第42話「吹奏楽部渾身のサプライズということで」
七色の虹・・・地域によっては六色だったり五色だったりするらしいけれど、ここでは七色。
紫、赤、橙、黄色、緑、青、藍の七色にはっきりと塗り分けられた大きな虹を模した階段状の建築物。
その形から切り分けたバウムクーヘンを連想してしまう人もいるかも知れない・・・左子とか。
そんな人工の虹の周囲には、人間の身長くらいの大きさのおたまじゃくし・・・音符を模したオブジェが幾つも配置され、そこがどんな目的の建物なのかを教えてくれていた。
姫ヶ藤学園コンサートホール・・・前鋭的な建築物が多いこの姫ヶ藤にあっては、この分かりやすさは大切かも知れない。
なにせ生徒の私ですら把握し切れていないのだ。
お子さま連れのお客さんなんかは目を離したらすぐ迷子になってしまうんじゃないだろうか・・・実際ゲームでも幼い頃の葵ちゃんが迷子になってたっけ。
「右子、チケットはちゃんと持ってる?」
「はい、ここに・・・」
成美さんの取ってくれたチケットは最前列が三枚。
明らかに一年生部員の権限で取れるものじゃない・・・やっぱり綾乃様の影響力なんだろうね。
「い、いらしゃいませ、チケットを拝見します」
「はい」
受付担当の生徒も緊張した様子で・・・や、私相手に緊張する必要ないと思うんだけど。
パンフレットを用意する動作もぎこちなく・・・あ、チラシが零れた。
「ごめんなさい!」
慌てて拾い集めるものの、その最中にも別のパンフレットからパラパラと・・・ひょっとしたら普通にドジっ子なのかも知れない。
「もも申し訳ありません・・・」
しょうがないなぁ・・・拾うのを手伝ってあげ・・・ようとした私より早く、横からすっと伸びた腕がチラシを拾いあげていった。
左子?・・・じゃない、このドレスの質感は・・・
「あああ綾乃さま!」
「これで全部かしら、がんばってね」
「!・・・」
拾ったチラシを手渡すと、綾乃様はそのまま何事もなかったように進んでいく。
受付の子はチラシを受け取ったままの姿勢で固まって、呆然とその後姿を見つめ・・・って、私もだった。
「綾乃様、ちょっと待ってくだ・・・あ・・・」
まだパンフレット貰ってない・・・まぁいいか。
慌てて綾乃様を追いかけ右隣へ。
「姉さん・・・パンフレットは?」
「ごめん、ちょっと受け取りにくい感じだったから・・・後で貰ってくるね」
「ごめんなさい、余計なことをしたかしら?」
「いいえ、綾乃様は何も余計なんかじゃないです、とても素敵でした!」
「そ、そう?・・・あの子を見ていたらなんだか放っておけなくて」
受付の子はまだぼうっとした様子でこちらを・・・おそらくは綾乃様を見つめている。
きっと同じ一年の吹奏楽部の生徒だ、成美さんと違って出番を貰えなかった子なんだろう。
「・・・昔の綾乃様に・・・似ていたかも」
「ああ、たしかに・・・ふふっ」
あの緊張して堅くなってた感じは、少し前の綾乃様を思わせる。
例えば、どっきりビッキーでアルバイトを始めたばかりの頃の綾乃様の接客とか。
最初はメニューの上下を間違えてたっけ・・・なんて思い出していると。
「もう、2人とも酷いわ」
「えへへ、ごめんなさい」
「・・・ごめんなさい」
私達が思い浮かべたものを察したのか、綾乃様は拗ねてしまった。
接客業に緊張してた綾乃様も、今こうして拗ねている綾乃様も、この学園の生徒達には想像もつかない私達だけが知っている素顔だ。
「でもそうね・・・あの子が緊張する気持ちがわかったから、放っておけなかったのかも知れないわ」
「じゃあきっとあの子も大丈夫ですね」
「そう?」
「ええ、綾乃様だってすぐに接客出来るようになったじゃないですか」
「あれは・・・2人がいてくれたし、私も足を引っ張りたくなくて必死で・・・」
「それは、あの子も同じだと思いますよ」
そう言って振り返ると、さっきの子はすっかり調子を取り戻したのか手際よく来場者に対応していた。
遠くて表情とかはよくわからないけれど、元気よくきびきびと動いているのはわかる。
綾乃様がその背中を押した、っていうのもあるんだろうけど、きっと今の彼女が本来の彼女なんだろうね。
うん、やれば出来るじゃん。
防音のためか、少し重たい扉を開けると、そこは大劇場もかくやという豪奢なコンサートホールが広がっていた。
ステージを中心に放射状に伸びた3本の通路には金の刺繍が入った真っ赤な絨毯。
頭上にはきらきらと輝く黄金のシャンデリア、真っ白な壁には植物の蔦のような彫刻が施されていてまるで異国の王宮のよう。
それぞれ余裕を持った間隔で配置された客席は、椅子からしてもう違うと言うか・・・すごく高そう。
・・・ファミリー向けみたいな外観とは大違いだよ。
学園内では目立っていた私達のドレス姿も、ここでは全く違和感がない。
むしろこれくらいのドレスコードがあってもおかしくないくらいだ。
よく見ると周囲のお客さん達もみんなお金持ちそうな服装をした・・・紳士淑女って感じの人々だ。
・・・ひょっとしたら本当にドレスコードがあるのかも知れない。
「私達の席はここですね、綾乃様どうぞ」
最前列、3つ並んだ席の真ん中に綾乃様を座らせる・・・椅子は見た目以上のふかふかさでドレス姿の綾乃様を受け止め、軽く沈み込んだ。
うわ・・・自分も座ってみて、その座り心地に驚く・・・これは綾乃様用のふかふかベッドにも匹敵するよ。
これに座ってるだけでリラクゼーション効果は抜群、音楽も2倍くらい心地良く聞けるんじゃないだろうか。
「左子、眠っちゃわないように気を付けて」
「ん・・・がんばる」
左子に念を押しつつも、自分が眠っちゃわないか不安だよ。
さっき食べたハンバーグで良い具合に満たされたお腹が眠気を誘うのは時間の問題だろう。
この最前列の席で眠ろうものなら吹奏楽部の人達に失礼極まりないというのに。
は、はやく、はやく始まれ・・・
そんな私の祈りが通じたかのように、シャンデリアの明かりがだんだんと弱くなっていく。
どうやら開演の時間になったようだ。
ポン・・・ポン・・・
暗く静まり返った空間に響いたのは、吹奏楽とはちょっと違うような・・・でもどこかで聞いた事のある・・・あ、鼓の音だ。
ポン・・・ポポン・・・ぷあ~
鳴り響く鼓の音に、これまた吹奏楽とは違う和楽器の・・・なんだっけ、シュノーケルみたいな笛。
よくわからないけどその笛の音が合わさってきた。
す、吹奏楽部だよね?成美さんはヴァイオリンのソロパートって聞いてるけど・・・ここにヴァイオリンが混ざるの?
激しく混乱する私をよそに曲は進み、一筋のスポットライトがステージを上を照らす・・・そこに居たのは・・・
「礼司さま?!」
思わず声に出してしまった口を慌てて手でふさぐ。
しかし意外だったのは皆同じらしく、他の客席からも多くの動揺の声が上がっていた。
今ステージに立っているのは、間違いなく礼司さまだ。
和服・・・と呼ぶには少し派手な装飾が付いているけど、和装の礼司さまがその手に扇子を持ち、緩やかな・・・それでいて要所要所に力強さを感じる動きを和楽器の音に合わせて・・・これは日本舞踊?
そうか・・・礼司さまの実家は茶道の家元だもんね、日本舞踊くらい嗜みの一つなんだろう。
日本舞踊を踊る礼司さまはいつになくキリッとした表情でかっこいい・・・と言うか美しい、美しいよ・・・これが芸術というものなんだね。
ああいうのって高度な芸術って感じで私なんかには理解できない世界の物だと思っていたけれど・・・今ならわかる、わかるよ・・・芸術とは良いものだ。
しかし、そんな時間はあっという間に過ぎ去って・・・
出番が終わってしまった礼司さまはステージの端へと消えていった。
その後ろ姿を名残惜しく思う暇もなく、今度はジャーンと銅鑼の音がやかましく鳴り響いた。
先程までとはうって変わってカンフー映画のような曲が流れ出したかと思えば、ステージに現れたのは孫悟空のような服装をした男子生徒だ。
あれはカンフーなのかな?曲に合わせて武術の演武みたいなものを披露していった。
続いて現れたのは女性、こちらはサリーのような民族感のある衣装だ。
女性はステージの中央まで来ると、関節をぐぐっとすごい角度まで・・・ヨガのポーズ?
次はセクシーな衣装でのベリーダンス・・・さすがに私もわかってきたぞ。
日本から始まり、世界各国の音楽とそれに合わせたパフォーマンス。
それも東から西へと順番に進んでる感じがする。
月桂冠を被った女性が大きなハープ弾き始めた・・・ギリシャだ。
この辺りまで来ると本格的に吹奏楽らしくなってくる、曲名はわからないけど聞いた事のある曲だ。
ドイツ、イタリアと曲は続き・・・そして・・・
ヴァイオリンを構えた成美さんがステージの中央へ。
赤白青の3色に彩られたドレス姿から察するに、フランスっぽい。
結構有名な・・・聴いた事がある曲だ、たしか曲名はアイネ・・・なんとか。
たしかにフランスの曲っぽい感じがする。
ステージに立つ成美さんはクラスでの彼女とは別人のよう。
優雅にヴァイオリンを弾くその姿はお嬢様そのもの。
成美さんも姫ヶ藤学園に通うご令嬢、れっきとしたお嬢様なのだ。
『貴女のような庶民が軽々しく口をきいて良いお方ではないのよ』
・・・あれはゲームでの右子の台詞だったか。
主人公の葵ちゃんが何も知らずに綾乃グレースに挨拶をしようとした所を双子に阻まれるシーンを思い出す。
この成美さんも本来の私なら口をきく事も許されない存在なんだろうな・・・
や、この『右子』ですら庶民であることに変わりはないんだけど。
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「右子さん、左子さん、それに綾乃様も、本日は来てくださってありがとうございます」
「成美さん、素晴らしい演奏だったわ・・・ね、右子」
「う、うん・・・成美さん凄かった・・・凄すぎて何って言ったら良いのかわからないくらい」
「ふふ・・・ありがとうございます、緊張が音に出なくて良かったですわ」
演目の終了後、コンサートホールのロビーでは吹奏楽部の部員達がそれぞれの友人に囲まれて談笑していた。
もちろん私達も成美さんを見つけたので、取り囲んでお話をしているわけで・・・
心底ホッとしたような表情を見せる成美さんはいつも通りの、私達のお友達の成美さんだ。
「もう、そんな事言って成美さん、まだ結構余裕あるように見えたよ?」
「そんなことありません、私、皆様の見ている前で失敗したらどうしようと、ずぅーっと怯えながら弾いていましたのよ」
そう言いながらも成美さんは、とても満足そうな表情を浮かべていた。
きっとそれが何かをやり遂げた人間の顔ってやつなんだろうね、ちょっと羨ましい。
「でも礼司さまが出てきた時は驚いたわ、私たちは何も聞かされていなかったもの」
「確かに、最近姿を見ないなとは思っていたけれど・・・」
てっきりクラスの出し物で忙しいのかとばかり・・・ああ、そういえば一度音楽室の近くで見かけたっけ。
まさか礼司さまが吹奏楽部の出し物に出るなんて、あの時は思ってもみなかったなぁ・・・
「ふふふ・・・吹奏楽部渾身のサプライズということで、当日まで伏せるように・・・と厳しく言われておりましたの」
「へぇ~」
今回礼司さまが出るという事はパンフレットにも書かれていなかったらしい。
もっとも、注意深く読めば隅の方に名前が書いてあるみたいだけど。
「礼司さまが出演するということで、先輩方のやる気ときたら・・・練習にも鬼気迫るものがありましたのよ、ひとつ音を外そうものなら鬼の形相で・・・」
「ひぇぇ、私だったら辞退しちゃうかも・・・」
など話していると、不意に周囲がざわつきだした。
噂をすればなんとやら、礼司さまの登場だ。
どうやら着替えてきたようで、キラキラの和服風衣装ではなく、落ち着いた雰囲気の着物姿。
ステージ衣装の煌びやかさとは違った大人っぽい雰囲気を醸し出している。
「素晴らしかったです礼司さま!」
「素敵でした、礼司さまがあんな才能をお持ちだったなんて」
さすがは人気のイケメン、たちまち女生徒達に取り囲まれてしまった。
さっきまで友達同士で集まっていた子達だ、ひょっとしたら礼司さまの出待ち状態だったのかも・・・
「ああ見えて、ごく初歩的な演目の継ぎ接ぎみたいなものなんだけどね・・・ありがとう」
「それが出来るのも才能ですわ」
「あの御召し物も本当に素敵で・・・着替えてしまったのが残念です」
礼司さまは私達に気付いているようで、度々こちらに視線を向けてきている。
だけど、すっかり女の子達に囲まれて身動きが取れない状態だ、人気者は辛いね。
「あの衣装については僕なんかよりも・・・」
「随分と浮かれているようだな、礼司」
「・・・!!」
華やいでいた空間が急に張りつめる。
割り込んできたのは重低音のバリトンボイス・・・あ、声だけで誰かわかっちゃった。
たしか結構有名なベテラン声優さんなんだよね、ボスキャラみたいな役が多い人、声だけでも凄い存在感だ。
「・・・父さん」
おの声を聞いて、モーゼが海を割ったかのように女の子達が左右に引いていく。
その道をまっすぐ進んでくる着物姿の人物・・・彼こそが礼司さまのお父さん四十院 千悠斎千家の流れを汲むという茶道の家元だ。
その頭髪には白いものが混じっているものの、艶やかな髪は礼司さまに受け継がれた遺伝子を感じさせる。
しかしその表情は険しく、あれだけの演目をやってのけた礼司さまを労うにしては相応しくないような・・・いや、この展開は・・・
「観に来てくださったのですね、ありがとうございま・・・」
パァン
周囲に散った女の子達が固唾を飲んで見守る中。
礼司さまが感謝の言葉を言い終えるよりも早く、渇いた音がロビーに響いた。
お父さんがその手で礼司さまの頬を叩いたのだ。
「な・・・」
驚愕に言葉を失ったのは、叩かれた礼司さま本人だけではない。
なにしろ実の父親によるいきなりの平手打ちだ、その場にいた全員が驚いていた事だろう。
でも、この時の私はそれ以上に驚いていたと思う。
だってそれは・・・2年目の姫祭の後に起こるはずの・・・
「礼司・・・お前をこの学園に通わせたのは間違っていたようだ」
「え・・・」
「家に帰りなさい、退学の手続きは私がしておく」
それは四十院礼司の個別ルート最初のエピソード、『伝統と未来』
・・・ここから二つのエンディングに分かれる分岐点となるイベントだった。




