第74話「ダメだよ、朝はしっかり食べないと」
___パリから帰ってきたら、イベントが進行していた。
「・・・というわけで、バスケ部でマネージャーをやる事になったんだ、紅茶研にはあまり顔を出せなくなる・・・と思う」
「というわけでって・・・」
このチート庶民が連休中に何かしら攻略を進めてくるだろう事は、ある程度予想出来ていた。
予想出来ていたんだけど・・・
葵ちゃんから告げられた内容・・・それは攻略対象の1人、九谷要が試合中に倒れるというもの。
本来であればもう少し後・・・練習試合ではなく、公式戦の最中だったはずだ。
そのイベントによって葵ちゃんはバスケ部を手伝う形になるが、最初に選んだ部活動から変更される事はない・・・まぁこの辺はゲームシステム上の都合なんだろうけど。
イベント時期が少し早まっている・・・それだけ葵ちゃんが要さまの攻略を進めていたという事なのか。
要さまに関してはこちらもノーマークでいたからなぁ・・・攻略対象1人に集中していたらそんなものなのかも知れない。
逆に考えると、葵ちゃんは他の攻略対象の好感度は稼げていない・・・私達からすればこれは朗報か。
「せっかく正式な部になったばかりなのにごめん、どうしても今の要くんを放っておけなくて・・・」
懇願する葵ちゃんはとても真剣な表情で・・・これはどこまでイベントが進んでるんだろう?
もう要さまの病気の事を知っているのかな・・・あんまり早く解決されても困るんだけど・・・
「それは仕方ないわね・・・紅茶研の方は心配いらないわ」
「二階堂さん・・・」
「ええ、私達がいれば紅茶研は安泰ですもの!宿敵さんはそのままバスケに青春を捧げると良いですぅ」
「や、葵ちゃんがバスケ選手やるわけじゃないからね・・・」
実際の所、紅茶研は礼司さまと綾乃様がいれば大丈夫だと思うけど・・・恵理子さん達新入部員にあれこれ教えるとなるとちょっと手が足りないかも・・・霧人くんに続いてライトとレフトもそろそろ入部試験を突破するらしいし。
『部の実績』としてのお茶会の開催までには誰か戦力になってほしい所・・・その有力候補である恵理子さんは、しっしっと葵ちゃんを追い出すようなしぐさをしていた。
「本当にごめんね、お茶会をやる時には手伝えるようにするから・・・」
「無理はしなくていいよ、1人抜けたくらいで支障をきたすような部活動ではいけないからね・・・それより僕は九谷君の方が心配だ、しっかりついてあげてて欲しい」
「うん・・・本人は大丈夫って言って聞かないんだけど」
そう言って沈んだ表情を浮かべた葵ちゃんを見てなんとなく察した。
まだ病気の事を打ち明けて貰ってはいないけど、勘付いたあたりか。
じゃあそれとなく・・・
「要さまは強がって無理するタイプだからね、本人が大丈夫って言ってても気を付けた方が良いと思う」
「そう・・・だよね」
「休むのも仕事のうちってね・・・肝心の試合で倒れないように葵ちゃんがしっかり管理するんだよ?」
「うん・・・でもなんか右子ちゃんって・・・」
「あ、葵ちゃんもだよ!ブラックなアルバイトとかやってそうだけど無理しないように!」
「ブラックなアルバイトって・・・まぁそんな所もあったような・・・」
おっと喋り過ぎたか。
葵ちゃんが物言いたげな目で見てくるけど、なんとか誤魔化してやり過ごす。
ゲーム中で出来るバイトの中には、ガテン系とかもあったけど・・・あの様子だとやってたりするのかな。
「アルバイトと言えば、私も綾乃様のお屋敷で働いてみたいです」
「うーん、恵理子さんにはまだ早いかなぁ」
「そんなー」
「まずは紅茶研で一人前になってからね、そしたら考えてあげる」
もちろん私にそんな権限なんてないけど・・・これで恵理子さんはやる気を出してくれるだろう。
「ふふっ、右子ったら本当にメイド長みたい」
「ふぇっ?!」
綾乃様が楽しげに茶化してくる。
や・・・あの千場須さんを知ってると、とても本物のメイド長にはなれる気がしないんだけど。
それまでおとなしく様子を伺っていた楓さんも話に加わってきた。
「そう言えば右子さん・・・クラスの何人かにメイド長って呼ばれてますよね」
「や、それは姫祭のメイド喫茶の話で・・・」
「私も右子さんの下でならメイドをやっても良いかも・・・」
「楓さん?!」
「む・・・うちのメイド長はずいぶん人望があるみたいね」
「綾乃様・・・何か機嫌損ねました?」
「いいえ、優秀なメイド長がいて誇らしい限りだわ」
でもこころなしか悪役顔になってるような・・・気のせいだと良いけど。
軽く話が脱線しつつも、葵ちゃんはしばらくバスケ部に専念する事は誰も文句なく・・・
要さまに無理をさせないように、という私の忠告も葵ちゃんはしっかりと聞いてくれたようで・・・
___姫ヶ藤学園バスケ部は念願の県大会優勝を果たしたのだった。
・・・
・・・しかしそれが葵ちゃんに想定の2倍もの票数をもたらすとは、その頃の私は夢にも思わなかったのである。
「来週の練習試合の件、ありがとうございます」
「いえいえ、北六郷先生もお忙しい中わざわざご足労いただいてしまって・・・」
練習試合の話は予めメールで話が付いているものの・・・
朝早くから菓子折りを持参して挨拶に来た猛を、姫ヶ藤バスケ部顧問は暖かく迎え入れた。
「うちもこういった校風ですから、なかなか練習試合も組みにくくて・・・今回話を頂けたのは有り難く思っています」
しかしそれは本当に歓迎されているのか、事前に理事会から話が通っているからなのかは猛には判断が付かない。
ただ少なくとも他所の高校にいた教員と違って、底辺校だからと見下すような素振りは見せていない。
その点では信用しても良いような気がした。
「いち教師として、この学園にも興味がありましたので、良い機会なので見学をお願いしても?」
「もちろんですとも、どうぞご自由に見て行ってください」
その申し出に笑顔で答えるも、少しだけこの教員の雰囲気が硬くなったのを猛は肌で感じた。
対戦相手として、偵察に対する警戒心は持ち合わせているようだ。
「いや、本当にこの学園には興味があるんですよ、生徒達も学業に向上心があると言うか・・・見習いたいものが多いです」
「ああ、なるほど・・・」
「その点ではうちは本当に苦労が絶えなくて・・・学生の本分なので何とかしたいんですけどね」
偵察ではなく、いち教師として学業の方で参考にしたいという意志を伝える。
『Monumental Princess』候補の選定の為には、バスケ部とは関係のない場所にも足を踏み入れる事になるだろう。
その時の為に、前もって伝えておく必要があるのだ。
「確かにうちは最先端、とまではわかりませんが・・・教育にもかなり力を入れていますからね、ぜひ参考にしていってください」
「ありがとうございます」
深々と頭を下げる・・・これで怪しまれる事もないだろう。
もちろん、名門校の指導内容からは学べる事が多いはず・・・将来の為にも可能な限り参考にするつもりだ。
職員室を後にしようとしたところで、猛は隅の方に見知った人物がいるのに気付いた。
向こうは既に気付いていたようで、目が合うと同時に猛の方へ近づいてくる。
「外部用の職員証と姫・・・の資料です、長めに期間を取っていますのでその間はご自由に・・・目立つ行動は控えて頂きたいですが」
「わかっている、西の小娘じゃあるまいし俺も問題を起こしたくはないさ」
あくまで事務的な態度の静香から職員証と資料を受け取ると、猛は今度こそ職員室を後にした。
静香によって用意された資料には3名の候補者についてよく纏められており、これ以上調べる必要もないかのようにも思えた。
(先程はああ言ったものの・・・相手チームが眼中にない、というのも失礼か・・・)
もちろん純粋に姫ヶ藤バスケ部は警戒すべき強敵だ、偵察する価値はある。
不義理にならないように最小限に・・・朝練程度なら問題ないだろう。
そう思って体育館の方へへと足を運んだ猛だったが、ふとその足が止まる・・・資料の人物を目撃したからだ。
「要くん、今日も朝ごはん食べてないでしょ?」
「そんな時間なんてないし・・・別にいいだろ」
一年葵・・・庶民出身で入学からずっとトップクラスの成績を維持。
それだけではない何かを持っているとの事だが・・・葵と一緒にいる人物にもすぐ気付いた。
(九谷要・・・試合中に倒れたという話だったが、思ったよりも元気そうだ)
「ダメだよ、朝はしっかり食べないと・・・はい、これ食べて」
「いやそれはさすがに恥ずか・・・ってカロリーバーかよ」
「これには必要な栄養がしっかり入ってるからね、あと牛乳」
「うぇ・・・牛乳苦手なんだけどな」
かいがいしく世話を焼く葵・・・その姿は恋人のように見えるが、資料にはそんな記述はない。
堅物の静香は恋愛事情には疎いのだろう・・・猛も他人の事は言えないのだが。
2人をこれ以上見ているのも野暮かと思ったが・・・どうも様子が違うようだ。
「食べてすぐ動いちゃダメだよ、5分計るからおとなしく待ってて」
「まじか・・・」
きっちり5分後、ウォーミングアップを始めた九谷だが、再び葵が口を挟んできた。
「はい、腕立て伏せは30回まで」
「まだ全然いけるし・・・」
「無理しないの!また試合中に倒れたいの!」
「く・・・走ってくる」
「走り込みもラップタイム計ってるからね、ちゃんとペース守って」
微笑ましい恋人達のやり取り、ではなかった・・・それは管理と呼ぶのが相応しい。
葵による徹底的な管理体制の元、九谷要の朝練は過不足なく進行していく。
もっぱらやる気を出し過ぎる要を抑えるように、決められたメニュー通りの内容を・・・おそらくそのメニューもまた葵が用意したものなのだろう。
(あれが一年葵、優秀な成績だと聞いてはいたが・・・)
さながらプロスポーツ選手のコーチのように計算し尽くされた練習メニュー。
はたして自分にも同じような事が出来るだろうか・・・猛は首を振った。
とても真似出来るものではない・・・選手の今の状態をしっかりと理解していなければ、こんな事は・・・
そして猛はこの成果を知ることになる。
姫ヶ藤学園との練習試合___その結果というはっきりとした形で。
「誰だよ、九谷が出てこないとか言ったやつは!」
「それも後半戦だけの出場とか、舐めやがって・・・」
十和田が悔しそうに顔を歪める。
打倒九谷の為に過酷な練習を重ねてきた彼だ、もちろん後半戦は徹底的に九谷をマークしていたのだが・・・
ここぞというタイミングで前半の疲労が祟ってしまった。
対して九谷は体力充分、彼1人に後半で8点もの得点を許す結果になってしまった。
「俺の判断ミスだ・・・わりぃ・・・」
キャプテンの十文字がそう言うが、彼が良くやっていた事は誰の目に明らかだった。
十文字は最高のプレーが出来ていた・・・だが相手方の選手達もまた最高のプレーでぶつかってきていた。
相手が1枚上だった・・・今回はそう思うしかない。
「お前達、この悔しさを忘れるな・・・県大会では勝てるように」
「「はいっ!!」」
チームメンバー達が帰り支度をする合間に、猛は姫ヶ藤の顧問に挨拶に向かった。
残念ながら敗北したものの、得るもののある良い試合だった。
県大会のトーナメントでは別のブロック・・・次は必ず決勝で、そう伝えたい。
そして猛は目にしてしまった・・・あの九谷要が決して無事ではなかった事実に。
「はぁ・・・はぁ・・・かはっ・・・」
苦しそうに切れ切れになる呼吸をする九谷に肩を貸して支えるように歩く葵。
試合中に怪我をするような場面はなかった。
そして試合後の疲労にしては随分と時間が経っている・・・明らかに異常な光景だ。
「要くん、大丈夫?」
「ああ、なんとかな・・・お前のおかげだ」
「要くん、私に隠れてこっそり練習してたでしょ・・・その分だよ」
「そう・・・だな・・・悪かった」
その言葉を聞いた瞬間、猛の中で点と点が繋がった。
あの徹底的に管理された練習内容・・・決して無理をさせないペース配分。
それらは全て九谷の体調に合わせたもの・・・おそらく九谷の身体は・・・
(完敗だ・・・)
猛は完全に計り違えていた・・・自分達が負けた本当の相手を。
・・・一年葵。
この日、猛はその名を心に深く刻み付ける事になった。
バスケ部の顧問として・・・そして『Monumental Princess』の選定者として。




