悪役令嬢、反吐が出る。
「夏目ちゃん、誰と話してるの?」
「え? 何言ってんだよ奏。幼馴染だろ、副部長だろ。そりゃ幽霊部員で悪かったけどさ」
変な汗が背中を伝う。
「奏先輩、幼馴染っている?」
「え? 私転校が多かったから、いないよ?」
奏の目には本当に俺が見えていないみたいだった。
「多分、あなた自我をなくしてる」
「いや、俺自我あるよ?」
「夏目ちゃん、どうしたの? 冗談でも怒るよ?」
「奏先輩には見えてないけど、私には見えてる。旧校舎の入り口のベンチにいた、強い思念を持った地縛霊。それがついてきてる」
「じ、地縛霊っ!?」
おいおい、何の冗談だよ。やめろよ、俺が幽霊とか笑えないっつーの。
「あら、お前には見えていなかったの。どうりでその男に反応しないと思ったわ」
ナディア様までなんだよ。
「きっと何か強い想いがあってここにいるんだと思う。だけど時間が経って、それすら忘れちゃって、自我を失くして――奏先輩はよくここに来てた?」
「う、うん、来てたよ」
「よく見かける奏先輩を幼馴染だと思い込んだんだと思う」
「私幽霊に憑りつかれてたの!?」
「懐かれてた、って感じ」
「ひぃっ!」
俺の頭越しになされる会話。
嘘だろ? 俺が地縛霊で、奏とは何の関係もなくて、それどころか奏には見えていない?
「詠唱魔法、回想」
ナディア様が俺に手をかざした瞬間、記憶が波のようになだれ込んできた。
百合の妊娠を知らされた日のこと。
「どうしよう」
夕暮れの校舎。誰もいない玄関のベンチに、二人だけが座っていた。
その時は戸惑ってしまって何も言えなかったけど、家に帰って決心した。高校を辞めて、働いて、百合と子どもを守る。
しかし父にそれを告げた瞬間ものすごい衝撃で殴られ意識が飛んだ。
目覚めた時には車の中で、オレンジの光が規則的に並ぶ高速道路を走っていた。
そのまま俺は遠方の叔父夫婦の家に預けられ、余分な金も持たされず、百合に会うことも叶わなかった。そして数日後、新聞で百合の死を知った。
悔やんでも悔やみきれなかった俺は、夜中に叔父の軽トラに乗り込んだ。百合が最後にいた場所に行きたい。
運転の仕方なんかろくに知らなかった。事故って死んでもいいと思った。だって百合はもうこの世にいないのだから。
「あの日、このベンチで、ちゃんと言ってればよかったんだ。俺を信じて、絶対に守るから、待っててって」
俺は力なくベンチに座った。
百合は俺を恨んだだろう。
妊娠を知らされて、何も言わずに逃げた卑怯者だと思っただろう。そんなの絶望して当然だ。
「あなたの思念が、このベンチに色濃く残ってる」
夏目ちゃんが言った。
「そうだよ。もうどうしようもないけど、どうしてももう一度やり直したかった。あの日に戻って」
「本当に愚かね。殿下もあの女を妊娠させたと言っていたけれど、どうしてこうも男は節操のない生き物なのかしら。反吐が出るわ」
ナディア様は今までで一番冷ややかな声で言った。
それに対して、夏目ちゃんは少しだけ人らしい温もりを帯びた声で言った。
「二人を救って欲しかった?」
「さぁ、自我とやらがなかったからわからん」
「霊が見える私が来て、きっと色々なものが呼応した。ママを見つけてほしかった赤ちゃん、二人を救ってほしかったあなた、憎しみに捕らわれていた百合さん」
「そうなのかもな」
「もう大丈夫。二人は空に還った。だからここを開けて」
そうか。二人が救われたなら、もうここに人を閉じ込める必要はないわけか。
「ありがとう」
俺がそう言うと、壁が光に満ち、その眩しさの向こうに強い西日が見えた。
そうだ、あの日もこんな日だった。