1、ヒーローの条件(3)
「…どういう意味かな?」
「そのままの意味です」
優花はあっさりと答える。
冗談を言っている顔には見えないが、明人はまともな言葉だともとらえられなかった。
「…俺、帰るよ」
明人がそう言った瞬間、通りで悲鳴があがった。
とっさに振り向けば、明人の視線の先に 何か がいた。
まるで人力車のような二輪の乗り物、その上には男のような怪物。
その台座の先からは2頭の馬の前半身が生えており、馬も台座も乗っている怪物も、全身が白に近い灰色だった。
「あれと戦って倒して。そのための力はあります」
「は?なんだよあれ!」
「優花!」
そこに現れたのは優花と共に明人に話しかけてきた昨日の男だった。
「我妻さん!」
「橘明人、お前はどうする?やるのか?」
「意味が…ち、ちゃんと説明をし」
「遅いな」
状況を飲み込めない明人を一瞥して、我妻と呼ばれた男はスーツの上着から鮮やかな青色のスマートフォンを取り出した。
「あ、貴方たちは何なんですか!」
我妻の背中に向かって明人は叫んだ。
「今、そんな話をしてる時間はない」
我妻の視線の先には、灰色の怪物と驚愕と恐怖で逃げそびれた何人かの姿があった。
異形の怪物が放つ圧力に、少し離れているとは言え明人は無意識に1歩後ずさってしまう。
我妻はじっと前を見つめたまま、左手に持ったスマートフォンの画面を何度か触り操作した。
『Forwarding』
低いくぐもった電子音声がスマートフォンから発せられると同時に、我妻の腰に金属のように鈍く輝く銀色のベルトが現れる。
「一つ、大人からのアドバイスだ」
後ろを振り向かずに我妻が明人に声をかけた。
「昔、ある探偵が言ってた。男の仕事の8割は決断、だそうだ」
左手をそのまままっすぐに下ろすと、ベルト左側のスロットにスマートフォンをセットする。
「ついでに言えば…遅すぎた決断に意味はない。これは俺の考えだけどな」
スマートフォンが収まったスロットを左手で押し、ベルト中央に移動させる。
「変身」
『Release』
やはりくぐもった低い電子音声がスマートフォンから発せられ、同時に我妻の目の前に青く輝く光の扉が現れる。
我妻が扉を通ると、その姿は全く別のものになっていた。
顔はヘルメットのような仮面で覆われ、双眼はまるで青い絵の具に墨を垂らしたかのような濃紺。
同じ色が胸部のアーマーや上腕部に配されているが、それ以外の部分は白が多い。
ベルトと同じく金属のような銀色の籠手とブーツが鈍く輝いていた。
変身した我妻は強めに自分の胸を一度右手で叩き、それから猛然と怪物の方へ走っていった。
取り残された明人はその後ろ姿を呆然と見つめていた。
「あれが、君が言っていたヒーロー…?」
「そうです。私たちはΞって呼んでいます」
「クスィー?」
「ギリシャ文字のアルファベット。こういうの知りませんか?」
優花が空中に Ξ の文字を書く。
変身する時に通った光の扉にもその文字が書かれていたのを明人は思い出した。
「でも…あの人が戦ってるなら、俺なんていなくても」
怪物はクスィーの接近に気付いたのか、台車の部分の2頭の馬が視線をこちらに向ける。
クスィーは走っている勢いそのままに跳躍して、台座の上の男のようなものの顔を殴り付けた。
「…我妻さんは、今のシャリオットにも勝つことはできません」
じっとクスィーの姿を目で追う優花の表情は不安で曇っていた。
『さて、これからどうするか…』
怪物の顔に渾身の一発を見舞ってから、クスィーとなった我妻は拳をさすりながらつぶやいた。
全身の筋肉が傷付いているのではないかと思うほどの痛みに、我妻は舌を打つ。
シャリオットの意識を自分に向けることには成功したが、この先にどうするかのプランがない。
実は数日前にも我妻はクスィーに変身してシャリオットと戦っていた。
その時は退けたものの、今回も上手くいくか、さらには自分の体がどこまでもつのかも分からなかった。
「勝てないって…どういうことだよ!」
「我妻さんとクスィーの適合率は低いんです」
「適合率…?」
シャリオット前面の2頭の馬は鼻息も荒くいななくと、まっすぐクスィーに突進する。
それを受け止めようとしたクスィーは、衝突の衝撃で弾きとばされる。
「我妻さんは今、ものすごい痛みに耐えながら戦っています。適合率が低い人間がクスィーになれば全身を痛みが貫くこと、自分の適合率が低いことも知っていて変身したんです」
「なんで…」
「誰かが助かるから。前に変身した時にそう言ったんです」
倒れたクスィーをめがけて、再びシャリオットが突っ込んでくる。
クスィーは地面を転がってそれを避け、次に備えて立ち上がる。
しかしすぐにバランスを崩し、地面に膝をついてしまう。
「ねぇ明人」
優花は息を呑んでただクスィーの姿を見つめる明人の手をとり、じっとその目を見つめた。




