第60話「お、おいひいれふあやのさま!」
「流也さま、礼司さま、あけましておめでとうございます」
「「あけましておめでとうございます」・・・ございます」
綾乃様に続く形で左子と一緒に新年の挨拶をする。
流也さま達との面識が薄い他の面々も一瞬の逡巡の後、挨拶を交わしていく。
さすがに人数が多いので同席は難しいと思ったら、店の奥には個室席もあるらしく、そちらへ移動する事になった。
半月型にくり抜かれた窓が印象的な和室だ・・・和服の礼司さまの存在感が一層際立つ。
「こんな場所で出会うなんて奇遇ですね、やっぱりお二人も初詣ですか?」
実は言う程奇遇でもないんだけどね。
ゲームで初詣に訪れる神社は、公式で名言こそしていないものの、背景画像から鶴岡八幡宮だと言われていた。
正月に神社での遭遇イベントが発生するくらいだから、この2人が八幡宮の近くにいるのは容易に想像できた。
「その通り・・・と言いたい所だけど、あの人混みで流也が機嫌を損ねてね」
「ふん、庶民というのは正月から体力を持て余しているようだ」
八幡宮に訪れた2人は、あの人混みの中で葵ちゃんに遭遇したらしい。
あのチート庶民は押し寄せる人の波をものともせず、驚くべき速度でぐんぐん進んで参拝をしていったのだとか。
「声を掛ける間もなくてね・・・流也も追いかけようとしたんだけど」
「流也さまでもあの人混みでは身動きが取れなかったと・・・」
そう言いかけた所で流也さまが不機嫌そうな顔をした。
まぁ葵ちゃんはタイムセールで鍛えられてるからなぁ・・・庶民ならではのスキルということか。
それで不貞腐れた流也さまを連れて、この店に休憩しに来たという事らしい。
「この店は父とも懇意にしていてね・・・ここで一席立てる事もあるんだ」
「おお・・・」
高いお店とは聞いてたけど、四十院流の家元が茶席をする程だったか。
改めて室内を見回すと拡張高い雰囲気がしてくる。
「良いお店だわ・・・とても静かで・・・さっきまでの喧騒が嘘のよう」
「二階堂さんにも気に入って貰えたようで何より・・・流也もそろそろ機嫌を直してくれないか」
「別に俺は・・・」
「失礼します」
流也さまが何かしらの弁明を口にしようとした所で、お店の人が入ってきた。
すっと差し出されたお盆の上には、水色とピンク色・・・二色の和菓子が乗せられており・・・
「これは・・・」
「紫陽花をあしらったお菓子です、ご賞味ください」
二色のお菓子は透き通った半透明のゼリー状、その内側に黄色い餡が包まれているのが透けて見える。
よく見ると緑色の葉っぱのようなものが添えられており、そちらも食べられるようだ。
それらが人数分、お茶も添えられた・・・私達は注文した覚えはないんだけど、流也さま達が頼んでくれたんだろうか。
「い、いただいてしまってよろしいんでしょうか?」
「ふふっ、遠慮なくどうぞ」
「いただきます!」
礼司さまのお許しを得て五味原さんが匙に手を伸ばす。
小さな竹製の匙は先端に向けて鋭角になっており、これで和菓子を切って食べるんだけど・・・五味原さんのその手が止まった。
「五味原さん?どうしたの?」
「あの、その・・・切ってしまうのが勿体なくて・・・」
綾乃様に問われて五味原さんが情けない声を出した。
その気持ちはすごくわかる、崩してしまうのが勿体ないくらい綺麗な和菓子だ。
「本当に綺麗なお菓子・・・紫陽花と言っていたわね」
そう言いながらも綾乃様は和菓子にすっと竹の刃を刺す・・・その所作が美しい。
和菓子は意外と弾力があり、切っても形が崩れる事はなかった。
「うん、おいしい・・・」
じゃあ私も・・・あ、切るのにちょっとコツがいるかも・・・
綾乃様みたいにはすっといかず・・・若干崩れてしまった。
まぁ良いや、大事なのは味だし・・・おお、すっきりした上品な甘さ。
ピンク色はいちご味だね・・・中に入った黄色い餡は栗っぽいけど・・・しっとりと口の中で溶けていく。
「お、おいひいれふあやのさま!」
「五味原さん、食べながら喋らない」
皆が一口味わったのを見計らって、霧人くんが口を開く。
「鎌倉は紫陽花で有名だからな・・・ここから北に・・・」
「・・・おかわり」
皆が一口味わっているうちに食べ終わったのが約1名・・・
左子が遠慮も何もなくお代わりを要求した。
まぁ・・・左子がこの和菓子をすごく気に入ったらしい事はなんとなくわかる。
何か解説をしようとした霧人くんは出鼻を挫かれてしまった。
「この近くにある明月院は紫陽花の名所だな・・・時期になれば一面が青く染まる程の光景が見られる」
「・・・!」
左子のせいでタイミングを逸した霧人くんに代わり、流也さまが紫陽花について語り出した。
「生憎と今は時期ではないが、あそこの庭園は一見の価値があると聞くな」
「ではこの後、皆で見に行くのはどうかしら?」
「それは良いね、もちろん流也も来るだろう?」
「ああ・・・あちらは空いているだろうしな」
綾乃様の提案に異を唱える者もなく、店を出た私達は北へと・・・向かおうとしたその矢先。
霧人くんの足が止まった・・・それに合わせる形でライトとレフトも足を止めた。
「霧人くん?」
「・・・やっぱり僕達はこの辺で」
そう切り出した霧人くんの表情は色がなく・・・
「どこか具合でも悪くなった?」
「いえ・・・別にそう言うのじゃ・・・なんと言うかその・・・ええと」
そう答えた霧人くんは何か言葉を探して口ごもってしまった。
具合が悪いと言うよりは・・・何か言いにくい事情があるような。
でもさっきまでは全然乗り気だったし、鎌倉なら任せろって息まいてたくらいで・・・
・・・その視線が一瞬チラッと流也さまの方を見た。
「あっ・・・」
ひょっとして・・・先程のやり取りが脳裏をよぎった。
会話が断ち切られた所で、すかさず話題を出して名所を紹介した流也さま。
彼がどの程度までこの鎌倉に詳しいのかはわからないけど・・・十分な知見があると霧人くんは察したのだ。
そして・・・
彼がいるなら、自分はいてもいなくても同じ。
何をするにも上位互換の流也さまがいるこの状況・・・
自分の得意分野で私達の役に立てる、と張り切っていた霧人くんにはとても居心地が悪いのだろう。
私にも似たような経験がある。
そう、あれは前世の・・・中学1年の時・・・
漫画が好きな私は休み時間にはよく漫画の真似をして絵を描いていた。
クラスにそういう事をしている子は他になく・・・私は漠然と『自分は絵が上手い』って思っていた。
そこへ担任から交通安全ポスターの話が持ち上がる、クラスの誰かに描いてほしいと・・・得意な絵でクラスの役に立てると思った。
でも採用されたのは別の子だった・・・もっと絵が上手い子がクラスにいたんだ。
たちまちその子の周りに人が集まり、アレ描いてコレ描いてとその子は一躍人気者に・・・
そして私は・・・それ以来、絵を描くのをやめた。
・・・・・・
ここで霧人くんを放置してはいけない。
「どうしたの?」
霧人くん達と私の様子に綾乃様が気付いて心配そうな顔を向けてきた。
その向こうには流也さまと礼司さまが見える。
ど、どうしよう・・・流也さまと礼司さまの好感度を稼ぐ良い機会でもある。
霧人くん1人と単純に比べれば2倍、優先すべきはそっちだろう・・・でも・・・放っておけない。
「綾乃様、ちょっと私達だけで別行動しても良いですか?」
「え・・・」
そう提案した瞬間、綾乃様の表情が・・・
や、綾乃様にはこのまま流也さま達の好感度を稼いでもらって、私が1人別行動で霧人くんのフォローをする。
これが一番効率が良いはずなんだけど・・・綾乃様?なんで悪役顔に?!
「霧人くん?・・・これはいったいどういう事なのかしら?」
鋭い目つきで霧人くんを威圧する・・・え、霧人くんに怒ってるの?!
「え・・・いや、僕は何も・・・」
うん、霧人くんは何も知らないよ?
このプランは私の頭の中にしかないし・・・
「ならどうして、貴方が、右子を連れて、別行動をするのかしら?」
「ひ・・・」
「あ、綾乃様!」
堪らず間に割って入る。
このままじゃ霧人くんの好感度が駄々下がりになってしまう。
なんとか綾乃様を説得しないと・・・でも正直に言っては霧人くんの立場が・・・
「これはですね、その・・・霧人くんに・・・」
「霧人くんに?」
ひぇぇ・・・
綾乃様は悪役令嬢の顔で問い詰めてくる。
何か・・・何かないか・・・何か・・・別行動をする理由は・・・
「お、お土産屋さんの事を聞いてたんです!皆には内緒で買ってきて驚かせようって!ね、ね?!」
「え・・・うへぁ!」
そう言いながら霧人くんの肩を掴み無理矢理頷かせる。
「ね?ね?そうだよね?霧人くん、良いお店知ってるんだよね?!」
「は、はい・・・」
「そ、そう・・・なのね・・・」
恐る恐る綾乃様の方へ振り返る・・・良かった、悪役顔じゃない。
いつもの穏やかな表情に戻った綾乃様にホッと胸を撫で下ろす。
「という事で・・・サプライズ・・・にはもうならないけど、私達は別行動でお土産屋さんに行き・・・」
「なら私も行くわ」
「え・・・」
「私も一緒にお土産屋さんに行くわ・・・自分で選びたいし・・・」
「綾乃様が行かれるのでしたら私もそちらに・・・」
そして左子も当然こちらに・・・まぁそうなるよなぁ。
「や、それだと流也さま達に悪いですし・・・綾乃様はこのまま・・・」
「流也さま、礼司さま、ごめんなさい」
綾乃様はこのまま明月院に・・・と言う間もなく、綾乃様は流也さま達に頭を下げた。
「何も問題はない、気にするな」
「そうだね、じゃあまた学園で」
元はと言えばこちらが言い出した事なのに、特に機嫌を損ねた様子もなく。
2人は明月院の方へ・・・なんか申し訳ない。
「それで、そのお土産屋さんというのはどこにあるんですか?」
「ええと・・・」
聞かれた霧人くんが返答に詰まる。
そりゃいきなりお土産屋さんとか言われても困るよね・・・でも霧人くんならきっと・・・
「そうだな、あそこが良いか・・・」
そう呟くのが聞こえた・・・良いアテはあったようだ。
そして・・・
「なにこれかわいい」
手のひらサイズの猫のぬいぐるみが陳列された棚を前に、五味原さんが呟いた。
「これ本当にオルゴールなんですか?」
そう、ただのぬいぐるみではなく、ぬいぐるみ型のオルゴールなのだ。
「そこに見本があるから鳴らしてみると良いよ」
そう言って霧人くんが棚のぬいぐるみの1つを指さした。
他の子より若干薄汚れたその子には確かに『見本』のシールが貼ってある。
そして音を鳴らす方法も図解入りで書かれており・・・
「尻尾を引っ張ればいいのね・・・えい」
綾乃様が遠慮なく尻尾を引っ張ると、ぬいぐるみの中から聞き覚えのあるメロディが・・・
まいごの♪まいごの♪・・・なるほど、猫のぬいぐるみらしい選曲だ。
その棚には白黒グレー三毛茶トラと様々な柄の猫が陳列されている。
しかしこの店にあるのはその棚1つではない。
広い店内には大小様々な商品棚があり、無数のオルゴールが陳列されていた。
「ここがオルゴール堂です、見ているだけでも楽しいですよ」
確かに店内を見て回るだけでも充分楽しい。
もっと大きな、ひと抱え程のぬいぐるみ型もあれば、陶器人形型、ガラス細工型、キャラクター型、イースターエッグ型、宝石箱型と多種多彩。
もちろんクラシックなネジ巻き式のシリンダー型もある、この内部構造が堪らないという人もいるのではなかろうか。
「あら・・・蓄音機もあるのね」
店の隅の方にひっそりと、特徴的なシルエットの蓄音機が置いてあった。
たしか教科書の写真か何かで見た覚えがある・・・私も実物を見たのは初めてだ。
「置いてある台みたいなのがオルゴール本体ですね、その蓄音機はスピーカーとして機能するみたいです」
「結構大きい・・・こんなのもあるんだ」
「もっと大きいのもありますよ、あそこのピアノに見えるやつが一番大きいかな」
「え・・・」
普通にピアノが置いてあるのかと思ってたら、あれもオルゴールなのか・・・自動演奏するらしい。
「さすがに売り物ではないと思いますが・・・二階堂家ならあるいは・・・」
いやいや真面目な顔でそんな事言われても・・・まぁ確かに否定は出来ないけど。
「さすがにここまでの大きさになると・・・持て余してしまうわね」
ほらやっぱり綾乃様も否定的だ・・・でも金額ではなく大きさの問題らしい。
あの屋敷なら置き場所くらいなんとかなりそうな気もするけど・・・
「どうせなら綾乃様の弾いたピアノが聴きたいです、クリスマスパーティでのあの演奏は本当に素晴らしくて・・・」
そう力説しながら五味原さんはあの時の演奏を思い出したのか、うっとりとした表情を浮かべている。
たしかにあの時の演奏はすごかった・・・もちろん国宝のピアノの力もあるんだろうけど、皆綾乃様の演奏に聞き惚れていたと思う。
「もう・・・照れてしまうわ」
綾乃様本人もあの時の事を思い出したらしい、顔が真っ赤だ。
霧人くんもあの時の演奏を思い出したのか深く頷く。
「確かに、あの演奏には感動しました」
「俺達クラシックとかぜんぜん聴かないですけど、それでも凄さは伝わってきたと言うか・・・」
「お耳が幸せになったっす」
ライト&レフトにも良さがわかったらしい。
「あれは本当に立派でしたよ、なにせあの人数の前でやりきったんですから」
人見知りの綾乃様が大勢の前でやり切ったのが本当に誇らしい。
「もう・・・右子まで・・・もぅ・・・」
あまり皆が褒めるものだから、綾乃様は恥ずかしさのあまり両手で顔を覆ってしまった。
こんな恥ずかしがりなのに、本当によくがんばったなぁ・・・
一通り店内を巡ってオルゴールを物色した私達は、一番小さなうさぎ型をお揃いで買う事にした。
オルゴールって結構高かったので・・・庶民にも無理のないチョイスだ。
「思ったよりも時間が経ってしまったわね」
「それだけ良いお店だったって事ですよ、見てて飽きないと言うか・・・」
店を出るともう日が傾いてきている。
冬の日は短いけれど、それ以上に充実した時間を過ごせた気がする。
「霧人くん達の案内のおかげね、楽しかったわ」
「あ・・・えっと・・・どういたしまして」
うん、霧人くんもがんばったね、えらいえらい。
綾乃様に褒められたその顔が赤く見えるのは夕日のせいか、それとも・・・
「じゃあそろそろ帰りましょうか・・・」
「ちょっと待った!」「まだ帰るのは早いっす」
疲れてきたし、そろそろ帰ろうと切り出した私をライト&レフトが止めに掛かった。
ええええ・・・もう充分楽しめたけど・・・
「出来ればで良いんですけど、あと1ヵ所だけ・・・」
控えめにそう切り出す霧人くん・・・まぁ、そこまで言うなら考えなくも・・・
「綾乃様は大丈夫ですか?疲れてませんか?」
「ええ・・・あと1ヵ所くらいなら・・・」
なら断る理由はないか。
霧人くんに連れられるままやって来たのは、海岸線上に高くそびえ立つ岬だった。
見下ろす先には湘南の海岸と遠くには江ノ島・・・そして夕日が沈む先には・・・
「すごい・・・こんな所があったんだ」
「冬は空気が澄んでいるから、遠くまでよく見えるんです」
「遠く・・・もしかしてあの山・・・」
「ええ、富士山です」
そう・・・夕日が沈んでいく地平線の上に、日本一で有名なあの山の形が見えていた。
「・・・綺麗ね」
そう呟く綾乃様の横顔も、夕日に照らされ、風になびく金髪がさらさらと・・・富士山に負けず劣らずの美しさだ。
さすがに本人に言えるわけないので、私はただ無言で頷くだけ・・・
「綾乃様の美しさも決して負けておりませんわ!」
「そ、そうかしら・・・」
本人に言っちゃうやつもいた・・・本当にゴミ子は正直と言うかなんというか・・・
「・・・おなかすいた」
追い打ちをかけるように左子が空腹を訴え・・・私もお腹空いてきたや。
そう言えばたいした物食べてなかったね。
「ふっふっふ・・・」
「・・・そう言い出す頃だと思ってたっす」
「道路の向こうをご覧ください」
そう言われて後ろを振り返ると・・・道路の向こうにはお洒落な感じのカフェが。
「ここのパスタはなかなかのお勧めっすよ」
「せっかくだから食べて行きませんか?」
これでもかとばかりに得意げな表情を浮かべる3人、ドヤ顔がちょっと癪に障る。
しかし空腹に勝てる者はこの場におらず・・・
沈む夕日を見ながら、私達は美味しくパスタを食べたのだった。




