第十四話 すれ違い
朝一で領主の館を出た俺たちは、夕方頃にテタルトスという町に着いた。聖堂に泊めてもらうことになり、なんなく寝床は確保できた。
しかし、昨日の夜からフィーリアとの距離感がわからなくなってしまった。道中、ほとんど言葉を交わすことはなく、黙々と歩き続けた。それは、テタルトスに到着してからも続き、どうすれば良いのかわからないでいる。
今こうして、聖堂の客室で一人たそがれていたって状況が変わらないことはわかっている。ケンカをしたわけじゃない。手っ取り早く、この確執を取り除かなくては。
「よしっ」
隣の部屋にいるフィーリアを誘い、町を歩こう。そうすれば、きっと自然と話せるようになるだろう。
「フィーリア」
コンコンとドアをノックする。しばらくすると、ドアが開き、顔を見せてくれる。
「良かったら散歩しない?」
俺の言葉に、困ったような顔をする。
「え、でも…私を気遣っているのなら大丈夫です」
まさか断られるとは思わなかった。
「あ、いや、そういうわけじゃないんだ。せっかく来たから町を見て回ろうと思って」
たじたじになりながら言う。気遣っていないと言ったら嘘になるが、素直に言ってしまえば、この先も確執は残ったままだろう。自然な感じで誘うことを意識する。
「そう言うのでしたら、行きます」
自分でもあからさまに安堵したことがわかる。
フィーリアを連れ、聖堂を出る。日が沈みかかっていて、空がオレンジ色になっている。
住宅街を抜け、畑を通り過ぎ、商店街を歩く。ここに来ても会話はなく、思わずため息をついてしまった。
「戻りますか?」
早く帰りたいのだろうか。たしかに気まずいが、そんなに俺といるのが嫌なのだろうか。
「そうしようか」
ずっと歩き回っているばかりでは何も変わらない。諦めて聖堂に向かう。
いつもどれだけフィーリアの方が話しかけてくれていたのか。いざ話そうと思ってもなかなか切り出せないのだ。
「人通り多いですね」
町で一番大きな橋を渡るとき、フィーリアが言った。俺は嬉しく思いながら「そうだね」と返す。そこで、フィーリアがはっとして口元を押さえたのは少し気になったが。
たしかに橋の上は人でいっぱいだった。この人混みの中、橋を渡るのは一苦労しそうだ。行きは無心だったから何とも思わなかったが、意識すると面倒くさくなってくる。聖堂に戻るにはここを通らなければならない。遠回りもできないのだ。
こんなに大きな川が流れているのに、なぜ橋は一つしかないのだろうか。
「シド、待ってください」
橋を渡ろうとして、フィーリアが止める。橋を睨んでいる。その視線の先に何かあるのかと思って見てみる。
「何か…」
フィーリアに尋ねようと振り返る途中、視界の端で、女性が転びそうになる。
「あ、危ない」
とても間に合いそうになかったが、とっさに足を踏み出した。転んでしまう、と思ったが、彼女が倒れることはなかった。
『大丈夫?』
見たことのない魔族が女性を支えていた。周りの人たちは特段反応はしないで通り過ぎて行く。女性も魔族に驚く様子はない。魔族は、女性がまた歩き始めたのを確認すると、橋を飛び降り、隠れてしまった。
「よくあるんですか?こういうこと」
フィーリアが、転びそうになっていた女性に声をかけていた。
「見られてました?」
女性は恥ずかしそうに頬を手で隠す。
「この橋には、守神がいるんです。といっても、その神様を祀っているわけではないですし、皆が皆信じているわけではありません。でも、この橋だけは壊れないんです」
女性が言うには、この川はよく氾濫するらしい。町自体は堤防で守られているので、大きな被害にはならない。だが、この川にかけられた橋はどうしても壊れて流されてしまう。だから、川が氾濫するたびにかけなおさなければいけない。この橋もそんな数ある橋の一つだった。しかし、驚いたことにこの橋は壊れなかった。
「私は、きっとチュテレールさんがいるのだと思います」
チュテレールというのは、女性の元婚約者で、川が氾濫した時、流されて亡くなってしまったようだ。その日は、橋が壊れないように補強作業をしていたらしい。
この女性は、チュテレールという人物が霊となって橋を守ってくれているのだと信じているようだった。
橋が壊れないだけでなく、橋で転びそうになったり、物を落としそうになった時、見えない誰かが助けてくれる。だから、町の人は、橋には守神がいると考えているのだ。
話を聞かせてくれた女性にお礼を言い、別れた。
「シド、魔族の気配がします。あの人の言う守神は魔族かもしれません」
フィーリアも見えていなかったのか。魔族の存在を確信していないようだ。
「本当に魔族なら話は変わります」
フィーリアはあの魔族を消すつもりだ。
「待って。少し確かめたいことがある」
フィーリアをおいて、橋の下に行ってみた。河原には人は誰もいない。氾濫する可能性があるから下りないのだろう。橋の影に、黒い何かが座っている。
「なあ、お前だろ。橋の守神って」
『見える?』
黒い塊から声が聞こえてくる。手足が長く、胴体や顔は小さい。顔は狼みたいだ。
「見えるよ。なんで人を助けるんだ?」
魔族が驚いたように揺れる。
『人は見えない。でも、いたずらは良くない。仲間が死んだ。だから、助ければ襲われない』
やはり、俺以外の人間にはこいつが見えないようだ。しかし、見えなくとも、気配で魔族だとわかるし、悪さをすれば簡単に殺されてしまう。これが、こいつなりの身を守るための手段のようだ。
「そうか。これだけは言っておくよ。町の人は感謝してるよ。橋が壊れなくて嬉しいって」
『良かった』
穏やかな声だった。
「シド?」
フィーリアも河原に下りてきたようだ。戻ろうと言う。フィーリアにはやっぱり見えないようだった。
人の少なくなった橋を渡り、だいぶ暗くなった町を二人で歩く。
「魔族にもいろいろいるみたいだ。悪い奴ばかりじゃないのかもしれない」
頭にはプロートスで出会った林のヌシが浮かんでいた。メイディアーマを思い、友達になろうとした心優しい魔族。
橋の守神となった魔族は、自らの身を守るためとはいえ、根が優しいのは変わらないだろう。
「そうですね」
橋の下で会った魔族のことを話したので、フィーリアはゆっくり頷いた。
「良かった。普通に話してくれて」
女性に会ってから、フィーリアは普通に話してくれている。思わず安堵の気持ちを伝えると、
「え?」
と、彼女がきょとんとする。
「いや、今日、全然話してくれなかったから」
俺が慌てて補足する。
「それは、疲れているのかと思って。ずっと忙しかったので」
フィーリアが、俺を心配そうに見る。
ここまでフィーリアが話しかけてこなかったのは、歩きながら話すと疲れるだろうと、俺を気遣ってのことだったのだ。
すれ違っていただけだ。フィーリアは何も変わってない。ずっと優しく心配してくれていただけだったのだ。俺の勘違いが自分を振り回したのだ。
なんだか馬鹿らしくなって笑えてきた。空回りし続けた自分がおかしかった。
聖堂での食事も、その後も、フィーリアは今までどおり話してくれた。でも、少し心配そうに俺を見る。
「魔族と話ができたり、普通は見えない魔族も見えたり」
俺の身に何が起こっているのかはわからない。フィーリアは、それが心配なのだ。
「ごめんなさい」
不意にフィーリアが謝る。
「え?なんで?」
「私たちのせいかもしれなくて」
私たち?
フィーリアは申し訳なさそうに頭を下げるが、彼女が悪いようには思えなかった。原因がわかるまでは謝らないよう伝えた。それでも、彼女はずっと思いつめたような顔をしていた。
「もう今日は寝よう」
フィーリアを寝るよう促し、彼女に用意された部屋に連れて行った。
俺は、聖堂を出て、剣を振り続けた。いつか努力は報われると信じ、習慣的に続けていることだ。そうして、決意を新たにするのだ。
魔王はこの手で倒す。