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第70話「来たんですね、フランスに」


「全ての道はローマに通ず・・・」


たしかローマ帝国は道路建設に力を入れていた、的な話だったと思う。

大きなロータリーから放射状に広がる道路を眼下に見ながら、私・・・三本木右子は漠然とその言葉を思い出していた。


「・・・ナポレオンかしら?」

「!!や、これはただなんとなくと言うか、その・・・えーと」


どうやら声に出して呟いていたらしい。

耳聡く聞きつけた綾乃様は何か歴史的な話題だと思ったっぽいけど、それに返せる言葉など思い浮かぶわけもなく・・・

しどろもどろになる私を、まるで助けるかのようなタイミングで強風が吹きつけた。


「きゃっ!」


同時に左の手が強く握られるのを感じた。

強風にたなびく長い髪が、私の視界を金色の染めあげる・・・その金髪は、眼下の風景にとてもよく似合った。


「綾乃様、大丈夫ですか?」

「さすがに風が強いと・・・少し怖いわ」


綾乃様はそう言いながらも、私の左手はぎゅっと握られたまま・・・おそらく反対側に立つ左子の手も同じだろう。

高所恐怖症の綾乃様にとっては、この高さもなかなか堪えるようだ。


「戦争から帰ってきた兵士達を出迎えるための大きな門・・・ローマ時代の文化を再現したものらしいわね」

「?」


一瞬、綾乃様の言葉の意味を計りかねたけど・・・どうやらさっきの言葉の続きのようだ。

たぶん私が言った『すべての道はローマに通ず』に対しての綾乃様なりの解釈・・・私はそこまで考えてないんだけど。

綾乃様の背後に見える街並みは、そんな時代を感じるにはちょっと現代的で・・・でも大きくそびえる尖塔がここがどこかをはっきりと主張していた。


私達が今立っているのは、高名な凱旋門の屋上。

そして当然ここは日本ではなく・・・


「来たんですね、フランスに」

「ええ」


海を越えて、大陸も越えて。

私達は今・・・フランスの首都、パリに来ています。

なんでこんな場所にいるのかと言うと・・・


「お姉さまっ!」

「ひぃっ!」


比瑪乃にいきなり背後から飛びつかれ、綾乃様からガチめの悲鳴が上がった。

この凱旋門は高さ約50m、外観を損ねるからか落下防止用の柵は設置されていない。

・・・高所恐怖症の綾乃様からしたら血の凍るような恐怖だったのだろう。


「ひ、比瑪乃さん・・・脅かさないで・・・」

「ごめんなさーい、でもせっかくここまで来たんですから、もっと前で景色を見ましょう」

「え、ちょっと・・・」


そう言いながら比瑪乃は、綾乃様に抱き着いた姿勢のまま後ろに引っ張っていく。


「ほらお姉さま、ここからならエッフェル塔がよく見えますよ」

「そ、そうね・・・」


比瑪乃が楽しそうにエッフェル塔を指さし微笑む。

しかしすっかり怯えてしまった綾乃様は声が震えて・・・きつく握ったままの手から震えが伝わってきた。


「比瑪乃さん、あまり端の方に行っては危険です」


・・・特に綾乃様の精神が。

しかし比瑪乃には私の忠告なんて聞こえていないかのよう。

それどころかもっとギリギリまで綾乃様を引っ張っていく。


「お姉さま、お付きの2人が怖がってるみたいなので、手を放して差し上げましょう?」


ぶるぶる・・・綾乃様がこっちを見ながら首を振った。

この手を絶対に放してはいけない・・・言葉で言われなくてもその意志ははっきりわかった。


「比瑪乃さん、どうか意地悪をなさらずに・・・もっと内側に・・・」

「まぁ意地悪ですって、ひどーい、まるで私がお付きの人達をいじめてるみたいじゃない」


や、綾乃様だからね?

貴女が今いじめてるの綾乃様だからね?!

あ、綾乃様の顔から血の気が引いて・・・


「まぁお姉さま?!ひょっとして慣れない飛行機でお身体の具合が・・・」

「そ、そうみたい・・・どこかで、休ませてもらえるかしら・・・」

「ではすぐにホテルへ・・・ロイヤルスイートをとってありますから!」


斎京グループのホテルへたどり着いた頃には、綾乃様の顔色もだいぶ良くなっていたけど・・・

今日の予定はキャンセルして、このまま休ませてもらう事にした。


「ふぅ・・・酷い目に遭ったわ」

「お、お疲れ様です・・・」


さすがロイヤルスイートとあって部屋は充分に広い。

内装はやはりパリの高級ホテルなだけあって豪華、大きな天蓋付きのベッドはちょっとした小部屋のよう。

張り出したガラス張りの小部屋にはテーブルとティーセットが備え付けられており・・・さっそく紅茶を淹れようかな。


「綾乃様、紅茶を淹れてきますね」

「ええ、お願い・・・」

「綾乃様・・・お菓子見つけた・・・」

「ありがとう左子、一緒に頂きましょう」


私がティーセットに気付いたように、左子はお菓子を見つけてきたようだ。

こうして紅茶と一緒にお菓子を食べていると、ここがフランスである事を忘れてしまいそうだ。

ああ、そうそう・・・なんで私達がフランスに来ているかと言うと、比瑪乃に誘われたからだ。




___あれは無事に試験を終えて紅茶研の存続が決まった、その翌日の事だった。


静香先生に叱られても比瑪乃は懲りる事無く、相変わらず朝の教室前で待ち伏せていたんだけど・・・


「お姉さま、GWの予定は空いてますか?」

「いえ、特に・・・」

「では、一緒にどこかへ出かけませんか?!」

「え・・・」


そう言われて綾乃様の視線が泳ぐ・・・そう言えば綾乃様が誰かに誘われた事なんてなかったような・・・こっちから誘う事は何度かあったけど。

比瑪乃は純粋に綾乃様を慕って誘ってきているのだろうし、無下にするのも良くない。

欲を言えばGWは攻略対象の誰かを誘いたかったけど・・・比瑪乃なら流也さまの好感度に繋がるか。


「良いんじゃないですか?問題はどこに出かけるかですけど・・・」

「そうね、比瑪乃さんはどちらへ出かけたいのかしら?」

「うーん、そう言われると・・・ランドとかシーは」

「GWはむっちゃ混みますよ」

「そうね・・・出来れば別の所が・・・」


色々と候補を考えた比瑪乃だけど、GWはどこもだいたい混んでいる。

しかし、そこはお金持ちの斎京家・・・その行動範囲は国内に留まらなかった。


「そうだ、フランスに行きましょう!向こうはGWじゃないから国内程混んでないはずです!」

「それは・・・たしかに・・・」

「フランスには何度か行ってますし、飛行機もホテルも斎京グループで用意出来ます!お姉さまには何もご心配もなく・・・」

「そんなに甘えてしまって良いのかしら・・・」

「どうぞ!甘えまくってください!」


おお、頼もしい・・・この辺は流也さまの妹なだけの事はある。

斎京グループはフランスにも展開しているし、きっと現地で不自由する事はないだろう。


「私は小さい頃に行ったことがあるけれど、右子達は海外に行くのは初めてよね、大丈夫?不安な事はない?」

「ええ、特には・・・左子は?」

「ん・・・大丈夫」


海外初心者である私達の心配をする綾乃様だけど、私としては綾乃様の方が心配だ、飛行機大丈夫なのかな・・・

これまでの経験から、閉じられた空間は平気という可能性はあるけど・・・高さが高さだし・・・


「え・・・ちょっとお姉さま?!」

「?・・・何かしら?」

「まさかその2人も連れて行くおつもりですか?」


どうやら比瑪乃は綾乃様だけを誘ったつもりらしい。

憧れの綾乃様と2人きりで・・・きっとデートに誘うようなノリだったんだろう。

それならそれで私達はお留守番でも・・・


「ごめんなさい比瑪乃さん、この2人と一緒でないのなら・・・この話はお断りします」

「使用人なら斎京家からご用意を・・・」


諦めきれずそう言い募ろうとした比瑪乃の動きが固まる。

あ・・・綾乃様?


「ごめんなさい、声が小さかったかしら?」

「ひ・・・」

「もう一度言うわね、この2人と一緒でないのなら・・・」

「は、はい!どうぞお付きの方達もご一緒に!この4人で行きましょう!」

「よかった・・・それで右子、向こうとは時差があるから、飛行機に乗る前に睡眠薬を飲むと良いのよ」

「・・・」



・・・こうして私達はフランスの地に降り立ったのだった。


とは言え、いきなり散々な目に遭ってしまった、というか遭わせてしまったと言うべきか。

この分だと当然エッフェル塔も比瑪乃のスケジュールに入ってそうだから、削って貰った方が良さそうだ。

私は一旦このお茶会状態から離席すると、比瑪乃の部屋に相談に向かった。


コンコン


「比瑪乃さん、ちょっと良いですか?」


・・・返事がない。


コンコン


「比瑪乃さーん」


・・・返事がない。

あれ、部屋を間違え・・・るわけないか、ロイヤルスイートはこの2部屋しかないんだし。

じゃあ外出中かな・・・ドアに耳をくっつけて聞き耳を立てる・・・なんか動いてる気配は感じる。


コンコンコンコン


「比瑪乃さーーーん!いますよねーー!お話があるんですけどーー!」

「うっさい!」


あ、ツインテが出てきた。

やっぱりいたんだ。

なんか機嫌悪そうだから用件は簡潔に、なるべく早く済ませよう。


「比瑪乃さん、今後の予定なんですけど・・・エッフェル塔は外して貰えませんか?」

「は?なんで?」

「や・・・高所恐怖症的な・・・さっきの凱旋門の時点でもうギリギリと言うか、アウトな感じがしましたし・・・」


綾乃様がね、もたないからね・・・


「はぁ?怖いなら下で待ってれば?」

「なら最初から行かない方が良いんじゃないかって話なんですけど・・・」

「あんた何様なの?」

「へ・・・?」


なんか比瑪乃の様子がおかしい。

機嫌が悪そうだとは思ってたけど、それにしては品がないと言うか・・・こんな子だったっけ?

いや確かにゲームでは・・・葵ちゃん相手にはこんな・・・


「付き人風情が、この私になんで意見してるの?」

「あ・・・」


こちらを冷ややかに蔑んで来るその表情は・・・確かにゲームで見たものと同じ。

そうだ、これは『庶民を相手にしている時の』斎京比瑪乃の顔だ。

そして私も庶民の側なわけで・・・


「でも、綾乃様が・・・」

「その綾乃お嬢様にお願いしたら良いんじゃない?あんた達もずいぶん上手く取り入ったみたいだけど」

「え・・・」

「いい?付き人風情が私の邪魔をするなら、斎京家の力で・・・」


ひぇぇ・・・まさか私まで比瑪乃のターゲットになるなんて・・・

この子は綾乃様の味方だと思って油断してた。

決して私の味方なわけではないんだ、むしろ敵と言うべき存在で・・・でも綾乃様の味方でもあって・・・ど、どうすれば・・・


「右子?こんな事で何をしているの?」

「あ、綾乃さ・・・」

「お姉さまっ!」


なかなか戻らない私を心配して探しにきた綾乃様・・・を見るなり比瑪乃は態度一変。

ポニテを揺らして綾乃様に向ける笑顔は、さっきとはまるで別人。


「ごめんなさいお姉さま、この子を責めないであげて・・・私がつい話し込んじゃって」

「え・・・」

「そうなの?右子ったら誰とでも仲良くなるのね」

「そうなの!私達もうすっかり仲良くなっちゃって、ね?み・ぎ・こ・さん」


そう言って綾乃様に向けた比瑪乃の笑顔が、私の側だけ器用に歪む。


かくして私の2度の人生でも初めてとなる海外旅行はトラブルの予感と共に幕を開けたのだった。

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