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第89話「だ・・・すき・・・あやの・・・さま・・・」

『駅伝走者の生徒は各スタート地点への移動をお願いします』


お昼休みが終われば駅伝が開始される。

学園からスタートする第1走者以外はそれなりの距離を移動する必要があるので、学園でバスを出して貰えたりするんだけど・・・


「綾乃様は・・・やっぱりいないか・・・」


残念ながらバス内に綾乃様の姿はなく・・・きっと千場須さんの車で移動するのだろう。

他にも家族の車で移動する生徒は少なくはないようで、送迎バスはがらんとしていた。

私の目論見通りに第1走者になったのか、葵ちゃんの姿も見えない。

事前に連絡がいっているのか、バスは私を含むほんの数人の生徒を乗せると学園を出発した。


他にこれといった道がないのか、バスは駅伝のコースをなぞって移動するようだ。

バスはしばらくの間学園の敷地沿いを進み、程なくして第2走者のスタート地点に停車した。

この場所はまだ学園から近いからか、学園から持ち込まれた机と椅子で待機ブースが作られている。


そこから先は長い上り坂が続く・・・ここを走る事になる第2走者はかなりきつそうだ。

その分距離は短めになっており、第3ポイントまではそんなに遠くない。

そこからは昇りと下りを繰り返すようにして第4ポイントに到着する。

ここは大きな公園の敷地沿いになっていて、公園のベンチを待機場所に使うようだ。


そして最終地点である源氏山公園へは細い坂道を・・・途中で降ろされてしまった。

どうやらこのバスでは途中までしか進めないらしい。

白組のアンカーの生徒と2人で坂を上る・・・なんか試合前から体力を消耗している気がするけど・・・条件は同じか。

坂を登り切ると大きな鳥居が見えてきた、神社か何かもあるらしい。


そして鳥居の向こう側・・・神社を背にそこに立っている先客の姿が見えた。

見慣れた金色の髪が穏やかな風に揺れている。


「綾乃様!」


その姿を見た瞬間、私は駆け出していた。

私の声に振り向いた綾乃様の顔は相変わらず美しく、しかしその表情は愁いを帯びていて・・・


「右子?!・・・なぜ・・・」

「き、奇遇ですね・・・私も・・・駅伝に出るんです」


これから駅伝を走るというのに、はぁはぁと息を切らしながら綾乃様の元へ駆け寄る。

じり・・・と綾乃様が一歩後ずさった。


「そう・・・でもスタート地点はここじゃないわ、待機場所もあっちに・・・」


そう言いながら綾乃様が差した方向にスタッフが立っているのが見えた。

綾乃様に気を取られて神社の方に来てしまったけど、白組の生徒は迷わずそちらに進んでいく・・・

どうやらあちらが正式な駅伝のコ-スのようだ。


「では綾乃様はなぜこちらへ・・・ひょっとして試合前に必勝祈願?」

「・・・」


素朴な疑問を口にした私に、綾乃様は顔を背けた。

おそらくは早く着き過ぎて周囲を散策してるんだろうけど・・・返答は返ってこない。

く・・・空気が重い・・・でもせっかく二人きりになれたんだ、この瞬間を逃すつもりはない。


「・・・聞いてください綾乃様、私、綾乃様に大きな嘘をついて・・・」

「知ってるわ」


あれ・・・綾乃様、私のお芝居に気付いて・・・

でも綾乃様は表情を強張らせ・・・更にもう一歩後ずさった。

なんか誤解が溶けたって雰囲気じゃないような・・・


「そ、そうなんです!私、あんな事言っちゃいましたけど、全部うs・・・」

「本当は全部知っていたの!あの日、右子達が話す声を聞いてしまったのだもの!」

「へ・・・」


綾乃様が何を言っているのかを理解出来ず、思考が止まってしまった。

これ絶対話噛み合ってないよね?・・・あの日ってどの日だ?


「私に仕えるのなんて最初から嫌だったのよね、それをずっと家の都合で無理矢理縛りつけて・・・」

「え、綾乃様・・・一体何を・・・」


綾乃様はその目に大粒の涙を浮かべていた・・・双眸からぼろぼろと涙を溢れさせ・・・


「ごめんなさい、ごめんなさい・・・許して」


綾乃様が子供のように泣きじゃくって私に許しを請う・・・許すも何も、私は何が何だかさっぱりだ。

私の嘘を完全に信じ込んでいる?それにしたってこんな・・・


「ごめんなさい、もう右子達を縛ったりしないから・・・『Monumental Princess』だって、本当は右子を勝たせてあげたいのに、辞退したいって言ったのに・・・」

「ちょ、それはダメ・・・」

「いやっ!」


『Monumental Princess』を辞退すると聞いて、とっさに綾乃様に手を伸ばす。

しかし怯え切ってしまった綾乃様は私の手を払いのけ、その場から逃がれようと駆け出す。

このまま行かせてはダメだ、ここで綾乃様の誤解を解かないと・・・


「待って!綾乃様っ!」

「放して!もう右子の邪魔はしないから!」

「んぐぐ・・・」


全力で追いすがり綾乃様を腕を掴むも、綾乃様はすごい力で抵抗して・・・


「あ、綾乃様・・・落ち着いて・・・話を・・・」

「全部私が悪いの!私の我儘のせいなの!だから、もう許して・・・お願いよ・・・」

「だから一度落ち着・・・って、前見てください!前!」

「え・・・」


私を振りほどくのに必死なあまり、綾乃様は周囲が見えていなかった。

この源氏山公園は見晴らしの良い山の上にある公園だけど、今私達の居る道は断崖の上。

普段の綾乃様なら怖くて壁沿いしか歩けないような道だ・・・その更に崖側の、しかもだいぶ端の方に来ていて・・・


「・・・ひぃ」


ようやく現状を理解した綾乃様の全身が強張る。

しかもタイミングの悪い事に、道には先日の雨の水分がまだ残っていて・・・

踏み出した足がぬかるんだ地面の上を滑り、目の前の綾乃様の体勢が崩れ・・・


「・・・!!」


悲鳴にもならない呼吸音が、綾乃様の喉から擦れるように出るのを聞いた。

私の視界でコマ送りのように綾乃様の姿が下方向に・・・


「綾乃様!」


私は迷わず飛び込んでいた。

間髪空けず、綾乃様が落ちる崖下目掛けて・・・1秒でも早く、滑り込むように・・・

視界に見える綾乃様に精一杯手を伸ばし・・・掴んだ!


手に触れたそれを思い切り抱き寄せる・・・今空中でどんな態勢なのかわからないけど、落ちるなら私が下に。

うまく私がクッションになれば綾乃様は助かるはず・・・


自由落下の無重力状態が続いた後、背中がどこかにぶつかった・・・すごく痛い。

続いて足と腰のあたりがどこかに・・・痛みと同時に確かな重力を感じる・・・ここが斜面なら転がってはダメだ、綾乃様を庇わないと。


ズザ…両脚を引き摺るようにして斜面を滑り落ちていく。

両脚の感覚は既になく、ごつごつと石がぶつかる振動が伝わってくる。

私は綾乃様を放さないようにきつく抱きしめ・・・このままバランスを崩さない事だけを考えて・・・


「右子・・・右子・・・」


いつしか、滑落は止まっていた。

私達は斜面のどこか・・・ちょっとした岩場に引っ掛かるようにして停止していた。

あちこち擦りむいた両腕から血が滲み、背中も痛みを訴えている。


「右子・・・目を開けて・・・」


すぐ傍から綾乃様の声がする・・・良かった、命に別状はなさそうだ。

あ、目を開けなきゃ・・・目に何か入ってきててちょっと痛むけど・・・開けられない事もない。

痛みを堪えて開けた視界には、綾乃様の姿・・・見たところ大きな怪我は見当たらない。


「あ・・・やのさま・・・良かっ・・・た」

「右子!?しっかり・・・今助けを・・・!!」


そう言いかけた綾乃様の動きが固まった。

おそらくまだ崖の途中なのだろう・・・角度的によく見えないけど、綾乃様には厳しい高さがあるんだと思う。


「無理・・・しな・・・いで・・・くださ・・・」

「で、でも右子が・・・」

「あ、あはは・・・だいじょ・・・」


大丈夫でもないか・・・首は動かないし、下半身の感覚がない。

正直、今の自分がどんな状態なのか・・・あんまり知りたくないかも。


「綾乃様・・・聞いて・・・ほしいこ・・・とが・・・」

「無理しないで、きっと救助が来るわ」

「きい・・・て、くださ・・・ぜんぶ・・・うそ・・・なんです」

「だからそれはもう知って・・・」

「うそ・・・なんです・・・下剋上とか・・・そういうの・・・ぜんぶ」

「え・・・」


やっと聞く気になってくれた・・・そうだよ綾乃様、私が綾乃様の敵になるわけないんだ。


「綾乃様に・・・勝って・・・ほしくて・・・」


口を動かすのも大変になってきた、言葉は選ばないと。

私の、票を、綾乃様に・・・わざと、悪者、なって・・・


「で、でも私・・・屋敷に来た時に右子が言っていたのを聞いたわ・・・」


・・・屋敷に来た時?

そういえばさっきも・・・綾乃様はいったい何を・・・


何と返せばいいか困っていると、幼い頃の記憶が走馬灯のように・・・


(これから私達奴隷のようにこき使われるのよ?!世間知らずの我儘お嬢様に!おはようからおやすみまで一日中一年中一生ずっと)


ああ、そういえばそんな事あったなぁ・・・

あの頃は悪役令嬢の綾乃グレースがいじめてくるって身構えてたっけ。


「あ、あれは・・・」


どう説明しよう・・・残念ながら前世の事とかを長々と話せるような状態じゃない。

それに頭も回らなくなってきたというか・・・元々お利口な頭じゃないけど・・・


「し、信じて・・・ください・・・私は・・・綾乃様の・・・こと・・・が・・・だ」

「!!」


大好きです・・・喉がかすれてきてうまく声にならない。


「だ・・・すき・・・あやの・・・さま・・・だ・・・す・・・」


言葉にしようと繰り返すけれど、ダメだ、上手く発声出来ない。

もっと話したい事がたくさんあるのに・・・もう声が・・・


「右子・・・右子・・・」


綾乃様、ずっと傍にいたいです。

綾乃様に仕えるメイドになりたいです、ちゃんと千場須さんから仕事を教わって・・・本物のメイド長に。

将来綾乃様が結婚して、子供とかできた時はベビーシッターとかこなしますよ。

老後もばっちりお世話します、私がしっかり介護します。


ああ、意識も朦朧としてきた・・・この感じは転生前に覚えがある。

私、ここで死んじゃうのか・・・でも最後に綾乃様を助けられてよかった。

きっと綾乃様なら『Monumental Princess』にもなれるよね・・・


「・・・ぎこ・・・み・・・こ・・・」


綾乃様の声がまだ聞こえる・・・このまま綾乃様に見送られて死ぬのも・・・そんなには悪くないかな。

綾乃様・・・お傍に居られて・・・お仕え出来て・・・私は・・・しあ・・・わ・・・



そして・・・私の意識は深い闇へと落ちていった。

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