第二章:壊れたブレーキ⑦
翌朝。
目を覚ますと、既に琥白が朝食を全員分作ってローテーブルに並べている最中だった。僕と朝陽さんのコーヒー。ココロと琥白はグラスに水だけ。食パンとベーコンエッグ。まさに理想の朝食だった。ココロは地面に寝転がり、スマホを弄っている。朝陽さんはまだのんきに眠っていた。スマホを見る。時間は午前十時過ぎ。琥白が僕に気づき、「おはよう」と言う。僕はゆっくりと起き上がり、朝陽さんの身体をゆする。朝陽さんは「んー?」と言ってゆっくり起き上がると、「おはようーごぜーます」とお辞儀をした。目の前の朝食を見ると「うまそー!」と声をあげる。琥白が「せやろ」と文字通り胸を張った。よく見ると先日飲み散らかしたものが全て片付けられている。琥白と九条だろう。
それから全員でもそもそと朝食をとり、全員で琥白に「ごちそうさま」を言った。琥白は僕のコーヒーを奪って一口飲むと、大きなあくびをして煙草を吸う。ココロはねぐせをなおしながら「二日酔いやわあ」と笑っている。朝陽さんはコーヒーをゆっくりと飲み、たまに「ふう」と息をついている。視線はずっとコーヒーに注がれている。
僕はソファに座りながらピースに火をつけた。
「朝陽さん」
「お、何?」
朝陽さんがコーヒーから視線を上げた。
「今日の十三時、喫茶ワイズにお前のお父さんに会いに行くぞ」
朝陽さんが「はい!?」と大声をあげる。コーヒーが床にこぼれた。朝陽さんがマグカップを置いて僕につめよろうとして、ローテーブルに足をぶつける。言葉にならない声をあげながら、「なんで?」と言った。
「昨日話してん」
「確定事項なの?」
「当たり前や」
朝陽さんが「うーん。ええ?」と頭をかいている。寝ぼけているのか、唐突過ぎたのか、まだ理解ができていないようだ。朝陽さんの視線が僕と琥白を交互に見ている。ココロが壁にもたれながら朝陽を見た。
「まあどのみち、いっぺん会って話さないかんねんから。思ったよりそれが早かったってだけやろ」
ココロが言うと、朝陽さんが「でもなあー」と返す。そして、僕を睨んだ。何で父親と話をしているのか、と言いたげな目だ。何で待ち合わせの連絡を私じゃなくて君にするのか、とも言いたいのかもしれない。琥白が煙草を消して背後のカーテンを開ける。部屋の中に日の光が差し込んでくる。背中でまぶしさを感じた。
「とりあえず十三時になったら行くで」
「わかったけどさあー。わからないなあ」
「腹くくりなよ朝陽さん。千夜がくくってるんだからさ」
朝陽さんが「そうなの?」と言いながら立ち上がった。僕は「せやせや」と答えて足を組む。「じゃあ頑張りますか」と衣装ケースから布巾を取り出し、こぼしたコーヒーを拭き始めた。
「というかさ、ココロと琥白はいつまでおるん」
「さあね。君らが帰ってくるまでいるかもしれないし、いないかもしれない」
琥白がゆっくりと煙草を吸いながら微笑んだ。九条が「つまり決めとらん」と要らん補足をつける。朝陽さんはまだコーヒーを拭いていた。僕の視線を察知したのか、「こぼしてごめんね」と小さく謝る。
ただ、琥白たちが居てくれるならそれはそれで嬉しい。僕は朝陽さんと二人で雨夜さんに会う前に、やりたいことがある。雨夜父・雨夜厳一郎という人間について、僕はもう少し知らなければならない。僕にとって雨夜父は養父という立場でありながら、僕は雨夜家に居た当時、ほとんど彼と話していないのだ。
知っていることと言えば、雨夜父が何年か前に起ち上げた会社の名前くらいだ。株式会社D×Dというイベント会社。僕が雨夜家に預けられた当初から高校二年の頃までは別の会社に勤めていた。それが突然、前の会社から数人を引き抜いてイベント会社を設立。ある程度成長しながら今に至る。
僕はスマホで雨夜父の会社のホームページを見た。神奈川県や東京など関東を中心としてさまざまなイベントの企画運営を行っている。関わった代表的なイベント例には、名のある作家の講演会やアニメ系イベントなどが連なっている。いずれも関東圏で行われたイベントだった。
大阪どころか関西でイベントが行われたという実績は掲載されていない。口コミサイトなども見てみたが、関西のイベントに携わったというような話はどこにもなかった。雨夜父が今仕事で大阪にいる理由。新しく関西にも手を伸ばそうとしているのか、協力会社やクライアントが関西にあるのか、そのどちらかになるのではないだろうか。
僕は残ったコーヒーを一気に飲み干し、洗面台に向かう。
「とりあえず僕は今からやることがあるから、朝陽さんとは現地集合で」
少し大きな声で告げると、朝陽さんは「わかった!」と答える。髪の毛を整えて、歯を磨く。歯を磨きながらみんなの様子を見た。琥白はまだ煙草を吸っているし、ココロはまだスマホを弄っている。本当に煙草とスマホが好きな奴らだ。
完全に身支度を整えたころには、朝陽さんは作業を始めようとしていた。それをココロが興味津々に見ているが、朝陽さんは渋い顔をしている。琥白は本を読み始めていた。僕はライダースを羽織り、必要なものをすべてポケットに入れる。
「ほいじゃあ行ってくるわ」
玄関を開けてマンションの階段を降りながら、雨夜父の会社の電話番号に電話をかけた。土曜日だというのに三コール目で呼び出し音が止まる。
「株式会社D×D。担当の春日井です」
若い女性の声だった。
「土曜日に申し訳ありません。雨夜千夜と申しますが……」
名乗りたくない苗字を名乗ると、電話口から感嘆符のような息が漏れた。それなりに珍しい苗字だから、これだけで社長の身内だと気付いたのだろう。
「雨夜の養子です」
「お父さんなら今大阪に出られていますよ」
「そうなんですね。少し急用があるのですが繋がらなくて……不躾なようですが、父は一人で大阪に出られたのでしょうか?」
やや息を切らしながら、少し早口で言った。息が切れているのは階段の上り下りのせいだが、わざとでもある。こうすれば「この人は焦っている」と勝手に判断してくれると思った。。春日井さんは困惑しているのか確認をしているのか、すぐには反応を返さない。しばらくお互い無言でいると、僕はマンションの外に出ていた。
「営業の者と二人で出張中ですね」
「大変申し訳ないのですが、同行の方の連絡先か滞在しているホテルの連絡先などを教えていただくことは可能でしょうか」
兎我野町の通りを歩いていると、二日酔いでしんどそうに歩く人や飲食店の開店準備をしている人とすれ違う。春日井さんは「ええと」と言いながら何やらごそごそとしている。断ろうとしている人間はそんなことをしないだろう。身内効果と「急用」「繋がらない」というワード。そして焦っているかのような息切れと早口。それらが功を奏したのだろうか。
「これから読み上げますが、大丈夫でしょうか?」
「ありがとうございます。少しお待ちいただけますか?」
「かしこまりました」
僕は電話を繋いだままスマホのメモ帳を開いた。通話音量を極力下げ、人通りの少ない路地に入り、スピーカーモードにする。
「大丈夫です。お願いします」
「田中修一という者が同行しています。社長……お父さんと一緒にリブマックス梅田というホテルに滞在中です。田中の電話番号は……」
僕は春日井さんの言葉を一言一句もらさずにメモした。
「ありがとうございます! 助かりました」
「いえいえ。用事、伝えられるといいですね」
「ありがとうございます。それでは」
「はい。それでは」
一秒程度の間を置いて、僕は電話を切った。路地から出て、デラックス梅田に向かう。僕が住んでいるマンションからすぐそこだ。午前の日差しがまぶしく感じる。早く行きたいと思いながら、足は僕の意志に反してゆっくりとしか動いてくれない。それに、午前中とは言え休日の兎我野町や堂山町あたりは人が多かった。
十分近くかけてデラックス梅田に着いた。僕はため息をついて自動ドアをくぐり、フロントの呼び鈴を鳴らす。裏に引っ込んでいたスタッフさんが「はい」と言って出てきた。僕はスタッフさんから見えない位置で自分の足をジーパン越しにつねる。
「こちらに滞在中の田中修一さんに面会したいのですが」
「田中様ですね」
スタッフさんがパソコンで何かを確認している。視線はパソコンから外さないまま「お部屋での面会はできませんが、よろしいでしょうか」と聞いてきた。僕が「はい」と答えると、スタッフさんは視線を上げた。
「お客様のお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか」
「雨夜千夜です」
「少々お待ちください」
スタッフさんが内線の受話器を上げる。数秒の間の後、スタッフさんが「雨夜様という方が面会したいとおっしゃっておりますが」と告げる。改めて他人の口から自分が雨夜だということを聞かされると、ため息が出そうになる。スタッフさんは何度か相槌を打った後、受話器を置いた。
「十分ほどしたらいらっしゃるそうです。ここを出て右に二分程度歩いたところに丸一という鉄板焼き屋があります。そこでお待ちいただければ、とのことです」
僕は安堵のため息をついた。
「ありがとうございました」
お辞儀をしてからホテルを出て、丸一に入る。待ち合わせをしているということを伝えると、テーブル席に通された。ランチの時間より少しだけ早いからか、まだ店内には数人しか客がいない。ここには琥白やココロと何度か来たことがある。土日でもあまり混まないが、梅田にある鉄板焼き屋の中では五本の指に入るほどうまい店だ。
注文は連れが来てからすると伝えると、お冷を出してくれた。面倒な客だろうに、店員さんはかなりにこやかに対応してくれている。
待っている間、僕はスマホに雨夜父について田中さんに訊きたいことをメモすることにした。
・雨夜父の仕事ぶり。
・田中さんから見た雨夜父の人柄。
・雨夜父が会社を起ち上げた理由を知っているか。
・雨夜父は僕や朝陽さんや陽鈴のことを何か話していたか。
他にも訊くことができれば嬉しいが、僕がどうしても知りたいのはこの四つくらいだ。
書き終えてお冷を飲み、店内をぐるっと見る。ジュゥーという音と共に、ソースのにおいが漂ってきた。さっき朝食をとったのに少しお腹が減ってくる。白いブラウスを着た女性に、ベージュのカーディガンを着た女性が豚玉と思しきものを食べながらビールを飲んでいる。話はあまり盛り上がっていないようだ。僕が見ていることに気づいたのか、カーディガンの女性が僕を見た。
すぐに目をそらし、鉄板を見つめた。
カランコロン、と店の扉が開く音がした。