第30話「かわいいわねこのカード」
チュンチュン・・・
外から聞こえてくる小鳥達の声に応えるように窓を開けると、冷たい空気が温まった室内を駆け抜けていく。
もうすっかり秋の気配を感じるそんな朝・・・
軽く息を吸い込むと、私はぱちんと両手で頬を叩いて気合いをいれた。
「ついにこの日がきたわ・・・左子、段取りは覚えてる?」
「ん・・・ばっちり」
私の背後で左子がこくりと頷く気配を頼もしく感じながら、私は華やかにラッピングされた包みを机の上に取り出した。
包みの中にはお手製のシロップの入った小瓶が3本入っている。
いくつもの試作を重ねて完成を迎えたモルドワイン・・・綾乃様へのプレゼントだ。
そう、今日は9月25日。
いよいよ綾乃様のサプライズお誕生会を実行する時が来たのだった。
「「おはようございます綾乃様」」
「おはよう右子、左子・・・あら、それは?」
「お誕生日のプレゼントです、おめでとうございます綾乃様」
「私からは、これ・・・おめでとうございます」
私たちはさっそく朝一番に綾乃様の部屋を訪れ、プレゼントを渡した。
朝一番に渡すというのもどうかと思ったけれど、あんまりもったいぶって渡しそびれるような事があっても仕方ない。
それに本命と言うべきサプライズが後に控えている・・・先に渡されるプレゼントは綾乃様を油断させる効果もあるだろう。
「ありがとう・・・二人のおかげで今日は良い一日になりそうよ」
プレゼントを両手に抱えて、綾乃様が嬉しそうに微笑む。
大輪の花が開くかのようなその笑顔は、いつも一緒にいる私でもドキっとしてしまいそうな美しさで・・・って綾乃様、そんな幸せそうな顔しなくても・・・
あんまりたいしたプレゼントじゃないから、後で中身を見てがっかりしないか不安だ。
ちなみに左子のプレゼントの中身は私も知らない。
私が厨房でアレコレ試作してる間に、あの子もプレゼントを用意していたようで・・・
前に一度聞いてみたんだけど・・・
「恥ずかしいから・・・秘密」
・・・だって。
左子の照れた顔とか久しぶりに見たよ。
我が妹ながら結構かわいいんじゃないだろうか。
こんな顔されたら大抵の男子は攻略できるてしまうのでは?
左子には好きな男子とかいないのかな・・・今のところそういう気配はないけれど・・・
「それで今日はどこへ連れて行ってくれるのかしら?」
おっといけない。
今日は綾乃様のお誕生日だからね、集中しないと・・・
表向きは今日、綾乃様と私たちでお出かけの予定になっている。
もちろんサプライズの為の時間稼ぎだ。
「ええと・・・それはまだ秘密です」
「もう、話を聞いてからずっと楽しみにしているのに・・・」
「行ってみてのお楽しみ、ってやつですから・・・まだダメです」
「いじわる・・・」
子供のように唇を尖らせて拗ねる綾乃様。
正直これもたいしたプランは用意していない、綾乃様を屋敷の外に連れ出す事さえ出来れば良いのだから・・・
でもせっかくだから、綾乃様には前世の私が好きだった場所に案内してあげようかな。
お嬢様暮らしの綾乃様にはきっと新鮮に映るに違いない。
「さぁ綾乃様、今日は電車に乗って移動しますよ、乗り方わかりますか?」
最寄り駅の改札口を前に、私はちょっといじわるな問題を出してみた。
頭のいい綾乃様のことだ、普段電車を利用する事がなくても、券売機で切符を買う事くらいは知っていると思う。
でも今回は行き先を告げていないので、どこまでの切符を買えば良いのかわからない。
だからこの問題における正解は・・・
「ふふ、残念だけど引っかからないわ・・・切符がなくてもカードで支払う事が出来るのよね」
さすが綾乃様、引っかけ問題を回避した。
そのまま迷いのない足取りで自動改札へと向かい・・・カードをパネルにタッチ。
・・・すると警告音と共に改札がパタンと閉じてしまった。
「な、なぜ?!」
何が起こったのかわからずに困惑する綾乃様。
もう一度カードを取り出してタッチを試みるも、一度閉ざされた改札が開く事はない。
仕方なく駅員を呼ぼうと周囲を見回す綾乃様、その手元でカードがキラリと金色に・・・金色?・・・ああ、そういう事か。
運が良いのか悪いのか・・・駅員さんは通り掛からなかったので、綾乃様はすがるような目でこちらを振り返ってきた。
「右子・・・改札がカードを読み込んでくれないの・・・」
「綾乃様、そのクレジットカードじゃ無理ですよ、これを使ってください」
そう言って私は単色で大きく猫のシルエットが描かれた銀色のカードを取り出した。
全国の交通機関で使える交通用ICカード『Nekoca』だ。
最近では色々なデザインの物が流通しているけれど、私はこの基本デザインが気に入っている。
世の中にはNekocaと連動しているクレジットカードもあるらしいけれど、残念ながら綾乃様のゴールドカードは連動していない。
無事に渡したNekocaで改札をくぐり抜けた綾乃様を見届けて、私の分のNekocaを渡してしまっている事に気付いた。
まぁ、私は行き先を知ってるから切符で良いんだけど・・・
「ちょっと切符買ってきます、左子は綾乃様と先に・・・って左子?」
あれ・・・左子がいない。
さっきまで隣にいたはずなんだけど・・・あ、券売機の方にいた。
左子もNekocaは持ってたはずなんだけど・・・
「姉さん・・・これ」
そう言って左子が差し出してきたのは真新しいNekoca。
どうやらこの状況を見て新しく発行して来てくれたようだ・・・出来る妹を持ってお姉ちゃん嬉しいよ。
「ありがと、助かったわ」
「ん・・・」
左子と一緒に改札をくぐり抜け、綾乃様を連れて上り線のホームへ。
今日は休日という事もあって、乗客は結構多い。
「専用のカードが必要だなんて思わなかったわ・・・右子のいじわる」
「それ差し上げますから、どうか機嫌を直してください」
「別に私は怒っているわけじゃ・・・でもかわいいわねこのカード」
「でしょう?ちょっとしたお気に入りなんです」
『一番線に電車が参ります、黄色い線の内側に下がってお待ちください」
口を尖らせる綾乃様をなだめつつ、到着した電車へと乗り込む。
この斎京線は流也さまの実家である斎京グループが経営している鉄道路線だ。
他の系列の路線と比べて地震や台風等で止まる事が少ないため最強線とあだ名されている。
この上り線は地下鉄直通になっており、乗り換える事なく目的地に連れて行ってくれるのがありがたい。
その目的地とは・・・
「右手側をご覧ください、あれが東京タワーです」
赤くそびえる巨大な電波塔。
二つの展望台を有する東京のシンボル、その名もズバリな東京タワー。
より高く新しいシンボルツリーが建築された現在にあっても、地方民にはいまだ一定の人気がある観光スポットだ。
漫画やアニメの舞台として登場する事も多く、ここから異世界に旅立ったり、敵に破壊されたりする事もある。
「これが・・・東京タワー・・・」
「こんなに近くで見るのは初めてだわ・・・下に建物があったのね」
「あの建物からエレベーターで登るんですよ、階段で登ることも出来るらしいですけど」
「階段?!」
東京タワーの根本、鉄塔の付け根の部分に挟まれるようにして四角い建物が建っている。
エッフェル塔みたいに真下が空いてると思っていた人もいるのではなかろうか、私も実物を見るまではそう思ってた。
綺麗に左右対称の正方形を描く鉄塔の足に対して、長方形で不対称な建物はちょっと不自然さを感じる・・・配置に若干のズレがあるのもちょっと不格好かも知れない。
「さすがに階段は使いませんよ、普通にエレベーターで行きましょう」
「そ、そうよね・・・」
鉄の骨組に沿うような形で、上の展望台まで階段が延びているようだ。
階段で登ってみたい気もちょっとだけするけど・・・さすがにこの高さを登るのは体力的にきつそうだ。
私たちを乗せたエレベーターはゆっくりと上がっていき、程なくしてタワーの下段に位置する四角い大展望台に到着した。
この展望台は結構広くて、おみやげ物の物販店やカフェが入っている。
大展望台というだけあって見晴らしもなかなかだ。
「思ったよりもいい眺めね・・・うちは見えるかしら」
「ええと・・・屋敷の方角は・・・こっちですね」
「うーん・・・わからないわ」
「・・・ですよね」
だいたいの方角を指さすけれど、屋敷の姿はちょっと遠すぎて見えない。
それは綾乃様の視力でも同じのようで、さすがに肉眼で見える距離じゃな・・・ん?
クイックイッ・・・
不意に袖を引っ張られた・・・左子?
「姉さん、綾乃様・・・これ」
そう言って左子が指さしたのは備え付けの双眼鏡だった。
お金を入れることで一定時間見えるようになるやつだ。
左子はためらいなくお金を入れると、双眼鏡を覗きこんだ。
「・・・・・・」
「どう?見える?」
左子は無言のまま双眼鏡の角度を調整している。
まぁ左子が無言なのはいつもの事なんだけど、ちょっと真剣みを感じるよ。
それからしばらくして・・・
「・・・見えた」
そう言って左子は双眼鏡の角度がずれないように、そっと顔を離した。
安っぽい見た目をしている割に双眼鏡は充分な機能を発揮したようだ。
そのまま左子は身体を退いて双眼鏡の前のスペースを空けた。
「綾乃様、どうぞ」
「ありがとう・・・あら・・・」
「どうかしましたか?」
「いえ、今屋敷に見慣れない車が・・・」
「・・・あ」
まさか流也さま達サプライズ組の車が?!
よりによってこのタイミングで・・・な、なんとか誤魔化さないと。
「せ、千場須さんの車じゃないですか?」
「それはないと思うわ、色が違うもの」
「じゃ、じゃあ・・・え、ええと・・・」
「三ツ星さんの車かも・・・今日の夕食に・・・珍しい食材を仕入れるって言ってた」
「それだ、それですよ!今日は綾乃様のお誕生日だからって三ツ星さん気合い入れてましたし」
「そうかしら・・・あら」
「・・・ま、また何か?」
「ううん、見えなくなってしまったわ」
また何か綾乃様が見つけてしまったのかと思ったら、双眼鏡の残り時間が切れたようだ。
このまま連コインされても困るので、私は場所を変える事にした。
「ここはこれくらいにして、そろそろ上に行きましょうか」
「上に?」
「はい、この上の特別展望台に私、一度行ってみたかったんです」
「そ、そうなの・・・じゃあ一緒に行きましょうか」
「はい!」
東京タワーの上の方にある小さな丸いやつが特別展望台だ。
この特別展望台に登るには追加料金が必要になるので、お金に余裕のなかった前世の私は登る事が出来なかった。
でも今の私はお金持ち・・・の綾乃様の従者。
何も臆する事はない、特別な景色とやらを見せてもらおうじゃないか。
綾乃様の手を引いて専用のエレベーター前へ。
本来ならここで順番待ちがあるんだけど、今日は休日の割には空いていた。
程なくして降りてきた透明なガラス張りのエレベーターに3人で乗り込むと、エレベーターはゆっくりと上昇を開始した。
「うわぁ、ドキドキしてきますね」
「そ、そうね・・・ドキドキするわ」
なんか綾乃様の表情が硬くなってる・・・ドン引きされちゃったっぽい。
なんか私一人でテンション上げすぎたかな。
でもガラス越しにどんどん高く登っていくのが見えるとワクワクが止まらない。
ついにエレベーターは特別展望台に到着。
開いたドアの向こうにあったのは、ちょっと近未来チックな丸い空間。
「・・・こんな風になってたんだ」
下から見た時も小さいとは思っていたけど、こうして足を進めてみるとだいぶ小さな空間だ。
エレベーターを中心に、ぐるりと廊下が一周しているだけの部屋なんだけど・・・
人間が2人通るのがやっとの空間に、ぼんやりとした照明が灯り、周囲360度全面を覆うガラスの曲面がまるで宇宙船にいるかのような気分にさせてくれる。
今は昼間だけど、夜になったらそれこそ空を飛んでいるような気分が味わえるに違いない。
次ここに来る時は夜にしよう、夜景も綺麗だろうし・・・
よく見ると床の一部も透明になっていて、タワーの真下がよく見え・・・
「みみみ右子・・・そんなに早く進まないで」
「あ、ごめんなさい綾乃・・・様?」
振り返ると綾乃様はエレベーターの壁にぴったりと・・・まるで背中を見られたらいけない人のように張り付きながら、片手で抱き寄せるような形で左子にしがみついていた。
その様子はまるで・・・
「ひょっとして綾乃様、高所恐怖症?」
「そそそんな事ないわよ?ほ、ほらぜんぜん大丈夫・・・」
「・・・あやのさま・・・くるしい」
あわてて壁から離れる綾乃様だが、左子からは手を離さない。
むしろより強い力で締め付けられて・・・左子が苦しそうだ。
綾乃様はそのまま廊下を歩こうとしたけれど・・・先程の透明な床を前に、目に見えて膝が震え始めた。
・・・もう、しょうがないなぁ。
「ふふっ・・・綾乃様、お手をどうぞ」
「右子、私は大丈夫だって・・・」
「でもさっきから左子につかまってるじゃないですか」
「え・・・ああっ!左子?!ごめんなさい、大丈夫?」
「へ・・・へいき」
どうやら私に言われるまで自覚がなかったらしい。
とはいえ左子から手を離すことも出来ず、差し出した私の手もなかなか取ってくれない。
「綾乃様・・・正直に言うと私も怖いの我慢してるんです」
「そ、そうなの?」
「はい、綾乃様が手を握ってくれないと、もう一歩も動けません」
「そう・・・なら仕方ないわね・・・」
そう言って綾乃様は、おずおずとその右手を私の手に重ねた。
握ったその手は変な汗でじんわりと湿っていて・・・やっぱり怖かったんだね。
反対側の手にも左子の手をしっかり握りしめた綾乃様は、心なしか落ち着いたような気配がする。
「綾乃様、歩けますか?」
「わ私は平気だって言ってるでしょう、右子こそ大丈夫なの?」
「ええまぁ・・・じゃあ進みますよ、しっかり握っていてくださいね」
綾乃様がちゃんと歩けるか不安なので、ゆっくりと・・・あ、本当に大丈夫そう。
この廊下は3人並んで歩ける程の幅がないので、私達は数珠繋ぎになって進んでいく・・・丸い通路をぐるぐると、まるで円舞曲のよう。
窓の外に見える景色もぐるぐると回っていく・・・綾乃様も少しは風景を見る余裕が出来てると良いんだけど。
そのままぐるりと一周して、エレベーターの扉の所まで戻って来た。
私としてはもう少しこの空中散歩を堪能したい所だけど、綾乃様はなるべく早く下に降ろした方が良さそうだ。
「一周しましたし、この辺で降りましょうか」
「そ、そうね・・・す少し物足りないけれど、これくらいにしましょう」
口ではそんな事言っても、すっごい救われたような表情してますよ綾乃様。
しかし綾乃様は高所恐怖症か・・・これからは高い所に気を付けないと。
ひょっとして飛行機もダメなのかな・・・海外で働くご両親に会いに行かないのも・・・いや、まさかね。
ゆっくりとエレベーターが降りていく・・・高度が下がるにつれて私の手を握る綾乃様の力が緩んでいくのがわかった。
ちょうど中間地点を越えたあたりで綾乃様の手が離れた・・・どうやらこの高さまでは大丈夫らしい。
だいたい200mくらいが危険域だろうか・・・下の展望台では落ち着いてたもんね。
「綾乃様、そろそろお昼にしましょうか、そこのカフェ・・・は混んでますね」
「外で探しましょう・・・この辺りにどっきりビッキーはないかしら?」
「・・・じゅるり」
残念ながら、どっきりビッキーの店舗は近くにはなかったけれど・・・
そこは観光地なだけあって、タワー付近にはおしゃれなお店がいっぱいあった。
その中から比較的空いているお店を見つけたので、私達はそこでお昼を食べる事にした。
通されたのは街路樹の見えるオープンテラスのウッドデッキ、今日は天気がいいので差し込んでくる木漏れ日が気持ちいい。
「高い所からの眺めも良いけれど、こういう場所も落ち着くわね」
「そうですね、しばらくここでゆっくりしていきましょうか?」
「ええ、それがいいわ・・・少し疲れてしまったもの」
地上に降りた安心感からか、綾乃様はすっかり根が生えてしまったようだ。
靴も脱いで素足になってしまった・・・私も真似してみるとウッドデッキの木の感触が疲れた足に優しい。
「なんか無理に付き合わせてしまったみたいですいません、今日は綾乃様の誕生日なのに・・・」
「気にしなくて良いわ、私も少し怖かったけれど・・・あれはあれで楽しかったもの・・・三人でくるくると、空を歩いたような気分だわ」
「それは良かったです、じゃあ次はもっと高いスカイツリーに・・・」
「そ、そうね・・・き機会があれば、ね・・・」
あ、綾乃様が固まった。
ちょっといじわるだったかな・・・大丈夫ですよ、もう高い所には行きませんって。
その後、運ばれてきた料理を美味しくいただきつつ、木漏れ日の中でゆったりと時間が流れていった。
ちなみに綾乃様が双眼鏡で見た物については、すっかり忘れてくれたみたいだ。
よっぽど高所でのショックが大きかったんだろうね。




