第十一話
ハルは薄暗い部屋の中、石造りの黒い天井を見つめていた。薄ぼんやりと何してたんだっけと考える。少しすると、森の実践授業で怪物が出て大惨事になったことを思い出した。
では、今はどういった状況なのか。
先ほどまでの騒がしさはどこへ行ったのか、静けさがつつみ込んでいる。空気もやたらと冷たい。
酸素が薄く感じて、呼吸も雑になる。
動こうとして、手足を鎖でつながれているのが分かった。よく見ると部屋全体は古びた牢屋のようになっている。
なんでこんなことになっているのか考えてみても、分からない。記憶が欠落していて、ここまでの経緯は思い出せなかった。
静かな空間に、ドアの開く音が聞こえる。錆びついているのか、ぎこちなく不安になる音だ。
続いて響く足音に、ハルの鼓動は大きくなる。
「初めまして……」
ローブを纏い、ランプを片手に吊るした少女だった。フードの奥に沈む瞳は、黄色く光っていた。
「……誰?」
ハルの問いに答えるように、少女はフードを取る。
茶色い髪を、右片方に一つ結びにしていた。目は眠たそうに半開きになっており、時々あくびを挟んでいる。
「名乗るほどのものでもない……そして、知るほどのものでもない……」
淡々と述べ、鎖を外す。足首と腕に鎖をつけたまま、ハルは立たされた。
痺れで少しよろけてしまう。
「なんだよ、何すんだよ!?」
「黙って……すぐ済むから」
そんなこと言われても状況が把握できないのだから黙っていられない。もしかしたら、命に関わるかもしれないのだから。
そんなハルの内心はお構いなしに引きずるようにして連行される。
石でできた閉鎖的な螺旋階段を上らされる。転けそうになりながら、わけも分からずに。
実際は数分程度だったはずなのに、登ってる時間がとても長く感じた。
現れた木の扉が開かれる。その先に広がっていたのは、聖堂だろうか。しかし、ハルが知っているようなものではない。
全体的に黒で統一されている。椅子はない。先頭においてある十字架にかけられた女神像の頭は取れている。
ステンドグラスは、どこか濁っておて名状しがたい気持ち悪さがあった。
そこで並んでいるのは、少女と同じように黒いローブをまとった者たち。ハルの姿を見ると、皆頭を下げる。
「ここに立って……」
指を指したのは地面に描かれた五芒星の魔法陣。赤黒い液体で描かれたそれは、鉄錆たような臭いがする。
なぜだか分からないが、そこに入ってしまったら自分が終わる気がした。必死に抵抗しようとするが、ひざ裏を蹴り飛ばされて体勢を崩す。
魔法陣の真ん中で転び、顔を強く打った。痛みに耐えながら顔を上げると、ローブ姿の人間たちが囲むように並ぶ。
「女神様ぁ……!」
どこからか漏れた不気味な声。それを皮切りに、口々に女神様と縋り手を伸ばす。
魔法陣が淡く光る。何か下腹部あたりが熱くなり、全身に痛みが回り始める。やがて我慢できなくなり、のたうち回った。
頭の中では何が起きているのか分からない。整理もできない。ただ、苦しいという感覚だけが胸の奥を満たしていく。
息もできなくなり、視界が明滅し始めた。ところで──
──ハル!
幻聴のようにロミアの声が聞こえる。声の出どころを探るように、顔を動かす。
「まずい……!」
先ほどの少女の慌てた声が聞こえる。視界の端でナイフを取り出して飛び上がった。
躊躇なくハルに刃を突き立てようとして、何かに邪魔されるかのように弾かれる。
「──やけにすんなりいくと思った……! わざと攫わせたな、ホムラ理事長……!」
彼女の悔しそうな声を最後に、ハルの意識は飛ぶ。
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目に日差しが当たる。明るさに慣れずに目を何回かしばたかせた。
そんなハルの視界に、ロミアの顔が映る。彼女は顔色をうかがってから涙目になって抱きついてきた。
「よかったよかったよぉ!」
「……なんか、記憶曖昧なんだけどどうなってんだ?」
尋ねてもロミアは泣くばかり。周囲を見回すと、生徒たちが立っていた。傷だらけだが、死者はいないようだ。どうやらキメラは無事に討伐されたらしい。
今は森の外で結界を張って、傷を癒している最中のようだった。
「キメラと戦っている間、あなたは連れ去られたのだわ」
状況を理解していないハルに、グレースが代わりに説明を始める。
どこか不機嫌そうに唇をとがらせているのは、プライドと罪悪感がせめぎ合っているからだろうか。
「連れ去られた? 誰に?」
「私たちにはわからないのだわ……」
それだけ言うと、彼女は離れていった。代わりにエリンが頭を下げて続ける。
「あれでも感謝している。許してやってくれ」
「いや、許すも何も、オレは何で助かったんだ?」
正直な話、どこに連れ去られたのか覚えてない。気がつけば、ここに横たわっていたのだ。
「……ニーチェ殿が作った転移石を、もしもの時のためにロミアが理事長から渡されていたらしい」
ニーチェと聞くと、あの変態少女かと思い出す。
「身体がバラバラになる可能性があったらしいが、その分なら大丈夫だな」
その一言に、思わず心の底が冷える。
結局誰に攫われたかは思い出せなかった。何か良からぬことだけが起こっている。それだけは分かった。
授業は当然中断となり、学生一同は街に戻ることとなる。
戻るまでの間、ハルは泣いているロミアを励まし続けたのであった。




