第二十一話 別世界
「何か手伝わせてください」
暇を持て余した俺は、宿主に声をかけてみた。
「客に手伝わすわけにはいかんよ」
どこかの方言が入っているようで、少し訛っている。
すかさず、娘が「敬語」と突っ込んでくる。
「食後のお茶でもどうぞ」
宿主がスッと甘い香りのするカップを出してくれる。
カウンター席に座り、一口いただく。
黄色で、どこか懐かしい味のするお茶だ。甘いのは香りだけで、くどくなくて飲みやすい。
「キトゥリノというフルーツの葉で作ったんです。父の故郷の特産品なんですよ」
新しく来た客の相手をする宿主に代わり、娘が説明をしてくれる。
「お茶の色は葉っぱの色です。葉はすっごく良い匂いなんですけど、フルーツの方は酸っぱいんです」
「へー、フルーツはもっと甘いのかと」
「やっぱりそう思いますよね」
父親が葉っぱしか仕入れないのを不思議に思って尋ねてみたところ、次の入荷の際、数個だけフルーツも仕入れてくれたのだそうだ。そして、一つ食べさせてもらうと、驚くほど酸っぱかったのだ。一方、父親の方は「美味しい」と言いながら、パクパクと食べてしまったそうだ。
「その時の反応が母親そっくりでね」
手の空いた宿主が話に入ってきた。
「あの子を生んで死んじまったんだが、やっぱり嫁さんの娘だ。嫁さんが遺した大事な形見なのさ」
テーブルを片付けに行った娘の背中を見ながら言う。「母親に会ったこともないのに、そっくりなんだもんな」としみじみ言うので、何とも言えない気持ちになった。
俺と似た境遇の女の子は、俺よりも小さな体でよく働く。父親とは仲が良さそうだし、本人は不幸だなんて感じていないだろう。
時々、寂しいことはあれど、親が思うより子供は強い。時に、共にいた記憶が少ない方が楽なこともある。
「時々、嫁さんの生まれ変わりなんじゃないかと思うんだよ」
「もう、またその話?」
皿を運んで戻ってきた少女が怒ったように言う。
「全然違う話」
宿主が食器を受け取って洗い始める。
「ほんとにー?」
「ああ、まあ、これからしようと思ってたけど」
「するんじゃん」
娘がテーブルを拭き回り始める。朝食の時間が決まっている分、仕事の効率が上がるようだ。
「ずうっと昔、ある客が来てね。二人組の旅人だった。見た感じ、特に変なところもないし、気に留めなかった」
宿主が、手を動かしながら話し始めた。
「二日、泊まっていったんだが、出ていく前の最後の夕食の時、話をしてくれたんだ」
仲の良さそうな二人には、ある共通点があった。それは、前世の記憶を引き継いでいること。
一人は、女性でありながら、男性であった記憶があった。前世の家族や友人との思い出が鮮明に残っていた。
彼女の前世は二百年ほど前の人間だったようで、過去の歴史的出来事を経験したようにありありと語った。一般に知られていないような細かい状況まで語り、本当に体験したのだと感じさせた。
妻となった恋人の話もしたそうだ。記憶を取り戻してからは、妻が同じように転生したのではないかと思い、探したそうだ。当時の妻と「来世でも共に生きよう」と誓ったのだ。だから、もしかしたらという希望があった。だが、ある時、無謀だと悟ったらしい。
なぜ死んだのかまでは覚えていなかっそうだ。
覚えてないほうが見のためだと思う。死の記憶は言葉通り悪夢になる。
「前世の記憶ですか」
「聞いたやつはたいてい信じないけどな」
俺が信じてないと思ったのか、宿主がひげを触りながら笑う。
内心、とても驚いていた。
前世の記憶を持つ者が、自分たち以外にもいたっておかしくない話だ。自分たちだけだと思うほうがおかしい。
でも、まさか、本人に会えないにしても、そのような話を聞けるとは思わなかった。
「条件ってあるんですかね」
転生を信じているらしい彼なら、俺が同じように記憶があると言っても信じてくれるかもしれない。それ以上に喜んでくれるかもしれない。
しかし、突然、そのような暴露をするような気持ちにはなれなかった。
今まで、記憶のことを教えたのは、故郷のほんの一部の人間とフィーリアだけだ。それだけで、普通の人がする反応というものを十分学んだ。
皆、嘘だと言う。よっぽどのことがない限り信じてもらえない。馬鹿なことを言うおかしなやつだと笑う。
だから、今は、特別興味のないふりをする。ただ会話をつなげようとするふりをする。
「あー、なんか言ってたな。死ぬ直前に強く願ったからかもしれないって。死ぬときのことは覚えてないから確実なことは言えんけど、死ぬ直前だった気がするって。生まれ変わりたい、とか。何?興味あるんかい?」
嬉しいと訛りが出るのだろうか。
「少し」
全く興味がないと言って、話を途中でやめられては困る。それとなく話を聞き出さないと。何かヒントが得られるかもしれない。
俺の返事に満足したようで、ニコニコと思い出話を再開した。
もう一人も女性だった。前世でも女性だったらしい。
そして、彼女は自分のことを「異世界転生者」と言った。ここではない別の世界の記憶を持っているのだそうだ。
そもそも異世界というものが存在するのかというところから始まるのだが、彼女はたしかに、別世界の住人のようだった。根本にある常識に違いがあるし、彼女の口から出る話は、どれも夢物語のようだ。
簡単には信じがたい話ではあったが、彼女が嘘を言っているようには見えなかった。
「異世界か」
今度は本当に驚いた。さすがに異世界なんてものは想定していなかった。
「その名の通り、別の世界だったよ。どうやら、そこには魔法という概念がないみたいで」
「魔法がない!?じゃあ、どうやって生活を?」
「だよな!それがすごいんだって…」
「パパ、そろそろお昼の準備!」
意気揚々と話そうとしたところを娘が止めた。いつの間にか、ずいぶんと時間が経っていたようだ。楽しく過ごせたのは、おじさんのおかげだ。
昼食の準備をしながら、宿主はゆっくり話し始めた。娘に怒られない程度に、控えめに。
生活の中心は、こちらの電気によく似た動力が使われているらしい。ジシャクという物を使ってエネルギーを作り出すのだそうだ。おそらく、そのジシャクとやらは、魔法石のように万能なのだろう。
そして、機械もたくさんあるそうだ。遠く離れた人と会話する道具、物によっては顔を見せながら話せる物もあるのだとか。それが、電気を使えばできると言うなら、すごい技術だ。
俺たちは魔法があるのが普通だし、それなしに生きるなんて想像できない。天然や人工の魔法石のおかげで、魔力が弱くとも生活できる。魔法の才能がない俺でも生活できるのはそのためだ。
今、身近にある人工魔法石の一部は前世の俺が開発したものだ。自画自賛ではあるが、回り回って、今の自分の生活を豊かにすることにつながった。
こうやって、魔法を研究し、それを発展させることで世界は回っている。それがない世界とは、どんなところなのだろうか。




