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第91話「い、いけません!綾乃様・・・」

漂ってきたのは日本食特有の出汁の香り。


鼻孔をくすぐる微香・・・ふとそんなダジャレが脳裏を過ぎる。

カツオかそれとも昆布か・・・どちらにせよ日本人に馴染みの深い、食欲と安心感をもたらす匂いだ。

飢えを思い出したお腹が活動を再開するのを感じながら、私は再び目を覚ました。


ここは・・・病院・・・だと思うけど・・・

病室にしては部屋は広く、ベッドも他に見当たらない。

さっきから漂ってくるこの匂いは・・・いたた、上体を起こそうとしただけで腰が・・・


「うぐぅ・・・」

「目を覚ましたのね、ちょうどよかったわ」

「あ、綾乃様・・・おおう」


ウィーン


駆動音と共にゆっくりとベッドが折れ曲がり、私の上体を起こしてくれた。

同時にサイドからアームが展開して目の前にテーブルが設置される。

これが入院患者用のベッドか・・・そういうのがあるとは知っていたけど、まさか実際に体験する事になるとは。


「大丈夫?どこか痛くない?」

「ええまぁ・・・身体のあちこちが・・・あ、大丈夫ですから!先生呼ぶ程じゃないですから!」


つい思ったままに答えた私の返事に血相を変えた綾乃様を慌てて制止する。

怪我の状態を思えばこれくらいの痛みは当然・・・むしろ軽いくらいだろう。

というか、あの状態から命が助かっただけでもすごい事なんじゃないか・・・


「私、生きてるんですね・・・」

「ええ・・・これ、作ったのだけど、食欲はあるかしら?」


そう言って綾乃様が控えめに差し出してきたのは、お粥のようなものだった。

具のない、ご飯が煮込まれたもの・・・少し焦げ付いたのか一部茶色くなっている。

どうやらさっきの匂いの元はこれらしい・・・出汁の香りにきゅぅ、と私のお腹が鳴った。


「・・・聞いての通りです」

「うふふ・・・良かったわ、遠慮く召し上がってね」

「はい、いただきま・・・綾乃様?」


匙とかスプーンの類がないんですけど・・・

訊ねようとした私の口元に、すっとそれが差し出された。


「はい、あーんして」

「ちょ・・・ちょっと綾乃様?!」

「ああ、冷まさないといけないわね・・・」


綾乃様は匙で救ったお粥にふーふーと息を吹きかけて・・・ってそうじゃなくてですね?!


「綾乃様、そこまでして頂かなくても私は・・・」

「ダメよ、怪我人は無理しないで・・・それとも・・・」


綾乃様はそこで言葉を区切ると、瞳を潤ませ・・・


「私に食べさせられるのは、嫌?」

「・・・嫌じゃないです」


嫌だなんて言えるわけがなかった。

私が観念すると綾乃様はぱぁっと表情を綻ばせ・・・


「そうよね、はいあーん」

「あ、あーん」


良く煮込まれたお粥は、ほぼほぼ液体のような食感だったが、出汁がしっかり利いていて味に薄さは感じない。

焦げつきもちょっとしたアクセントだ、全然いける。

何より飢えた身体が全力で食べ物を求めている・・・無意識に私は催促するように口を開けていた。


「まぁ、右子ったら赤ちゃんみたい・・・かわいいかも」

「綾乃様・・・はやく食べさせてください」

「はいはい、あーん・・・美味しい?」

「はい、美味しいです」


なかなか恥ずかしい光景のような気がするけど、食欲には勝てない。

あーんと何回も催促するうちに、お粥はすぐになくなってしまった。


「本当はもっと食べさせてあげたいのだけど、ごめんなさい・・・あんまりたくさん食べさせてはいけないらしくて」

「いえ、大丈夫です・・・ご馳走様でした」


ふぅ・・・お粥は少量でもしっかりとお腹に溜まってくれるので、空腹には効果覿面だ。

身体も暖まって・・・むしろちょっと暑くなってきた。


「それで綾乃様、私の怪我の状態とか聞いてますか?」

「ええ・・・落ち着いて聞いてね」


私の質問に綾乃様の表情が曇る・・・あんまり良くないんだろうな。

ある程度は自覚してる部分もある、例えば私の両脚は動かない。

腰回りの痛みもそうだけど、主に下半身の被害が大きそうだなって・・・


綾乃様から聞かされた話は、概ね予想通りであり・・・予想通りではあるんだけど・・・


「でも安心して、ちゃんとリハビリすれば歩けるようになるって」

「え・・・」

「海外から名医を呼んで難しい手術をしてもらったの、脚の感覚はあるのよね?」

「ええ、なんか痺れてますけど・・・一応は」

「なら大丈夫よ・・・どれくらいかかるかは本人次第って言っていたけれど」

「・・・」


まじか・・・

海外の名医とか・・・どれだけ大金を積んだんだろう。

治療費とかあんまり考えたくないんだけど・・・億とかするのかな・・・


「回復するまでしばらくは不自由すると思うけど、我慢してね」

「は、はい・・・」

「元気出して右子・・・今日は私がついてるから、何でも頼ってね」


お金の事で意気消沈した私の様子を勘違いしたらしく、綾乃様が励ましてくれる。

なんだか申し訳ない気持ちになってきた、今はお金の事は忘れよう。

それよりも気にすべき事があるはずだ・・・私は当初の目的を思い出した。


「そうだ綾乃様、私お話ししたい事がたくさんあって・・・」

「ええ、聞かせて貰えるかしら」

「ちょっと信じられない話だと思うんですが・・・聞くだけ聞いてもらえますか?」

「大丈夫よ、右子の言う事だもの・・・長くなりそうだから先に紅茶を淹れてくるわね」


しばらくして、紅茶の香りが漂ってきた。

こうして綾乃様と一緒に紅茶を頂くのも久しぶりだ。

綾乃様が選んだ茶葉の香りを胸いっぱいに感じながら・・・私は打ち明けた。


前世の記憶がある事、今いるのが乙女ゲーム『Monumental Princess』に酷似した世界である事。

意地悪な悪役令嬢だった綾乃グレースの事。


「それで最初は綾乃様の事を勘違いしてて・・・実は影武者なんじゃないかって疑ったり」

「まぁ、そんな風に思われていたの?」

「本物の悪い綾乃グレースが別の所にいて、私達の反応を見て楽しんでるんじゃないか・・・とか」

「ふふ・・・それはそれでなんだか面白そうね」

「ええええ・・・」


『Monumental Princess』の選定についても説明した。

ゲームとのルールの違い、『選定者』とかいう謎の存在。

そして私の票をどうにかする為に思いついた例の作戦・・・今の綾乃様は素直に聞いてくれている。

前世の話云々をどう思うかはともかく、誤解は解けたようだ。


「あ、そういえば今の票数ってどうなってますか?」


ふと気になって綾乃様に確認する。

あの流れから票が動くとも考えにくいんだけど・・・

はたして、今現在の票数は・・・



一年葵、205票(+21)

二階堂綾乃グレース、311票(+139)

三本木右子、226票(+41)



「・・・」


あ・・・圧倒的じゃないか。

もう何の心配もいらない、綾乃様が選ばれるのは確実だろう。

ひょっとして、私の作戦とか要らなかったかも知れない。


「さ、さすがです綾乃様」

「ありがとう・・・右子の事も説明したら皆わかってくれたみたい」


・・・地味に私の票が伸びているのはそういう事か。

でもこれだけの差があれば、逆転するような事はないだろう。

なんか肩の荷が下りた気分だ、これからは自分の治療に専念してれば良さそうだね。


「でも右子・・・私思うの」

「何をです?」

「作戦とかなしに、正々堂々右子と勝負するのも良かったかなって・・・」

「え・・・さすがにそれは・・・」

「私じゃ右子に勝てないとでも?」

「逆です!私が綾乃様に勝てるわけないじゃないですか!」

「そうかしら・・・右子ったらわざと自分の票を減らそうとしてたじゃない」

「や、それは葵ちゃんに勝つために・・・う・・・」

「右子?!」


紅茶と共に会話は弾んでいたのだけど・・・私はすっかり失念していた。

今の自分の状態と・・・紅茶の利尿作用に。


「大丈夫右子?!どこか痛むの?!」

「あの・・・綾乃様・・・お手洗いに行きたいんですけど・・・その・・・」


今の私は両脚が動かないのだ。

とても自力でトイレに行けるような状態ではない。

こういう時どうするんだっけ・・・なんか専用の入れ物みたいなのがあるんだっけ?


「・・・大丈夫よ右子、私に任せて」

「へ?」


そう言うなり綾乃様はテーブルを片付け、掛け布団を引っぺがした。

簡素な入院服を着た私の身体が視野に入ってくる・・・その隙間から覗く両足が包帯に包まれているのも。


「右子、動ける?」

「え・・・ええと・・・」


相変わらず両脚は動かない・・・でも腕の力を使って動けなくはなかった。


「そのままこっちに来て」

「あ、はい・・・よいしょ」


腕を突っ張らせて少しずつベッドの端の方へと移動すると、綾乃様に抱き抱えられた。


「綾乃様?!大丈夫ですか?私重・・・」

「大丈夫よ、重くないわ」


そのままお姫様抱っこ状態でトイレへと運ばれて行く。

綾乃様無理してないかな・・・絶対重いと思うんだけど・・・

幸いな事に、この病室のトイレは自動ドアになっており、私はすんなりと運び込まれた。


「あ、ありがとうございます・・・」

「今日は私がついてるって言ったでしょう?なんでも頼ってくれて良いのよ」


綾乃様は私に負担のかからないようにゆっくりと降ろしてくれた。

便器の方も入院患者用の特別製らしく、クッション性のある背もたれが展開して身体を支えてくれた。


「・・・」

「・・・」

「あの・・・綾乃様?」

「どうしたの?」


綾乃様に声を掛けると背後から返事があった。

そう・・・綾乃様はまだトイレの中に・・・


「その・・・外に出てくれませんか?」

「ダメよ、今の右子に何かあったら困るもの」

「え・・・えええ・・・」

「大丈夫よ、何かあったらすぐ対応出来るように先生から教わっているわ」


や、私は大丈夫じゃないんですけど・・・

でも、確かに今の私は自力で身動きが取れないしなぁ・・・綾乃様が心配するのもわかる。

今の私は重傷患者だ、贅沢を言ってはいけないのかも知れない。


「み、見ないでくださいね・・・出来れば音も・・・」


覚悟を決めて私はその姿勢に入る。

あ、足が動かせないから結構きつい・・・確かに何かあったら助けが必要かも・・・


「あ、もし尿に血が混ざっていたり、色が濃かったら内臓の検査が必要になるそうよ」


思い出したように綾乃様が告げる。

ああそうか、今の私はそういう可能性も・・・そう言われると意識しちゃうなぁ。


「うーん・・・ちょっと色が濃いような・・・」

「なんですって!」

「ちょ!?綾乃様!?」


・・・幸いな事に私の内蔵に異常はなかった。

でも・・・その・・・リハビリをがんばらないといけないなって・・・うぅぅ、恥ずかしい。



その後も、私は綾乃様にお世話されながら色々と話をすることが出来た。

なにせ時間はたっぷりあるのだ。

こんなに長い時間を綾乃様と2人きりで過ごしたのは初めてかも知れない。


昼食は質素なものだった、これぞ病院食って感じの・・・

固形物があるのは有り難いんだけど。

食事を前に渋面をしていると、綾乃様が心配そうに覗き込んできた。


「大丈夫?食べられそう?」

「や、綾乃様の作ってくれたお粥の方が良かったな・・・って」

「・・・!」


まぁ贅沢を言ってはいけない。

食べられるだけ感謝しないと・・・いただきます。

うん、やっぱり綾乃様のお粥の方が・・・あ・・・


「そういえば、綾乃様はご飯食べないんですか?朝も食べてないですよね?」

「なんだか今の右子の前で普通の食事を摂るのは申し訳なくて・・・」

「そんなの気にしなくて良いです!ってか食べてください!」

「でも・・・」

「この病院にも食堂とかありますから、はやく!」

「じゃ、じゃあ少しだけ・・・すぐに戻るわ」


追い出すようにして、綾乃様を食堂へ向かわせる。

もう・・・綾乃様が倒れては元も子もないよ。

やっぱり私がしっかりしないと・・・はやく元気にならないと。


意識を両脚に向ける・・・微かに痺れを感じるだけで両脚はピクリとも動かない。

本当に歩けるようになるんだろうか・・・そこまで治るのにどれくらいかかるのか。

これまでのように綾乃様のお世話が出来るようになるまでは・・・気が遠い話になりそうだ。


こうして1人になってみると、心細くなってくる。

もしこのまま治らなかったら・・・いつまでも綾乃様に迷惑をかけたくはない。


「動け・・・動け・・・」


自分の脚に言い聞かせるように呟く、意識も集中させる。

でも脚は全く動かない。

きっと正しいやり方とかあるんだろう・・・そのうち教わるんだと思う。

でも・・・


「動いて・・・動いてよ・・・」


はやく治したい、歩けるようになりたい。

綾乃様の力になりたい。

気持ちばかりが焦って・・・空回りする。


「・・・綾乃様」


布団に顔をうずめて綾乃様の名前を呼ぶ。

今の無力な私にはとても不釣り合いに感じられて・・・


「呼んだかしら?」

「ふぇっ?!綾乃様?!」


返ってくるはずのない返事に振り返ると、綾乃様が病室のドアを開けた所だった。

その手にビニール袋を提げた綾乃様は、病室の椅子に腰かけた。


「やっぱり右子を1人にするのが心配で・・・ここで食べても良い?」

「いいですけど・・・うわ」


コンビニで買ってきたらしいお弁当が湯気を立てた。

同時に揚げ物の放つ暴力的な匂いが漂ってくる。

こ、これはなかなか・・・


「・・・だから遠慮してたのに」

「き、気にしなくて良いです!気にせず召し上がってください」


静まり返った病室に、綾乃様の上品な咀嚼音だけが響く。

うん、綾乃様にはしっかりと食べて貰わないとね。


「・・・」

「右子・・・一口だけ食べる?」

「う・・・」


な、なんてことを・・・そんな事は例え神が許しても医者が許さない。

そんな事は綾乃様もわかっているはず・・・しかし1人だけ食べる罪悪感が勝ったのか。

綾乃様はおずおずとおかずのエビフライを箸で掴み、私に近付けて・・・


「い、いけません!綾乃様・・・」

「でも検査で内臓に異常はなかったのでしょう?一口だけならきっと・・・」


確かに・・・内臓に異常がないという事は普通に食べられる可能性が・・・

で、でも私ははやく身体を治さないといけない身で・・・でも・・・でも・・・


「ほら右子・・・あーん」

「あーん・・・!!」


あ、つい身体が反射的に・・・


噛み千切る時のエビの歯ごたえ。

続いてサックサクの衣の感触。

少し酸味の聞いた濃厚なソースは・・・タルタルソースだぁ。


「ふふ・・・美味しいわね」


エビフライの残りを口にして、綾乃様が微笑む。

大好きな人と共有する事で、美味しさは何倍にもなって・・・


「はい・・・おいしいです」


この時のエビフライの味は一生忘れないに違いない。

さすがに食べるのはこの一口だけで我慢した。

ちなみに夕食は病院食に綾乃様のお粥を加える形になり、綾乃様も同じ物を用意してもらった。


「最初からこうしていれば良かったわ」

「でも綾乃様には味気なくないですか?この病院食・・・」

「そんな事ないわ・・・たしかに薄味ね」

「でしょう?無理はしないでくださいね」


でも綾乃様と一緒に食べる病院食は、さっきよりも美味しくなった気がした。


病院の夜は早く、夕食後は割とすぐに消灯時間となる。

さすがに綾乃様ももうお帰りになる時間・・・と思ったら・・・


「あれ・・・綾乃様?」


綾乃様は見覚えのあるパジャマ姿に着替えていた。

今夜は病院に泊まる気のようだ。

でも、この病室にベッドは・・・


「右子、入るわよ」

「え・・・あ、綾乃様?!」

「一緒に寝た方が何かあった時にすぐ対応出来るでしょう?」


綾乃様・・・何かあった時に~って言えばなんでも通ると思ってません?


「さすがに2人でこのベッドは・・・ほら、私寝相悪いですし・・・」

「脚が動かないのだから大丈夫よ」

「ああ、たしかに・・・って綾乃様!?」


半ば強引にベッドに潜り込んできた綾乃様。

1人用のベッドなので、どうしても密着する形になる。


「・・・右子は私と一緒に寝るのは嫌?」

「・・・嫌・・・じゃない、です・・・」


そんな風に言われては嫌とは言えない。

だって私は・・・


「ふふっ、そうよね・・・右子は私の事が大好きなんだものね」

「?!・・・まさか、あの時の・・・」


あの時は声になってないと思ってたけど・・・聞こえてたのか・・・


「あんなに必死に何回も・・・誰だって気付くわ」

「・・・うぅ・・・」


そっと綾乃様が私を抱き寄せた・・・私が痛がらないように優しく・・・


「右子・・・私も・・・だいすきよ・・・」

「綾乃様・・・」


綾乃様の良い匂いに包まれながら、私は瞳を閉じる。

こんなに幸せで良いのだろうか・・・


大好きな人の温もりが、全てを肯定してくれるような気がした。

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