第十五話 祭り
テタルトスを発ち、二回ほど野宿を繰り返し辿り着いたのは、ペンプトスという村だ。山奥にある集落で、王都までは山を越えなければならないので寄ってみたのだ。
「ここへは来るな」
民族衣装を着た、フィーリアより少し小さな女の子が木の上から言った。村に入ろうとしたところで上から石を投げられ、突然言い放ったのだ。
トリトスの再来かと思ったが、そのようなことを言うのは、彼女だけで、実際、村に入って見ると、ものすごい勢いでもてなされた。
「さあさ、お召し上がりください」
宴をするというので、村の中心に連れて行かれた。村人に囲まれ、食事をたくさん用意された。もちろん電気があるような場所ではないので、焚き火がパチパチと音を立てて燃えている。地べたに座り、川魚や山の獣の肉を調理した料理は、それこそ自然を感じられて楽しい。
とは言いつつ、野宿してきてる身としては、そろそろ温かいお風呂とふかふかのベッドが恋しい。しかし、これも旅の醍醐味というか我慢しなくてはならないことだ。テントも用意できなくて、フィーリアにはとても申し訳ない。川で水浴びくらいしかできないのは、女の子にはきっとかなり辛いと思う。
村として大きなところではないが、皆、この生活に満足しているようだ。
丁寧にもてなされている感じはあるのだが、さっきからなんとなく視線を感じる。俺たちを見る目が強く感じるのは気のせいだろうか。
俺の目の前で立ち止まった影があったので、そちらを見てみると、先程の少女だった。
くせ毛の黒髪を後ろで束ね、たくましい肉付の女の子だ。さすが山で生活をしているだけある。
ただ俺を睨むように見ているだけなので、何か用でもあるのかと、口を開きかけたとき、
「ミズキ!」
と、声が聞こえてきた。おそらく、目の前の少女の名前だ。ミズキと呼ばれた少女は、俺に
「逃げて」
とだけ言って去っていった。何が何だかわからず、食事を楽しんでしまった。
「こちら、ペンプトス伝統の地酒です。どうぞ」
そう言って、コップに注がれた酒を差し出されるが、受け取らないで断る。
「酒はあまり得意でないので」
前世で酒絡みで良い思い出はない。スィドロフォスと違い、今の俺なら酒に強いかもしれないが、旅の最中、見知らぬ土地で試す勇気はない。
「そうおっしゃらずに」
ぐいぐいと酒が押し付けられる。俺はそれを断わり続ける。
「お客様には酒を召し上がっていただくのが村の仕来りなのです。一口で構いませんので、どうぞ」
長老らしき老婆に言われ、しぶしぶ受け取る。フィーリアにまで無理強いはしていないようなので良かった。村人たちに見守られながら、本当に一口だけ酒を飲む。
今度は、村の若い女性たちが火の周りで踊り始めた。男たちが大声で囃し立てる。ヒラヒラと踊り子のスカートが回る度に広がってきれいだ。
その中に、ミズキがいた。やはりくせのある黒髪を一つに束ね、羽飾りをつけている。
「この山には神様がいらっしゃってな。一年に一度、豊穣祭の後、貢物をするんだ。そうするとな、神様は怒りを鎮めなさって恵みを与えてくださる」
老婆がゆっくりと話し始める。
「祭りは毎年盛り上がってな。三日間、舞を舞ったり、特別な料理を用意したり。その酒なんかもその一つでね。祭りの時にしか出さんのだよ」
「ん?」
老婆の姿が一瞬歪んで見えた気がする。気のせいかと思い直した途端、突然、強烈な眠気に襲われる。力が抜けて手からコップが滑り落ちる。
「…くっ」
必死に耐えようと唇を噛む。だが、眠気は強すぎて抵抗できない。手で顔を押さえるが、どんどん沈んでいく。
「シド?」
フィーリアの驚いた顔が傾く。俺が倒れたのだ。抗っても抗っても、瞼が重い。持ち上がらない。
「シド!シド!シド!」
暗闇の中で、俺を呼ぶフィーリアの声だけが聞こえてくる。
ごめん、フィーリア。
目が覚めると、そこは、地下牢のようであった。石の冷たい床に鉄格子。どこからか、ポチャン、ポチャンという水の音が聞こえてくる。光は、鉄格子の向こうの松明だけ。地下だからなのか、肌寒い。外の様子を確認できないから今が夜なのかどうかもわからない。
背後で、ごそっと音がする。振り返って見ると、人がいた。
フィーリアかと一度考えたが、体格が違う。毛皮のコートに身を包み、キツネかオオカミかわからない面をつけている。髪は緑色だ。以前会った、エルピスという男だ。こいつもいたのか。じゃあ、トリトスで見た緑色の頭は、こいつか。彼は、旅商人として他の男たちと一緒だったはずだが、今は別行動でもしているのだろうか。ならば、こいつは一人、俺たちをつけてきたのか。
「なあ、なんでここにいるんだ?」
試しに話しかけてみる。もぞもぞと動いたが、返事はない。
「何があったんだ?」
もう一度声をかけてみるが、返事はもらえそうにない。彼の方は無視を決め込んだようで、俺に背を向けてしまった。
コツ、コツと足音が響いてくる。松明を持った人物が階段を下りてくる。咄嗟に身構える。
「ああ、起きたの」
現れたのはミズキだった。手には松明と食料が握られている。牢にいる俺たちの世話を命じ付けられているのだろう。
「逃げれば良かったのに」
無愛想にパンのような塊を手渡しながら言う。俺は二人分の食料を受け取る。それが済むと、ミズキはさっさと階段を上り始める。
「ミズキ」
背中に声をかける。すると、スタスタと俺の前に戻って来て俺を睨んだ。
「馴れ馴れしく呼ばないで」
「あ、ごめん」
ミズキの感に触ってしまったようだ。すぐに謝る。
「フィーリアは無事?」
ミズキが眉間に皺を寄せる。
「一緒にいた女?」
「うん、そう」
「無事だと思うよ。女だから」
ぶっきらぼうな声だ。でも、俺の質問に答えてくれるところはなんだかんだ優しいと思う。
「どういうことか説明してくれない?」
「何が?」
何について知りたいか察しのつくものだろうに、わざわざ言わなければならないらしい。まあ、こちらは尋ねてる側だし、文句は言えない。
「俺たちに言っただろ。来るなとか、逃げろとか。それはなんでかなって」
「タイミングが悪かったんだよ。祭りだったから。豊穣祭。ばあちゃんが言ってたでしょ」
あの宴が祭りだったのか。だから、舞があったり、酒が出されたり。
「あの酒何?」
「あれは、眠り草を絞って出した液が入ってる。催眠薬として使われる。強力だから、ほんの数滴で効果が出る」
一口で良いから飲めっていうのは、そういう理由か。
「飲まなければ良かったのか」
「いや、変わんないよ。そいつみたいに力づくで押し込まれるだけだから」
エルピスを指して言う。酒飲まずにやり過ごしたのか。まあ、普通口にしないよな、あんな怪しい液体。
「で、俺たちを閉じ込めて何が目的なんだ?」
「話聞いてなかったの?今日は、豊穣祭三日目。豊穣祭が終わったら…」
「ミズキ!何してる!」
言い終わらないうちに、上から女性の声が聞こえてくる。ミズキは、階段のもとに戻っていく。
「ここから出してくれたり…?」
「そんなことしたら、あたしが怪しまれちまうよ」
後ろ姿に声をかけてみるが、望みは絶たれてしまった。自分でどうにかするしかない。
豊穣祭の後、神に貢物をすると言っていた。その貢物が俺たちであることは想像に難くない。生贄と言うやつだろう。
だが、怒りを鎮めるとは何だろう。神の怒りに値する何かが、この村に起こっているということだろうか。
そこで、エルピスの分の食料も握りしめていたことを思い出し、一つ、エルピスに渡した。
お互い何も言わず、黙々と食べた。面の下の顔を見てやろうと思ったが、背を向けられていて見えない。徹底している。
パンのようで、なんだかすごく硬い食べ物だ。味は何とも言えないが香ばしい。一つで満腹になるとは思わなかったが、噛む回数が多かったためか、それなりに空腹感はなくなった。
さて、どうするかな。
このままいけば村の人に殺されてしまうだろう。神の怒りとやらもわからない。
どうやって逃げ出すか。ただ、逃げられたとして、また次、ここを誰かが訪ねたら同じことが起きかねない。できれば、生贄の伝統もなくしておきたい。
ミズキは無事だと言っていたが、フィーリアのことも心配だ。おそらく、生贄というのは男である必要があるようだし、簡単には殺されないだろう。
本当にどこに行っても事件ばっかりだな。誰かが邪魔している感じすらある。
でも、そればっかりは、考えてもどうしようもなかった。