依頼①
大学の食堂、その一角で二人の少女が向かい合っていた。
浮かべる表情も、見た目も正反対の二人の少女の片割れ、白髪のオーバーオールを着た幼い風貌の少女、兎羽 奏が笑顔のまま話を繰り返した。
「というわけで『心霊研究会』の方針は身近な所から、この大学で流れる都市伝説の調査ね」
奏の言葉にもう一人の少女、黒髪の青いポンチョを着た音葉が無表情に不満を口にする。
服装が昨日までとは違うゆったりとしたものになったのは心境の変化だろうか。
「どうしてわざわざそんな、自分から危険に近づくような事を」
「おっちゃんの言いたい事は分かるよー? でもさ、昨日の『猿夢』で都市伝説絡みの事件がひと段落したとは思ってないでしょ?」
『猿夢』。
音葉はその顛末をうっすらとしか覚えていないが、奏によって『猿夢』の都市伝説から抜け出す事が出来た。
音葉が『ティンダロスの猟犬』を呼び出したように、『ヒュプノス』という『クトゥルフ神話』の旧神によって。
だが奏の言う通り、それで全てが終わったとは思っていない。発端である大師という謎の少年は再会を示唆した。恐らくその通りになるのだろう、また新たな都市伝説と共に大師は二人の前に現れる。
「『猿夢』の時だって、一度目に目を覚ます事が出来たのは運が良かった。大師の仕業なんだろうけど、もしかしたら最初の夢でおっちゃんは目覚める事無く『猿夢』に囚われてたかもしんない」
かぷり、とその小さな口にプチトマトを放って、その酸味に目を細めながら奏が言う。
「大師の事を抜きにしたって、都市伝説は確かに存在してる。私が創作した『怪人アンサー』だって。あれは普通に生活してる分には絶対に出遭う事のない類の都市伝説だけど、大半の都市伝説は理不尽の塊だ。原因も、その結末も」
「……」
無言で音葉はアイスコーヒーをストローで啜った。
奏の言いたい事は分かっている。ただ、三度の都市伝説との遭遇、その内、二度が命の危機とイコールだった音葉にとって、自ら都市伝説に近づくというのは忌避する理由には充分だった。
「対抗神話を知らないまま、それを調べる間もないまま都市伝説に襲われ、殺される可能性を考えれば、奏さんの言う通りなのかもしれません」
「おっちゃんが気にしてるのは『ティンダロスの猟犬』の言葉だよね?」
対抗神話を、都市伝説を知る事は深淵を覗く事。
知れば知る程、それは自ら近づいているのと同じ事。
「『ティンダロスの猟犬』を信じるなら、都市伝説の事なんて忘れて普通の生活に戻るのが最良なのかもしれない。でも、おっちゃんには大師っていう都市伝説を二度も齎した外的要因があるし、何より『ティンダロスの猟犬』の言葉を鵜呑みにするのは危険だとも思う。『クトゥルフ神話』がどういう類の話かはおっちゃんももう知ってるでしょ?」
音葉を二度の危機から救ったのは対抗神話ではなく、『クトゥルフ神話』だった。
人が作り出した神話。対抗するのではなく、対攻するもの。
だが『クトゥルフ神話』にまつわる物語のほとんどが、それに登場する神や魔物のほとんどが、人にとっては恐怖の対象であり、狂気の怪物だ。ともすれば都市伝説以上に危険な。
「ま、結局どうするのが正しいのかなんて分からないよ。私だって冷静ぶって言葉を並べてみたけど、自覚がないだけで動揺もしてるだろうし。だから私が先走り過ぎたら、おっちゃんが止めてよ」
「……分かりました。私もじっと恐怖に耐えてるだけ、という状況は耐えられそうもありません。それに、私たちの他にも都市伝説に襲われる人もきっと居ます。それを助ける事も出来るかもしれません」
「んじゃ決まりだね。『心霊研究会』の活動方針」
見た目通りの子供のように、奏は笑みを浮かべた。それに釣られるように、音葉も僅かにほほ笑んだ。
思えば誰かと同じ目的を掲げて行動するのは随分と久しぶりだった。
「何か当てが?」
「あるよん。お誂え向きで、易しそうなのが。……『こっくりさん』ぐらいなら、おっちゃんでも聞いた事あるんじゃない?」
◇ ◇
『こっくりさん』。
数人で行う降霊術の一種、と言われる都市伝説。
紙とペン、硬貨を用意し、数人の人間が集まれば可能という手軽さもあり、かつて爆発的に流行したという。
『こっくりさん』にはいくつかの説はあるが、その中でも信憑性が高いとされるのは自己暗示による催眠という説。
簡易的とはいえ日常では決して起こりえない状況下で被暗示性が高まり、無意識が体を動かすというものだ。
午後三時過ぎ、食堂で奏と別れた後、法学部で最後の講義を終えた音葉は先に帰った奏の部屋を訪れていた。
またいつものように趣味に没頭していた奏の拘束を解き終えると、奏はノートパソコンをテーブルに置く。
「今までは一人だったから活動の幅は限られてたけど、一応こういう事はやってたんだ」
「ネットのホームページですか」
パソコンに表示されている『心霊研究会』のホームページは意外にも白を基調とした、明るいサイトとなっていた。
サイト下部に設置されたアクセスカウンターを見ると、一日平均で百人程度の利用者がいるらしい。
「昨日見せた、私が集めた街やネットの霊関係の噂のまとめがメインなんだけど、利用者が聞いた噂の真偽判定とか、相談とかもメールと掲示板で集めてるんだ」
奏がマウスを操作し、掲示板の文字をクリックすると、画面が切り替わる。
掲示板はあまり栄えている様子はなかったが、こちらも一定の利用者はいるようだ。
「まあ集まる内容はくだらないものだったり、どっかで聞いた話だったりで面白みには欠けるんだけど、オカルト的な方面と科学的な方面、両方から見た意見を返したりして、利用者からは概ね好評だよ」
軽く掲示板のログをスクロールした後、ページを閉じると奏はメールボックスを開く。
「基本的にみんな掲示板に書き込むんだけど、昨日、珍しくメールが届いた。気づいたのは今日の朝だったんだけどね。差出人は自称小学生の女の子」
画面に表示されたメールには差出人の周囲で起きている異常に関して記されている。
『一昨日、『こっくりさん』をやってから友達の様子がおかしい。みんな学校を休んでいる。
お見舞いに行くと部屋に引きこもり、虚空に向かって何かを語りかける子、ひたすらハサミで本を切り刻む子、何かに脅えるように暗闇の中で縮こまる子。
症状は様々だけど、みんな明らかに様子が変わってしまった。共通しているのは部屋から連れ出そうとすると酷く暴れる事。
友達の家族は今の様子が続くようなら無理にでも病院に連れていくつもりみたいだけど、病院に行って何かが変わるとは思えない、むしろもっと悪い事になるような気がする。
こっくりさんに誘ったのは私だ。私が何とかしなくちゃといけない。だから力を貸してほしい』
要約すればそんな内容。
その最後に、差出人自身の名前、『三原そら』という名と通っているという小学校の名前と『助けてください』という文字が書かれていた。
「……これが易しい……?」
内容を信じるならば既に複数の被害者が出ている。とても奏の言うような易しい内容だとは思えなかった。
しかし奏は肩を竦めながら言う。
「言っちゃなんだけど、『心霊研究会』のホームページなんてネットの海に埋もれる小さなものだよ? オカルトに関してオカルト絡みのサイトを頼るってのは分かるけどさ、それならもっと有名所のサイトもたくさんある。本当に切羽詰まった人間が、ウチを頼るとは思えないんだよねえ。しかもこの差出人、『三原そら』ちゃんが通っている小学校は隣の県とはいえ電車で一時間も掛からない、私の活動拠点はホームページに書いてもいないのに、だよ? こんな偶然があるなんて少しご都合的すぎると思わない?」
「まだ悪戯で住所特定でもされたという事の方が信憑性がある、という事ですか」
「考えたくはないけどねえ」
そう言いながらも奏の表情は笑顔だった。
元々、好奇心から『心霊研究会』を作り、一人で様々なオカルトに首を突っ込んでいくような人間だ。どっちに転んでも、退屈はしないと考えているのだろう。
オカルト的な事はともかく、人の悪意から奏を守るのが『心霊研究会』での自分の役割になりそうだ、と音葉は溜息を吐いた。
「でも送信元のアドレスは見た感じ、携帯電話用の本物だね。良くある捨てアドとかじゃないみたい」
「とにかく、まずはメールでやり取りをするべきです」
「ほいほーい」
気の抜ける返事をして、奏は返信を打ち始める。
『三原そら』という少女たちが行ったという『こっくりさん』の詳細と彼女自身に何か異常が起きていないのか、それを尋ねる文を打ち込むとメールを送信した。
「んじゃ返信を待ってる間に、はいこれ」
奏が取り出したのは昨日と同じファイルだった。
それをめくり、とあるページを開いて音葉の前に差し出す。
「今回必要な基礎知識と対抗神話」
「『こっくりさん』にも対抗神話が?」
差し出されたページを読むと、確かに対抗神話がそこには書き込まれていた。
決して複雑なものではない、簡潔で、それでいて一見では何故それが対抗手段となったのか分からない、対抗神話らしい内容。
「額に五つ星……五芒星を書く。……これだけですか?」
「シンプルだよねえ。まあ元々『こっくりさん』もしっかりとした手順でお帰り願えばそれで終わり、な都市伝説が対抗神話を孕んでるタイプだからね。それでも対抗神話が存在するってのは、それだけ流行して多くの人間が知っているが故、ってところなんだろうけど」
「けど、対抗神話があるならどうしてそれを真っ先に教えなかったんですか?」
『猿夢』の明晰夢のように、簡単ではない対抗神話ならともかく、『こっくりさん』の対抗神話はひどく単純なものだ。
メールでそれを教えてしまえばそれで解決したのではないか、という疑問を音葉が口にする。
「んー、これは経験則なんだけど、こういうオカルトって対抗手段を間違えると手痛いしっぺ返しがあるんだよねえ。中途半端な知識と認識で対抗しようとすると逆に怒らせるっていうか。それに私のホームページを見つけるぐらいなら、きっと対抗神話だって調べがついてるはずだし」
「経験則ですか……」
「うん。そもそもさあ、おっちゃんは都市伝説ってなんだと思う?」
奏の問いに音葉は即答できない。音葉の中で都市伝説は理解できない、そういうもので、脅威だという認識しかないからだ。
「こういうオカルト話を嫌ってたおっちゃんには考えたくもない事かもだけど、私は都市伝説っていうのは、今まで私が見てきたような霊たちの延長じゃないかって思うんだよね。『こっくりさん』にしてもオカルト的解釈の主流は動物霊の仕業っていう説だし。昔流行った都市伝説の設定は事故で、とか病気で、とかのストーリーが多いでしょ?」
確かに音葉を最初に襲った『紫の鏡』の少女も、二十歳で亡くなった少女の呪いの都市伝説だ。
それに奏が創作した『怪人アンサー』もまた、奇形児として生まれて死んでいった子供を正体として設定したと奏から聞いている。
「私が作った『怪人アンサー』に実在のモデルは存在しないけど、それと同じような背景を持つ霊の一人、或いは霊の集合体が都市伝説の正体なんじゃないか、って。まあ『猿夢』なんかはあんまり想像出来ないから、そう単純なものでもないとは思うけど……」
「より強力な霊だから私にもその姿が見えた、という事ですね」
「裏付けの取りようがないけどね。まあメールで対抗神話を教えなかった理由はもう一つ、おっちゃんが聞いた『ティンダロスの猟犬』の、対抗神話を知る事は都市伝説を知る事って言葉かな。おっちゃんの話を聞く限り、『紫の鏡』の都市伝説は対抗神話の存在を知っていた。けど『こっくりさん』の対抗神話にはどうしたって実行までにほんの少しだけど時間が掛かる。それを防ごうと『こっくりさん』が何かの行動に出る可能性もあるし」
「そこまで考えて……」
改めて音葉は奏を頼ったのは正しかったと感じる。
都市伝説の正体が何であれ、そういったオカルトに関しての知識は奏の方が遥かに上だ。
それでいてオカルト的な面だけでなく、科学的な見方も出来る。
大師に最初に出遭うのが音葉ではなく奏だったならば、既に彼絡みの謎も解明されていたのではないかと思ってしまう。
「いやいや、私がおっちゃんだったら『ティンダロスの猟犬』を呼び出す事なんて出来なかった。法律なんて高校生レベルの事しか知らないし。もしそうだったなら『猿夢』の時も私だけが助かってそれで終わり。二人とも助かる方法なんて思いつかなかったよ」
表情に出ていたのか、それとも会話から推察したのか、奏が音葉をフォローするように言った。
「私はそれなりに頭が良いって自覚はあるけど、何でもかんでも出来る万能人間だとは思ってないよ。普通に社会に出たら重宝されるのはおっちゃんの方だろうし。あー、将来の事なんて考えたくなーい」
投げやりな言葉に思わず音葉が笑う。オカルトや工学的な知識に関して嫉妬するつもりは微塵もないが、こういった場を和ませる才能は少しだけ羨ましく感じた。
「っと、返信だ。時間的には小学生はとっくに放課後だし、まあ小学生設定に矛盾はしないね。都市伝説っていう理不尽を経験しても学校に行くのも実に小学生的だ。それとも社会人でもそんなもんなのかな」
隠れてメールしている可能性もあるけど、と未だに半信半疑である事を明かしながら奏は新たに送られてきたメールを開く。音葉も奏の背後からパソコンを覗いた。
「彼女が行ったという『こっくりさん』に不審な点はありませんね。……不審の塊のような物に対して言うのもなんだか妙な言い方ですが」
「だね。普通に十円玉と五十音+αが書かれた紙を用意して、四人でやったみたい。そんで最後にはしっかりとお帰り願って、帰ってもらったと……」
二人はファイルとメールを見比べ、何か相違点がないかを見極めるが、特には見当たらない。
勿論、『こっくりさん』という都市伝説に出遭い、周囲に異変が起きている今の状況で小学生の少女の認識が正常であるという保証はない。自分が間違っている、と認める事は酷く難しく、子供であれば間違いがあった事を認識する事すら難しいだろう。子供の思い込む力というのはそういうものだ。
「おっちゃん的にはどう? 次の手は」
「……連絡先を聞いて、電話で話してみましょうか。会話でやり取りをすれば、もっと詳しい話も聞けるはずです」
「まあそうなるよねー……っと、またメールだ」
「……」
二人が画面を覗き込む中、続け様に送られてきたメールに本文はなく、ただタイトルに短く、『たすけて』とひらがなで打たれているだけだった。
機械的なフォントで打たれたその文字からはそれがいったいどんな思いで打ったものなのかまでは伝わっては来ない。
もしかしたらニヤニヤと笑い、こちらの不安を煽って愉しんでいるのかもしれない。
そう考えてしまう人の心がきっと、電脳都市伝説という新たな形態の都市伝説を生んだのだろうな、と音葉はふと思う。
「……最近は随分と陽も延びましたよね」
「そうだねえ。今から電車で一時間くらい揺られても、夕日が臨めるくらいには」
心霊スポットを面白半分で訪れて、事故を起こしてしまう若者の軽率さというのはこういうのを言うのだろうか、と思いついてしまうが、それは溜息と共に吐き出して霧散させた。
「んじゃ、新生『心霊研究会』初のフィールドワークと行きますか」