第九話 救済
「外が騒がしいですね」
時間的感覚がなく、うとうとしていると、フィーリアが天井を睨んで言った。
地下とはいえ、アナの迷惑にならないよう、できるだけ静かに過ごしていた俺たちは、久しぶりに声を出すことになる。少し咳払いをした後、
「何か起こってるのか?」
と、尋ねた。
「デキセモウ・スキニカ」
フィーリアは、目を閉じ、魔法で外の様子を見る。続いて、「ミラスィステイストゥ・オプティコス」と呟いて、その映像を俺に共有する。目を開けていると、景色が今目の前にあるものと二重になって気持ちが悪い。フィーリアのように目を閉じる。
ここに来たとき歩いてきた道、子供に果実を投げられた場所。それらが暗い夜道となって映る。そこに大人たちが、手にいっぱいの作物や布を持って出てくる。
「アスアコウショウ・イーコス。ミラスィステイストゥ・アクローアウスィ」
フィーリアの魔法で、そこの音声も届く。
『今日来てたっていう旅人は?』
『さあ、あれから見てないよっ。出てったんじゃあねぇの?』
『だと良いけどなぁ』
彼らが向かった先は、大男のいる荷車だ。そこには既に様々な物が積み込まれている。
『商人の旦那、これで足りるやろか』
大男は商人のようで、荷車は彼の物だろう。献上品を求める魔族との仲介人のようだ。
『十分だ。なあ、クレヴォ』
荷車を引くための馬の世話をしていた男が振り返って、『ああ』と答える。おそらく彼がクレヴォだろう。
『奴らは国税ほど多くは取らねぇ。寛大な奴らだ』
細いが筋肉質な体。爽やかな笑顔。荷馬車の持ち主であろう四人の男たちは、せっせと荷物を運び入れている。村人たちとの関係は良好のようで、大人たちは警戒することなく会話している。
この声は、俺たちが聖堂に来たときに聞いた大声によく似ている。あの時のように喚き散らしていないせいで少し違う声に聞こえるだけなのか。
『そんじゃ、奴らに届けてくるわ』
商人四人組が荷馬車に乗り込み、村を去っていく。村人たちを脅すという魔族に届けに行くのだろう。
『頼んだよ』
村人たちが彼らを見送り、荷馬車は夜の闇に消えていく。
「あの」
目を開けると、アナがいた。二人して座って目を閉じる異様な光景にやや戸惑ったようだ。追っている荷馬車とアナが重なって見えるが、我慢してそのままアナを見る。
「商人という男たちが村を出たので、しばらくここにいてもバレないでしょうから」
アナが空いているベッドに座り、俺たちを見る。フィーリアは、魔法で見ている世界に集中しているようで、目を開けない。事情を説明すると、聖女さんは、興味を示し、
「それでは、彼らが魔族に会うところも?」
と、身を乗り出して言う。
「そうかもしれません。えっと、もう少し詳しく聞きたいんですけど」
何についてか言わなくても理解したようで、話し始める。
「彼ら商人は、もともと私の村と繋がりがありました。トリトスでは、機織りが有名で、それを街で売る仲介業者でした」
アナはゆっくり頭を下げ、自分の手を見て続ける。
「それが、ある日、ある魔族に襲われたと訴えてきたのです。我々は、彼らを信用していましたし、その言葉に嘘はないと思いました。何より、数日前から、村も何者かに襲われ、畑が荒らされ、しまいには、領主の役人の建物も襲われていました。役人はそれがきっかけで逃げ出しました。いつ自分たちの身に危険が襲うのか不安でたまりませんでした。そんな時、彼らは私たちに取り引きが持ち出されていると言いました」
「それが献上品?」
アナが落ち着いた声で「はい」と答える。
でも、おかしな点がある。なぜ村人たちが魔族に従っているのか。
たしかに、取り引きをするという手は、一つの解決方法であっただろう。しかし、旅人や役人を通じて国に軍を要請すれば恐怖から開放される。さっさと魔族を追い出せば良い。
「魔族がやってくる前、役人による取り立てが酷かったのです」
アナは、またゆっくりと話し始める。
「税の取り立てです。あまりにも重い税に私は困窮していました」
それはおかしい。
この国は、土地をいくつかに分け、領主が税の取り立てを行う。しかし、いくつかルールが課せられている。国民の生活が苦しくなるようなほど税をとってはいけないし、そこから受け取れる領主の税も限られている。厳しいチェックが入るのだから、領主になりたがる者は少ない。だから、領主と役人を信頼している。
それなのに生活が困窮とは、単純な話ではなさそうだ。国王の目を掻い潜って不正を行う役人は少なからずいるだろう。そのための制度だ。町や村を視察する者がやってくるだろうに、どうやってそれを避けるのだ。
「そんな役人に辟易していました。そして、魔族によってその役人は消え、要求は、税より何倍も軽いものでした。もし、国に魔族のことを知らせてしまえば、また重い税が課せられてしまう。それを恐れているのです」
だから、魔族に怯える生活から抜け出そうとせず、よそ者もあからさまに嫌う。
「…それだと、今は税の取り立て自体はないのですか?」
俺の問いに肯定し、領主さえも魔族に脅されているからではないかと答える。
アナの考え方は当然の流れだ。正しいかもしれない。どちらにせよ調べる必要はありそうだ。
「先程、魔族の存在を肯定するようなことを言ったばかりで変な話なのですが」
両手をきゅっと握りしめて弱々しく言う。続きを促すと、
「私たちを脅かす魔族は本当にいるのでしょうか」
と言い、真っ直ぐ俺を見る。
ずっと考えてきたのだろう。言葉には強い意思がある。現状に満足し、考えることをやめてしまった人々の中で、一人、安心を否定しようとする力。彼女の力強さはここにあるのだろう。
「俺も考えてたことです」
アナは涙を流し、ほっとしたように息を吐く。
自分の言葉が否定されるかもしれない恐怖を抱いていたのだろう。でも、彼女はわかっていたはずだ。俺やフィーリアが否定するわけがないと。だから、話すことに決めたのだ。
「あなたの味方であることには変わりませんが。いかなる戦いも情報の有無が左右します。根拠を教えてもらえますか?」
アナが落ち着いたところで語りかける。
力の無いものが勝つ方法。それは、情報収集だ。知識があれば敵の弱点がわかる。戦略だって思いつく。逆に、力があるからと慢心し、知識を求めなくなったものは、いずれ負ける。勝敗に力が全てだが絶対じゃない。
アナが話せるようになるのを待ち、根拠を聞いた。
まとめると、次の役人が現れないこと、聖堂に与えられる支援金を利用しないこと、例の魔族の姿を見た者が村にいないこと、などだそうだ。
「ここを訪れた人の支援のためにお金をいただけるのですが、毎月の決まった金額は私のもとに届きます。しかし、宿泊者の状況報告ができないのです」
「そもそも、お金はどうやってやりとりを?」
「手紙です。こちらからの報告は手紙で、お金は小包に入って届きます」
それなら、役人を通す必要はないのか。
たしかに、聖堂に誰も泊めるなと言うわりに、維持費は渡すのは不自然だ。報告できないというのは、送った手紙が帰ってきてしまうということらしい。金が欲しいなら、嘘の情報でも使って金を無心すれば良い。ただし、担当聖女の直筆で、特別な方法で手紙を作らねばならないから、アナの協力は必須だが。つまり、アナを利用しない限りその手段はとれないから、やっていないのだ。
これは、魔族がいない前提の根拠だな。魔族がこの国の制度を詳しく知っていそうにない。そうすると、逆に犯人は魔族だと言っているようなものだが、こちらから手紙を送れないというのはいささか疑問だ。
「そういえば、最近、配達員さんにお会いしてませんね」
アナが思い出したように言う。ポストにいつの間にか入っているそうだ。大切な書類のやりとりは専属の配達員がいて、顔を合わせて行うそうだ。これは、配達員の存在すら疑わしいな。
これと役人の不在は、村と国の繋がりを遮断するためととれる。
「魔族を見たのは誰も…?」
「見たと言うのは、あの商人たちだけです」
「やっぱり魔族なしの方向で間違ってなさそうだな」
「スィドロフォスさんはなぜそう思ったのですか?私が言う前から勘付いていらっしゃったのでしょう?」
聖女は、すっかり落ち着いている。
「村の人の様子です。俺たちに対する態度は、嫌っているように見えましたが、少し躊躇っているようでした。無邪気な子どもたちは、出てけと果実を投げましたが、大人は無視することに決めていました。これは、魔族が脅していないという根拠にはならないのですが、彼らが選んだのは沈黙で、子供たちのように力づくでの追い出し方ではない。きっと、あなたのように多少なりとも疑っているのでしょう」
初めて知ったという反応だ。まだこれも憶測でしかない。それを根拠にするのは苦しいが、違和感はあった。
「事を荒立てたくないから、商人の言うことを聞いているというところでしょう。それに、あの男たちの言動は不自然なところが多いです。あなたへの当たり方は強すぎました。あれは、支配欲に駆られた者たちの態度です。魔族の脅迫の力は感じません。それに、村に入った部外者のことを必要以上に恐れているようでした。村の人と同じように魔族を恐れているなら、救世主になり得る存在は少しでも期待するでしょう。そう、彼らのように沈黙を選べば良いのです」
人は、心の何処かで現状の打破を願うものだ。わずかなりとも現状を疑う村人は、ひっそりと願っていた。誰かこの謎を解いてくれ、と。
「何より、これから脅しにあっている魔族に会うにしては楽観的すぎる気がしました」
実際に見るというのは、とても大切なことだ。目からの情報は多くを語る。馬車に乗り込んだ男たちの顔には、恐怖よりも喜びが浮かんでいた気がするのだ。
「シドの考えは、当たりのようです」
肯定したのはフィーリアだ。そして、言った。
「少し厄介かもしれません」