第12話「まるで右子ね」
四月も終盤に入り、少し早くなった朝の日差しが白亜の城・・・二階堂の屋敷を照らしていく。
「う・・・ん・・・おはよ、左子」
「・・・おはよう・・・姉さん」
ベッドの中から相手も確認せずに呟いた私の言葉に、上から返事が返ってくる。
ミシリとベッドを軽く軋ませながら、双子の妹が上段から降りてくるのを横目に・・・眠い目をこすりながら私は身を起こした。
時刻は安定の朝6時・・・そろそろ学園生活にも慣れてきた気がする。
「キング」という心配事がなくなったおかげで体調も悪くない、比較的良い目覚めだ。
となれば、朝のお仕事をしないわけにはいかない。
二人でささっとメイド服に着替えて、綾乃様の部屋に向かう・・・
ここ最近は綾乃様の起床時間が遅くなってきているので、私達は仕事に事欠かない。
寝起きの綾乃様を二人掛かりで着替えさせ、髪をとかし、食堂まで連れて行く・・・このあたりで綾乃様の意識がはっきりしてくるようで・・・
「・・・あ、右子、左子」
「「綾乃様、おはようございます」・・・ます」
「おはよう、今日は良い天気ね」
両サイドで綾乃様の支えを解きながら、微妙にタイミングがずれてエコーみたいな事になってる声で挨拶をする。
三ツ星シェフによって用意された朝食を頂いた後も、もたもたしていられない・・・急いで制服に着替えて千場須さんの車に乗り込むのだ。
「今日は時間通りのようですな、欲を言えばあと5分程早くして頂けると助かりますが・・・」
「ご、5分ですか・・・」
私達に対する千場須さんの要求レベルは次第に高くなっていってる・・・いつまでも子供扱いはしないという事だろう。
いずれ彼の配下のメイドとして私達が働く日を視野に入れているのかも知れない。
それも悪くはないんだけど・・・なんか厳しそうで、ちょっとこわいなぁ・・・
「あら・・・もうタイは結べるようになったのね」
最後に綾乃様を車内に迎え入れたところで車が発進する・・・綾乃様は少し残念そうな表情だ。
「いつまでも綾乃様の手を煩わせるわけにはいかないです」
「そんなに気にしなくても・・・ふぁ・・・」
「眠そうですね・・・クラスで何かありましたか?」
「ええ、実はクラス委員を引き受けたのだけど・・・」
・・・ああ、それで睡眠時間が押してきているのか。
中学時代に生徒会長を務めた経歴に加えて、二階堂家のお嬢様だ。
綾乃様はクラスの代表として、うってつけの存在だった事だろう。
そういう点ではうちのクラスも・・・まぁ、例によってキングこと流也さまがクラス委員に就任しているんだけど。
善政を敷くと言って、誰もやりたがらなかった美化委員を兼任した彼の仕事ぶりは概ね好評だった。
同じクラス委員とという事で、今後も二人の交流がありそうなのは良い事だ。
人見知りの綾乃様でも次第に仲良くなれるにちがいない。
この調子で葵ちゃんが動き出す前に攻略を進めていきたいね。
ちょうど良い事に・・・この時期に発生するイベントがある事を私は知っている。
「という事は、これからは帰りの時間がずれてしまいますね・・・今日は遅くなりそうですか?」
「今日は一緒に帰れると思うけど・・・そうね、今後二人は先に帰ってもらう事になりそうだわ」
・・・そうか、今日ならいけるか。
「綾乃様、私達、何か部活をやってみようかと思うんですが・・・そうすれば、これからも一緒に帰れるかなって」
「部活?なにかやりたい部活があるの?」
「ええ、気になる部活があって・・・それで良かったら今日の放課後、一緒に見学に行きませんか?」
「え・・・でも私は・・・」
「ああ、良いんです良いんです綾乃様は入部とかしなくて良いので・・・一緒に見てくれるだけで」
「そう・・・なら良いけれど・・・」
というわけで・・・放課後、私達はこの姫ヶ藤第一体育館にやってきていた。
姫ヶ藤学園の第一体育館は競技場のように大きくて観客席が付いている本格派・・・さすがお金持ちの学校だね。
今日はここでバスケ部の練習試合があるのだ。
公式戦というわけでもないのに観客席には多くの生徒達、それも女生徒の姿が・・・それもそのはず・・・
「きゃあ、要さまがまたロングシュートを決めたわ!」
「私知ってましてよ、あれはスリーポイントシュートと言うの」
「なんて美しいフォームなのかしら・・・」
1年生でレギュラーの座を勝ち取ったバスケ部期待のエース、九谷 要・・・攻略対象の一人だ。
天才プレーヤーとしてこれから活躍していくんだけど・・・実は彼には誰にも言えない秘密があって・・・うわぁ止め絵じゃないよ、動いてるよ、かっこいい!
やばいやばいやばい、ゲームと違って生で動いてるのを見ると5割増しくらいにかっこいい。
ありがとう神様、この世界に生まれ変われて良かったよ。
こうしてる間にも、また彼の得意技であるスリーポイントシュートが・・・投げる瞬間に汗がキラって!キラって!
「姉さん・・・通路で立ち止まらないで・・・」
「あ、ごめんごめん」
目的を忘れてすっかり見入ってしまっていた・・・あぶないあぶない。
たしか観客席の最前列が一ヶ所だけ空いているはず・・・あったあった。
「どうぞ綾乃様、この席にお座りください」
「私は後ろで構わないのだけど・・・右子が座った方が・・・見たいのでしょう?」
見たい、すごく見たい、最前列で食い入るように見たいよ、うん。
でも・・・今は我慢だ、私にはそれより大事な目的があるんだ・・・くぅ。
「いやいやここは綾乃様が座ってください・・・え、ええと・・・ホラ、一人分の席だと左子が一緒に座れませんから、ね?ね?」
「こくり」
「まぁ・・・それなら・・・良いのかしら」
試合も終盤戦に突入、現在は2点差で姫ヶ藤がリード。
このまま逃げ切るよりも追加点とばかりに攻めているけど、相手チームもなかなか粘り強さを見せている。
ここでチームメイトの・・・たしか・・・六道くんだ、六道くんが相手チームのパスをカットするんだけど・・・
弾かれたボールが観客席の・・・そう、今綾乃様が座ってる席目掛けて飛んでくるんだ。
「!!」
「綾乃様!・・・ッ」
この先の結果がわかってても、つい反応してしまいそうになる・・・ボールから綾乃様を庇いたい気持ちを全力で抑え込まないと。
大丈夫、ここで横から手がスッっと・・・ほらきた、要さまのしなやかな腕が視界に入って来て、ボールを・・・
バシィ・・・弾かれたボールはコートに。
そして要さまはボールを追った勢いそのまま客席に飛び込む形になって、ボールを避けようとした綾乃様・・・の椅子に・・・
「く・・・ぅ・・・」
「要さまが!要さまがお怪我を!」
「血が、血が出ているわ!」
「おい要、大丈夫か?!」
パイプ椅子と違ってしっかり固定されている客席の椅子に頭をぶつけた彼は、額から血を流していた。
更に追い打ちをかけるが如く、ここで無情にも相手チームのシュートが決まり、同点になってしまう。
「選手交代だ、万田、代わりにお前が入れ!」
「うっす!」
「か、監督・・・俺はまだやれます!」
「ただの練習試合で無茶をするんじゃない、いいからお前は保健室に行け」
「く・・・」
ここだ・・・ここで彼を保健室に運んで急接近するっていうイベントなんだよ。
しかもここで後に繋がる大事なフラグがあってね・・・
「こんなの全然大丈夫ですって!それより試合を・・・」
「エースだからと言って我儘は許さん、誰かこいつを保健室に連れてってやれ」
「監督!」
「・・・」
ここだ、試合にかける彼の情熱を知る仲間達が気後れしているこのタイミング。
さぁ綾乃様、今ですよ。
「私達が要さまを保健室に連れて行きます」
そうそう、これで保健室で二人っきりに・・・って、あれ・・・
「右子さん、左子さん、手伝ってくださる?」
「こくり」
「あ・・・は、はい」
「監督ぅうううう!!」
抵抗を続ける彼を3人で押さえつけながら、保健室に無理矢理連れて行く・・・なんか違うぞ。
幸い傷は思ったよりも浅く・・・保健室についた頃には血はもう止まっていた。
でも念のため包帯を巻きつつ、先生が来るのを待つ事になったんだけど。
「・・・」
「・・・」
終始無言である。
空気が重いよ、二人ともなにか話そうよ。
本当は綾乃様が動くべきなんだけど・・・ここは私がやるしかないか。
今更唐突な感じになっちゃうけど、まずは話を振らないと・・・
「しかし要さま、すごいプレイでしたね」
「・・・あんなの、全然たいしたことじゃない」
そう言いながら彼は悔しそうに歯を食いしばってる・・・そうか、あそこで同点になった責任を感じているんだ。
「でも2回もシュート決めてたじゃないですか」
「相手チームのマークが先輩達に集まってたから、俺がフリーになったってだけで・・・」
・・・そうだよね、チームプレーによる得点だよね。
でも今はそういうのいいから!もっと前向きに夢とか語ろうよ!
今語っておけば、後で現実になるかもだよ?
「ああそうだ、助けてくれてありがとうございます!あのままだったら綾乃様にボールが当たる所でした」
「助けたわけじゃない、俺はただボールを追うのに夢中で・・・」
「周りが見えなくなる程、夢中になっていたんですね」
よしよし・・・このままバスケにかける彼の情熱を語ってもらわなきゃ・・・
「ふふ・・・まるで右子ね」
「ええっ?!」
「・・・確かに」
「左子まで?!」
・・・私ってそんなに猪突猛進してたっけ?
確かにさっきは要さまのプレーに夢中になってたけど、けど・・・あれくらいで?
私的にはちょっと心外だぞ。
「でも・・・周りに心配してくれている人達がいる事は、忘れてはいけないと思います」
「こくり」
「監督・・・それにチームの皆か・・・」
あ、でもなんか良い雰囲気になってきた。
さっきまで一言も喋らなかった綾乃様が・・・私の事が話すきっかけになったのかな。
いいねいいね、後は彼に夢を語ってもらうだけだね。
「こんな怪我をしたら、皆様が心配するのは当たり前だと思いますよ」
「でも俺はもっと、チームの役に立ちたいんだ!」
「ならまずは皆様に心配をかけないようにしないといけませんね、今は無理せず休む事・・・それがチームの為ではないかしら?」
ああちょっと待って綾乃様今その流れはまず・・・
「・・・皆に心配をかけない、か・・・そうだな、そうだよな・・・」
「はい、ですから今はしっかり休んで・・・元気になった姿を皆様に見せてあげてください」
ああああああああ!
実は彼には持病があって、これから悪化していくんだけど・・・チームの皆に心配させないようにってずっと隠すんだよ!
本当は病気で辛いのに殊更元気に振る舞ってるのが、二周目以降だと透けて見えて・・・辛いんだよね・・・
そして一度は絶望してバスケを辞めちゃうんだけど、あの時葵ちゃんに語った情熱をもう一度思い出して制限時間付きの選手として復帰するんだ。
で・・・
ひょっとしてその、やせ我慢する原因が・・・まさかコレ?!
痛恨のミスだよ綾乃様、どうすればいいのこれ・・・
「・・・でもそれだと、今の俺は元気じゃないみたいじゃないか」
「お言葉ですが、先程までの要さまは元気とは程遠い顔をなさっていました」
「く・・・確かに・・・そうかもな・・・ははっ」
「ふふ・・・」
・・・
・・・雰囲気は良いんだよなー、なんか好感度は稼げてる気がする。
これはこれで・・・なんとかなったりするのかなー・・・ネタはわかってるし。
終盤のイベントへの対処は後で考えるとして・・・今は・・・
「綾乃様、私、ちょっとお手洗いに行ってきます!」
「右子?」
ふっふっふ・・・名付けて「後は若い二人に任せよう作戦」
せっかく良い雰囲気になったからね、ここで二人きりにすればもっと進展するはず。
ここはなんとかして左子も連れてかなきゃ・・・
「・・・私も行く」
「え・・・うん、行こう行こう」
さすが左子、私が何も言わなくてもわかってくれたか。
これぞ双子パワーだね、お姉ちゃん嬉しいぞ。
二人を保健室に残して・・・さ、適当に時間を潰そうか。
って左子?なんで私の制服の袖をしっかり掴んでるのかな?
や、本当にトイレに行かなくてもいいんだよ?そしてなんでまたモップを出したの?
「・・・ここで・・・見張ってるから」
・・・トイレの個室に押し込められた。
今私のいる個室のドアの前には、モップを持った左子が門番のように立っている。
「ひ、ひだりこさーん?」
「・・・誰も通さないから・・・ゆっくり」
ゆっくりって・・・何も出ませんよ?
ってか、こんな所、誰かに見られたら恥ずかしいんだけど?
だが左子は強情だ、私が用を足すまで誰もここを通さないだろう・・・私も含めて。
(だ、誰も来ませんように・・・)
今の私には祈るしかない・・・しかし、私の祈りは天に通じなかった。
トイレに近付いてくる何人かの足音、近付くにつれ話し声も聞こえてきた。
「ソレいつまで持ってるおつもりですの?早く処分してくださいな」
「ふふ・・・そのためにこんな所にまで来たんじゃありませんの」
?
「・・・中に誰かいますわ」
「掃除当番の生徒でしょう、モップ持ってますし・・・」
あ、良い方に勘違いしてくれた。
ここに私が入ってるのに気付かれなければ大丈夫そうだ。
よし、息をひそめてやり過ごそう。
「さぁ、コレはここにこうして・・・」
「ああ・・・そういう事」
なんか数人で隣の個室に入ったみたいだ。
どうやら声を潜めてるつもりみたいだけど、隣だから普通に聞こえてくる。
・・・そういう事ってどういう事だよ。
「ふふ・・・あの女にはお似合いですわ」
「さっさと流してしまいましょう」
続いて、便器の水を流す音が聞こえてきた。
便器になにかを捨てた?流した?
「それにしてもあの女、よりにもよって『Monumental Princess』になるですって」
「二階堂家の綾乃様に歯向かったとも聞いていますわ」
「本当に信じられない・・・庶民の分際でいったい何様のつもりなのかしら」
あ・・・
「Monumental Princess」そして「庶民」
この二つのキーワードでだいたいの事を察した。
葵ちゃん関連だ・・・そういえばあったね、お約束のやつ。
「何をなさっているの?早く流してしまってくださいまし」
「・・・うまく流れませんわ・・・むしろ詰まって・・・あ・・・」
??・・・なんか足元が・・・
「どうしましょう・・・水があふれて・・・」
「・・・に、逃げますわよ」
「で、でも先程、掃除当番の生徒に・・・」
「か、顔は見られてませんし・・・あの女のせいにすれば・・・そう、全部あの女が悪いのよ!」
「そうですわ!全部あの女が・・・」
足音が去っていく・・・
私の事がバレなかったのは良いけれど、なんか足元が水浸しになっているぞ。
さっきのやり取りから察するに、この水は・・・
「左子、ドア開けて、ついでにそのモップかして」
「・・・姉さん?」
受け取ったモップに床の水分を吸わせて・・・よし危機回避。
まさかこのモップが役に立つなんてね・・・
しかしさっきの子達・・・いったいトイレに何を流そうとしたんだろう。
たぶん葵ちゃんの私物かなにかだと思うけど・・・
私は隣の個室へと入り・・・閉まっている便器の蓋に恐る恐る手を伸ばした。
「これは・・・」
うん、完全に詰まってる。
表面張力で波々と波打つ洋式便器の中に、それはあった。
白い布地の塊が半分くらい奥に入り込んでしまっている・・・特徴的な名前「一年」の「年」の文字が僅かに顔をのぞかせていた。
葵ちゃんの体操着だ。
「うわ・・・ここの体操着高いのに・・・」
たしか上下で1着3万円くらいした気がするよ・・・お金持ちの学校だからね。
私も前世では貧しい方だったから、葵ちゃんちの家計へのダメージが伺い知れる・・・あいつら、なんて事するんだ。
なんとか引っ張り出せないかな・・・
袖をまくって右腕を突っ込むと・・・確かな手応え、これはいけるかもしれない。
「姉さん?!・・・何を・・・」
「左子、ちょっと私の袖押さえてて・・・両手で引っ張ればいけると思う」
左子がいてくれてよかった、制服を汚さずに済む。
両手で力いっぱい引っ張ると、ズポッと音を立てて体操服が引き出され・・・同時に便器に貯まっていた水が流れていく。
見た感じ体操服は破れたりとかしてない・・・お値段が高いだけあって丈夫なのかも知れない。
「ふぅ・・・コレをどうしたものか・・・」
「姉さん・・・くさい」
左子はあからさまに鼻をつまんでえんがちょアピールしてくるけど、言うほど臭わない。
便器はきれいに掃除されているし、貯まっていた水も透明だった。
普通に洗濯すれば大丈夫そうだ。
問題はコレをどうやって葵ちゃんに返すかだ。
入学以来、全然会ってないんだよね・・・なんか気まずいし。
とりあえず洗面台で軽く洗おう・・・そう思った矢先の事だった。
「それ・・・なんで・・・」
入口の方から声がした・・・何度も聞いた事のある・・・葵ちゃんの声だ。
私は瞬時に今の状況を理解した・・・やばい、どう見ても私が犯人だ。
「あ・・・ち・・・ちが・・・」
全身から血の気が引いて行くのを感じる・・・口が震えて上手く言葉が出せない。
「・・・!」
「ちょっと待って」の形で差し出しされた体操服を、葵ちゃんはひったくるように奪うと・・・何も言わずそのまま走り去ってしまった。
「・・・」
・・・最悪の気分だ。
左子がいつまでも「くさい」と連呼するので、念入りに両腕を洗った。
いつのまにか綾乃様がいたけれど、いつ来たのか気付かなかった。
綾乃様から聞いた話によれば・・・
あの後、保健室には私達と入れ替わるように先生が来たので、先生に後を任せて私達を探しに来たらしい。
だけど・・・
なんか、全然話が頭に入らなかった。
(どうして・・・私を裏切ったの?)
いつしかの悪夢で聞いた葵ちゃんのその声が・・・もう一度聞こえたような気がした。




