対話
2話 対話
青年は目の前に全裸の状態で俯せに倒れている十代半ばの見目麗しい少女に戸惑っていた。
背丈は150cm前後だろうか。
髪は赤く手足はモデルのように細い。
体のラインも同様に細いがあばら骨が浮かび上がる事は無い健康的な細さであった。
しかし少女と表現したが、自分の知っている生物学的なヒトではない事に警戒心を解くことができなかった。
その背中の肩甲骨付近から紅く血が流れており、その源流部分は鋭利な刃物で切り取ったかのような傷があった。
頭髪には不自然な突起があり、また手足の末端部分に注目すると鱗の様な紋様の入れ墨が入っている。
そしてその手足を見ると中央部分に穴が開いており、反対側が良く見えていた。
「一体何がどうなっているんだよ……」
義姉の強制召喚を防いだまでは良かったが、周囲の状況を含めて一切理解できなかった。
強制召喚を見た時はどこかの過激派が義姉の拉致を目的としているのではないかと考えていた。
だからこそ禁呪を用いてターゲットを自分に移したのだ。
そして愛する家族を危険に晒そうとしたバカ野郎どもを捻り潰そうかと準備をしていたら召喚者は意識不明、周囲に居るのは半ば廃人化した連中だ。
はっきり言って情報不足だった。先ほどは短絡的に囮として置いてきてしまったが、落ち着いて考えてみたら召喚者を確保して情報を吐き出させるという選択肢があったことに気付いた。
取り敢えず現在地を確認しようと携帯電話を取り出し、GPSを起動させるが、ネットワークエラーの表示だ。
「おいおい、これってもしかしてあれか?てことはあの場所に戻って話だけでも聞くべきか?だが強制召喚なんかする連中だし……。クソ、昔っからどうも状況判断が苦手なんだよな」
「ウ、ガ、ゴホッ」
溜息をつきながらこれからどう動くかを考えていると目の前の少女がせき込みながら意識を取り戻していた。
口から血を吐いているが、矢張り紅い血だ。
この世界の生物の構成因子がどうなっているかわからない。
少しでも情報を得ようとサンプルを取るためにも青年は自分のシャツを着せ、上着を少女にかけてから瓦礫にもたれかかるようにして半起座位で座らせた。
そしてポケットから白い布を取り出すと口の周りの血を拭っていた。
「ルウ、ガ」
少女は何かを話しかけてくるが青年には理解できない。
先ほどの重低音の呻り声が今は外見の年相応の声色の呻り声になっている。
そして目の色は先ほどまでの紅い色が消え今は青い色になっている。
呻り声から外国語の様な話し方に変わったのだが、青年にとって初めて聞く言語であり理解することはできなかった。
少女が何かを伝えたいのか訴えるかのような瞳でこちらを見てくる。
だがそのような眼で見られても解らないものは解らない。
そして業を煮やしたのか少女は傷ついた手で青年の手を取ると己の口に含んだ。
「おい!?痛ッ!!」
敵意のない動きに油断していたのか青年は手を振り払う事も出来ず、少女の牙によって指先を切っていた。だが指先の痛みよりもその少女の行為に対して恐怖を抱いた。
指ふぇらをされた事案という物ではない。
血とは情報の集合体である。
生物学的な面では血液型を筆頭に免疫系から病歴といった物も解るだろう。
魔法を扱う者にとって血液を筆頭にした体液とは魔力を流す媒介であり魔力の源とも言える貴重な存在である。
特に血液は扱いやすさから定期的に血液に魔力を貯めた状態で血を抜き魔力タンク代わりにしている者も居るほどだ。
故に青年は急いで少女の口から指を引き抜いた。
だが時すでに遅く、青年の指から流れた血液の一部は少女の嚥下によって喉を通り過ぎていた。
その姿は妖艶な娼婦のようでもあり、場所が場所なら青年自身もまんざらではなかったであろう。
だが青年にそのような快楽を味わう余裕は無かった。
「グアッ!?止めろ!!」
その瞬間、噛まれた左手薬を起点に魔力の渦が生じていた。
その渦は左手を駆けあがろうとしてくるが己の魔力を流すことで左手に圧し留めていた。
だがそれでも相手の魔力の圧力が強いのか徐々に浸食が進み、手首から肘へと魔力の渦が進んでくる。
しかし青年は腰に下げていた刀に手を付けた。
少女はその様子を見ながらも口を動かし声を発して行く。
先ほどまで少女の魔力が優勢に押していたのだが、刀から光が発生すると急激に青年の魔力が増大していた。
少女の魔力を自身の魔力で押し出し、肘から手首まで返していた。
そして青年が懐からナイフを取出し振りかぶった瞬間、少女は目を丸くして慌てて手印を組み何かを叫んだ。
するとその魔力の渦は竜を象ったの紋章のような形を取ると手の甲へと焼印の様な痕を残していた。
「せ、折角、私があなたを、受け入れたのに、竜の祝……福を一方的に跳ね除けた上に切り落とそうとするなんて、ひどいヒトね」
その状況に置いて目の前の少女が発した声が青年の困惑をさらに深めていた。
少女は合間に咳き込んだり苦しいのか言葉を切ってつっかえながらも徐々に言葉を紡いでいく。
そして気が付くと先ほどまで穴が開いていた掌が徐々に綺麗になって行く。
おそらく残った魔力を用いて体の傷をいやしているのだろう。
そして体が楽になって来たのか深呼吸をすると目に見えて少女の顔色が良くなってきた。
おそらく周辺の魔力を呼吸により吸収しそのまま治療に回しているのだろう。
「それに私の魔力を自分の魔力で力ずくに抑え込むなんて規格外にもほどがあるわ」
「あの瞬間で知識の共有化をしたのか?」
「あなたが私の魔力に抵抗したせいで言葉が解らないわ。一方通行だけど知識の共有契約ができているはずだから試してみて」
知識の共有化。
互いの血液を媒介に互いの知識を共有化する手法だ。
だが少女の魔力が青年の左手より先に進ませなかった。
つまり完全な共有化はされていないはずだ。
なのに相手の言葉を理解することができる。
これは何を意味しているのか。
「お前は俺の血を受け入れたというのか?」
青年の問いかけに少女は笑顔で頷いていた。
「だから貴方の国の言葉は理解できないの。頭の中にある私の知識を受け取って」
少女の言葉に青年は頭を押さえていた。
やり方は解っている。
魔術を学ぶ際の初歩の一つだ。
だが竜種というプライドの塊とも言える存在が下等存在と言っても過言ではないヒト種に対して自分は受け取れない一方通行の知識の共有契約を結ぶ意味が理解できなかったのだ。
だがこれで言語問題の一部が解消されたのは事実である。
故に少女の知識を受け取り話し出した。
頭の中でイメージを作る。
すると某イルカのキャラクターよろしくSDにデフォルメされた少女がポップアップしてきた。
しかも『知識を受け取りますか? Y/N』と若干いらっとくるようなプラカードを持っている。
思わず『お前を消す方法』と言いたくなるが、本人のイメージが重要になるからこれは青年側の問題だ。
「貴方が私の血を受け入れてくれたの?」
青年は少女の知識を用いて言葉を紡いでいく。
だが未だ完全に馴染んでいないのか自分の言葉遣いから離れたニュアンスになっていた。
しかし最低限のコミュニケーションのツールを得ることになったのだ。
「強者の血を求めるのは竜種の宿命よ。当たり前じゃない。本当ならあなたが私の魔力を受け入れてくれていたら隷属の契約になっていたのに、惜しい事をしたわね」
少女は経験豊富な娼婦の様に青年にしなだれかかってくる。
だが青年は少女の言葉に聞き流せないものを感じ取っていた。
『隷属の契約』という単語だ。
もし自分の知る契約と同じであればそれは一方的な支配契約だ。
その気になれば命を奪うことも容易であり、主人の意に反すれば呼吸をする事すらできなくなる危険性もある。
そしてこの契約の厄介な点が相手の脳と心臓を直接的に縛る点だ。
解呪しようにも魔力の糸とも言うべきものが臓器に絡み付いており失敗すると臓器が傷つけられてしまうのだ。
いや傷つけるというのは生易しい表現だろう。
少しでも解除の際に魔力の糸の外し方を間違えると臓器は破壊され、再起は不能となる。
そして少女から流れてくる知識が自分の知る隷属の契約とほぼ同じであることを示している。
「正気なの?」
「正気も何も言ったじゃない。強者を求めるのが竜種の宿命よ。そしてあなたは竜種の中でも最高位である天竜の私に勝ったの。私たち竜種のおきてに則って私を支配する義務があるわ」
少女は天竜として己をかけた全力勝負に圧倒されたことを理由に隷属を示してきたのだ。
それも負けたのだから相手に隷属するのが当然とまで言うかのような言い方だ。
「それにしても召喚されたばかりだというのに不思議な力を使うのね。手足を拘束した刀と私の首を落とした刀。違和感が凄いわ」
少女は傷がふさがりつつある掌を天に掲げていた。
青年は少女の言葉に得心がいった。
自身の持つ竜の情報と彼女から契約を通じて伝わる情報を重ね合わせた結果だ。
天竜と呼称される竜種は精霊の一種であり、自然の中から魔力を吸い成長を重ねていく。
そして仮に討滅されたとしても竜種の持つ情報は魔力として一度自然に帰り再構成されて再び竜として形作られる。
言い換えるのであれば完全な不死の一族とも言えるのかもしれない。
「だからアレで首を落とした時に精霊としての姿になったのか」
少女の言葉と姿から情報を引き出そうとしていた青年は無意識の内に日本語で呟いていた。
少女は青年の発した言葉の意味が理解できなかったが気にせず続けていた。
「あの翼を切り落とした刃物と拘束した刃物は私に傷をつけた。でも私の首を落としたはずの刃物は傷をつける事は無かった。刃物が首を通った感触があったのに……。一番の問題はその際に私の構成魔力が一気に薄れたことね」
少女は青年に興味を抱いているのか上目づかいで見てくる。
「掌の傷はなんとかふさがったけど翼の傷は治りが遅い。一体どんな方法を使って私を傷つけてくれたのかしら。見た感じだとあれだけの刃物を隠し持っていたとは考えづらいし……」
少女はなめまわすかのように自身に着せられた服と青年を観察する。
青年は少女にシャツと上着を着せているため上半身は裸だ。
体のいたるところに傷痕が見て取れる。
先程の戦いで生じたのではない。
良く見れば古い傷跡もある。
少女の観察する眼はまるで肉食獣の目であり、青年は背筋に悪寒が走っていた。
「しかも私の魔力を押し返した最後の魔力。私の魔力に近い匂いを感じたのよね」
「こちらの手の内をすべて明かすほどの信頼関係は俺達に無いと思うんだが……」
「あら、隷属の契約をこちらから申し出た時点で私は貴方に対して十全の信頼を置くことにしたわよ」
「それはお前から俺に対してだ。第一いきなり襲いかかってくるようなバトルジャンキーに対して信頼を置けるほど俺はお気楽野郎ではないつもりだ」
青年は徐々に知識の共有に慣れて来たのか自分の求めたニュアンスの言葉を引き出すことに成功していた。
そして少女は青年の対応の早さ、そして彼の発する言葉にうんうんと頷くと笑顔になっていた。
「それが私の仕事だったからよ。ワタリの呪文が発生し、問題が発生した場合に渡って来た人物の人物を鑑定するのが私たち天竜の仕事だもの」
少女の言葉に青年は心当たりがあった。
少女の知識から流れてくる情報も彼女の言葉が真であることを示している。
つまり本来召喚されるべき義姉の身代りになったことでエラーが発生し、エラーを排除するために彼女が派遣されてきたという事なのだろう。
「ゲームのイベント戦闘みたいに軽く言ってくれるな」
「ゲーム?あなたの言う単語は良く解らないわね。でも安心して。あなたと戦って特に悪いものを感じなかったわ。それに私が勝てなかったんだもの。他の天竜が来ても一対一じゃ勝つのは難しそうだしね」
少女は参ったと言うかの様に頭の後ろを掻くようなポーズを取っている。
そして青年が話を聞く姿勢でいる事を確認すると姿勢を直して言葉を続けてきた。
「それと問題に心当たりがあるようだけど言わなくてもいいわ。こちらの世界の都合で他の世界から適任者を引き込もうだなんて都合のいい話しだもの。あなたにとっては急に誘拐されたも同然だもの。そういう意味ではあなたはこの世界に対して報復をする権利があるわ。でも私からすればそれは思い留めてほしい」
少女はそう言うとにっこりと笑って手を出してきた。
「だから私と本格的な契約をしてこの世界を回ってみない?」