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飢えた文字書きの夢追い自殺  作者: 朝飯怪獣めだまやき
第一部:朝に見る夢
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第二章:壊れたブレーキ ④

 それから時が経って、中学一年の春。

 中学に入学すると同時に、僕は周囲の目線が異質であることに気がついた。みんなの視線が氷のように冷たく突き刺さる。耳を澄ませてみる。どたばたと廊下を走る音。誰かが廊下で反復横跳びをしているような音。休み時間なのに真面目に勉強している人が奏でる紙とペンの音。

「あの人、両親を刺し殺したらしいよ」

 自分の席に座っていると、クラス内のどこからか声が聞こえてきた。ハッとしてその声の主を探す。額から汗が流れる。鼻の奥がむずむずとしてくるのを必死でおさえた。左隣の女子集団を見る。昨晩のドラマの話をしている。違う。右隣の席の人は席を外している。教室中を見渡すと、明らかに自分のことを見ている人がいることに気が付いた。その男女混合集団は僕の方をちらちらと見ながら、根も葉もないうわさ話をして勝手に怖がっている。

「あの人、両親を刺し殺したらしいよ」

 冗談じゃない。

「両親を刺し殺した」

 そんな強烈な思い出があれば、両親のことをよく覚えていないはずがない。両親がいないということから、どうして刺し殺したという単語が出たんだ。それに、両親の死は大阪から神奈川に引っ越す前の話だ。どうしてそんなことを言われなきゃならない。拳を握る。怖がっている連中を睨み、僕は席を立った。


 拳を握りしめたまま連中のもとにゆっくりと近づく。握りしめた拳を振り上げる。それを見た連中の目は大きく見開かれ、肩は震えていた。連中が取り囲んでいた机を僕の拳が叩く。ドンッ。と強く鋭く大きな音が響いた。

「根も葉もないこと話しとんちゃうぞ」

 その声は、たぶん震えていたと思う。目頭が熱い。胸が焼けるように痛い。全身の毛穴がぞわぞわとして、濡れている感じがして気持ちが悪い。教室にいる全員が僕のことを見ている気がする。動悸が早くなる。

 僕は居ても立ってもいられなくなり、そのままいつもの公園に逃げ帰った。

 その翌日から、僕は少しずつ透明人間になっていく。最初は移動教室の場所を聞こうとしたときに無視される程度だった。その一週間後にはプリントが配られなくなった。先生は僕の名前だけ点呼しない。授業中手を挙げているのは僕だけなのに、指されない。あれ? これはなんだろう。世界が自分自身から遠ざかっていく。行かないでくれ。手を伸ばしても、そんな僕を誰もが見ない。まさか本当に見えていないのか。そんなはずはない。

 入学して一か月後、とうとう席がなくなった。

 登校しても僕の席はなく、誰に聞いても答えない。普通は話しかけられれば、無視するとしても一瞬の間が生まれるものじゃないだろうか。だけど、彼らは一瞬の間すらもあけずに話し続けていたのだ。何かの冗談か余興だろうか。ドッキリなのだろうか。そう思いながら過ごしても、席はやはりないままだ。社会見学には置いて行かれた。工場見学。楽しみにしていたのに。それでもテストだけは受けさせられる。テストだけが自分の存在する唯一の証拠になった。もちろん立ってテストを受ける。壁に用紙をくっつけて書くから、筆跡はガタガタ。正解不正解にかかわらず、まともな点数はつかない。

 二年に進級する直前、僕はもう限界だった。

 この世界には僕の居場所はない。

 息を殺して迷惑にならないように過ごさなきゃいけないんだ。

 僕なんて死ねばいい。


 ある冬の日。僕はからからと乾燥した空気に身を焼きながら寄り道をしつつ登校した。そのまま階段をゆっくりと上がっていく。無心で階段を上り続けると、屋上に繋がる扉が見える。だけど屋上への扉は封鎖されていた。僕は堂々と職員室に入る。授業中なのか、ほとんど人がいなかった。封鎖されている屋上のカギを盗み、僕はとびらを開ける。

 扉を開けた瞬間、冬の冷たい風が中学校という狭い世界に一気になだれこんできた。気持ちがいい。葉が無い木々の無味乾燥なざわめきが、僕の胸に強く響く。静かな学校の中にささやかな喧騒が入り込む。いいぞ。もっとだ。もっとこの世界を壊してくれ。僕はゴールデンバットに火をつけて思いきり吸い込んだ。冬の乾燥した空気と一緒に吸うバットの煙は、これ以上なく僕を癒してくれた。うまかった。

 そのまま屋上を突き進み、フェンスを上る。屋上のへりに立つと、妙に面白かった。腹の底から笑いがこみあげてくる。それがおかしくって、また笑える。静かな学校に僕の笑い声だけが響いた。誰もそれを気に留めない。

 このまま死ねば、誰かが気に留めてくれるだろうか。

 透明人間の存在を、この学校中に後世に至るまで知らしめることができるだろうか。

 試してみたい。

 右足を屋上のへりから、空中に投げ出そうとした。


「つまんねえことしてやがんなあ」

 声がした。あたたかくも冷たい声色。僕を責め立てるような、呆れているような声。思わず振り返ると、陽鈴がいつものように綺麗な顔をして立っていた。ぶかぶかなライダースのポケットからバットを出して、口にくわえて火をつける。フェンス越しにライターの火のあたかかさを感じた気がした。風にあおられて、バットの煙が僕の鼻を刺激する。ひどく、しみた。

「なんでおるん」

「探した」

 陽鈴がまっすぐ僕を見た。

「なんで」

「誰もお前のこと話そうとしないから。まるでお前がいないみたいに」

「なんで?」

 陽鈴がバットの煙を僕の顔に向かって吹いた。

「中学入ってから様子おかしかったからなあ」

 陽鈴がバットを持った手で頭をかく。よく見ると、陽鈴は大きなカバンを持っていた。運動部が使うようなエナメルのカバン。それを「よいしょ」と降ろすと、バットを投げ捨てる。そして、カバンのファスナーを開けて中をごそごそとし始めた。中から出てきたのはハサミのような形をした工具だった。それを持つと、陽鈴はフェンスをバッチンバッチンと切り始めた。

「なにしてんの」

「フェンス切ってんだよ。見ればわかるだろ?」

「そうじゃなくて」

 なんで持ってるんだよ、そんなもの。

 僕と陽鈴とを隔てるフェンスが次々に切られていく。陽鈴はただ淡々とフェンスを切り続ける。陽鈴は僕が今こうしていることを最初から予期していたのだろうか。なんでそんなことができるんだ。


「お前さあ」

 陽鈴が一切手を休めることなく言葉を続ける。

「いない者扱いされてんだろ」

 陽鈴がフェンスを切り続ける。僕はその様子を見続けていた。陽鈴の真剣な顔。ごみが鼻に入ったのか、たまに鼻をピクピクさせている。一切の躊躇なくフェンスを切っていく工具。それを動かす陽鈴の小さな手。僕は何も言わずに、ただ頷いた。手元を見続ける陽鈴からは見えていないはずなのに、陽鈴は「そうか」と言った。

「いない者扱いされるのは、結構よくあることだ。許せねえけどなあ」

 気が付けば、フェンスが陽鈴の身長と同じくらいの高さまで縦に切り開かれていた。陽鈴は少しの汗をかきながら、今度は横にフェンスを切り開こうとしている。

「ただなあ。それで死ぬのはつまらないよ、千夜」

 こういうときは「死ぬな」とか「生きていればいいことがある」とか言うんじゃないのか。陽鈴は最初から「つまらない」しか言わない。変な言葉だ。変な慰めだ。それなのに、なぜか目頭が熱くなってきた。

「叫べ。喚け。自分に色がつくまで」

 陽鈴が工具を投げ捨てて言った。扉のような形に切り開かれたフェンスをくぐり、陽鈴もまた屋上のへりに立ち、言葉を続ける。

「お前はどうしたいんだよ、千夜」


 優しい口調で言ってから、陽鈴はまたバットに火をつけた。

 よく知りもしない人間に変な噂を流され、避けられ、最終的には存在を消された。僕はそんな奴らに何をしてやりたいんだろう。「お前はどうしたいんだ」「叫べ。喚け」「つまらない」陽鈴の言葉が耳にこびりついて離れない。南森千夜、お前は何がしたい。お前はこの中学校という狭い世界で、どうやって生きていきたいんだ。僕はただ、自分は自分だと胸を張れるようにしたい。僕はただ、自分の居場所が欲しい。僕はただ、ここに存在していたい。

「僕はただ、僕でありたい」

 陽鈴の目を見つめながら出たその言葉に、泣いてしまった。陽鈴は泣いてる僕のことをただ見つめて、バットを吸っている。バットの吸殻を屋上から外へと投げ捨てて、陽鈴は僕に自分の両手を差し出した。

「千夜はどういう人間だ? 言ってみな」

 僕はみっともなくだらだらと涙を流しながら、陽鈴の両手を取った。

「未成年の喫煙者で、ピロウズが好きで、馬鹿なことをしていたい」

「それで?」

「甘いものが好き。甘いものと一緒に飲む苦いコーヒーが好き。辛いのも好き。酸っぱいのは嫌い」

「うん」


 陽鈴の相槌はただやさしくて、陽鈴の手を取る両手に力がこもる。涙が止められなくなる。自分の心臓をかきむしってやりたい衝動に駆られる。唇を噛んで血が出た。陽鈴が言葉を待っている。もう全部、全部全部吐き出してやりたい。いや、もうぜんぶ吐き出してやる。

「お酒も飲んでみたい。授業中に大声で歌いたい。退屈な世界ぜんぶ壊してやりたい。たまに死にたくなる。たまに誰かを殺したくもなる。たまにどうしようもなく泣きたくなる。しょっちゅう自分がわからなくなる。家族がいない。家族がほしい……。そしてみんなで笑いあって死にたい。この世界中に言ってやりたい!」

「そうだ言ってやれ」

 僕は大きく息を吸う。ギュッと陽鈴の手を握ると、陽鈴もまた思いっきり握り返してくれた。

「叫べ、喚け、13歳……!」

「お前らみんな大嫌いだああああああ!」

 腹の中から言葉を出し尽くし、息を出し尽くした。息を切らした瞬間、僕の体が陽鈴の体に包まれる。あたたかかった。陽鈴は「よくやった」と言い、僕の頭をわしゃわしゃとかき乱した。陽鈴の胸に包まれた頭を上げると、陽鈴がニシシと笑っている。「ここで嫌いと叫ぶお前がわたしは好きだぞ、千夜」と笑っている。


 それから二人で手を繋いで屋上を出て、そのまま家に帰った。

 次の日から、僕は透明人間なのをいいことに好き放題してやった。最初は授業中に大声でthe pillowsの『Blues Drive Monster』を熱唱してやった。先生の眉がピクリと動いて面白い。その次に教室の中でバットを吸ってやった。流石にまずいと思ったのか、先生が「放課後生徒指導室に来い」と言った。生徒指導室に行くと、先生は頭を下げる。「何もしてやらず、教師みんなまでもがこの空気に乗ってしまった」と地面に額をこすりつけていた。

 特に担任の先生は長々と土下座をしていた。

「お前が好き放題やるのに協力してやる。責任は俺が持つ」

 担任がそう言ってからは、僕の行動はどんどんエスカレートしていった。

 陽鈴にゲームを借りて、授業中大音量でテトリスをプレイ。ロシア民謡の独特なメロディが延々と流れ続ける。数学の先生が妙にリズムに乗って板書をした。それを見た女子が少し笑っているのを見て、僕も笑った。

 ネットで見つけたエロ画像を家で印刷して、誰よりも早く教室に行き、クラスの男子全員の机の中に入れてやった。机に何か入っていることを見つけた男子がそれを出そうとして、慌てて引っ込めるのが楽しい。男子のうちのひとりは完全にそれを衆目に晒してしまい、女子から悲鳴を浴びていた。その瞬間、そいつが僕のことを睨んだ。「お前だろ南森」と言いたげな視線に、僕は鼻が高くなった。

 お菓子と煙草の空箱でエッフェル塔を作ったり、校庭にミステリーサークルを作ったりもした。あだ名が「僧侶」なハゲの先生の授業にだけお経を流し続ける。授業中にうどんをこねる。女装して登校する。授業が始まるたびに口から血糊を吐く。

 そんなことを続けていると、一人二人と僕に反応してくる奴がいる。

 中には「お前面白いな」と話しかけてくれる奴もいた。透明人間だった僕に「変人南森」という色がついたのだ。変人南森の名は上級生にも広がっていき、「1年3組におかしな奴がいる」という話がよく聞こえるようになった。


 両親を刺し殺したという根も葉もないうわさは、変人南森に上書きされたのだ。


 二年に進級してからの僕の中学人生にあったのは、変人としての人生だけ。陽鈴と進級祝いをしたとき、この話を全部聞かせてやると陽鈴は大爆笑してくれた。このときから、僕は陽鈴のことが好きになっていた。

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