第73話「お前も一緒に来てくれないか?」
『姫ヶ藤学園のエース、九谷要が倒れたらしい。』
偵察に来ていた同県のバスケ部員達によって、この話は各校へと広まった。
北六郷猛が顧問を務める県立棚塚工業高校・・・通称棚高のバスケ部もその中の1つだった。
「マジかよ、じゃあ今度の県大会に九谷出てこねーのか」
「そこまではわかんないスけど・・・見た感じはやばそうでしたね、完全に意識失ってましたし」
「これ良い流れ来てんじゃね?優勝候補が勝手に潰れてくれて俺ら棚ぼた?みたいな」
男子生徒達がユニフォームに着替えながら言葉を交わしていた。
会話の中にチェーンやリングといったアクセサリ類のジャラジャラとした音が混ざる。
いささか個性的なファッションの生徒がいるようだ。
(あれも本来は校則で禁止されているんだがな・・・)
教師として彼らに注意すべきと思いながら、猛は目をつぶった。
制服の着崩しはもちろん、アクセサリー類の持ち込み、派手な髪色と校則違反を数え上げたらキリがない。
猛も赴任当時はいちいち注意したものだが、本当にキリがなく・・・彼らは何度注意しても聞かないのだ。
それはさしずめ砂漠で水を撒くようなもの・・・そんな無駄な事に時間を割いていられる程教員の仕事は暇ではなかった。
所謂底辺高校である棚高は県から与えられる予算も少なく、現場の教員が対処する仕事が多い。
1人しかいない事務員からは有り余る事務の仕事が回されてくるし、PTAからの苦情・・・もとい、『ありがたいご意見』への対応も彼らの仕事だ・・・底辺高校ともなると難癖のようなクレームも多く、なかなか手を焼かされる事が多かった。
そして部活動の顧問も高負担業務の代表格・・・しかし猛はこの業務に関しては嫌いではなかった。
古い時代の熱血教師に憧れて教員の道を選んだ彼にとって、運動部というのはそれに近いやりがいを与えてくれたのだ。
また普段は不真面目な生徒達も、好きなスポーツとなると真剣に取り組んで・・・日々成長していく姿を彼に見せてくれていたのも大きい。
「お前らあまり油断するなよ、姫ヶ藤には六道がいるし、控えのレベルも高い」
「わかってますって、六道や万田には去年の恨みがありますからね」
キャプテンの十文字などはその筆頭格だ。
入学当初はただの不良生徒でしかなかった彼が、今ではチームを纏めるキャプテンとして、責任感を持つに至っている。
選手としても悪くない、この3年で大きく成長した身長は万田にこそ及ばないが、充分に優位を取れる高さと言えた。
「別に今年の俺達なら九谷がいても負ける気しねーけどなぁ、キャップもタケセンも心配し過ぎだって」
2年の十和田は黄色と赤の2色の髪を編み込んだ派手な髪形が印象的だ。
なんでも海外の有名選手を真似したものらしいが、色は彼のオリジナルだとか。
同学年の九谷をライバル視しているようで、今回の情報に唯一残念そうな顔を見せていた。
「まぁ姫ヶ藤とは練習試合を組んであるから、実際にやってみればはっきりするだろう」
「?!」
「マジかよ!タケセンやるじゃん!」
何気なく放った猛の一言に部員達が色めき立った。
それも当然だ、名門の姫ヶ藤は本来ならば底辺高校が練習試合を組めるような相手ではない。
だが今回は特別・・・例の『Monumental Princess』絡みで姫ヶ藤学園に乗り込む口実として取り付けたのだ。
「ちょっとした伝手があってな・・・俺も今年は本気だということだ、視野に入れているぞ・・・全国を」
「・・・!」
全国・・・これまで興味なさそうに聞いていた1年生が初めて反応を示した。
中学大会で県のトップになったチームのエース、十条健司。
引く手も多かったであろう彼が、なぜかこの棚高に進学して来ているのだ。
この即戦力の大型新人はチーム力を大きく底上げした。
彼自身の力はもちろんだが、触発される形でチーム全員の成長も促された・・・全国を意識出来る程に。
「もしも九谷が出てこないなら、こちらも戦力を隠した方が良いんだろう、が・・・」
所詮は練習試合・・・みすみす大会前にこちらの情報を与える事はない、だが。
チームメンバーを見回し猛は思う・・・そんな頭脳戦が出来るような面子ではないと。
「出し惜しみはなしだ、全力で勝ちにいくぞ」
「「しゃああっ!!」」
獣のように雄たけびを上げる選手達。
おそらく来年度の猛はこの相手側になっているだろうが・・・
今だけはその事を考えないようにしていた。
藤野沢総合病院にて______
「はい、今病院に着きました・・・要くんは運ばれて行って・・・わかりません」
救急車は総合病院に到着すると、今だ意識の戻らない九谷要は救急隊員によって担架に乗せられ運ばれていった。
付き添いで救急車に乗っていた葵はロビーの方に通され、しばらく待つように言われたきりだ。
とりあえず電話でバスケ部の顧問へと連絡を入れ現状を伝えるが、要の容体に関しては何もわからず何も答えられなかった。
「・・・」
電話を終えた葵がロビーの隅の方で所在なさげに佇んでいると、様々な人の話し声が聞こえてくる。
午後の病院はなかなか混みあっており、ロビーにも多くの人で賑わっているのだ。
・・・病院という場所柄あまり賑わうのも良くないのだが・・・別段気にする者もなく、これが普段通りの姿なのだろう。
周囲を見回していると、地図付きの案内板が設置されているのを見つけた。
県の総合病院だけあってかなり大きな建物だ、おそらく姫ヶ藤の校舎より大きい。
九谷要が運ばれて行った辺りを目測で探すと、立ち入りが制限されている区画だった。
集中治療室等、物々しい名前の部屋もあり・・・思わず不安を覚えずにはいられない。
ロビーでしばらく待ったが何の知らせもなく。
退屈に流れる時間は不吉な想像ばかりを煽る。
(やっぱり病院は苦手だな・・・)
葵の母が亡くなったのもこの病院だ。
何年も経つので変わった所も多いが、覚えている事も多い。
特に母の居た病室には何度も通った、忘れようがない。
気付くと無意識に足がその病室の方に向かっていた。
薄い桃色をした廊下の壁紙は当時と変わっていなかった。
窓から見える中庭の藤棚も当時と変わらず・・・今は季節ではないが、春には綺麗な花を咲かせる事を知っている。
(そうだ、お母さんと一緒にここで見たんだ)
決して鮮やかとは言えない、落ち着いた藤の色。
しかし、あの藤棚を埋め尽くす光景はとても幻想的で美しく・・・そこに佇む母の姿も・・・
だがそんな過去の思い出は、不意に聞こえた声によって現実に引き戻された。
「動かないでください・・・安静に・・・」
「でも試合が・・・俺が行かないと!」
「そんなのとっくに終わってますから!・・・先生、はやく・・・」
病室の中から聞こえてきたその声には聞き覚えがあった。
「要くん?!」
とっさに病室の扉に手が掛かる。
個室タイプのその病室に鍵は掛かっておらず、音もなくするすると扉が開いた。
「葵?!お前、どうして・・・」
「付き添いの子ね、お願い彼を止めるの手伝って」
病室に入った葵の目に飛び込んできたのは、ベッドから立ち上がり外へ出ようとする要の姿。
看護師が必死にそれを止めようとしているようだが、運動部の高校生相手では分が悪いようで・・・
今にも振り払われそうだった。
「ダメだよ要くん!ベッドに戻って!」
「いや、でも・・・」
「もう先生には連絡してあるよ、試合もあのまま勝ったって・・・」
「・・・そうか」
その言葉を聞いて、要はようやく落ち着きを戻したようだ。
病室のベッドに腰を下ろし、大きく息を吐く。
「・・・」
「もう、あんな倒れ方したから心配したんだからね」
「悪い・・・」
「チームの皆もだよ・・・まぁ元気そうだから良かったけど」
「ああ、皆にも心配ないって伝えてくれ」
「はぁ・・・後で自分でも言うんだよ?」
「・・・わかったよ」
ほっとひと息ついて葵は表情を和らげた。
今の彼の様子を見る限り、たいした事はなさそうだ。
「じゃあ先生に電話してくるから、おとなしくしててね」
そう言い残して病室を後にした葵と入れ替わるようにして、老医師が病室に入って行く。
さっきの騒ぎのせいで少々慌てているようだが、あの様子なら大丈夫だろう。
顧問に要の無事を告げると、電話口の向こうからうっすらと部員達の声が聞こえてきた。
(・・・やっぱり皆心配してくれてたんだ)
中にはスタメン争いに負けると悔しがるような声も混ざっていた気がするが・・・
それも彼が無事とわかったからこそ言える悪態だろう。
九谷要という選手が仲間達に慕われている事がよくわかる反応だった。
電話を終えて葵は再び病室へと戻る。
病室を出る時にちゃんと閉めれてなかったようで、扉の隙間から室内の明かりが漏れ出していた。
そして老医師と要の話し声もうっすらと漏れ聞こえてくる。
「まったく・・・あんな可愛い彼女にも心配をかけて」
「べ、別に彼女ってわけじゃ・・・」
「そうなのかね?でも良い子じゃないか、あんなに親身になってくれて・・・」
「まぁ・・・あいつには助けられる事が多くて・・・俺も負けてられないというか、恰好悪い所は見せたくないというか」
「うむうむ、あの子が好きなのだね」
「ちょ・・・いやまぁ・・・そ、そうとも・・・いう」
きっとそれは本人を前にしては言えない言葉なんだろう。
甘酸っぱい若者の告白に老医師は笑みを零した。
しかしすぐにその顔は真面目なものに変わる、医師としての顔に。
「ふふっ・・・なら尚更、無理はしないでもらいたいものだがね」
一瞬にして重くなった空気に気圧されたように、葵の手に少し力が入った。
病室の扉はわずかな力でもするすると開いて・・・
「それは・・・って葵?!いつからそこに・・・」
「つ、ついさっき・・・ごめん」
立ち聞きされて気まずい表情を浮かべる要。
立ち聞きがバレて気まずい表情を浮かべる葵。
頬を赤く染める2人を前に、邪魔者は退散とばかりに医師達は病室を出て行った。
「か、要くん・・・」
「身体の事なら大丈夫だって!俺、元気だけが取り柄みたいなもんだしさ!」
「そ、そうだね・・・」
気まずさを振り払うように、要は力こぶを作って元気だとアピールする。
葵は顔を赤くしたまま、小さく頷く。
「すぐ練習にも復帰出来るってさ」
「そ、そうなんだ・・・」
「俺、最近は手応えみたいなのを感じてて・・・試合中にさ、皆が次どう動くかとか読んで合わせられるような・・・」
「そうなんだ」
「だから・・・今年は行ける気がするんだ、皆で全国に」
「・・・そうなんだ」
「それで、葵・・・お前も一緒に来てくれないか?」
「うん、一緒に行くよ・・・要くんと一緒に」
そう答えながら葵は要の手をしっかりと握った。
強く・・・胸の奥に沸いた不安を打ち消すように・・・強く。
(君もいい加減自重してくれないかね、このままでは選手生命どころではないぞ?)
直前に漏れ聞こえていた、老医師の放ったその言葉が・・・
葵の心の端に張り付いて離れないのだった。




