第69話「紅茶の研究をする部活動ですよね?」
「はぁ・・・」
紅茶研究部と書かれた名簿を手に、南六郷 静香はため息をついた。
二階堂綾乃グレース、一年葵、三本木右子・・・『Monumental Princess』候補者3名の名前がそこに並んでいるのを見た時は何の冗談かと思ったものだ。
彼女の主である六郷玲香が手を回したのではないかと思わず疑ったくらいに・・・実際その内の2名が在籍するクラスを彼女が担当する事になったのは玲香が理事会に掛け合った結果だというから、あり得ない話でもない。
「さっそく部活動を受け持つとは、さすが南六郷先生、仕事がお早い」
「八戸教頭・・・」
教頭の八戸 宗重が張り付けたような笑顔で話し掛けてきた。
彼は理事会によって派遣されてきた静香に権力を感じ取ったらしく、極めて好意的に接して来ている。
明らかに取り入ろうとしているのが見え見えであまり良い気はしないのだが、色々と便宜を図ってくれるのは都合が良かった。
「生徒に頼まれて、その場で引き受けてしまいましたが・・・先に伺いを立てるべきだったでしょうか」
「いやいや、問題ありませんよ、生徒も教師も自主性があって何よりですとも、私も常日頃から・・・」
名門校と言っても実態はこんなものか・・・あるいは名門校だからこその権威への弱さか。
この老人とのやり取りは放っておくと長引きそうだ・・・さすがに辟易してきた静香は席を立った。
「それでは、この部の方に顔を出そうと思います、私はこれで・・・」
「ああはい、よろしくお願いします」
静香は足早に職員室を後にした・・・しかし、その足取りはすぐに重くなる。
候補者が勢揃いした紅茶研とは、いったいどんな場所なのか・・・
部長の四十院礼司に関しても相当な人物であろう事が窺い知れる、油断は出来ないだろう。
「鬼が出るか蛇が出るか・・・果たして・・・すぅ・・・」
部室の前で一度深呼吸をし、彼女は気を引き締めた。
この部室の扉は施錠されているようで、静香は教員用の鍵を取り出して鍵を開けた。
カチャリ、と小さな音を立てて鍵が開く、そして扉を開けた静香を待っていたのは・・・
パーン
「静香先生、紅茶研へようこそ!」
「よ、ようこそ・・・」
クラッカーの音と共に元気よく現れた少女は資料で見覚えがある、一年葵だ。
その隣にいるのは東六郷楓、そしてその2人の後方には他の部員・・・三本木右子の姿も見えた。
「・・・これは・・・いったい・・・」
この状況が飲み込めずにいると、彼女達がひそひそと話すのが聞こえてきた。
「ほら葵ちゃん、やっぱり静香先生にはこういうのはダメだって・・・」
「・・・みたいだね、どうしよう・・・」
「言い出しっぺが責任取って謝れですぅ」
「み、皆で謝った方が・・・」
飾り付けられた部室の壁に『ようこそ静香先生』の文字が大きく書かれているのが目に付いた。
テーブルにはケーキが並べられ、こちらにも『ようこそ静香先生』の文字が・・・
ここでようやく私は、自分が歓迎されているのだと気付いた。
「ええと・・・皆さ」
「「ごめんなさい!!」」
私が何か言う前に、彼女達が一斉に頭を下げた。
「調子に乗り過ぎました、決して悪戯とかじゃないんです!」
「これはですね、部員みんなで静香先生を歓迎しようっていう意図でして・・・」
「わ、私達はその・・・ごめんなさい」
私の機嫌を損ねたと思ったのか、しきりに言い訳を並べる少女達。
かわいそうに、楓さんなどはぶるぶると震えてしまって・・・そんなに私が怖く見えたのだろうか。
いや・・・怖く見えたのだろう、私は相当気を張っていたのを思い出した。
静香はお堅い・・・あの朱里の言い分も一理あったという事か。
「今日からこの部の顧問を務める事になりました、南六郷静香です・・・皆さんずいぶんな歓迎をしてくれましたね」
「ふぇぇ・・・」
すっかり怯え切ってしまった楓さんの手を取ると、その震えが伝わってきた。
・・・本当にこの子には申し訳ない事をした。
その震えを抑えるように握りしめ、私は感謝の気持ちを口にする。
「ありがとう」
「え?」
「歓迎してくれてありがとう・・・皆さん、よろしくお願いします」
「!!」
その瞬間、場の空気が変わったのを感じた。
少女達は満面の笑みを浮かべると、私の手を引いた。
「はい、静香先生はここに座って」
「すぐに紅茶淹れますね、今日はとっておきの茶葉ですよ」
促されるままに席に着く。
せっかくの歓迎会なのだから、今日は素直に歓待を受けよう。
しばらくして、他の部員もやって来た。
部長の四十院礼司・・・それに二階堂綾乃グレース。
「ごめんなさい、遅くなったわ」
「もう先生がいらしているみたいだね、皆失礼はなかったかな?」
「う・・・そ、それは・・・」
部長からの質問に言い淀む三本木右子。
泳いだ視線が1人の生徒・・・一年葵に向かっていた。
「葵さん?!貴女いったい何をしたの?!」
「ごめんってば」
賑やかな時間が過ぎていく。
少しはしゃぎ過ぎな気もするけれど、それだけ私を歓迎してくれているんだろう。
私は少し構え過ぎていた、候補者の彼女達も普通に学生として、学生らしい時間を過ごしているのだ。
カップを手に取ると、深みのある香りが鼻腔をくすぐる・・・紅茶研の名前に恥じる事無く、その紅茶は美味しかった。
・・・そしてその翌日。
2日目にして、私はこの部の認識を改める事になった・・・
「ええと・・・これはどういう事ですか?」
「え・・・」
「どうして・・・昨日のようにお菓子がたくさん並べられているんです?また誰かの歓迎会ですか?」
「いえ・・・今日は別に何も・・・」
「部の活動は?紅茶の研究をする部活動ですよね?」
「ええと・・・その・・・」
当たり前のようにテーブルにお菓子を並べて、談笑していた彼女達を問い詰める。
要領を得ない返答に嫌な予感を覚えた私は、四十院部長に問いただした。
「では・・・美味しい紅茶を淹れて、お菓子と共に頂く・・・活動内容はそれだけ、という事ですか?」
「端的に言うと・・・そうなりますね」
「・・・」
不承不承といった風で彼は私の問いかけに答えた。
四十院流・・・名の知れた茶道を受け継ぐ彼としたら、それだけに見える中にも意味があり、言い分もあるのだろう。
しかし部の顧問として、さすがに認められるような内容ではない。
「やはり部活動としては認められませんか?」
「残念だけど、このままでは厳しいと言わざるを得ないわ」
放課後にダラダラとお菓子を食べるだけの部活動などあってはならない。
ましてや『Monumental Princess』候補者3名が揃っての体たらく・・・玲香様に何と報告すれば良いのか。
こんな事が知られれば3名とも不適格、今年も『該当者なし』になりかねない事態だ・・・私は頭を抱えた。
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「やはり部活動としては認められませんか?」
深刻な顔をして礼司さまが訊ねる。
そんな様子を私達はハラハラと見守る事しか出来なかった。
せっかく部に昇格したばかりだと言うのに、もう存続の危機に立たされてしまうとは・・・
「残念だけど、このままでは厳しいと言わざるを得ないわ」
「・・・少し、時間を頂けませんか?」
「実習生の私にそこまでの権限を期待しない事ね」
そう言うと、静香先生は席を立った。
もう取り付く島もないという事か・・・
そのまま部室を出ようとした所で、先生の足がふと止まった。
「せいぜい明日のこの時間まで・・・それ以上の保証は出来ないわ、考えなさい」
・・・猶予はたったの1日か。
かくして、紅茶研の存続が掛かった緊急会議が始まったのだった。
「静香先生の言う事も正論だ、正式な部ともなると部費も下りるし、それだけ制約もある・・・」
「そうは言っても、たった1日じゃどうにも・・・」
「そうです!無理難題にも程があります!」
恵理子さんが憤慨しているけど、正直1日貰えただけでも御の字だろう。
遊んでるだけみたいな部を認めて部費を出すというのは無理がある。
皆が暗い雰囲気になる中・・・すっと1人の手が上がった。
「ええと、私にはそんなに難しい事のようには思えないのだけど・・・」
「綾乃様?!」
「だって、そうでしょう?」
ごく平然とした顔で綾乃様が告げる。
「実際に静香先生は私達が紅茶の研究をしていると思って顧問を引き受けた・・・その時点では普通に認められる活動だったはず」
「そうだね、紅茶を研究する部活動という点では認められてないわけじゃない」
綾乃様の言葉に礼司さまが続く。
あれ・・・礼司さまも平然としてる、と言うか・・・
「では、紅茶を研究する部活動として、僕達は何をすべきだろうか?」
「紅茶を美味しく入れる方法でしたら、今先輩方に教わっていますけど・・・?」
「うん、そうだね・・・他には思い当たらないかな?」
そう言って礼司さまは私達の方に視線を向けた。
おそらく去年からいる私達に向けて聞いてるんだ・・・たぶん、この1年でやって来た事の中に・・・
それにいち早く気付いたらしい葵ちゃんがあっ、と声を上げた。
「茶葉のブレンド・・・かな、特に礼司さまは凝ってたよね」
ああ、確かに・・・特に家元のお父さん達に振舞ってた日本茶とのブレンドは印象に残って・・・
「あ・・・お茶会!」
私が思いついたままに声を出すと、綾乃様と礼司さまが揃って頷いた。
「淹れ方、ブレンドの研究・・・そしてお茶会という発表の場」
「明文化されていなかっただけで、活動内容として最低限のものは揃っている」
「そうか・・・答えはもうあったんだ」
そうか・・・こうして振り返ると、ちゃんと学んできた事があった。
私達の1年はただ遊んでたわけじゃないんだ。
「あくまで最低限の事だから、静香先生にはもう少し求められるかも知れない」
「そうね・・・もう少しだけ」
そう言って2人が頷き合う・・・それが何なのか察しが付いているみたいだ。
「何にせよ、心配はいらないさ」
「良かったぁ、もうこの場所がない学園生活とか考えらないよ」
礼司さまの言葉に、場の雰囲気が明るくなる。
さすが部長、きっと大丈夫だって気がするよ。
そして翌日。
私達の『部活動』に対して、静香先生が出した結論は・・・
「定期試験をします」
「え・・・」
「紅茶に対する皆さんの理解度、そして日々の研究の進捗を試験という形で定期的に記録する・・・これが部の顧問として私の出す条件です」
「その条件で問題ないと思います、よろしくお願いします」
まるでそれがわかっていたかのように平然と、礼司さまが応えた。
いや昨日の時点でわかっていたのだ・・・やはりというか綾乃様も動じていない。
「もちろん、もしそこで無様な結果が出るようでは・・・また部の存続を考えないといけなくなります」
ひぇぇ・・・静香先生がこっちに鋭い視線を・・・自信がないのを見破られてる?!
「あ、足を引っ張らないように頑張らないと・・・」
「くぅ・・・綾乃様の足を引っ張るくらいなら、いっそ自主退部も・・・」
自信がないのは経験の浅い新入部員達も同じようで・・・って恵理子さん?!
退部とかしなくて良いからね?!
「今年からの部員については難易度を下げるから安心なさい」
その言葉に楓さん達がホッと胸を撫で下ろす。
やっぱり足を引っ張りそうなのは私か・・・がんばらないと。
「静香先生、その試験が行われるのはいつになりますか?」
「もちろん中間試験や期末試験にぶつけるような事はしないわ・・・最初の試験は・・・」
そこは教師、学業をないがしろにはしないようだ。
でもそうなると、空いた期間は限られてくる。
部員達の注目が集まる中・・・静香先生は試験の日程を発表した。
「最初の試験は連休の前・・・4月25日に行います」
まさかの4月・・・もう1週間もない。
たしかに学業には配慮されたけど・・・私には配慮されなかった。
それからしばらく紅茶研の活動が勉強会になったのは言うまでもない。




