奴隷市場
9話 奴隷市場
ヒルデを連れて奴隷商を訪れたカズは目のやり場に困っていた。
本当ならヒルデを街へ放り出してから訪れる予定だったのだが、奴隷商という聞きなれない単語に興味を抱いたようだ。
ヒルデは財布代わりになる腕輪を身に着け、興味深げに目の前の光景を見ている。
「ご主人様よ、私にもあのような薄いひらひらした服を着せなくてよいのか?」
ヒルデはカズの気持ちなどどこ吹く風とばかりに目の前の光景に目を輝かせていた。
「なあおい、俺の要望を覚えているか?」
「勿論ですとも。御者の技能を有し、ツェルベス語の読み書きに加えて外国語の読み書きも堪能な知識奴隷でしたな」
カズは奴隷商が自分の要望を一言一句間違いなく把握している事を確認すると一度目を瞑り深呼吸、そして目を瞑ったまま軽く頭を振ってから再度正面の光景を目に入れた。
しかしそこにあった光景は先ほどと一切変化はなかった。
いや正確には少し変化が生じていた。
「おい、なぜこいつらは服を一枚脱いだんだ」
呆れながらも奴隷商へと尋ねるしかなかった。
目の前には13人の姿がある。
しかし何だこの光景は。
下は10歳程度、上は30歳手前の少女から女性が扇情的な服装で並んでいたからだ。
ヒルデは何を思ったのか指笛を拭いたりしている。
(コイツ解ってやっているのか?)
いや、どうやら商品である彼女達から場を盛り上げるため、ひいては主人である俺を喜ばせる方法だと言われてやっているようだ。
こうなると頭を抱えるしかない。
「ハイ、彼女らは貴族の分家筋の娘や商家の娘であったのですが家が没落してしまったがために身売りをしてきた奴隷達です。そのため教養は高く、尚且つ家計に余裕が無く自前で生活しなければならないという環境故に馬の扱いにもたけている者達です」
確かに自分の要求したものと一致している。
だが何故女の奴隷しか出さないのだろうか。
男の知識奴隷もいることは先ほど確認したはずなのだが。
「お客様のような立派な男性の旅でしたら一人寂しい夜もありますでしょう。横におられる奴隷の様に眉目秀麗とまではいきませぬが、それなりに顔立ちの整った奴隷を揃えております。伽の相手として満足度も間違い無しです。さらにダメ押しとして、皆使用前でありますが専門家による指導も受けてさせております」
ヒルデに聞こえぬようカズに対して耳打ちするかのように伝えてきた。
おそらく左手に刻まれた契約の呪印からヒルデとカズが支配契約で結ばれている事を見抜いたのだろう。
この観察と解析に関する能力の高さ、そして客の外見から相手を判断しセールストークへ運ぶ技量。
確かに組合に報告される顧客満足度的なものは高くなるだろうさ。
だがカズは現状にため息をつきそうになっていた。
この様な姿を義姉に見られたら何と言われるか考えてしまったからだ。
唯でさえ不本意とはいえ北欧美少女としか表現しようのない外見のヒルデと支配の契約を結んでしまっているのだ。
ここでさらに女性奴隷を買い、あまつさえ肉体関係にまで及ぼうものなら泣きながら嗚咽交じりの説教だけでは済まないだろう。
家族の縁を切られるのならまだよい。
だが義姉の場合はそれすら許さないだろう。
ハイライトの消えた瞳になりそうな気もする。
泣き落としから始まり、信頼を裏切ったという観点から始まる精神攻撃だ。
その時自分はきっと石抱きの状態だ。
考えるだけで嫌になる。
そんな未来は色んな意味でお断りだ。
「後は時折男の奴隷が女の奴隷に不義を働こうとするという事件が起きます故……」
主人は察してくれとばかりに囁いてきた。
これに関しては奴隷の男女、そして主人の同意の下であれば問題ない。
そもそも自分のいた世界の歴史においても奴隷の夫婦は珍しい物では無かったはずだ。
しかし同意も無く関係を結ぼうとしたのであれば主人の所有物に手を出しているという事になってしまう。
その様な事態を引き起こした躾のできていない奴隷を売った奴隷商として自身の店の看板を汚すことになるのだろう。
故に支配契約を結んだ女性を抱えている俺の所には敢えて男性奴隷を出さなかったとのことだ。
「なぜ彼女らはこんなにも積極的に俺に売り込んでくる」
「それはもう隊商の中でお客様のご活躍を見ていたからですよ」
「ハア?活躍を?」
奴隷商が言うには、どうやらここにいる知識奴隷は例の好々爺の隊商と共に移動をしてきたらしい。
そこで魔獣を容易く狩る様子、ヒルデ(彼女達はヒルデを、支配契約を結んだ相手ではなく付き人もしくは部下だと思っていたらしい)を気遣うかのように後ろに下げて戦う様子、身分など関係なしで料理をふるまう様子などから理想の主人に感じられたんだとか。
それでカズの奴隷になれば虐待等を受けることも無く、くいっぱぐれることもないであろうなどと与太話をしていた矢先に本人がまさかの登場というわけだとか。
商品である彼女達が乗気であり、奴隷商も一緒に舞い上がっているのかもしれない。
そのため自らをアピールするために女性の武器を使うという手段に出ているのだとか。
「ヒルデ、お前の好きな奴を選べ」
「ご主人様、私は誰でも構わないわ。ご主人様の好みのものを選べばよいでしょう?伽の際に私も混ぜてもらえればそれだけで、フベ」
カズはヒルデの言葉に思わずチョップを繰り出していた。
その結果ヒルデは軽く舌を噛んだようだ。
「私を傷物にしたわね……。これは今まで以上に責任を取ってもらわないと」
「そうかいそうかい。お前さんに聞いた俺がバカだったよ」
カズは何度目かわからない溜息をつくと奴隷達へと向き直った。
「俺は女性を買いに来たわけではない。貴様らの能力を買いに来た」
カズの言葉に女性たちはぽかんとしてしまった。
(女性としてのプライドを傷つけたか?だがここで俺の求める者をしっかりと伝えておかないとそれはそれであとが面倒になる)
自分の欲しい物ははっきりと正しく伝える。
これが失敗しない商談のコツの一つだと考えている。
「この中で旅慣れており、尚且つロープワークが得意な者はいるか?」
すると一人が一歩前に出た。
他の奴隷からは「キャー」とか「あの客は特殊な趣味ね」といった声が聞こえてくる。
「行商人の娘でした。行商の手伝いをしていたのでロープでの荷造りや野営は得意です」
年の頃は12-14歳程度だろうか。
「そうか。名前は?」
「エマ、エマ・シュヴァルツです旦那様」
エマと名乗った少女は片膝をつき礼をしながら答えた。
彼女は他の奴隷と異なり服を脱いではいなかったが、服装的に非常に目のやり場に困る。
丈の長い服を着ているので貫頭衣状のワンピースに見えるのだが、その丈が問題だ。
最早その丈はミニスカートの域だ。
しかも下着の概念が無いのか生身が見えそうになっている。
カズは彼女から顔を逸らすために奴隷商へと向き直っていた。
「親父、この娘にする。幾らだ?」
その言葉を聞いたエマは奴隷商へと頭を下げていた。
何かの合図になっていたのだろうか、奴隷商も頷き返すとカズへと一層の笑顔を向けてきた。
「この娘は若いため金貨10枚と銀貨8枚になります。ご一緒に愛玩用の獣人奴隷はいかがですかな?ヒトと獣人のハーフ故に価格は安くなっておりますが使い心地は人と変わらないと評判ですぞ。しかもこの国ではヒト奴隷への虐待は禁止ですが獣人といった亜人やそのハーフは対象外となっておりますよ」
奴隷商の下卑た笑みを浮かべながらの耳打ちをしてきた。
もう「どこのファーストフード店だ?」と言おうかとも考えてしまったがなんとか我慢していた。
「獣人?」
ヒルデからの知識を見ると獣とヒトの特徴を兼ね備えたイメージが浮かんできた。
トカゲのような鱗と尾を持つ人、獣のような耳と尾を兼ね備える者などだ。
それも人に近い顔つきのタイプから二足歩行だが動物よりのタイプまで多種多様だ。
そういう意味では天竜であるヒルデの人型形態も獣人という事になるのだろう。
背中に翼の付け根がり頭部に角もある。
おそらく魔力が完全に戻れば背中に翼が生えたかのような状態になるのだろう。
ヒトよりの竜人という事になるのだろうか。
竜人は手足が蜥蜴様のタイプもいるようだが、ヒルデは鱗模様の入れ墨を除けばヒトと同じであった。
これが天竜と竜人の違いという事なのだろうか。
「しかもハーフとはいえ亜人の端くれです。ヒトよりも潜在的な力が強いため労働奴隷や護衛にもなります」
「獣人はもう間に合ってる。あんな煩いのはもう十分だ」
カズはうんざりだとばかりに言い放っていた。
義理の父親の兄の家庭、そこにいる元気な双子の姉妹とそれに懐かれ振り回される一人の男を思い出していた。
あいつは自分と同じ存在。
世界で最も価値が無く、それでいて最も高価な存在となってしまった相方。
(あいつらは今頃どうしているのかね。多分……というか確実に義姉さんの命令で手伝わされているんだろうな。でも依頼とか言って金を要求して泣き落としを喰らいあの双子に自分以外の女に色目を使ったとかで文句を言われているんだろうな。戻った時に埋め合わせができるといいんだが……)
元の世界にいるであろう家族や仲間を思い返すと少しさびしくなって来たかのような感覚に襲われた。
(これが所謂ホームシックって奴かね。まあそう思えるようになっているってことは幸せな生活を送ってこれた証拠だな。そんな生活をくれた義姉さんや義両親にも感謝しなくちゃな)
カズが軽く黄昏ているとエマが後方にいた獣人奴隷の少女へと何かを語りかけていた。
だがその少女は離れたくないかのようにくっついていた。
少女の眼は赤く、髪は腰までの長さがあり感情に共鳴しているのかぶわっと広がっている。
エマの肩程度の身長であり、その頭頂部と腰からはネコ科の動物を思わせる耳と尾が出ている。
「エマなら先ほどご主人様が獣人はいらないと言ってからあの調子よ」
ヒルデからの言葉に対して疑問を抱くが、理由が思い浮かばない。
「あの子供の奴隷は何者だ?」
自分達はエマに対してまったく知識を持っていない。
ならば少なくとも自分達以上に付き合いがあり尚且つ商品に対する管理もしている奴隷商なら何かわかるかもしれないと考えたためだ。
「あの奴隷の妹分です。どうやらあの娘の親父が獣人奴隷を孕ませていたみたいでして。ハーフの特徴で顔は悪くないのですが体つきがまだ幼いのと、体格的に力が足りないのでなかなか買い手がつかんのです」
カズはその言葉を聞いて軽く思案するとある決断をした。
「そういうことなら気が変わったよ。ならあの娘もつけてくれ。貴様の言い分だとまだ発展途上だという事だ。その分安くしてくれるのだろ?」
「発展途上故にこれからの将来性にお値段を付けてくださるというのはどうでしょうか?」
「あのガキは何か特技でもあるのか?」
「お手厳しい言葉ですな。では二人揃えて金貨12枚でいかがでしょうか?」
商人は人差し指とピースサインで12という数字を出してきた。
他の技能無しのヒトの20歳前後の労働奴隷が金貨1枚前後であった。
亜人種になるとその8-9割の額だ。
おそらく年齢が低く、長く使えるという面に加えて見栄えが良いという点が価格に反映されているのだろう。
「値引き交渉をしておいてなんだが、それで貴様は元が取れるのだろうな?」
「勿論でございます」
「そいつは良かった。ならば取引成立だ」
カズと奴隷商は交渉成立の証として握手を交わしていた。
カズの言葉にエマは目を丸くし、獣人とヒトのハーフであるという少女は状況を飲み込めていないのか離れたくないとエマに抱き着いていた。
さらにカズに対して威嚇しているのか赤い目を涙でさらに赤くして睨みつけていた。
呻り声を上げる口からはヒトに比べてナイフのように尖った歯が覗いている。
だがカズは二人の反応を気にせず奴隷商へと金貨14枚を渡していた。
「旦那様、こちら代金が多くございますが何か追加をご希望で?」
「いらん。だがこの娘達の親御に言伝を頼みたい。娘さんをお預かりすると。悪いようにはしないから安心して欲しいと伝えてくれ。超過分はその手間賃、契約に関する手数料、そしてこちらの希望通りの良い奴隷を出してくれた礼だ。」
はっきり言って自分の自己満足の為だ。
娘達を自ら望んで売ったのか、売らざるを得ない状況で泣く泣く手放したのか。
それは知らない。
今まで奴隷というものを扱ったことはないし、そもそも生で見たのすら初めてだ。
故に自分の中で気持ちを整理しなければ奴隷を扱うことはできない。
中途半端な甘えや扱いが却ってこの少女の立場を悪くすることがある。
そう考え、金で気持ちの清算を行ったのだ。
「さて、貴様達には金貨12枚の投資を行った。それだけの価値を見出したわけだ。期待しているぞ」
カズはそう言うと銀貨を一枚出した。
「貴様達の働き次第ではコイツを給与として渡す。そしてお前達はその給与を受け取るか、俺への金貨12枚の返済に充てるか選択しろ。もし金貨12枚分の働きに達すれば貴様を解放奴隷として開放するし、貴様が望むのであればその後の雇用も継続する」
「私達姉妹は解放を望んでおりません。貴方様へ一生お仕えいたす所存でございます。故に家族へは良き主に巡り会えたと、一生をかけてお仕えしていくお伝えください」
エマは前半部分をカズ、後半部分を奴隷商へと答えていた。
目論みの外れたカズはどういうことだと考えていた。
その様子を察して奴隷商はカズへと説明を始めた。
「お客様、基本的にこの国では解放を求める奴隷は多くおりません。仮に解放されたとしても職が無ければ食にありつくこともできず倒れていくだけですので。知識奴隷であっても、いえ知識奴隷であるからこそこの状況をしっかりと理解しているのです。金を持つ者は知識奴隷を買います。さらにもっと金のある者は教育のために教育を施された貴族の二男三男を家庭教師に雇います。元知識奴隷出身の者は知識奴隷を欲する者からすれば高価であり、貴族の子弟を雇える者からすれば身元が不明であり信用されないのです」
奴隷商の言葉に納得してしまった。
ここは命すらもコストと考える世界なのだ。
知識が欲しければ知識奴隷を買えばよいのだ。
初期投資が高くとも維持費は安い。
だが知識奴隷と同じ知識を持つ者を雇い続けると初期投資は少なくとも維持費が高くなる。
総合的に知識奴隷に軍配が上がってしまう。
労働奴隷でも同じことが言える。
つまり極論を言ってしまえば奴隷であればその能力が求められる限りは安泰なのである。
故に解放を求める者は少ないのだろう。
「亜人の場合は場合によっては解放されても地域によっては差別を受けたり奴隷狩りの対象となってしまう場合もございます故……」
奴隷商は更なる説明を追加してきた。
この国ではどうやらヒトの方が優位な立場にあるらしく、亜人の優れた身体能力故にやっかみを含めて差別対象になっているらしい。
これらの点を踏まえると、解放奴隷になるという事は庶民から見れば美談になるかもしれないが、本人たちからすれば実質の死刑宣告に近いモノが有るのだろう。
「わかった。ではエマには知識奴隷兼御者として仕えてもらう。妹分の方はそうだな、エマの補助をしてもらおう。そして働きによって貴様達に渡す駄賃を増やすことを約束する。だが気が変わったら言えよ」
そう言うとエマは頷き返した。
ハーフの少女は状況の変化に混乱しているのか、目をぱちくりとするばかりである。
エマから説明を受けると明るい笑顔に変わると共にヒルデとカズに抱き着いて来た。
「ありがとう!!エルザ、お姉ちゃんと一緒に頑張る!!」
先程までは限界まで逆立っていた尻尾の毛も今では通常状態に戻り、なおかつ尻尾も上にピンと伸びていた。
エルザと名乗った少女は感情と行動が直結している性格なのかもしれない。
先ほどまでの警戒心MAX状態からこの変化である。
元々人懐っこい性格なのだろう。
「では契約に入ります。こちらの強制支配魔法の書かれたスクロールの内容を確認してください」
奴隷商は店員から渡された羊皮紙を確認してからカズへと渡してきた。
そこには奴隷との契約に関する内容が書かれている。
要約するとロボット工学三原則のロボットを奴隷、人間を主と置き換えた形になるだろう。
「確認いただけましたらこちらのペン先に血を垂らし、こちらへサインをお願いします」
商人は厳重に保管されたいかにも高級そうな羽ペンをカズに、どこにでもある粗末な羽ペンをエマに渡していた。
おそらく何を使っても同じであろうに顧客と奴隷の間に徹底的な差を作る事による演出を狙っているとしか考えられない。
奴隷と主人の間で絶対的な差があるのだという事を認識させているのだろう。
エマが己の名前とハーフの少女の名前を書き終えると、契約書から文字が浮かび上がり、形が解けながら二人の胸元へと飛び込んでいた。
二人は苦痛に顔を歪めるが、文字はお構いなしで少女達の柔肌を蹂躙して行く。
そして一際強く光り輝くと胸に呪印が浮かび上がった。
その呪印と己の手に刻まれた呪印の間に魔力のパスが通じ合った証拠だ。
興味深い事に、二人の胸に浮かび上がった呪印はヒルデと契約した際に浮かんだ呪印ともまたデザインが異なっている。
おそらく術式の違い、種族の違い、そして契約内容の違いが表れているのだろう。
「本日よりご主人様の僕として働かせていただきます」
「エルザもよろしく」
エマの腹違いの妹であるエルザは気楽に挨拶をしてくるが、エマから注意を受けていた。
「こちらこそよろしく頼む」
二人と正式な契約を交わしてからカズ一行は奴隷商の下を離れた。
実を言うとエルザを追加で購入した点から上客であると眼を付けられたのか、他の奴隷商達からも様々な奴隷を買わないかと勧められていたのだ。
だがそもそも自分の求めている人材を確保したので早急に退散したのである。
「あの親父は中々のやり手の様だな」
カズは思わずぼやいていた。
「他の奴隷商の方々の事は解りかねますが、あの店主様は我々に投資を惜しまない方でした。投資した分の利益を得ることができるからと奴隷の技能に合わせて様々な教育をされておりました」
エマの説明になるほどと頷いていた。
この世界において暗算を行える者はごく一部の者らしい。
そもそも識字率自体がそこまで高くないのだ。
故に計算能力に関しても推して知るべしだ。
だがあそこにいた知識奴隷は全員が加減乗除の四則演算をマスターしていた。
さらにプラスアルファの付随価値を付けるために奴隷同志で互いの知識を教え合う事を推奨していたのだという。
エマの乗馬や馬車に関する知識も労働奴隷から習った部分が多いらしい。
代りに簡単な演算と読み書きを教えていたという。
「ならばエマにはエルザ、ヒルデ、そして俺の家庭教師としての活躍に期待させてもらう」
カズがそう言いながら角を曲がろうとした時だ。
大型馬車が近づいて来たので道を譲るために端に寄ったところ、近くにいた男に圧される形で袋小路へと押し込まれてしまった。
さらに前方、通りへの道を見ず知らずの8人の男に封鎖されていた。
「おいおい兄ちゃん、別嬪な奴隷を連れているじゃないか。俺達に味見をさせてくれはしないかい?」
「アンタは命を得る、俺達は女の味を見る。悪い取引では無いと思うんだがな」
「だからこの奴隷契約の譲渡のスクロールにちょちょいと名前を書いてくれねえかな?」
彼らの目線はヒルデとエマに集中していた。
だが2人はエルザに目線を走らせている。
手にはナイフ、腕には何かの魔方陣を思わせる彫り物が刻まれている。
「い、妹を……エルザをお願いします」
その光景にエマは何か覚悟したのか足を一歩踏み出そうとしたが、横に伸ばしたカズの腕に止められていた。
エマの体の震えを感じ取れる。
おそらく彼女は自分を犠牲にして逃げろと言おうとしたのだろう。
妹だけでも連れて逃げてくれと、家族のために決死の覚悟を決めての行動だろう。
「ですが私がここで……」
エマは言葉を最後まで続けることは無かった。
カズが彼女を自分の後ろに下げたためだ。
エマは妹だけでもカズの下に着けることで生き延びさせようとしたのだ。
だがカズはその様な事をするつもりは毛頭も無かった。
「貴様らの言いたいことは解った。ならば俺から言えることは唯一つだ。貴様らは完全に包囲されている。迷惑料として全財産を置いて行け。どうせろくな金を持っていないのだろうが、貴様らの命はその程度の価値しかないだろ?」
カズは挑発するかのような笑みを浮かべていた。
「何が包囲だ!?囲まれてんのはテメエだろうが!?」
「知らんのか?俺達は今内側から貴様らを包囲しているのだ」
その挑発に激高した一人は踏み出そうとしたがその一歩を動くことができなかった。
「どうした?俺の所の女は恐怖に震えながらもその一歩を踏み出したぞ。貴様らは矢張りその一歩を踏み出す事すらできん半端者だという事か」
さらなる挑発の言葉を受けても彼らは動かなかった。
否、動けなかったのだ。
首筋に伝わる冷たい金属の肌触り。
それも一方向からではない。
正に四方に金属の肌触りがあった。
少しでも動けば首筋の金属は皮膚を食い破る。
そんな気配を感じ取れた。
周囲を見ると全員の首筋に刃物が当てられている。
だがおかしい。
その刃は宙に浮いた黒い球体から飛び出ているのだ。
だが彼らの恐怖はまだ始まったばかりであった。
「ご主人様、そのような事をなさらずとも私がこいつらを食べても良かったのよ」
ヒルデは己の眼球を蜥蜴の眼にしていた。
そこには人間の理性や感情は宿っておらず、正に野生の獣であった。
更に口を開くと醜悪な牙が覗き、言葉を話すたびに炎が漏れている。
極めつけは爪が鉤爪のように伸び、手足の鱗状の入れ墨から鱗が生えてきていた。
「ド、ドドド、ドラゴニュートだ!!」
ナイフに取り囲まれた男たちは無意識に後ずさろうとして全員が首に傷を負っていた。
目の前に居るのは凶悪な存在だ。
ヒトでは基礎体力で敵わない亜人。
しかもその亜人の中でもとりわけ強力であり凶悪であると言われている竜種だ。
竜は魔獣の最頂点に立つ生き物であるとされており、その血筋を組むドラゴニュートも恐れられている。
「汝ら、喧嘩を売るのなら相手を見よ。我が御主人様は本気の我を容易く組み伏せた御方じゃ。命が惜しくないのであれば我が相手をしてやるからかかって来い」
ヒルデは殺気を抑える気も無く多量の魔力と共に放っている。
首筋に当たる刃物という緊張感が無ければ失神するなり意識を飛ばして楽になろうとしたであろう。
これだけ騒げば衛兵が走ってこようなものだが、ここは東街、それも表通りから死角となる袋小路だ。
うっすらと事情を察している通行人も面倒事に巻き込まれたくないとでも考えているのか見て見ぬふりをして去って行く。
一人が己の身に着けていた革袋を掲げた。
すると残りの面々も己の懐に手を入れて革袋を眼前に掲げた。
「す、すいませんでした」
「そう言えば貴様らは命の額について語っていたな。俺の命の値段はこの世で最も低く、なおかつこの世で最も高価だぞ。何せ国家予算クラスの研究費がかかっていたからな。この程度では足りんぞ?」
カズの言葉は自嘲が混じっていた。
続く言葉に彼らは標的を誤ったことを後悔していた。
一部誤字があったため訂正しました。