第十話
葉擦れの音がしばらく響く。直後響いたのは大きな人間の叫び声と複数の足音だった。
何があったのかとハルはキョロキョロする。すると──
「なんなのだわ!? なんで、こんな怪物がいるのだわぁぁぁあ!?」
分かりやすいグレースの声が響き渡った。
大きな振動が聞こえる。木が震える。尋常じゃない気配に身構えていると、葉の影から傷だらけのエリンが飛び出した。
「ロミアとフェミリス家の!」
呼び方的にこちらを覚えていない雰囲気を感じたが、気にしている様子はない。
近くで着地をしたエリンにハルは顔を向ける。
「何があったんだ!?」
「キマイラだ!」
「……は!?」
キマイラと聞いて思い浮かぶのは、ヤギとライオンの竜の頭を持つ怪物。Bランク地帯にいてはダメな存在だ。
「ロミアはそいつを連れて逃げろ! 私はグレース様を救出する!」
そう言って、エリンは再び突撃していった。
見えなくなった銀髪エルフの背中を眺めるハルの手を、ロミアが無造作に握る。
「ハル、逃げるよ!」
「な、なんでだよ!? 放っておくのか!?」
「そりゃそうでしょ! これは私たちの判断では対処できない案件よ!」
いまだに悲鳴は響き渡っている。
怪我人がいるかも知れない。死人も出てるかも知れない。それなのに自分だけ助かるために逃げる。
そんなことはできなかった。少なくともロミアなら通用する相手なのだ。
酷く人だよりだと分かっている。情けないと分かってる。しかし──
「助けてやってくれよ……なぁ?」
その言葉に、ロミアの表情が歪む。歯を食いしばり、目を固く閉じていた。
考えを振り切るように頭を振り、彼女は首肯する。
「わかった。でも、ハルは無茶しないこと!」
その返事を聞いて、ハルは安堵の息をつく。
※※※※※※※※※※
ロミアは細剣を握りながら、呼吸を整えて走る。この剣は、フェミリス家に仕えてハレル──ハルを守るために鍛え上げた剣だった。
何もできない無力の少女から、主を守る役割をくれた剣だった。
その剣を他人のために振るうことになるとは、思っても見なかった。
後方から転びそうになりながらもついてきてるハルを見やる。彼の顔を見て考えを改める。
いや、これもハルのお願いだ。だから今から振るう剣もハルのためだ。
そう心の中で言い聞かせた時、一人の生徒が森の奥から跳んでくる。近くの蔦を切って、それをクッション代わりに生徒を引っ掛けた。
逆さまに吊るされた生徒は、涙で顔がグチャグチャだ。しかし、彼女に構っている暇はロミアにはない。
そのまま突っ切るようにして、木々を抜ける。
そこはたくさんの草木がなぎ倒されて、小さな広場が出来上がっている。その中央で、巨大なキマイラが咆哮を上げていた。
動く度に地面が揺れ、心臓を揺らす。その威圧感は、今まで感じたことのないものだ。
「ハルは怪我人を見て!」
「分かった! ロミア……任せた!」
何もできない自分が悔しいのか、ハルの瞳は揺れている。それでも最善のことをしようとしている彼女の背中は、昔と変わらず頼もしく見える。
「ロミア何故来た!?」
従者生徒たちを指揮して戦っていたエリンが、驚いた顔をする。
「私は逃げろって言ったはずだぞ! これだと誰が救援を呼ぶ!?」
「うるさい、主命令よ!」
「……たく、あの甘ちゃんめっ!」
苛つきながら舌打ちするエリンの首筋に、細剣を突きつける。
「何をする!?」
「私のご主人の悪口は言わないでくれる?」
また違った緊張感が二人を包む。しかし、すぐにキマイラの咆哮でかき消された。
「どうわぁ! た、助けるのだわぁあ!」
グレースに狙いを定めた怪物が、彼女に牙を向ける。
「お嬢様! なんでまた追いかけられてるんですか!?」
「し、知らないのだわ! て、手当てをしてたら突っ込んできたのだわ!」
走り出そうとしたエリンよりも先に、ロミアは飛び上がっていた。
「救援を呼ぶ人材がいないなら──」
空中で体をひねって返す。急降下してキマイラのライオンの頭を切り裂く。
「──私が隙を作ればいい!」
血が飛び散る。絶叫を上げながら、怪物は後ろに飛び退いた。
「た、たたすかったのだわ……!」
「動けるものを連れて逃げて!」
「わ、分かったのだわ!」
へっぴり腰になりながらグレースは駆けていった。エリンは彼女に付き従おうとして足をとめる。
「……ち、損な役回りしてたらいつか身を滅ぼすぞ」
「主命なら本望!」
彼女の背中にエリンは何も声をかてこなかった。従者たちに指示を出して、離脱していく。
ロミアは呼吸を整える。キマイラをしっかりと見据えて、剣を構える。
「一年ぶりね、キマイラ討伐なんて」
心臓が大きく高鳴ったのを合図に、ロミアは地面を蹴った。




