砂粒
「ほら、言わんこっちゃない。真白が相手だった事を悔やむんだな……絡む相手を間違うからこうなるんだ」
「ふふふ、お世辞はいいわよ。八岐さんだって全然余裕なくせに」
二人の会話に異形の道化師は焦りを隠せない。
『ナンダ……何ヲシタッ!』
確かにピンを投げて攻撃を仕掛けたはずだった。間違いなく八本同時に投げたはずだった。しかしピンどころか回転木馬まで消えている。先ほどの攻撃を仕掛けた瞬間、全てが巻き戻されたかのように戻っている。
「説明なんかしてあげないわよ。そうね、ひとつだけ言うと『もう何もしない』わ」
「えーっ!?うわぁ……ひっでえ。このまま……」
八岐が驚きの声をあげた。
『!!!』
「このまま永遠にここで彷徨いなさい」
『ヤッ……ヤメロ!』
上下左右の感覚すら無い無限に広がる空間。何も存在しない場所。色彩も無ければ音も聞こえない。
ここには重力すら無いのかもしれない。目前にいる男女二人と、我が身だけしか存在していない空間だった。
「真白、ここってどれ位の大きさ?例えるならお手玉ぐらい?」
「いいえ」
「おはじき?」
「いいえ。もっと小さい」
「もっと!?」
「例えるなら……砂粒」
「……そんな小さいの投げたら、もう何処に行ったかわからなくなる」
「ええ。何一つない世界で小奴は永遠に空腹と暮らす事になるわね。報いを受けてもらいます」
道化師は空間を掴んだり足踏みをしたりと忙しい様子だった。時折、猛ダッシュで走っている仕草も見える。
「え……待って。ここで腹減るのか……こわいこわい。考えたくもない。早いとこ戻るか。帰ろう」
「ええ。そうしましょう」
『マテッ!!』
二人の姿は既に消えている。もうこの異空間と我が身しか存在していない。光さえない。いや、元から光もなかったのだろうか。
『ココハ何ダッ!』
薄暗い路地裏に二人は立っている。真白が掌を広げてフッと息を吹きかけた。
「あ。飛ばしちゃった」
八岐の声に手でパンパンと埃を払うようにしてニコリ微笑む真白。
「真白あいつってどうなるんだ?」
「うーん。低級な鬼だから空腹に耐えられないと思うけど」
「あそこでは死ねるのか?」
「ううん。死ねない」
「永久に餓死する寸前のままかよ……エグいな」
「いいんじゃない?散々、ヒトを喰ったんだろうし共食いもしてたはずだし。当然の報いよ」
真白は顔をチラリと八岐へ向け冷酷に言い放つ。
「私達まで喰おうとしたからには許せるわけない。消滅させるのは簡単だけどそんなの面白くないし」
真白とは週に五日は一緒に働いているが、彼女の人並外れた美しい容姿に八岐は驚く事が多々ある。
肌は色素が薄い感じで清涼感があり、切れ長の瞳は青味掛かっている。鼻筋は細く綺麗で唇も薄い。
そして長い髪は美しい栗毛色で、光の加減では亜麻色に見えたり飴色に見える事もある。
「まったく。容姿端麗な者から出る言葉は常に正しく思えるから困る」
八岐が呟いた。
彼女がクルリとこちらを向いて言った。ふわりと髪が後から着いて来る。
「さあ、帰りましょう、八岐さん。送ってくれるんでしょ?」
「ああ。いつもの駐車場に停めてある」
「私、あの車大好き」
「浅草の人力車とどっちが好きだ?」
「う~ん。悩むなぁ」
真白が不意に立ち止まる。
「さっき、閉店間際に来た女の人って」
「ああ。例の別嬪さんね」
「あれって吸血鬼よね。匂いもそうだけど影が無かった」
「うん、ご名答。俺も帰る時に気が付いたよ。初見の違和感はそれだった」
「何しに来たんだろうね、あの子」
「多分、俺たちを確認しに来たんじゃないかな」
「もし、また今度来たら少し話を聞いてあげなよ」
「話しに来たらな。襲いに来るかもしれんよ」
「そうとは限らないでしょう?でも、もしそうなったらその時はその時で」
真白が含み笑いをしながらこちらを見た。
「その時は頼りにしてるよ?九尾」
「尾崎ね」
二人の姿が薄暗い路地裏に溶け込んだ。