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第86話「ひだりごぉ・・・」


「綾乃様が帰られないって・・・どういう事ですか?」

「今後お嬢様は山手の別邸から姫ヶ藤学園に通われます、当分の間はこの屋敷には戻られないおつもりだと伺っております」


山手の別邸・・・山手地区は風光明媚な別荘地であり、二階堂家の別邸・・・別荘がある。

執事の千場須さんが言うには、綾乃様は今その別荘で過ごしているそうだ・・・私達双子をこの屋敷に残したままで。


「じゃあ、私達をその別邸に連れて行ってください」

「それは出来ません・・・決してお2人を近付けないように、とお嬢様から申し付けられておりますので」


何故、どうして・・・私がそう問い返す隙を千場須さんは与えてはくれなかった。


「別邸の管理は私めが行います・・・お2人はこれまで通り、このお屋敷で過ごしていただいて構いません、学園への送迎等は代わりの者をご用意致しますので・・・」


生活面での心配はいらない・・・淡々と説明する千場須さんの目は冷ややかで、背筋にぞくりと冷たいものが走る。

態度にこそ出してはいないが、責めているのだろう・・・こうなった原因が私にあると。


「・・・」


こうなる可能性は考えなかったわけじゃない・・・全ては私の甘えだ。

きっと綾乃様ならわかってくれる・・・そんな何の根拠もない、都合の良い願望。

事前の説明なくあんな事を言えば誰だって腹を立てるだろう。


千場須さんの運転する車が敷地を出ていく音が遠く聞こえる。

外はまだ薄暗い・・・いつもより早い朝の時間を私達双子は無言のまま過ごしていた。


「姉さん・・・大丈夫?」

「?」


と思っていた矢先に左子が話し掛けてきた。

どこか心配するような表情を浮かべて・・・


「今後の生活の事なら大丈夫だってさっき千場須さんが・・・」


そう、生活の心配はない、むしろ私達の負担は減っている。

毎朝の早起きもしなくて済むだろう・・・しかし左子はその顔を振った。


「だって姉さん・・・泣いてる・・・」

「・・・!」


そう言いながら私の頬に触れた左子の指先を介して・・・ようやく私は自分が涙を流している事に気付いた。

え・・・そんな・・・これくらいの事は覚悟していたはずなのに・・・


「ぁ・・・」


震える喉を通った空気が、声になりきらずに消えていく・・・

ダメだ・・・自覚してしまったら、もう・・・


「私が・・・いるよ・・・姉さん・・・」

「・・・ぅぅ・・・ひだr・・・ひだりごぉ・・・」


もう嗚咽を堪える事など出来ない・・・私は泣きじゃくっていた。

頭を撫でる左子に身を任せ、子供のように・・・ごめんなさい、綾乃様・・・ごめんなさい。


身体の水分が全部出ちゃうんじゃないかってくらい泣き明かした私の目はすっかり赤くなってしまった。

しかしその間も時間は容赦なく流れていく。


日は昇り、まるで昼間のように太陽が照り付けてくる・・・もう学園に行かなければならない時間だ。

屋敷の前にはもう千場須さんの代わりの車が派遣されてきていた。

このまま休んでしまいたい気持ちを堪えて、私達は車に乗り込んだ。


ここで逃げるわけにはいかない・・・私の戦いはまだ始まったばかりなんだ。



「ごきげんようお姉さま!」


校舎に入るなり聞こえてきた比瑪乃の声・・・それだけで身体が反射的にそちらの方向を・・・綾乃様の姿を目で追ってしまう。

そこに綾乃様はいた・・・いつものように金色の髪をサラサラと流して振り向いたその顔は硬く、その視線は氷のように凍てついて・・・


「ごきげんよう、比瑪乃さん」

「!・・・今日は一段とお美しいです、お姉さま・・・」


息を飲み、うっとりとした声をあげる比瑪乃。

たしかに綾乃様は美しいけれど・・・あの綾乃様は・・・悪役令嬢の顔だ。

ほんの一瞬だけ・・・チラリと、綾乃様の視線がこちらに流れて・・・


「・・・行きましょう、比瑪乃さん」

「はい!お供します!」


綾乃様と目が合う・・・そう思った瞬間、けれどそれは叶う事なく。

踵を返した綾乃様は階段の方へ歩いて行く・・・その右側にぴったりと張り付くように比瑪乃が続いた。


「・・・そっか」


もう私の居場所はそこじゃない。

そして綾乃様も1人じゃない・・・私達が傍に付いている必要もない。


「姉さん・・・」


ぎゅっと・・・私の左手が強く握り締められた。


「いたた・・・左子、ちょっと痛いってば・・・」


力を入れ過ぎた事に気付いた左子が手を緩める。

でもその手はしっかりと繋いだまま・・・今はその温もりが心強い。

うん、私だって1人じゃないんだ。


「・・・ありがと、もう大丈夫」

「ん・・・」


左子と一緒に階段を上る。

ぴったりと重なる歩調、まるで1人のような足音が響いた。


教室が近付くと、綾乃様と別れた比瑪乃が立ち塞がった。

先程までの比瑪乃とはまるで別人のような表情を浮かべ・・・こちらを睨んで来る。

まるで殺気のような・・・や、殺気そのものかも知れない。


「愚民、どの顔下げて来たのかしら?」

「この顔ですけど・・・」


パァン

比瑪乃の平手が私の頬を打つ音が小気味よく響く。

くぅ・・・さすが比瑪乃、容赦ない。


パァン

痛む頬をさすっていると、同じような音がもう一度鳴り響いた。


「・・・姉さんを・・・いじめるな」

「・・・っ!」


頬を抑えながら体勢を崩したのは比瑪乃だ。

素早く動いた左子による強烈な平手打ち・・・手加減してくれてると良いんだけど・・・

頬を赤く染めた比瑪乃は瞳に涙を滲ませると、走り去ってしまった。


「お、覚えてなさい!」


しっかりと捨て台詞を残して・・・よかった、結構元気だ。


「音が聞こえてきたけど大丈夫?右子さん」

「あはは・・・ごきげんよう」


教室に入ると、楓さんが心配そうに声をかけてくれた。

楓さんから敵意は感じられない・・・純粋に心配してくれたようだ。

そう見えるだけで、内心どう思ってるかまではわからないけれど・・・


席に付いている綾乃様を見ると、こちらを見ようともしない。

それはそうだろう・・・左子が近づくと挨拶をしてくれた、どうやら左子は許されているようだ。

左子は何も悪くないもんね・・・完全に巻き込んでしまった形で申し訳ない。


「右子さん・・・やっぱり、紅茶研には来れませんか?」

「そりゃあ、あんな啖呵を切ったばかりだしね・・・心配してくれてありがとう、楓さん」

「いえ・・・あの、その・・・私何て言えば良いか・・・」


何かを言いたげに言葉を探す楓さん・・・私を励まそうとしてくれているようだ。

思った以上に優しい子だね・・・ああ、罪悪感が増していく。


「ふっふっふ、敵に情けは無用だよ楓さん」

「・・・で、でも」

「まぁ、それくらいの余裕を見せてくれた方が、私も張り合いってものがあるけどね、せいぜい頑張りたまえよ」

「・・・」


昨日の事は少しずつ噂になってきているようで、視線を感じる事が増えてきていた。

それもあんまりよろしくない感じで・・・私としては狙い通りでよろしいんだけど。

良家の子女が通う学園だけあって、公然と下剋上を掲げた庶民を味方するような生徒はそうそういな・・・


「右子さま、右子さま・・・」

「あれ?成美さん」

「少しよろしいですか?・・・私、噂を聞いて心配になってしまいまして・・・」


放課後、特に行く当てもない私の所に別のクラスから成美さんが会いに来てくれた。

事情を知らない成美さんからしたら寝耳に水だった事だろう。


「それならまぁ・・・概ね噂通りって事で・・・成美さんも今後私とは距離を取った方が良いかも・・・」

「それは了承致しかねます」

「え・・・」


一瞬聞き間違えたかと思ったけど、成美さんは真剣な眼差しを向けてきていた。


「私、右子さまの事を、お友達と思っておりますので・・・」


強い意志の籠った、はっきりとした言葉で成美さんは告げてきた・・・お友達だと。


「何物にも代えがたい大切なお友達、です・・・もっとも、右子さまからしてみれば話は違うのやも知れませんけれど・・・」

「そんな事ない!私にとっても成美さんはとも・・・あっ・・・」


つられてつい口走ってしまった・・・今は撥ね退けないといけなかったのに。

・・・これでは何か理由があると答えてしまったも同然だ。


「・・・やはり、何か理由があっての事なのですわね」

「う・・・」


持ち前の勘の鋭さで何かを感じ取っていたのかも知れない。

今の受け答えで、その疑惑に確信を与えてしまったのだろう・・・成美さんは追及の手を止めてくれない。


「右子さま、どうか私を信じて話していただけませんか?・・・決して悪いようには致しません」

「・・・」


ど、どうすれば・・・

成美さんはじっと私を見つめたまま、返答を待っている。

決して彼女を信じられないわけじゃない、でもこれは全て私が原因で・・・私が背負うべき・・・


「・・・姉さん」

「左子?」


何も答えられずに迷っていると、左子が私の袖を引っ張ってきた。

その顔は・・・もう何も言われなくてもわかった。


「姉さんは・・・」


(姉さんは・・・もっと皆を頼るべき・・・成美さんを信じよう?)


・・・そうだね。

今は意地を張ってる場合じゃない。

私はチート庶民でも何でもないんだ、1人で出来る事なんてたかが知れている。

左子が皆まで言うのを待たずに頷き返すと、私は成美さんに向き合った。


「・・・成美さん、これから話すことは誰にも言わないって約束出来る?」

「もちろんですわ・・・でも・・・」

「?」


そこで言葉を切ると、成美さんは教室内を伺うそぶりを見せた。

私達以外の誰かが残っているわけではないけれど・・・外からは生徒たちの気配がひっきりなしに・・・さすがにこれは内緒話をする雰囲気ではない、か。


「ええと、成美さん・・・これからお時間いただいても?」

「もちろん、右子さまが望まれるなら万難を排しますわ」

「や、そこまではしなくても・・・」

「うふふ・・・冗談ですわ」


そう言いつつも成美さんは家族に連絡してくれた。

今日は友人のお家に泊まると・・・え・・・泊まる?


「時間はたっぷりと確保しましたわ・・・よろしくお願いします」

「あ・・・はい」


こうして、二階堂家のお屋敷に成美さんを招いての作戦会議?が始まったのだった。


「さぁ右子さま、全てをお話しくださいませ」

「そ、そんなに気合い入れられても・・・話しにくいと言うか・・・」

「でしたら、まずお茶で一息つきましょうか」

「・・・任せて」


成美さんがそう言い出すタイミングを見計ったかのように、左子がティーセットを運んでくる。


「まぁ、これが紅茶研の味ですのね」

「そ、それほどでもないんだけど・・・」

「私、こうしてご一緒したいとずっと憧れておりましたのよ」

「・・・お菓子もどうぞ」


茶葉によるリラックス効果もあってか次第に会話が弾んでいく。

気付けば私は、事のあらましの全てを・・・成美さんに洗いざらい白状していたのだった。


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