第七話 手がかり
「気をつけて」
イノプネヴマの見送りに手を振り、三つの大きな車輪のついた箱に乗り込む。車というらしい。人が乗りやすいよう、座席が取り付けられている。大部分が金属で作られていて、かなり丈夫そうだ。ただ、動かなくなった時、人の手で押すのは大変だそうだ。
オミリアの住む町は工業が盛んで、電気もあるらしい。電気は魔法石に頼ることなく、生活を豊かにするものだ。そして、この車も馬を必要としない。
イロアスの頃は車なんてなかった。便利な世の中になったものだな。
「あんまり揺らすな」
イェラオは二日酔いで、頭が痛いらしい。揺れが頭に響くのだそうだ。
舗装のされていない道には石がゴロゴロとしている。その上を走る度に縦に横にガタガタと揺れる。
「電気なだけましだよ」
文句を言うイェラオを無視し続けたオミリアが、説明をしてくれる。
電気の前は、魔法石を使っていて、乗り心地が悪かった。爆発的な力を使っているため、エンジン部分が常に振動してしまうのだ。しかも、魔法石は電気に比べて値が張る。
車の揺れる音で声が聞こえにくいうえ、オミリアの座る運転席は進行方向を向いている。後ろの席に三人並ぶ俺たちには背を向けることになる。普段だと無口なオミリアも、声量を配慮しているみたいだ。
「今はもう、魔法石のはめったに見ないな」
そもそも車を見たことがなかった俺には、話の次元が違うように思える。
田舎者の俺の感覚が変なのか心配になって、フィーリアに尋ねてみる。
「見たことはありますよ。でも、乗ったのは初めてです」
口元に手をもっていき、お上品に笑う。抑えているが、だいぶ嬉しいらしい。
「元関所んとこから東な」
体調は悪くとも、道案内役の仕事は果たしすつもりらしい。イェラオがだるそうな声で指示する。
ムードメーカーのイェラオがダウンしているし、オミリアも黙ってしまったので、車の走る音だけが響く。暇なのか楽しんでいるのかわからないが、フィーリアは黙って外を眺めている。俺もそれに習って、外を見ることにする。
ここら一帯、雨が降らなくなってしまったせいで、植物がない。僅かに見える緑色は、乾燥に強い、背の低い草だけ。当然、動物もいない。原因は不明。
「ほら、ついたぞ」
イェラオが、フラフラと車から降りる。
岩山でできた洞窟のようだ。だいぶ走ってきたため、視界には少し緑がある。
イェラオは体調が悪いのでおいていくことにする。洞窟の中に詳しいわけではないらしいから、いてもいなくても変わらないだろう。オミリアは、彼に付きそって残ると言った。
「私は行きますよ。…行ってもいいなら」
何を遠慮しているのか、フィーリアが視線を落とす。
俺に許可を求める必要はない。そんな権限ないのだから。むしろ、一緒に来てくれるというのは安心だ。
「行こう」
この先に何があるかはわからない。覚悟を決めて歩き始める。
「エルコメ・ポース」
洞窟が、フィーリアの魔法で照らされる。
中は暗く、ひんやりとしている。
昔、天然魔法石の鉱山として村を栄えさせた、この洞窟は、人の手であちこち掘られている。どの穴も人が通れる大きさだ。
フィーリアが、そっと俺に近づく。
どこからか、水がポチャっと落ちる音がしているし、なんだか不気味ではある。強くとも、彼女は一人の女の子。不安な時くらい、誰かを頼るのは許されるだろう。
フィーリアに手を差し出すと、少しためらった後、服の袖を摘んだ。まだ会って間もない男の手を繋ぐのは抵抗があって当然だ。そのまま黙って歩く。
内心、ほっとしていた。女の子の扱い方なんてわからないし、今、ちょっと近づいただけで、手汗が出てきた。もし、これで手を繋いでいたら、気持ち悪がられてショックを受けていただろう。
どこに向かえば良いかわからないため、大きな穴を選んでまっすぐ進む。帰りが迷わないか心配になるが、フィーリアの魔法があれば大丈夫らしい。例のごとく、魔力探知だ。自分の使った魔法の跡をたどるだけだそうだ。
だいぶ奥に入ったからか、空気が薄いのかもしれない。なんだか息苦しい。足も重い。
「シド、大丈夫ですか?」
フィーリアが心配そうに顔を覗き込む。どうやら肩で息をしたり、汗をかいたりしているのは俺だけらしい。
「とりあえず、あそこに」
そう言って指さしたのは、ドアだ。暗がりで、洞窟の中にドアがあるなんて気づきもしなかったが、たしかに、茶色のドアがある。
支えられながら、ゆっくりとドアに近づき、フィーリアがドアノブを回す。
光に照らされた、その場所は、人のいた形跡がどこよりも強く残っていた。テーブル、本棚、ベッド。洞窟の中とは思えない、異様な空間だった。天井には、水を凌ぐためなのか、疎水性の布がかけられている。ここが、母親の研究の拠点であったであろうことは、瞬時に理解した。
「…ふぅ」
俺は、ベッドに腰掛ける。座ったからかだいぶ楽になった。フィーリアは、それを感じ取ったようで、ほっとした顔つきになる。
瞬間移動で戻るにしても、体調不良の俺を連れてはできないらしい。俺の魔力感覚が狂って、体調をさらに悪化させてしまう可能性があるからだ。
「とりあえず、しばらくここで休憩しましょう。原因がわからない以上、この洞窟から早く出たいですけど」
フィーリアが、いつも以上に頼もしく見える。
ひどく疲れてしまって、埃臭いベッドに倒れ込む。そのまま意識が遠のいていく。
─ごめんなさい
はっとして、目を開ける。
どこかで聞いたことがあるような声。高くて透き通った声。母のものでも、フィーリアのものでもない。でも、知っている声。
「体調はどうですか?」
体を起こすと、フィーリアが駆け寄って、目の前にしゃがむ。
「さっきよりはだいぶましだよ」
努めて笑顔で答えると、彼女は笑顔で頷く。その手には、一冊の本。
「ここには、手がかりになりそうなのはこれしかありません。本棚にあった本はどれも市場に存在するものです」
本棚に並べられていた本たちは、フィーリアも読んだことのあるものだけだったらしい。唯一、テーブルの上にあった本だけ、手がかりになりそうなのだと言う。
俺が寝ている間に、母に繋がりそうな物を探してくれていたらしい。
「帰りましょう」
またドアを抜けて、じめじめとした洞窟に戻る。瞬間移動の魔法は周りに物があると使いにくいので、広い場所に移動せざるを得ない。
その瞬間、また重いものが肺に流れ込んだように気分が悪くなったが、フィーリアに悟らせない程度には体力が戻っている。
「コープスト・ジ・コーロス」
詠唱を始める彼女の横で、洞窟の奥を見る。フィーリアが一人で探検したらしいが、すぐに行き止まりで何も無かったらしい。
「はっ…!」
そこにあったのは、大きな大きな扉だった。金色で、ドアノブらしいものはない。両開きのようだが、中央に隙間はない。扉というより壁のようだ。扉に合わせるように、天井も高く掘られている。扉があっても不自然な彫り方だと思った。
「シデンスト・モノ・コーロス」
俺たちは光に包まれ、洞窟を後にする。
「おお、おかえり」
イェラオが、地面に座って手を振っている。オミリアも、車に腰掛けるように、こちらを見ている。
「スィドロフォスの体調が悪そうだ」
オミリアが、フィーリアから俺を離し、支えてくれる。車の座敷に寝かせてくれる。
目を閉じてみるが、眠れそうにない。吐き気が襲ってくる。
「少し待とう」
俺たちを次の村まで送ってくれようとしているオミリアは、俺の体調を心配し、出発を待ってくれる。フィーリアがお礼を言っているのが聞こえてくる。俺も自分で言いたかったが、とりあえず、彼女にまかせておくことにする。
三人の会話を聞きながら、風に吹かれているうちに、元気が戻ってきた。ものの十分ほどで回復すると、体を起こし、三人にお礼を伝える。
「シド、もう大丈夫なんですか?」
フィーリアはまだ心配そうだし、オミリアも遠慮せずに休むよう言ってくれたが、自分でも驚くほど体力が戻っていた。
全員、車に乗り込み、オミリアが車を走らせる。
「魔法石の魔力にあてられたんじゃないのか?」
すっかり元気になったイェラオがガハハハと笑う。俺とフィーリアが、洞窟であったことを話すと、俺が軟弱なんだと馬鹿にしている。否定はできないが。
強大な魔力を前にした時、耐性のない者が倒れるという話はよく聞く。特に、魔力の少ない人物に起こりやすい。
俺も、最初はそう思った。だが、
「あの洞窟、もう魔法石はほぼありませんでしたよ。気をつけて探さないと見つからないくらい」
と、フィーリアは否定している。
そもそも魔法石がなかったのだから、それが原因での体調不良なわけがない。この魔法使いはそう言いたいのだ。それが事実なのだとしたら、謎は深まるばかりだ。ただの体調不良なら良い。でも、洞窟を出た途端、症状が良くなるのは変な話だ。
それにもう一つ。フィーリアは、洞窟の奥は行き止まりだったと言っていた。扉などなかったと言うのだ。あの扉は、俺の見間違いな可能性が高いが、どうもひっかかる。
「そんじゃ、達者でな」
次なる村、トリトスの手前でイェラオ、オミリアと別れる。デウテロンで出会った三人の男に、感謝の気持ちでいっぱいだ。
「さあ、行きましょうか」
オミリアたちの車を見送り、体の向きを変える。目の前には、新たな土地が広がっている。