第6話 スパイは敵を騙す
俺は訪ねてきた夜桜を、街を見通せる高い丘の上へ連れ出した。
もちろん、おとなしく古巣へ帰ってもらうためだ。
眼下には、美しい夜景が広がっている。
「アンバー様は、この街がお好きなのですか?」
夜桜は相変わらず淡々と聞いた。
「……さあ、どうかな」
故郷であることは事実だ。
だが、きっと俺が戻ってきた理由は場所ではない。
「アンバー様。お渡しするものがあります」
ふと、夜桜はそう言うと、おもむろに俺の前にひざまづいた。
そして、懐から取り出したそれを、恭しく差し出した。
「これは、アンバー様の銃です」
漆黒の銃。
《幽》の研究開発部で造られた特殊作戦用拳銃。
かつての、俺の愛銃だ。
「……それは、お前が使え」
「いいえ、私には、重すぎます」
夜桜はあらゆる銃器に精通したエキスパートだ。
勿論、物理的な重さの意味ではない。
この銃は、《幽》のスパイとしての証でもある。
「私だけではありません。他のメンバーも、アンバー様のことを待っています」
【特課】には、夜桜の他に6人の少女たちがいた。
癖のある者ばかりだが、替えの効かない最高のメンバーだった。
だからこそ、俺たちは大戦を終わらせることができた。
「お前たちは有能だ。俺が知る他のどのスパイよりも。
俺がいなくても十分やっていけるさ」
「それでも、私たちはアンバー様を――」
ふいに夜桜が言葉を切った。
後ろの林から、全身を強化スーツで包んだ兵士たちが、ゆらりと姿を現した。
かなりの数だ。すでに包囲されていた。
「共和国最高のスパイとも謳われた男が、尾行に気付かなかったか?
現役を退いて勘が鈍ったようだな」
兵士の一人が前に出て言った。
顏には高性能暗視ゴーグル、手には軍用のアサルトライフルを携えている。
その装備から、俺は相手の正体を察した。
「……帝国の人間か」
「そうだ。お前によって、すべてを奪われた者たちだ」
「俺への復讐か」
帝国兵士――いや、その残党たちが、ゆっくりと俺と夜桜を取り囲む。
逃げ場はなかった。
「いったい誰の仇討ちだ?」
「誰でもないさ。俺たちが奪われたのは――居場所だ」
帝国兵が、俺にアサルトライフルの銃口を向けた。
「俺たちにとっては、戦争が必要だった
そこでしか、生きる意味を見出せない連中だ。
貴様が、それを奪い去ったのだ」
帝国兵のその言葉に、俺は言い知れない虚しさを感じた。
戦争を終わらせても、すべての憎しみや恨みが消えるわけではない。
「……同じだな」
「我らは再び戦火の炎を灯す。必ず」
「そんな火種を、放ってはおけないな」
「はっ、そんな銃一丁でなにができる?」
帝国兵が、夜桜が持ってきた俺の銃を指して、嘲笑った。
確かに火力は向こうが圧倒的だ。
だが――
「お前たちは、根本的に勘違いをしている」
「……なに?」
「もうとっくに、お前たちは【夜桜】の術に囚われている」
帝国兵が弾かれたように周りの仲間を振り返る。
その全員が銃をだらりと下げ、動けなくなっていた。
「なっ……これは……!?」
「私の【魅了】の香りです」
夜桜が、やはり淡々と答えた。
特異体質。
夜桜の香りには、強力な幻覚成分が含まれている。
それを夜桜は自分の意思で自由に制御することができる。
自分たちを追ってくる相手に、それを嗅がせることも容易い。
「お前たちは俺たちを尾行しているつもりだっただろうが、
それは大きな思い違いだ。
俺たちが、お前たちをここに連れてきたんだ」
「ぐっ……!!」
目の前の男にも魅了が利き始め、すでに指一本動かせなくなっていた。
俺は、夜桜から《幽》の銃を受け取った。
その銃口を帝国兵士の男に向けた。
「騙して悪いな。だが――俺たちは、スパイなんだ」
俺は憐みの言葉とともに、引き金を引いた。