絹を裂く
絹を裂くような女の悲鳴。
横転した馬車に、護衛の利き腕からしたたる鮮血。哀れ、馬車の下敷きになった馭者はぴくりとも動かない。多勢に無勢、もう満足に剣も握れない護衛は、それでも令嬢を背に庇い、悪漢どもと対峙する。
そこに、一人の男が姿を現した。
「えっと……これは?」
そのあまりにも緊張感のない声に、悪漢どもすら一瞬あっけにとられる。
「助けたほうが、いいのか?」
無邪気とも呑気ともとれる男の声に、悪漢どもが我にかえる。
「おい、なんでもいい!その男ごとやっちまえ!」
「応!」
悪漢どもの雄たけびにかぶせるように、令嬢の悲鳴に近い声が響く。
「旅のかた、どうか逃げてくださいませ!」
皮肉げに口の端をあげた男は、何も持たない右手を突き出した。
「俺も標的になっちまったみたいだし、ちょっと遅かったな」
男の右手から巨大な炎がはじけ、次の瞬間、悪漢どもは消えていた。消し炭すら残さず。
「あ……」
絶句して固まる令嬢に対し、護衛のほうは人の死に慣れていたのか、ほぅっと息をついて謝辞を述べた。
「どこのおかたが存じませんが、助太刀、感謝いたします」
「そう、それ」
男は、悪漢どもを一瞬で死に至らしめた実力をまったく感じさせない、いたって人のいい困ったような顔で頬をかいて、言った。
「ここは、どこなんだ?」
男は令嬢とともに馬の背に乗っていた。
護衛は横転した馬車から手際よく馬をはずし、男と令嬢を乗せて轡を引いている。
「わたくしはラスタル男爵家の養女キサラ、さきほどは危ないところを助けていただきありがとうございました」
男の後ろに乗った令嬢が改めて礼を言う。
令嬢は、バランスを取るために男の腰に手を回している。密着した部分は温かく、やわらかく、男はあえて意識しないように何でもない風を装って、前を見ていた。
令嬢の声は耳に心地よく、背に息がかかるたびに、男は内心そわそわした。
「ここは、亜大陸の北西に位置するマルルカル王国。五年前、大陸の北に魔王が現れてからというもの、大陸の国々は活発化した魔獣の脅威にさらされ、日々の暮らしもままならず、こうして盗賊に身を落とす者も増えているのです」
悲しげに、物憂げに息を落とした令嬢に、男は尋ねた。
「魔王に魔獣……ってことは、冒険者ギルドなんかもあったり?」
「……? はい。今向かっている男爵家の領都にもあります」
「そうか」
異世界転生か、と思わずこぼれた小声は、令嬢にも聞こえなかったらしい。令嬢は男の腰をつかむ手にきゅっと力をこめて、上目づかいに男を見上げた。うしろをふりかえった男は、さらさらした金色の髪に、澄んだ碧い目にあてられて、すぐにまた前を向く。
「もしかして、冒険者ギルドに御用がございましたか?助けていただいた御礼に晩餐にお招きしたのは、ご迷惑だったでしょうか?」
「大丈夫。急いでないし、お腹もすいた」
ちょうど男の腹が鳴って、男と令嬢は同時にふきだした。
「領都はもうすぐですわ、ほら」
令嬢は木立のあいだからのぞく、灰色の石壁で囲まれた街を指さした。
男爵家の晩餐は、それは盛大なものだった。
海の幸も山の幸もテーブルからあふれんばかりに並び、いくつかは男が見たことも聞いたこともない食材だった。あらためて異世界なんだなと実感した男は、しかし大変に美味な料理の数々に舌鼓を打った。
異世界飯がまずくて料理改善からとりかかる必要がある、という事態よりは、ずっといい。
男爵は養女の命が助かったのがよほど嬉しかったのか、上機嫌に何度も何度も、男に御礼を言った。そして、男爵家が身元を保証し、いくばくかの金銭も用立てる、と最大限の好意を見せた。
「護衛から聞いたのですが、なんでも、無詠唱で魔法をお使いになったとか。その御年ですばらしい腕前ですな」
おおげさなまでにべた褒めした男爵は、思い出したように言葉を付け足した。
「おぉ、そうだ。我が家には昔から一冊の魔導書が伝わっているのだが、貴殿なら読み解けるかもしれない。どうです、少し見ていきませんか。我が家の蔵書はちょっとしたものなのですよ」
「魔導書ですか。それは、ぜひ」
男は、とにかくこの世界に関する知識が足りていないことを自覚していたから、少しでも知識を得られるならとすぐに同意する。
「おぉ、嬉しいことを言ってくださる。これは少し長くなりそうだな。キサラ、先に休んでいてかまわないよ」
「はい。……ですが、その方は恩人なのですから、ほどほどになさってくださいませ?」
目くばせした令嬢に、男爵は苦笑した。男は男爵に促されて、図書室に向かった。
男は、もっと違和感を持つべきだったかもしれない。何もかもがラノベのごとくうまく進むこと、料理が男の口にあうことなどに。
「はぁあ、お仕事終わり!」
令嬢は割りあてられた部屋に戻ると、靴を脱ぎ捨てソファにどかりと座りこんだ。
「はい、おつかれ」
部屋で待っていた護衛から軽くねぎらわれて、令嬢は逆に尋ねた。
「あなた、腕は大丈夫?」
「たいしたことないよ」
「こっち来て」
令嬢は、護衛の利き腕に手をかざした。白く淡い光が傷口を包んで、そしてあっというまに傷口は消えた。すっかり元どおりの皮膚になる。
「いつもながらお見事」
「このお仕事は変なスキルばっかり伸びるのよねぇ」
令嬢は半ばためいきまじりにぼやいた。
「【探知】に【治癒】に【擬態】、盗賊のスキル構成にしても僧侶のスキル構成にしても半端よねぇ」
そこに第三者の声が割りこんできた。窓からするりとすべりこんだ影がある。
「向いているんですから、いいじゃないですか。お嬢様には天職ですよ」
「早かったわね、おかえりなさい」
そこには馭者の格好をしたスケルトンが立っていた。
スケルトンはえっへん、とでも言いそうな様子で自信たっぷりに胸を反らした。
「ところで、二人とも?どうです?今日もなかなかの演技だったでしょう、僕」
「そうだな、馬車の下敷きになったってのに流血がなかったこと以外は完璧だった」
護衛の評価は、スケルトンを満足させるものではなかったらしい。スケルトンは不服を申し立てた。
「もっと評価してくれてもいいんですよ?だいたい、僕はただ【擬態】スキルがあるってだけの、しがないアンデッド。流血したくてもできないんですから。死ぬことは得意ですけど、僕、血なんて一滴も流れてないんですよ?」
「だったら魔獣の血でもなんでも、仕込んでおけばいいだろう」
「駄目ですよ。馭者の服は鎧と違うんですから、魔獣の血のしみ抜きなんて、すっごく大変ですよ?」
「それはなー」
「でしょ?」
二人が、しみ抜きについて話しはじめたのを横目に、令嬢はさっさとドレスを脱いだ。動きやすいワンピースとブーツに着替え、令嬢は二人に宣言した。
「さあ、二人とも駄弁ってないで準備して。次の仕事が待ってるわ」
「え、もうですか。僕さっき生き返ったばっかりなんですけど」
「生き返ったって言ったって、お前はもともと死んでるだろう」
まぜっかえす護衛に、令嬢は笑った。
「対魔王戦の最前線に行きたくないなら、おとなしく次の仕事にかかるほうが賢明よ」
「男爵への報告はどうなってます?」
「おれのほうでさっき済ませておいた。転生者の誘導方法も伝達済み」
護衛は仕事が早い。抜かりないですねえ、と感嘆するスケルトン。
令嬢はきびきびと後片付けしながら、疑惑の種になりそうなものを残していないか、丹念に部屋を確認した。髪の毛一本、残していくわけにはいかないのだ。
髪の毛といえば、と令嬢がいう。
「今回の受刑者は気の毒だったわね。髪の毛一本すら残らなくて」
「令嬢を襲撃して生き残れば無罪放免。そういう条件で本人たちが了承した結果だから、しかたないね」
「僕だったら、絶対、鉱山での強制労働を選びますけどね」
「奴らはもともと盗賊行為で捕まってた人間だから、襲撃に自信はあったんだろう。おれもまさか今回の転生者が、こんなに容赦ないとは想像してなかったよ」
「そうねぇ。前回の転生者は手足の先っぽくらいは残ったもの。今回の人たちは運がなかったわ」
肩をすくめた令嬢に、護衛は部屋に忘れ物がないか確認しながら問うた。
「次はどこだ?」
「西の辺境伯領」
「うわ、国の反対側じゃないですか」
遠いなぁと愚痴るスケルトンに、
「どうせお前は死んでるんだから疲れないだろう」
「しかたないでしょ、わたし、時空の揺らぎは【探知】できるけど、揺らぎが生まれる場所をコントロールはできないのよ」
護衛が突っ込み、令嬢は言い訳した。
三人はいつも一緒に仕事していた。
令嬢が時空の揺らぎを【探知】して、そこへ転生者が現れる前にスタンバイする。
転生者にチートを確信させ、自ら魔王との戦いに身を投じるように、盗賊に襲われる令嬢と傷ついた護衛、すでに息絶えた馭者という、華々しいオープニングを演出する。
そういう仕事を。
状況により数十パターンの演出は用意してあるが、おおむね、印象的なオープニングストーリーに仕立ててある。盗賊役に抜擢されるのはもっぱら各領地で捕らえられている重罪人たちで、公開処刑や強制労働、貴族令嬢襲撃など複数の選択肢から、自ら襲撃を選んだ者である。
ちなみに、今まで無罪放免かなった罪人は一人もいない。
「もう忘れ物はない?ティッシュとハンカチは持った?」
「ティッシュもハンカチも元々持ってない」
「僕も」
仕事仲間二人の衛生概念を問いただすのは移動中にしようと決めて、令嬢は真っ先に窓から庭へ飛び出した。護衛とスケルトンがあとに続く。
男爵家領都の裏路地、目立たないように待っていた馬車に乗りこんで、三人は男爵領を後にした。
馬車の中で【擬態】を解除し、本来の黒髪黒目に戻った令嬢に、スケルトンが問いかける。
「お嬢様も転生者でしょう?お嬢様は、最前線で活躍しようとか思わなかったんですか?」
「わたし、英雄願望なんてないもの」
この王国にはとかく、転生者が落ちてくる。今回は金髪碧眼の令嬢に【擬態】していたが、彼女ももともと転生者だった。しかし、平凡な女子大生だった彼女が、戦場に行きたいわけがない。
べつにこういう仕事を望んでいたわけでもなかったが、【チュートリアル担当】に不満があるわけでもなかった。たとえ【チュートリアル】でも、不自然に村の入り口に突っ立って、「ここは〇〇の村です」なんて機械的にくりかえすよりは退屈しない分、ずっといい。
三人がオープニングを飾ることで、転生者はラノベのごとき展開にすんなり世界に馴染めるし、戸惑い混乱して問題を起こす転生者をぐっと減らすことができる。王国は犯罪者の処罰に頭を悩ますことなく、そして対魔王戦の最前線に有能かつ強力な戦力を得られるために、戦費や兵員の損耗を抑えることができる。
令嬢も、そして最前線に出たくない護衛とスケルトンも、この仕事をすることで報酬を得られる。
誰にとっても損がないのだから、こういうものなんだろうと、令嬢はぼんやり考えていた。
「今回の報酬も前回と同じでしょうか?」
王国に利益をもたらし、かわりに協力をあおぐために当然でもあるが、三人の仕事は王家公認である。報酬は王家から出る。
「今回も犯罪者の逃亡は許さなかったし、転生者は有望だったし、前回と同じ金貨百枚くらいはもらえるんじゃない?」
「良かった。そろそろ新しい剣が欲しいと思ってたんだ」
「僕、次こそは魔獣の血を使って、そのまま馭者服を買い替えようかなあ」
好き勝手に金貨の使い道を考える二人を眺め、令嬢もふと考える。
「じゃあわたしは……絹を買おうかな」
「ドレスでも新調するんですか?」
令嬢は首を振って否定した。
「裂いてみるのよ。わたし、いつも絹を裂くような悲鳴をあげているけど、実際裂いてみたことはないから、どんな音か知らないのよね……」
お読みいただきありがとうございます。