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第32話「いつも通りで、お願い」

「右子、左子・・・貴女達に大事なお話があります」

「はい、何でしょう?」


突然私と左子を部屋に呼び出し、綾乃様は真面目な表情で告げた。


「貴女達は今日でクビよ、この屋敷から出て行ってもらいます」

「ええええええ!」

「ごめんなさいね、私も2人の事をお友達だとは思っているのだけど・・・メイドとしてはちょっと・・・」

「そんな、綾乃様・・・」

「まぁ、お2人は使用人の仕事をろくにしておりませんからな・・・この結果は当然でありましょう」

「せ、千場須さんまで・・・いったい何を言ってるの?!」

「綾乃の事なら心配いらない、これからは私達が一緒だからね」

「綾乃、お母さんにたっぷり甘えていいのよ」

「お父様、お母様・・・ひしっ」

「姉さん・・・私達はお邪魔者・・・もう行こう」

「左子・・・」

「なんだ、まだいたのか・・・千場須、その子達を放り出しなさい」

「かしこまりました」

「ちょ、ちょっと待って千場須さん!うわすごい力」

「旦那様のご命令ですので・・・この窓から失礼いたします」

「そんな、綾乃様、たすけ・・・」


ポイッ


「うわあぁぁあああああああ」



・・・という夢を見たんだ。

うん、途中で夢っぽいなとは思ったよ・・・具体的には「ひしっ」のあたりで・・・

やっぱり綾乃様のご両親との件が、私の中で引っかかっているんだろう。


「姉さん・・・うなされていたけど・・・大丈夫?」

「大丈夫大丈夫、ちょっと変な夢見ただけだから・・・」


心配そうに私を覗き込む左子・・・きっとこの子も私と同じ気持ちだと思う。



あの日・・・

私達姉妹を呼び寄せた綾乃様は、ご両親に向かってこう言った。


「この子達の任を解いていただけませんか」

「え・・・綾乃さま?」


この屋敷の本当の主である綾乃様のご両親。

ろくに挨拶もしていないうちに発せられたその言葉の意味を、私はしばらく理解できずにいた。

私達の・・・任を解く?・・・


「綾乃、自分が何を言っているのか・・・わかっているのか?」

「はい、いつまでも古いしきたりに囚われる必要はないと思います、お父様ならそれが可能なはず・・・今すぐにお願いします」

「・・・それは出来ない」

「なぜです?!」


今まで聞いたことのないような綾乃様の声に、思わず首をすくめてしまう。

お父さん・・・旦那様と呼ぶべきだろうか・・・を問い詰める綾乃さまの表情はいつになく厳しい。


「今ここで2人の任を解いたとして、それでお前はどうするつもりだ?」

「どうする・・・とは?」

「2人を屋敷から追い出して、実家にでも帰すのか?学園はどうする?転校先のあてはあるのか?」

「そ、それは・・・」


え・・・屋敷から追い出す?ちょっと待って、私達をクビにするとかそういう話なの?しかも綾乃様が?


「その様子では2人の意志も確認していないのだろう・・・お前達」

「は、はひっ!」


いきなり話を振られたので、思わず変な声が出てしまった。

旦那様の声は落ち着いたものだったが、有無を言わさぬ迫力をひしひしと感じられた。

さすがは世界で活躍する大企業のトップと言うべきか・・・


「今の仕事に何か不満はあるか?」

「と、とんでもな・・・ありません!この屋敷の人達には良くして貰っていますし・・・もちろん綾乃様にも・・・」


この屋敷の人達、そして綾乃様にはいつも感謝している・・・これは偽らざる気持ちだ。

それこそ最初はゲームの綾乃グレースが主人公にしていたような嫌がらせを受けるのかと思っていたけど、この綾乃様はすごく優しくしてくれた。

今思えば、そんな優しさに甘え過ぎていたのかも知れない。

本来ならば私達も千場須さんのように使用人として屋敷で働いていないといけないはずなのだから・・・


「だから、私達をクビにしないでください・・・お願いします!」

「・・・お願いします」


左子と2人で頭を下げた。

確かに屋敷の仕事とかほとんどやってなかったけれど、それは今からだって挽回できない事もないはず・・・


「・・・」


旦那様は無言のまま、ゆっくりとその視線を私達から綾乃様へ・・・

しかし綾乃様は、その視線を受け止める事も出来ずに狼狽していた。


「右子、左子・・・私は、そんなつもりじゃ・・・」

「これでわかっただろう、お前の頼みを聞くことは出来ない・・・部屋に戻りなさい」

「待ってお父様、私は・・・」

「綾乃、お父様の言うことが聞こえなかったの?部屋に戻りなさい」

「お母様・・・」


それでも何か言い掛けた綾乃様をお母さん・・・奥様が制した。

綾乃様に似た整った顔立ちと青い瞳が冷たい印象を抱かせるけれど、その声は意外なほど穏やかだった。


「私もあの今2人の任を解くことが良い事だとは思えないわ」

「でもお母様・・・」

「だってあなた、いつも手紙にこの2人の事ばかり書いているじゃない・・・この先、2人がいなくてもあなたが大丈夫とは思えないわ」

「そ、それは・・・」

「ほら、口ごもった・・・あれだけのお友達がお誕生会に集まってくれていたというのに、あなたは2人がいないと不安なのね」

「だって・・・」

「はいはい、あなたの気持ちはよく分かったから、今日の所は納得なさい」

「うー、わかりました・・・」


よく聞こえなかったけど、奥様が何事か言葉をかけただけで綾乃様はすっかり落ち着きを取り戻したようだ。

奥様はそのまま綾乃様の頭の上にぽんと右手を乗せ、その金色の髪を透くようになでていく・・・

さすがはお母さん、なでられる綾乃様も子供の頃のように甘えた表情を浮かべて・・・あ、目が合った。

それで恥ずかしくなったのか、綾乃様は顔を赤くして奥様の後ろに隠れてしまう。


「まぁ、あらあら・・・」

「ご、ごめんなさい、部屋に戻ります」


・・・恥ずかしさに耐え切れなかったのか、逃げるように去っていく綾乃様。


でも綾乃様はなぜ急にあんな事を・・・

やっぱり屋敷の仕事をサボってるから?でも今までそんな事を気にしているような素振りはなかったような・・・そもそも千場須さんからはまだやるように言われてないし・・・


「右子さん、左子さん・・・うちの綾乃が迷惑をかけたわね」

「ふるふる」

「い、いえとんでもないです!迷惑だなんて・・・綾乃様はきっちりしてる人だから、きっとダラダラしてた私達をたしなめようと・・・うん、そんな気がしてきた」

「あら、綾乃はずいぶん信頼されているのね」

「ええ、それはもう・・・だって綾乃様は・・・」



それから奥様と旦那様相手に、綾乃様のことをいっぱい語ってしまった。

お2人も綾乃様がこれまでどんな風に過ごしてきたのか知りたがっていたので、もう時間を忘れて語れるだけ語ってしまったよ。

でも肝試しのあと夜1人でトイレに行けなくなった話とか、綾乃様にとっては知られたくない話までつい口を滑らしてしまった・・・あれは失敗だったかも知れない。


「あらあら、さっきは行かせてしまったけれど、あの子が一人で部屋に戻れたか心配になってきたわ」

「あはは・・・さすがに今は大丈夫ですよ」

「はは、そうでないと困る・・・いつまでも君達がいてくれるかは・・・」


コンコン・・・

扉をノックした音の主は千場須さんだ。


「失礼いたします、旦那様」


千場須さんは懐から古めかしい懐中時計を取り出して旦那様に見せる。

どうやらだいぶ話し込んでしまったようだ。


「ああもうこんな時間か・・・ありがとう千場須」

「あら残念、もっとお話を聞きたかったわ」


そそくさと支度を始める2人。

皆が手を尽くして時間を作ってくれたとはいえ、やはりそんなに長くはここに滞在できないらしい。


「ちょっと待ってください、綾乃様を起こしてきます」

「いや、もうこんな時間だ、起こさなくていい」

「で、でも・・・」

「千場須にはギリギリまで待つように言ってある・・・つまり今がそのギリギリの時間なんだ、起こしてきても間に合わないだろう」

「姉さん・・・」

「・・・では、せめて私達がお見送りします・・・行こう左子」


時間的に就寝中と思われる綾乃様を呼んでこようと思ったけれど、旦那様に止められてしまった。

本当に時間がギリギリのようで、2人は躊躇うことなく屋敷の外へと足を進めていく・・・結構足が速い・・・私達も着いていくのが精一杯だ。

門の外には千場須さんの車が停まっているのが見える・・・千場須さんは運転席で、すぐに発進できる体勢だ。


「ど、どうぞ・・・」


普段千場須さんがやっているのを思い出して、左子と2人で車のドアを開ける。

本当は自動でも開くらしいんだけど・・・さっきの流れで、少しは使用人らしい仕事をしないと・・・って意識が働いてしまった。

慣れない手つきでドアを開けた私達に、旦那様は車に乗ろうとした足を止めて声をかけてくれた。


「あの子がまっすぐに育ってくれたのは君たちのおかげだろう・・・これからも綾乃をよろしく頼む」

「は、はい!任せてください!」

「・・・任せて」


後に続く奥様も同様に・・・


「私からもお願いするわ、これからも綾乃の側にいてあげてね」

「はい、綾乃様のお側を離れません!」

「ん・・・離れない」

「では・・・い、いってらっしゃいませ!」


最後にこれまた慣れない一言を発しながら、バタンとドアを勢いよく閉める・・・ドアの加減がよくわからないから、力一杯閉めさせて頂きました、失礼だったらごめんなさい。

同時に千場須さんがアクセルを踏み込み、車がすごい速度で加速していく・・・なんかすぐに見えなくなったけど、そんなにスピード出していいの?!・・・って、この辺は私有地だった。


キュルキュル・・・アスファルトにタイヤを切りつける音を遠くに聞きながら、私達は屋敷へと振り返った。


「左子・・・任されちゃったね」

「ん・・・任された」

「お仕事・・・がんばろっか」

「がんばる」



・・・と、いうわけで。


「綾乃様、おはようございます!」

「・・・おはようございます」


屋敷の仕事・・・と言っても、大半の仕事はまだ千場須さんの許可をもらっていないので、いつも通りのお仕事をいつも以上にがんばる事にした私達だ。


「右子、左子・・・き、昨日はその・・・ご」

「はい、綾乃様はここに座ってくださいね・・・いくよ左子」

「らじゃ・・・」


おそらく昨日の事について何事か言い掛けた綾乃様にみなまで言わせず、私と左子が左右から櫛をかける。

今日は一分の隙もない完璧なサラサラヘアーに仕上げるのだ。


「ちょ、ちょっと2人とも、どうしたの?!」


困惑する綾乃様をよそに、手際よく制服を着せていく・・・もちろん余計なしわは一つも許さない。

これからの季節は乾燥してくるからね、リップクリームも欠かせない。


やがて出来上がった完璧な金髪美少女、綾乃様を頭のてっぺんからつま先までチェックして、私達は顔を見合わせて頷き合った。


「うん・・・良い仕事した」

「ん・・・満足の仕上がり」


「もう・・・右子も左子も、今日はいったいどうしたの?」


まだ困惑の表情から抜けない綾乃様に、私達は綺麗に息の合った左右対称の動きでくるりと向き直ると宣言した。


「私達、辞めませんからね」

「ん・・・辞めない」

「え・・・」

「今日は私達の仕事ぶりをよーく見ていてください、クビにしようなんて気はなくなりますから」

「ん・・・私達は・・・良い仕事する」


「・・・」


綾乃様はわけがわからず、ぽかんとした表情で固まっていたけど、私達は気にせず『仕事』を続ける。


「ほら綾乃様、朝食の用意が出来てますよ」

「冷めないうちに・・・召し上が・・・おいしそう・・・じゅるり」

「我慢よ左子、私達は綾乃様が食べてから、だからね」

「ん・・・」

「・・・ぷぷ」

「綾乃様?」


聞き慣れない声・・・音?

それは、笑いを堪え切れずに吹き出してしまった綾乃様が発したものだった。


「ふふっ・・・もう、2人とも・・・何やってるのよ・・・」

「いや、だから私達は・・・これからしっかり働くので・・・クビにしないでほしいなって・・・」

「・・・クビに・・・しないで」

「しないわよ・・・しないから・・・いつも通りで、お願い」

「えっ・・・いつも通り・・・で良いんですか?」

「じゃあ・・・食べていいの?」


いつもの・・・特に最近の私達なんて仕事らしい仕事もせず、ほとんど綾乃様と遊んでるだけみたいなものなのに・・・

少し立場を忘れて羽目を外しすぎだと綾乃様は危惧したのではないか・・・それで綾乃様はクビをちらつかせて私達のやる気を出させようとしたのでは・・・そう思っていたんだけど・・・


いつも通りで良いと、綾乃さまは頷いた・・・


「ええ、昨日の事は私が悪かったわ・・・変な事を言ってごめんなさい・・・2人はいつも通りに・・・私の隣にいて、ね?」

「綾乃様・・・」

「だからほら、右子も・・・冷めないうちに召し上がれ」

「・・・はい、いただきます」

「もぐもぐ・・・」


綾乃様の反対側で既に食事中の左子に倣うように、私も朝食に手をつける。

カリカリに焼かれたベーコンはまだほんのりと温かかった。


「ふふ・・・やっぱり一緒に食べるのが一番美味しいわ」

「確かに・・・半端な仕事をするところでした」

「右子ったらまだそんなこと言ってる・・・でも、これからはこの美味しさを損なってはダメよ」

「はーい」

「ん・・・美味しかった」


いち早く食べ終わった左子、そして私も食べ終わったらすぐ制服に着替える。

着替え終わって3人で屋敷を出ると、いつものように千場須さんが車のドアを開けて待っていた。

またこのドアを私達が担当する事があるだろうか・・・これからはもう少し気にしておこうかな。


「ほら右子、はやく乗りなさい」

「あ、はい」


・・・と思ったら先に乗った綾乃様に急かされ、あまり観察できなかった。

まぁ、仕方ない・・・今は綾乃様の隣にいる事こそが私の仕事だもの。


微かに車に残った、いつもと少しだけ違う匂い。

・・・昨夜ここに乗っていた旦那様・・・奥様の匂いだろうか。

それが別れ際にお2人が残した言葉を思い出させた。


(これからも綾乃をよろしく頼む・・・)

(これからも綾乃の側にいてあげてね・・・)


「お任せください・・・綾乃様は私がきっと・・・」

「右子?何か言った?」

「え・・・ああ、なんでもないです」

「また変な事考えないで、いつも通りで・・・お願いよ」

「はーい」


ほどなくして私たちを乗せた車は学園へとたどり着く・・・

いつも通りの日々が再び始まるのだ。

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