飢餓の洗礼を受けてきました。例え高齢であっても働くことが出来ればよいのですが……ニエムさんはまず足が動かなくなりました。それでも機織りや、家事の一部など座ってても出来る仕事、這いずりながらでもできる家事をして少しでも家族の助けになるように努めてきました。しかし今度は指や腕にも限界が来てしまったのです」
「だからってこんなの無いわよ! 働けなくなったからって捨てるなんて!」
「私もそう思います。出来る限り生き延びて、子や孫の看取る中で天寿を全うしてもらいたいと。でもそれは恵まれた我々だから考えられることなんです」
――恵まれてる? あたしたちが?
「生活に厳しいこの村の高齢者は何も出来ないのに食い扶持を分けてもらう、仕事の手を止めさせて自分の着換えや下の世話に手数を掛けさせてしまう。自分が生きる事で子や孫の命が細る、そんな状況に耐えられないのです」
「だったらこんな厳しいところ捨てて街に出れば!」
「もちろん過去、そんな人たちも居ました。ですが、商い中にもご覧になったようにこの村の識字率は大変低い。そんな学力で街に出てもありつける職は限られており、仕送りどころか自分が食べていくのさえやっとだったそうで……結局は村に戻るか、行方知れずになるか」
「そんな、そんな……」
「国や領主の中にはそれに気付き、教育に力を入れようとするところもありますが……教育を施せる者は街でも少なく、やはり辺境にまで広げるのは非常に困難なんです」
「なんで?」
「はい?」
「なんであたしを誘ったの……?」
「……」
「なんであたしに、こんなひどいモノ見せるのよ! なにがしたかったのよ!」
「……あなたは、もう感づいておられるのではないですか?」
「あたし……が?」
「もしかしたら、この村のような現状を打破できるんじゃないか? そう思える方策……」
――……帝府!?
「来月、組織連が再び集まります。その時、何らかの方法が見つかればよいか、と……」
「……」
アイサが荷台に戻るとレイは相変わらずの寝息を立てていた。自分も横になり、毛布を被る。
だがアイサはまんじりとも出来なかった。
目を閉じればニエムの笑顔が浮かび、目を開ければ貧しい村の姿が見える。
結局アイサは一睡もすることなく、一番鶏の声を聞いた。