第十八話 違い
村を出て、山を下りようとしたところ、オロスたちが現れた。俺たちをふもとまで送ってくれるとのことだった。俺たちを背中に乗せると、一気に山を駆け下りた。湖のことのお礼だそうだが、二日ほどかかると思っていた下山がほんの数分で終わったのは、とてもありがたい。
人里の手前で下ろしてもらい、オロスたちと別れた。彼らが人に見つかって騒ぎになっても困るからだ。
「エクトスですね」
山のふもとの最初の町はエクトスというらしい。フィーリアが地図を見て言う。
「ここからは、町が隣接してるので、宿に困ることはなさそうですね」
フィーリアが嬉しそうなところを見ると、やはり野宿はつらかったようだ。せめてテントを用意しないと。
王都の周りの町はつながっていて、今までみたいに、村と村の果てしない距離を歩く必要もない。
昼食時だ。一番最初に目に入った飲食店に入る。常連客で賑わっていて、ほぼ満席状態だ。案内されたテーブルにつき、注文をする。
「ヘブドモスに寄るんでしたよね?」
俺の幼馴染みが今住んでいるはずの場所。ずっと前に言ったことを覚えててくれていたようだ。
「うん。だから、ちょっと東に行かないといけないかな」
料理が出されるまでの間、フィーリアの持っていた地図を広げて二人で覗き込む。こうして地図を見るとけっこう歩いてきた。
「フィーリアの故郷は?」
フィーリアが地図の下の方、南を指す。
「私は遊牧民族の生まれなんです」
家という家はないのだそうだ。一つの場所に定住はしないからだ。飼っている家畜の餌を求めてあちこち移動をする。
「魔法は?」
「今時、女の子でも定職につける能力は身につけるべきだと父が。寮のある学校で勉強しました」
今は、女の子も将来嫁入りすればどうにかなる世の中ではないか。
じゃあ、すごい魔法使いがいると有名になったのは在学中か。
「フィーリアはなんで旅に出たの?定職についたほうが良いってお父さんが言ったんでしょう?」
料理が届いたので、フィーリアが地図をしまう。
「父に私が旅に出たいと言ったら泣かれました。私は、魔王を倒したくて」
「へー。俺と同じだったのか」
「そうですね」
「フィーリアはそこまで魔王討伐に熱心じゃないと思ってた」
「え?なんでですか?」
フィーリアの手が止まる。
「んー、なんだろ。そういう話を聞いてこなかったからかな」
「…リリィのことを言ってますか?」
俺も食事の手が止まる。
フィーリアの方からリリィの名が出てくるとは思わなかった。そういう前世の話は嫌がると思ったのだ。覚えていないと言うし。
たしかに、リリィは最後まで魔王退治に乗り気ではなかった。死を覚悟しなければならなかったからだろう。
しかし、俺たちと共に魔王城に向かった。リリィは強かった。
そもそもリリィと語り合った記憶がない。喧嘩をするほど話し合ったことがない。
「フィーリアにとってのリリィの位置関係がわからないし、どう思っているのかわからないけど、俺は、あまりリリィのことを知らない。前世の記憶を思い出せてないとか、そういう話じゃないんだ。あの子の話を聞いたことがない」
フィーリアは静かに俺の話を聞いている。
「時々、フィーリアの中にリリィを感じることはあるけど、君をリリィだなんて思ったことはないよ。俺は、自分の中にイロアスとよく馴染んちゃって、区別が付きにくいけど、リリィとフィーリアを同一人物だと考えてない」
俺は、仲間と旅をした記憶を持っているが、彼らのことは全然知らない。そういう交流をしてこなかった。だから、その後悔を上書きしようとしているところはあるかもしれない。
でも、今の俺はイロアスじゃなくてスィドロフォス。目の前の彼女はリリィじゃなくてフィーリア。それを混同してはいけないとわかっている。
「フィーリアを前にしてリリィの話はしないように気をつけてるつもりだよ」
その答えに満足したのか、フィーリアは食事を再開する。
おい、ちょっと待て、俺。じゃあ、なんでフィーリアと旅に出た?なぜフィロスを訪ねる?
フィーリアとなら、父さんが旅に出ることを許してくれるだろうという合理的理由だけで選んだのか?
ただ懐かしい幼馴染みに会いたいという感情だけでフィロスのいる町を目指しているのか?
違う。フィーリアはリリィだから。フィロスはマクリアかもしれないから。
もし、フィーリアの前世がリリィだとわからなかったら、一緒に旅をしようなんて言い出さなかったはずだ。フィーリア、いや、リリィの優しさにつけ込んだのだ。
フィロスは幼馴染みだ。記憶を取り戻す前から交流はあった。仲良くしていた。だが、今も会いたいと思うのは、彼があのマクリアかもしれないと考えているからではないか。
「フィーリアをリリィだと思ったことはない」と言いながら、過去に囚われてはいないだろうか。俺一人、前世にすがりすぎてはいないか。
何回フィーリアの中にリリィを見た?
いや、考えたところで、今更引き下がるつもりはない。言ったところで何になる。
このままで良い。俺もフィーリアも、気づかなければ良い。
「あー、手紙、だめになっちゃった」
笑ってポケットからフィロスからの手紙を取り出す。
ペンプトスで湖に浸かった時、手紙も一緒に濡れてしまったので、ぼろぼろだ。もう封筒も開けない。
「魔法、かけておけば良かったですね」
フィーリアが残念そうに言う。
「まあ、しょうがないよ」
俺は何もなかったかのように、料理を口にする。
これで良いのだと、再度心の中で呟く。
「シド、何か変ですよ」
フィーリアが手を止める。
「え?何も変じゃないよ」
「やっぱり変ですよ」
もう気づかれたかと焦り、かえって怪しまれてしまう。
「何でもないって」
フィーリアが俺の手を押さえ、もう片方の手で俺の額を触る。
「ほら、やっぱり。熱あるじゃないですか」
フィーリアが素早く会計を済ませ、俺を立たせる。
「フィーリア?」
「ただの風邪だと思うので、休めば治ります。魔法で治せば早いですが、自然治癒が一番です。とにかく寝ましょう」
そう言って、俺の腕をぐいぐい引っ張って行く。ぼーっとする頭で、こんなに強引なところはリリィにはなかったな、と考える。
フィーリアは、近くの宿に入り、部屋をとった。そのまま俺を引き連れて借りた部屋に入る。
「体調が悪いときはすぐに言わないと駄目ですよ。気を張ってることが多かったので、疲れが溜まってたんですね」
俺をベッドに横たわらせ、タオルを濡らして額にのせる。
「暑いですか?寒いですか?」
フィーリアはたぶん、焦ったり、困ったりすると、たくさんのことを早口で喋っちゃう人だ。さっきからずっと喋り続けてる。
返事がないのを心配して、さらにわたわたし始める。そんな彼女が可愛くて、なんだかホッとする。
急に自分の体調の悪さに気づいて、体がだるくなる。
情けないな。
視界がぐわんぐわんして、目を開けているのが気持ち悪い。目を閉じて、ゆっくり息を吐いた。
熱を出したのはいつぶりだろうか。幼い頃は、体が弱くて病気にかかりがちだったと、父さんが言っていた。物心がつく頃には、人並みに頑丈な体になり、風邪を引いた記憶がない。
母さんがいたらこんな感じかな。
フィーリアほど心配性ではないだろうけど、きっとこうして側にいてくれる。
「大丈夫です。寝て良いですよ」
フィーリアの方も落ち着いてきたのか、口調がゆっくりになる。穏やかな声に心地よくなって、落ちるように寝た。




