第47話「さぁ白状してもらいますよ綾乃様!」
キュッ…キュッ…キュッ…
この二階堂のお屋敷ではあまり耳慣れない、ともすれば小動物の鳴き声のような音。
それでいて、その音は生き物ではありえない程規則的かつリズミカルに鳴り響いていた。
ポン…ポンポン…ポフッ…
そこへ新たな音が加わってくる、こちらは打撃音、同じく規則的なようで、時折混ざる気の抜けたような音がアクセントを与えていた。
それはまるで・・・どこぞの国の囚人達が、あり合わせの道具を持ち寄って音楽を奏でるかのような・・・そういえばアレも掃除道具が使われていたっけ。
そう、掃除道具・・・今二階堂家は大掃除の真っ最中だった。
「うん、綺麗になった」
部屋の外側・・・上の方から礼司さまの満足そうな声が聞こえてくる。
先程から礼司さまは脚立に乗って職人のような顔で窓ガラスを磨いていたんだけど・・・確かに窓ガラスはピカピカだ。
元々そんなに汚れを感じるような窓ではなかったのだけど、礼司さまが磨いた窓は明らかに他の窓とは違う・・・輝きすら感じる仕上がりだ。
「すごい・・・こんなに綺麗になるんですね」
「まぁ道具が良いからかな・・・あるいは洗剤の成分が良いのか」
「フッ、その両方だ」
下方から得意げな声がした。
「ダスクリンの開発した特殊シリコンはミクロの隙間の汚れも逃さん、そしてそのガラスクリーナーも特許出願中の新配合だ、汚れを落とすだけではなくツヤを生み出す効果がある」
礼司さまの乗った脚立を押さえながら掃除道具の解説を始めたのは流也さまだ。
掃除道具の販売から出張掃除サービスも行う株式会社ダストクリーニン、通称ダスクリンも斎京グループの系列企業だったのだ。
「右子様、お客様との会話も結構ですが手が止まっております」
「は、はいぃ!」
さっきまで気配の欠片もなかった千場須さんがすぐ後ろに・・・なんかいつもよりも声が鋭い。
礼司さま達の活躍に対抗意識を燃やしてしまったのだろうか・・・
ポンポン…
慌てて私も手を動かした。
新種のはたき・・・と言って良いのか判断に困る・・・トゲトゲした栗かうにのような物体が先端に付いた棒で部屋の隅を叩く。
これもダスクリンの開発した掃除道具だ。
このトゲトゲの部分に埃が吸着するらしいけど・・・この見た目はまるで武器のよう。
ある程度汚れが貯まったらトゲトゲ部分を取り替える事が出来る。
そろそろ交換すべきかな・・・綺麗に見えたこのお屋敷も、結構汚れてるんだね。
「・・・すい・・・すい・・・」
廊下では左子がすいすいとモップがけをしていた、とても軽い動きだ。
こちらもダスクリンのモップだ、今まで使っていた掃除道具との違いは動きを見るだけでわかる程。
年末と言うにはまだ少し早いこの時期に、なんでこんな事をしているかと言うと・・・
きっかけは礼司さまだった。
「これまでお世話になりました」
例のお茶会が終わった後。
両親の理解を得て家に戻る事になった礼司さまは、屋敷の人々に頭を下げて回った。
「またいつでも遊びにいらしてくださいね、良かったらお土産にうちの茶葉を・・・」
「それはありがたいね、ここの茶葉は本当に良いものが多くて・・・」
「では後ほど千場須に用意させます、今夜はゆっくりしてらして」
「いえ、もう家にも帰れるので、これ以上お世話になるわけには・・・」
「そうおっしゃらず・・・今日が最後と知って屋敷の者達も張り切っておりますので・・・どうか気持ちを汲んで差し上げてください」
「うーん・・・そうですね、ではもう一日だけ・・・ありがとうございます」
さすが綾乃様、うまく礼司さまを引き留めた。
実際、屋敷の皆礼司さまを気に入ってるからね、三ツ星シェフもちょっと豪華なディナーを用意してくれたよ。
「ああ礼司さま、今日はデザートにザッハトルテを用意してますんで・・・」
「じゃあ紅茶には柚を合わせてみようかな・・・ありがとうございます三ツ星さん」
三ツ星シェフももう慣れたもので、礼司さまが紅茶を合わせやすいように予めデザートを教える程。
こういう連携がケーキも紅茶も美味しくするんだ。
「ふぅ・・・もうこのお茶会も今日で最後なのね・・・」
「綾乃様、まだ紅茶研がありますから」
「それはそうだけど・・・」
名残惜しそうにため息をつく綾乃様、その気持ちはとてもよくわかる。
礼司さまの淹れた紅茶をいただきながら、まったりと寛ぐこの一時は紅茶研とはまた違った良さがあるんだ。
それに綾乃様もここでは自然体というか・・・礼司さまの前でも本来の姿を見せるようになってきた。
「礼司さま、本当にいつでも遊びにいらしてくださいね」
こんな風に甘えた顔は学園では絶対に見られないだろう。
打算のない純粋なかわいさ・・・これは礼司さまの好感度もうなぎ上りなのでは?
「うん、おいし・・・」
すっきりとした柚の香りが胸いっぱいに広がっていく。
チョコの甘さの強いザッハトルテと本当によく合う紅茶だ。
左子じゃないけど、これならいくらでも食べれそうな気がして来・・・あ・・・あれ・・・お皿が真っ白に・・・
「・・・もぐもぐ」
「ちょ、左子・・・もう全部食べちゃったの?!」
「ん・・・おいしかった」
食が進んだのは左子もだったらしい。
そして甘味は眠気を誘うものでもあり・・・
「すぅ・・・」
「もう、しょうがないなぁ・・・よいしょ」
「ふふ・・・名残惜しいけれど、おひらきね」
「右子さん大丈夫?運ぶの手伝おうか?」
「いえ慣れっこなんで・・・お構いなく」
半ば引き摺るように左子を担いで自室に連れ帰る。
こうして礼司さまと過ごす最後の夜が明け・・・
翌朝・・・
私が目を覚ました時にはもう礼司さまが掃除を始めていたのである。
「れ、礼司さま?!いったい何を・・・」
「いや、ここを出ていく前に掃除をね」
「え・・・」
なんか部屋の外から物音が聞こえると思ったら、礼司さまが階段の手摺部分を磨いていた。
「この場所への感謝の気持ちを込めてね・・・たいした事は出来ないんだけれど」
いったいいつから掃除していたのか、階段周りはもうピカピカだ。
武道やってる人が道場を掃除するような感覚なんだろうか・・・きっと茶道にもそういうものがあるんだろう。
「せっかくですので、今日は屋敷の大掃除に致しましょう」
そんな礼司さまの姿を見て、千場須さんがそう宣言したのはそれからすぐの事だった。
そしてどこから話を聞きつけたのか・・・礼司さまに聞いたのかなぁ・・・流也さまが掃除道具を抱えて駆けつけてきたのだ。
「大掃除のシーズン前に新商品を実地で試せるとあって、ダスクリンが快く貸してくれたぞ」
とのこと。
最新の掃除道具の数々はとても優秀で・・・大掃除はお昼前に終わった。
ダスクリン良いなぁ、屋敷にも欲しいかも。
「では二階堂さん、また学園で」
「ええ、また学園で・・・流也様もありがとうございます」
「礼ならいい・・・掃除道具の感想は忘れずに送っておいてくれ」
はいはい、ついでに千場須さんに購入を検討してもらうよ・・・それともレンタルの方が良いのかな。
いつもの定位置・・・綾乃様の右側に戻った私は、反対側にいる左子と一緒に恭しく礼をしてお見送りだ。
2人を乗せた車がゆっくりと走り出し、屋敷の門を抜けていく。
「右子、ごめんなさい」
「綾乃様?」
去っていく車を見ていると、突然綾乃様に謝られた。
特に謝られるような身に覚えがないんだけど・・・何かあったっけ・・・
「実は私ね・・・礼司さまが屋敷にいる間、右子と上手くいくように手を回していたの」
「へぇ~そうなん・・・えぇぇぇ!?」
あ、綾乃様?いったい何を仰って・・・ああそう言えば礼司さまのお世話を頼まれたような。
千場須さんの方が詳しいはずの紅茶関係の仕事がよく回ってきてたような。
でもなぜなぜなんでそんな事に?あのまま礼司さまを使用人として雇いたかったとか?
「あ、ああ!職場の人間関係にまで気を遣ってくださったんですね、さすが綾乃さ・・・」
「隠さなくても良いの・・・右子は礼司さまの事が好きなんでしょう?」
「は・・・はいぃぃぃ?!」
なんでそんな勘違いを・・・
私としては礼司さまは綾乃様とくっ付いてほしいと言うか、いけそうなら礼司さまルートに進めるつもりでいたんだけど・・・
「でも、透さまを見てて気付いたの・・・他人の恋愛に手を回すのは余計なお世話なんだって・・・」
「そ、そうですね・・・本人の意志ってものがありますし・・・」
どこでそんな勘違いされたのかな。
私の交友関係で見たら礼司さまが一番仲が良いような気もするけど・・・あと流也さま・・・は無いな。
だいたい綾乃様と一緒にいるから男子とあんまり関わってないや・・・うーん、そのせいか。
「そう、本人の気持ちが大事よね!もう余計な事はしないから、右子は右子のペースで恋を・・・」
「あ、あのですね綾乃様・・・大変申し訳ないんですが・・・」
「えっ違うの?・・・だってあんなに・・・」
「全っ然違います!礼司さまは素敵な人だと思いますが、そういうのじゃないですから!」
私の恋とやらを応援する気まんまんの綾乃様をなんとか説得して誤解を解く。
このまま勘違いされていては攻略に支障が出てしまうかも知れないからね。
「私としては、むしろ綾乃様のお相手にこそ相応しいのではないかと!綾乃様的にはどうですか?綾乃様と礼司さま、すごくお似合いなんじゃないかと!」
「え・・・私?」
キョトン・・・そんな文字が背景に見えそうなくらい、無垢な表情を浮かべる綾乃様。
これは男性として意識した事がなさそうな・・・
「・・・考えた事もなかったわ」
「・・・でしょうね」
この分だと流也さまも・・・それどころか、攻略対象全滅まであるかも知れない。
「綾乃様、ちょっとお話・・・お茶会しましょうか」
「・・・?」
「左子も付き合って・・・この際はっきりさせましょ」
そう言えば一度もした事なかったよ。
年頃の乙女なら誰しもどこかで経験してるであろう、むしろ日常会話レベルでしてる子すらいるはずの・・・
大掃除を終えてピカピカになった応接室のテーブルにドンと叩きつけるようにティーセットを置いていく。
本当に叩きつけたら割れちゃうからそっとね・・・ドンってのは気持ちだけ、気持ちだけ・・・
厨房では三ツ星さんがパウンドケーキを焼き始める所だった、後で取りに行こう。
礼司さまが残していったオリジナルブレンドの紅茶の香りを胸いっぱいに吸い込み、私は綾乃様の正面に座る。
「さぁ白状してもらいますよ綾乃様!どんな男性が好みなんですか?」
こうして私は綾乃様相手にその議題を口にしたのだった。
・・・所謂『恋バナ』ってやつを。
「急にそんな事を言われても・・・」
急遽始まった恋バナの返答に困って綾乃様が狼狽する。
それはそうだ、本当に考えた事もなかったんだろう。
クラスでも皆綾乃様に気を遣って誰もそんな話をした事がなかったのは想像に難くない。
「別に好みのタイプそのものズバリじゃなくて良いんです、何かないですか・・・ほら、優しい人が良いとか」
「そ、そうね、優しい人の方が良い・・・と思うわ」
すごくぎこちないけれど、何とか綾乃様が答えてくれた。
優しい人が良い、と。
この調子で断片的にでも綾乃様の好みを探っていこう。
「他には何かないですか?勉強が出来るとか運動が出来るとかは」
「ええと・・・どちらも出来る方が良いけれど・・・そういう事をあんまり自慢しない人が良い・・・かも」
ふむふむ、謙虚な人が良い、と・・・流也さまはダメそうだ。
優しくて謙虚・・・これだと礼司さまで良いような・・・礼司さまに足りない要素となると・・・
「じゃあグイグイ引っ張ってくれる人とかどうです?」
「あんまりグイグイっていうのはどうかと思うけれど・・・積極的な人の方が・・・助かる・・・と思うわ」
やっぱりそういう所か・・・礼司さまは一歩引いてる感じだもんね。
かと言って流也さまみたいなのはアウトっと。
要さまとか良さそうな気がするけど・・・彼はチート庶民に落とされてるっぽいんだよねぇ。
「年上と年下だとどうですか?大人の魅力とか年下の可愛さとか」
「どちらもあんまり・・・同じくらいが良いんじゃないかしら」
攻略対象には来年入学してくる後輩が一人いるんだけど・・・彼も難しいか。
「他にはないですか?何でもいいので・・・」
「うーん・・・傍にいて安心できる人、かな・・・」
ああ、割と定番な・・・けど難易度が高いやつ・・・特に綾乃様の場合は人見知りがあるからなぁ。
なかなかその領域までは近付けないよね、綾乃様の方が。
「やっぱり礼司さまが良いと思うんですけど・・・」
「もう右子ったら、そういうのは・・・」
「はーい、余計なお世話、ですよね・・・」
でもなぁ・・・
綾乃様を姫ヶ藤の姫にするには、彼らの攻略が不可欠なわけで・・・
とはいえ綾乃様の方が彼らを好きになる必要はないんだけど・・・だけど・・・
「そういう右子はどうなの?」
「へ?」
「右子が礼司さまの事が好きじゃないのはよくわかったけれど、右子はどんな男性が好きなのかしら?」
「え・・・ええと・・・」
「私は答えたんだから、右子も答えないと不公平よね」
た、確かに・・・
でもゲームの時はそれなりに全員好きだった攻略対象も、こうして実際に接してみると何とも言えなくて・・・
私の好みか・・・
「勉強が出来る人?運動が得意な人?年上と年下だと?」
ここまでの反撃とばかりに綾乃様が質問を返してくる。
逃げるように左子の方を見ると、左子も興味津々な顔をしてこっちを見ていた。
「ええとですね・・・俗物で申し訳ないんですが、お金持ちが良いなって・・・」
「そうなの・・・そうなんだ・・・」
綾乃様が意外そうな、そこから納得したような顔をして頷いた・・・あ、これ勘違いしてる。
「流也さまじゃないですからね!あんなじゃなくて、もっとおとなしい人が良いです!」
「あら・・・」
「流也さまは私がいなくても何でも出来るじゃないですか、もっとこう・・・私を必要としてくれる人が良いです」
ヒロインではない私はおとなしくお姫様してられる自信もない。
どっちかと言えば尻に敷く方なんじゃなかろうか。
斎京グループの財力は確かに魅力的だけど、流也さまとはちょっと合わないんじゃないかなぁ。
「・・・なるほど」
「左子、次はアンタの番だからね」
神妙な顔で頷いていた左子に話を向ける。
ずっと一緒の双子だけに、「姉さんと好みが一緒」とか言い出すかもしれない。
うん、ありそうだ。
「で、左子はどんな人が良いの?」
「・・・姉さんと一緒」
ほらね、姉妹で同じ男を好きなるやつ、でも見た目が一緒だからややこしいぞ。
『私と左子の区別がつく人』ってのは絶対外せない条件にしておこう。
左子の真似して騙された人はアウトって事で・・・
「・・・がいい・・・ずっと一緒」
「あれ」
「ふふっ、私もずっと2人と一緒が良いわ」
「もう、2人して何言ってるんですか」
「えっ・・・右子は嫌なの?」
青い空のような澄んだ瞳で、綾乃様が見つめてくる。
サラサラと流れる金色の髪は、紅茶の香りがよく似合った。
「・・・そんな事ないに決まってるじゃないですか」
せっかくの恋バナは台無しだけど・・・まぁいっか。
「パウンドケーキがあったのを思い出しました、取ってきます」
頬に少し熱を感じながら席を立つ、ここからはただのお茶会だ。
焼き上がったケーキを切り分けるとベリーの甘酸っぱい香りがした。




