魔獣の襲撃と行商人
5話 魔獣の襲撃と行商人
もうそろそろ日も暮れようかという時間帯。
西の空を見ると赤く染まり日が沈んでいく。
東の空を見ると藍色から黒へと綺麗なグラデーションができていた。
もう一時間もすれば完全に夜のとばりが下りるのだろう。
「もうそろそろ野営するか」
「そうね~。もう少し歩いて進みたいところだけど」
荒野をゆっくりと進む二人の影があった。
だがそんな二人のはるか後方から激しい音が響いて来た。
激しい土煙を立てて馬車が走って来たのだ。
「逃げろー!!魔獣が来るぞー!!」
御者台にいた人が叫ぶが、二人はその場で立ち止まっていた。
その馬車の後方にある意味丁度良い金策が見えたからだ。
徐々に馬車が近づいてくる。
まだ御者が叫んでいるが、二人にとってそれは重要事ではない。
もっと重要なのは後ろに見える集団だ。
それは狼の群れであった。
街道のど真ん中に突っ立っていては馬車の邪魔になるだろうと道を譲った二人の横を猛スピードで馬車が通り抜けて行った。
「すまない……」
すれ違い様に謝罪の言葉が飛んできた。
おそらく御者は二人が逃げ切れない、魔獣の犠牲になると思ったのだろう。
馬車の足で逃げ切れないのにヒトの足で逃げられるわけがないのだから。
故に逃げろと声を出し、すれ違い様に謝罪の言葉を置いて行ったのだろう。
自分はできるだけの事をしたが、二人を助けることはできなかったという事実を認めたくないがために。
だが二人は現状に対してむしろ喜んでいた。
そして魔獣と呼ばれた巨大な狼の群れも速い速度で逃げる馬車よりも歩いて近づいてくる二人へとターゲットを変更した様であった。
「あれの見た目は狼か?俺のいた国の狼はもっと小さかったはずなんだが……まあ絶滅したから本物を見たことはないんだがな」
見た目は狼であってもカズの知る狼とは大きさが異なっていた。
体長は2m近くある。
そんなのが11頭もの群れとなって追いかけてきているのだ。
「あの獣の肉は臭みが強いのが難点なんだけど意外と癖になる味なのよ」
しかしヒルデはそんな状況に対し何でもないかのように悠然としている。
カズは飛び掛って来た魔獣に対して気軽な感じで歩み寄るといつの間にか取り出した刀ですれ違い様に首を落としていた。
否、首は切れていなかった。
だが確かに刃の機動は魔獣の首を通っており、魔獣も飛び掛った勢いのまま地面へと倒れ伏していた。
そのあっけない姿に魔獣も軽くひるむが10対2という数の優位は失われていない。
だがその精神的有意もすぐに失われる。
悲鳴を上げることもなく二頭の魔獣が吹き飛んだのだ。
それも無手のヒルデによって殴り飛ばされたのだ。
毛皮という装甲をまるで無視したかのような打撃であった。
拳を受けた顔面はひしゃげており、元の姿へと戻る事はないだろう。
この二人は楽な獲物ではない。
魔獣のボスは認識を検めたのか呻り声を挙げつつ仲間へと指示を出す。
野犬や狼の狩のスタイル、持久戦へとシフトしたのだ。
どこまでも追いかけ続けて相手の根気が切れたところを狙う。
だがその作戦変更は実行に移されることは無かった。
『GRUWOOOOO!!』
ヒルデの咆哮が響くと共に掌に紅い魔力の塊が形成されたためだ。
そのまま魔獣の群れの中心部に投擲すると大きな爆発へと変化した。
その衝撃は魔獣たちをはるか後方へと弾き飛ばし、全ての魔獣が戦意を失っていた。
否、体を強く打ちつけたことにより戦意どころか意識や魂すら失っている個体もいる。
運よく生き残った魔獣はまるで犬の悲鳴のような鳴き声を挙げながら撤退して行った。
敗走する後ろ姿は足を庇うような走り方になっており、どこかしら痛めている異様であった。
「おいおい、あいつ等だって綺麗な状態で捕まえて皮をなめせばそれなりの金になるはずだろ。肉だって綺麗に処理すればある程度保存がきくだろうに……」
カズはそうぼやくと魔獣達に近づき軽く黙とうをささげると皮をはいで血抜きを始めた。
本来であれば血の臭いにつられて他の獣も近づいてきそうな行動であるが、二人の放つ気配に当てられているのか周囲に敵意を持って近づいてくる影は無かった。
「半ば事故の様な物だったとはいえ、折角狩ったんだ。俺の倫理観で悪いんだが、命を奪ったからにはできる限り利用したい。ここで下処理をして俺達の命の糧になってもらおう」
「ご主人様の考えは面白いわね。昨夜も命をもらって生きるから食事の前に「いただきます」と言うとか。私そういうの好きよ」
カズは黒い球体から出したナイフを片手にてきぱきと解体を行っていく。
筋肉の間にナイフを入れ、真皮層と筋肉を分けていく。
さらに内臓を掻きだし、手持ちの水で腹腔内を軽く洗う。
「さて、これらの毛皮と肉は俺の空間に収納するとして、内臓は洗うにしても水が大量に必要だし……寄生虫が危険だな。この世界の微生物や病原菌の耐熱性が解らんから火を通してもどの程度安全かもわからん」
「ご主人様の世界ではそんなことまでわかっているのね。勉強になるわ。そして私はこの魔獣のモツは結構好きよ」
「基本的に120℃で20分程度処理すれば日常生活内に存在する菌の大半が死滅する。だが体内にたまった菌や微生物由来の毒素は解毒されないから注意が必要なんだが……ヒルデの魔法で水とか出せないか?」
「いいけど私が魔力を貯めているってことも忘れないでよね」
ヒルデの魔法により得た水を用いて魔獣から抜いた内臓を洗い内容物を綺麗にする。
カズは食べる気はあまりないが、ヒルデは食べるつもりのようだ。
相方の食生活に若干の不安を抱きつつもカズは下処理をこなしていく。
ヒルデは自らの魔法で火をおこし、解体された肉を自分の好みの焼き具合に炙って行く。
のんびりと街道の横で会話をしつつ手を動かしていた時、後ろから馬車隊が来た。
先程自分達を追い抜いて来た馬車とは異なり今度の馬車隊は護衛と思しき集団を連れていた。
「おーい兄ちゃん、それ俺達にわけてもらえないか?」
彼らのボスと思しき髭の男が声をかけてくる。
その男の指差す方向には取り出した内臓と解体途中の肉があった。
「ああ、このだけの量だ。買ってくれるのなら買ってくれ」
男はカズの言葉に頷くと懐から銀貨と銅貨を2枚取り出した。
「これでどうだ?」
はっきり言って相場など解らなかった。
だが後ろの男たちのニヤケ顔から察するに相場よりも少ないのであろう。
「おいおい、俺達がこれだけの獲物を取るのにどれくらい苦労したと思っているんだ。最低でもその四倍以上は出してもらわないと割に合わんぞ」
正直魔獣を狩るのに苦労などしていない。
別に市内への入場税をもらえれば良かった。
後は己の持つ品を内部で打って生活費に当てれば良いとも考えていた。
だがそのためにもここである程度の交渉の練習とこの世界の住人の対応例を知る必要がある。
彼らの眼差しは思いっきりこちらの足元を見ている者の眼だ。
故にここで譲るわけにもいかない。
「消費しきらないと無駄になるだろう?ならば俺らにこの額で売った方が得だと思うが」
「馬鹿を言うな。俺一人なら消費は難しいかもしれん。だが俺の連れはああ見えて大食いでな。この程度の量ならあいつ一人で消費可能だ」
カズはそう言って背後にいるヒルデの方を指さした。
昨日捕まえた獣は生のままかじっていたのだが、カズが火を通しているのを見て原始的な焼肉がヒルデのマイブームになったようだ。
彼女の足元には既に後ろ足の骨や腰椎の当たりの骨が転がっており、手には前足の骨を持ち手代わりにした肉の塊を持っている。
契約した日からヒルデは大量の食事をとっていた。
本来であれば天竜であるヒルデは肉体的な食事をせずとも生きていけるし、魔力の補充も可能らしい。
しかし自然から回収できる魔力のみでは天竜の翼を取り戻すには全然足りないとのことだ。
翼を取り戻すために多くの魔力が必要であり、食事から魔力を得るのが次善の策だと語っていたが、どうやら本当の様だ。
「見ての通りだ。俺の所には大喰らいがいるからな、あいつを説得するには金しかない。たしか魔獣の肝は希少品でこうも綺麗に処理した物はそうそうで回らないと聞いているが?」
カズは己の知識とヒルデからまわってくる知識、これらを合わせて最大限のはったりをかましていた。
(ヒルデの言い方、こいつらの方から今回の交渉を仕掛けてきた点からして魔獣の肉は一種の嗜好品の様だ。嗜好品であるならばある程度の額を吹っかけても売れるはずだ。しかもこいつらは此方の足元を見て額を決めやがった。ならばこちらも吊り上げるまでだ)
「しかもここにあるのは手つかずのモツだ。本来なら傷みやすいから狩人がすぐその場で食べてしまう代物だぞ。今解体している姿からわかるように採れたてで味も別格だ。さらに綺麗な骨格付きだぞ。こいつを加工すれば面白いものが作れる正に金の成る木、いや骨だ。それをこの程度の額とはな。物の価値を知れ!!」
(今まですれ違った行商人の風体を見るに、断熱材や保冷材はないようだ。だが氷の魔法とかで代用可能か。もしそうだとしても魔法のコストを考えればモツは付加価値の付いた貴重品という事になるだろうからこのブラフは通じるはずだ)
「貴様、言わせておけば」
隊長と思しき男の後ろで男が剣に手をかけようとしているが周囲の傭兵が抑えていた。
「交渉に失敗すると力か。雇用主の隊商の目の前なんだぞ。横暴な取引は彼らに対して不信感を抱かせる原因にもなりかねんという事を覚えておけよ」
カズは敢えて傭兵を煽るかのように上から目線で言葉を投げかけた。
彼らの雇用主である隊商に聞こえるほどの声だ。
「傭兵さん、それくらいにしときなさいな。どうやらそこのお人は商人ではないようですが物の価値のわかるお人のようですよ」
そうやって値段交渉をしていると馬車の御者台から声をかけられていた。
顔は柔和な好々爺だが眼の光が違った。
「そこの方の仰るように魔獣の、しかも採れたて肝であれば市場に出回る事のない希少品です。嗜好品であることを踏まえれば青年の言う様に一頭に着き五倍の金貨一枚でもお安い品になるでしょうな」
カズは老人の言葉から銀貨10枚で金貨1枚の十進法であることを予想していた。
だが問題なのはこの相場が変動する可能性についてだ。
貨幣には信用貨幣と実物貨幣の二種類がある。
貨幣に描かれた額の価値のある信用貨幣と貨幣に含まれている貴金属の分の価値を持つ実物貨幣だ。
銅貨と銀貨、そして爺さんの話から出てきた金貨という概念から考えると実物貨幣を取っているのだろう。
ならばこの貨幣の交換レートが単純に10進法で繰り上がるととらえるのは危険だ。
街へ行ったら早急に確認しなくてはならないだろう。
「爺さんは話しが分かるな。じゃあ彼らへの追加報酬として爺さんがお買い上げってのはどうだい?」
「ハハハ、中々面白い事を言うのですな。たしかに彼らもいい働きをしてくれているのも事実。私がその値で買いましょう。ついでにその毛皮も売ってくださいますかな」
老人はヒルデの横の岩に掛けられた魔獣の毛皮を指さしていた。
「見たところかなりきれいに皮をはいだ御様子。これならそうですな……」
老人が目利きをしていたがカズは
「ああ、毛皮と骨に関しては爺さんの言い値で売ろう。モツを此方の言い値で買ってくれた礼だ。ただそのついでと言ってはなんだが街まで乗せて行ってくれるとありがたい。俺達二人とも馬車に乗っていたんだが、数日前の竜の騒動で馬が暴れ出して逃げられちまって足が無いんだ」
「なんと、竜が出たのですか!?よくぞまあ命があった物で」
カズの言葉に傭兵たちもざわついていた。
竜という存在はそれほどまでに畏怖の対象なのだろう。
どうやら彼らの中で俺達は馬車を囮にして竜から命からがら逃げてきた冒険者一味と思われたようだ。
ヒルデは周囲からの同情の視線を気にせず未だに肉をむさぼり続けている。
そして老人は隊商への合流を快く了承してくれた。
どうやら傭兵の追加と考えたようだ。
そのまま一緒に野営したのだが、隊商の中に毛皮を専門に扱う者もおり、カズの綺麗な処理を見て驚いていた。
一夜を明かした彼らは日が昇る前から動き出し、日の出とともに出発していた。
そしてまた2日も野営を行い、遂に最終日となった。
安全確保を目的に隊商を組んでいるため、全体の速度の統一性を取るとどうしても足が遅くなってしまうようだ。
「二人とも、街の壁が見えて来ましたぞ。そろそろ降りる準備をしてくれなされ」
御者台からの声にこたえるかのように馬車の後部で鎧を磨きながら流れる景色を眺めていた二人はローブを羽織ると荷台から御者台へと回り込んだ。
「いやあ、本当なら二人を街の中まで連れて行きたいのじゃが、街の入場検査が厳しくてな。ワシの持つ手形じゃあ二人を入れてやることができないのじゃ」
老人は心底申し訳ないと表情で訴えていた。
「ここまで乗せてもらえただけでも十分さ。ちょっとした手伝いで小遣いをもらったり、あの時以降に捕まえた獣の肉や毛皮まで買い取ってもらったしな」
カズはそう言うと懐からカチャカチャと金属がこすれ合う音のする革袋を取り出した。
金貨と銀貨が詰まった袋だ。
「そういうことですわ。我が主人のみならず私までも同乗させていただきありがとうございました」
ヒルデはまるで街道が社交場であるかのようにスカートのすそをつまみながら優雅に一礼をしていた。
その姿は芝居の中に出てくるお忍びの貴族の令嬢のようであった。
「いやいや、ワシはただ相場の値段で買い取っただけじゃよ。それにそなたの武器に対する知識と手入れの手際の良さには感心させられた。こちらこそ助かったわい」
カズとヒルデ老人と別れの握手を交わした後に馬車から飛び降り歩を進めて行った。
「お前さんらも元気でな」
「ヒルデちゃん、そいつに飽きたら俺の所に来なよ」
「いやいや俺の所に来てよ」
「カズ、お前さんの捕まえた獣の肉は中々美味かったぜ」
「カズの腕なら俺達『鉄血傭兵団』が大歓迎だ。ヒルデちゃんも紅一点として参加してくれ!!」
「カズの手当のおかげで助かったぜ」
隊商や傭兵の面々もカズとヒルデを追い抜いて行く際に手を振ったり声をかけたりしてくれた。
短い間。
たった三日間だけであったが楽しい道中であった。
残された二人ものんびりと歩き出す。
そして二人の目の前にはまるで城郭都市の様な壁がそびえたっていたのだ。
都市を丸ごと包んでいるかのようである。
「あの城壁の中に町があるのか。矢張り魔獣からの襲撃を恐れてか?」
荒野を移動している時に魔獣からの襲撃を数度受けた。
その都度肉と毛皮を回収して行ったのだが、血と肉の臭いにつられたのかモンスターとしか表現できないものまで出てきた。
傭兵の連中から聞いた話では巨大な昆虫、獣、中には盗賊に身をやつした亜人という者までいるらしい。
そしてそのような輩を蛮族と呼び忌み嫌っているんだとか。
そんな魔獣や蛮族から街を守るための城壁なのだろうか。
「天竜には人族の考え方は理解できないわ」
「まあそうなるか。でも逆もまたしかりってやつだ。お前もこの旅を通してヒトの生の姿を見て行けばいいんじゃないかな。そうすれば次の召喚の神判を担当した時に知見が広がるかもしれないぜ」
ヒルデからの興味ないとばかりの答えにカズは笑いながら返していた。
そうして近づいて行くたびに徐々に壁の全容が見えてきた。