彼が鎧を纏った理由と、旅立った理由
●登場人物紹介
湖賀宗士:
『聖騎士』 小説でいえば噛ませの友人系モブ 律儀
如月芳也:
『勇者』 小説でいえばハーレム主人公
佐千原唯奈とは幼馴染で、日本にいた時から付き合っている
佐千原唯奈:
『聖女』 小説で言えばヒロインもとい正妻 内側に溜め込むほう
魔鎧アロンダイト
四魔将の一角、死霊騎士ランスロの武具。
使い手の感情を食らい、魔力へと変換する。
装着時に何かしら大きな誓約を立てねばならず、それを果たすまでは鎧を脱げない。
誓約を果たせなかった場合、あるいは、容易過ぎる場合、使い手は死に至る。
* *
……かつて魔王軍と戦っていたころ、一度だけ、佐千原唯奈とふたりで話したことがある。
それは四魔将の一角、死霊騎士ランスロを討ち取った夜のことだった。
王宮での祝勝会のあと、部屋で休んでいると遠慮がちなノックの音がした。
「湖賀くん、いま、いいかな」
ドアを開けてみれば、そこには薄い寝衣姿の佐千原が立っていた。
ひと風呂浴びた後なのだろう。肌は火照り、ほのかに石鹸の香りがする。
もう日付も変わろうという時刻だ。誰かに目撃されれば誤解のもとになりかねない。
俺が戸惑っていると。
「相談したいことがあるの」
佐千原は有無を言わせない様子で、部屋の中に入ってきた。
その顔つきは硬く、今にも泣き出しそうに見える。
「大丈夫か、佐千原?」
「うん、平気」
佐千原はひとまず頷いた。
けれど、すぐに傷ついたかのような表情を浮かべ、
「……ごめん、やっぱり大丈夫じゃない、かも」
弱々しげに、そう漏らす。
「いったい何があったんだ?」
「芳也くんのこと、なんだけど……」
如月芳也。
俺たちと一緒に異世界へと召喚されたクラスメイトで、称号は『勇者』。
魔王軍との戦いでは主力中の主力を担っている。
「如月が何かやらかしたのか?」
「ううん、芳也くんは悪くないの。わたしがちょっと神経質なだけで」
暗い表情でうつむく佐千原。
「……とりあえず、座らないか?」
この部屋には椅子が二つ用意されていた。。
俺としては差し向かいでじっくりと話を聞くつもりだった。
しかし。
――ギィ……。
佐千原は、何のためらいもなくベッドに腰掛けた。
そのどこか“男慣れ”した様子に、胸の古傷が軋む。
まだ日本で高校生をやっていたころ、俺は佐千原のことが好きだった。
どこかはかない、可憐な雰囲気。
彼女がたまに見せる花のような笑顔に、すっかり心を奪われていた。
けれども佐千原には意中の相手がいた。
如月芳也だ。
二人は幼馴染で、俺のような新参者が割って入れるような雰囲気じゃなかった。
だから涙を呑んで、佐千原を応援した。如月と付き合うところまで持っていった。
我ながら大したキューピットぶりで、その日、流した涙の分だけクラスの男連中と呑みまくった。
もちろん未成年なのでソフトドリンクだ。念のため。
二人の関係は、異世界に来てもなお続いている。
佐千原の称号は『聖女』。
癒しの魔法を使いこなし、公私ともに如月を支えているはずだ。
「無理に話さなくても、いいからな」
ベッドに座った後、佐千原はずっと黙り込んでいた。
俺はふと窓へと目を向ける。
嵌め殺しのガラスに、たくさんの水滴がついていた。
耳をすませば雨音が聞こえる。
風も強い。
今夜は荒れるだろう。
「男の人、って」
佐千原の声は小さかった。
けれど、俺の耳にははっきりと届いた。
「やっぱりたくさんの女の人と、その、したいものなの、かな」
「……ハーレムの、件か?」
俺は両拳をかるく握りながら、答えた。
この世界では一夫多妻が公認されている。
如月はまるでライトノベルの主人公みたいな体質で、いまや5人もの“妻”を抱えている。
もちろん、佐千原もその1人だ。
本来ならこの時間、佐千原は如月と寝ているはずで――それを意識すると、どうにも気持ちが沈み込む。
「ハーレムのこと、納得、してるんだよ。うん、納得、してる」
途切れ途切れに、絞り出すように、佐千原は言う。
「芳也くんはとっても頑張ってるし、それを支えたい女の子だっていっぱい出てくるよね」
「……まあ、な」
「わたしだけじゃ受け止めきれないことも、他の子がいれば何とかなるよね」
「……ああ」
なんてザマだ。
佐千原は明らかに追い詰められている。
苦しみを吐き出している。
なのに、気の利いた言葉ひとつ出てこない。
一夫多妻における、その妻の悲しさ。
そんな課題、童貞の俺には重すぎる。
かつて好きだった相手のことだから、なおさらだ。
「日本では芳也くんを独り占めしてたし、これ以上は我儘だよね。それは分かってる、分かってるの……」
佐千原はベッドのシーツを掴んでいた。
布地が、まるでさざ波のような模様を作る。
再び無言の時間が訪れた。
ガタガタ、ガタガタ。
建て付けの悪いガラスが、風に煽られて激しく揺れる。
今、如月のやつは何をしているのだろう。
安らかに眠りこけているのか、あるいは、佐千原以外の誰かと交わっているのか。
俺の中で、不意に、衝動が生まれた。
――いっそ佐千原を連れて、ここから逃げてしまおうか。
はるか遠くの山奥に隠れて、二人だけで静かに暮らす。
俺はハーレムなんか作らない。
ただ一途に佐千原だけを想い続ける。
彼女にとってもその方が幸せに決まってる。
……はっ。
ばかばかしい。
都合のいい童貞の妄想はそこまでにしておけよ、俺。
佐千原は如月のことが好きで、だからこそ苦しんでる。
横から掻っ攫えるわけがないだろう。
なあ、湖賀宗士。
自分に与えられた称号を思い出せよ?
『聖騎士』だろ?
最前線で剣を振るって、如月たちを守り抜く役割じゃないか。
仲間を傷つけたりは、しないよな?
俺は唇の裏側を噛みながら、そこから流れる血の匂いを嗅ぎながら――必死に、自制する。
今の俺はとても大きな力を持っている。
佐千原を攫うのは簡単だろう。
けれど、それは最低で最悪の行いだ。
『聖騎士』の力は、あくまで、召喚の時に神様に恵んでもらったもの。
自分勝手に使っていいものじゃない。
「……もう、疲れちゃった」
ひとり考え込む俺の意識に、ポトリと、佐千原の言葉が落ちてくる。
「芳也くんは皆に順位をつけないって言うけど、やっぱり、どうしたってお互いに意識しちゃうよ」
ポトリ、ポトリ、ポトリ。
次々に、佐千原の声が降ってくる。
「一緒に寝る日はローテーションで決まってるけど、わたしだって気分の乗らない日があるの」
嫌でも想像してしまう。
同じベッドに転がる如月と佐千原。
気を許した恋人の距離。
俺には絶対、手に入らないもの。
「けど、断ったら他の子とのあいだに差をつけられそうで、恐くって、無理に声を出して――」
見たことも聞いたこともないのに、辛そうに喘ぐ佐千原の表情が浮かんだ。
男としての本能だろうか。
こんな悲しい想像でも下半身が昂って、俺は両足の位置を組み替える。
死んでしまいたかった。
自分の局部を斬り落としてしまおうかとさえ思った。
「何人かですることもあるけど、直接並べられて、比べられて――嫌だよ、気持ち悪い、よ……」
* *
しばらくすると佐千原は自分の部屋へ戻っていった。
疚しいことは何もしていない。
正直な話。
薄着でベッドに腰掛ける佐千原は、誘っているようにしか見えなかった。
グチャグチャの感情を持て余したまま、獣みたいに襲いかかる。
そんな未来もありえたはずだ。
その後、佐千原は如月と話し合ったらしい。
――自分なりの不安を伝えたら、向こうもちゃんと理解してくれた。もう大丈夫。
そういうことを、直接ではなく、手紙で伝えてきた。
結果から考えると、踏み止まって正解だったわけだ。
けれど。
俺の心には、消しようのない凝りが残ってしまった。
如月への反感。
言動ひとつひとつがカンに触る。
「みんながオレのことを好きでいてくれるなら、オレはちゃんとそれに応えるよ」
それを聞いた時は、殺気を押さえるのに大変だった。
『オレのことを好きじゃないヤツはどうでもいい』
『愛してほしけりゃ、ちゃんと尽くせよ?』
そういう意図を感じ取ってしまったのだ。
ただの考えすぎとは思うが、どうにも苛立ちは止まらない。
今のままじゃ、駄目だ。
他のハーレムメンバーたちとも上手くやれる気がしないし、次に佐千原とふたりになればきっと自分を抑えられない。
――だから俺は、その鎧に縋ることにした。
アロンダイト。
四魔将序列一位、死霊騎士ランスロの武具。
着用者の感情を食らい、魔力へと変換する呪われた鎧。
「我は誓う。必ずこの手で魔王を打倒せんことを」
アロンダイトの使い手は、最初に何かしらの誓約を立てねばならない。
それを果たすまで鎧を脱ぐことはできず、果たせなければ死に至る。
誓約が容易過ぎる場合、鎧そのものに食い殺されてしまうという。
俺の場合は……大丈夫だった、らしい。。
ドクン。
激しく脈打ったのは俺の心臓か、それとも鎧そのものか。
全身が溶けていくような感覚。
アロンダイトと一体化が進んでいく。
冷たくて、寒い。
けれど心地いい。
燻っていた失恋の焼け跡が、凍りついていく。
俺はこれからどうなるのだろう。
魔王軍との戦いの中で果てるかもしれない。
あるいは魔王の前に辿り着くかもしれない。
とはいえ。
魔王を倒すのは、きっと、『勇者』の如月だ。
俺の誓約は絶対に叶わない。
最後はどうあれ死に至るだろう。
別に、それでいい。
そして俺たちは幾多の死地を潜り抜け、ついに魔王のもとへと至る。
公式記録には、
『勇者ヨシヤ・キサラギが魔王を討ち果たした』
『聖騎士ソウジ・コガはアロンダイトに立てた誓約を破ってしまい、命を落とした』
そう、記されている。
話の続きを、聞いてほしい。
魔王にはひとつの力があった。
恐怖心を増幅させ、敵を屈服させる。
これによって、まずは如月が膝を折ってしまった。
「他の連中はどうなっても構いません、オレだけは見逃してください!」
如月はその場で回れ右をすると、ハーレムメンバーに剣を向けた。
女の子たちは裏切りこそしなかったけれど、ブルブルと身動きを取れないでいる。
戦えたのは、アロンダイトに感情を食い尽された俺だけ。
如月をぶん殴って昏倒させ、ひとり、魔王に立ち向かう。
「ランスロは、その鎧を纏ってなお我に届かなかった。貴様は、どうだ」
魔王はどこか愉しげな様子で、それは決定的な死が訪れてもなお変わることはなかった。
「素晴らしい……!」
心の底からの感嘆、そして称賛。
「よくも矮小な人の身で、ここまでの情念を抱え込んだものだ。
予言しよう。いずれ貴様は再びアロンダイトを纏う。その時――」
――次なる魔王として、世界に君臨するだろう。
あまりに不吉過ぎる遺言を残し、魔王は闇に還っていった。
それから俺はみんなより一足早く城に戻ると、王様や大臣たちに相談を持ちかけた。
内容は、この戦争の顛末について。
『勇者ヨシヤ・キサラギが魔王を討ち果たした』
『聖騎士ソウジ・コガはアロンダイトに立てた誓約を破ってしまい、命を落とした』
しばらく話し合った結果、以上が公式文書に記録されることとなった。
つまり表向き、俺は死人というわけだ。
新たな戸籍を融通してもらい、そのまま城を飛び出した。
どうしてこうなったのかって?
まずは王様たちの政治的思惑。
国としては”勇者ヨシヤ”を復興の旗印にしたいらしく、そこに俺が出しゃばると困るわけだ。
次に、俺自身の希望。
フリーダムな立場が欲しかった……というのは建前。
如月、そして佐千原。
ふたりと距離を取りたかったんだ。
いま、ハーレムは微妙な空気になっている。
操られてのこととはいえ、如月は命惜しさにメンバーを殺そうとした。
そのことが皆のあいだに蟠りとして残っていた。
正直、「このチャンスに乗じて佐千原を横取りしてしまえ」という気持ちもある。
けれど実行すれば大惨事だ。
勇者一行の名誉は地に落ち、戦勝ムードも台無しになるだろう。
英雄は英雄らしくあるべきで、それを崩しかねない俺は消えたほうがいい。
……抜けるような青空の下を、一人で歩く。
佐千原には別れを告げていないし、手紙も残していない。
ヘンに関わって、彼女の心を乱したくはなかった。
如月も本質的には悪いやつじゃないはずだし (でなけりゃ嫁が5人も集まってこない)、ハーレムはいずれ落ち着くべきところに落ち着くと思う。
王様たちには説明しておいたし、いざとなればオトナとしてフォローしてくれるはずだ。
でもさ。
やっぱり、未練は難しい。
ときどき後ろを振り返ってしまう。
――佐千原がいるんじゃないか。
そんな都合のいい期待を、捨てきれない。
まったく。
これじゃ、魔王の予言通りになるかもな。
未練のあまりにアロンダイトを纏い、世界中に八つ当たり。
そういう展開もありそうだ。
「……王様にお見合いでも頼めばよかったかな」
まあ、後悔しても今更か。
願わくばこれから向かう先で、素敵な相手を見つけられますように。
俺は歩く。
ひとり。
さっきよりも早足で。
最後はどこに辿り着くのか、自分でも分からない。
ただ。
もう二度と帰ってこないことだけは、はっきりと分かっていた。
お読みいただきありがとうございました。
以下、裏設定をつらつらと。
・この後の湖賀宗士
やがて宗士は旅先でみすぼらしい少女と出会う。
彼女は魔法技術で人工的に生み出された“二代目魔王”であり、実験施設から逃げのびてきたところだった。
逃避行の果て、宗士は少女を守るため、ふたたびアロンダイトを身に纏う……とかそういう方向性。
・この後の如月芳也ハーレム
残念ながら女の子たちは去っていき、佐千原ひとりしか残らなかった。
芳也はそれを逆恨みし、執拗に湖賀宗士をつけ狙う。
・湖賀宗士VS如月芳也
宗士はもともと『聖騎士』としての力に頼るのを恥じており、自分なりに剣の腕を磨いていた。一方で芳也はチート能力に頼るタイプ。
けれども『勇者』の力はあまりに強大。
努力を上乗せしようと『聖騎士』では届かない。
たぶん土壇場で佐千原が芳也を裏切り、宗士がギリギリ勝利する。
・魔王様の本音
あの予言は「俺の娘っぽい存在が生まれちゃうからよろしくね」の意味。
・雨の夜、宗士はどうするべきだったのか。
ご想像にお任せします。