5.庭
こうして、私たちはようやくカナの家の中へ、まずはその庭に足を踏み入れた。
庭に一歩踏み込むと、まず目に飛び込んできたのは、銀色の水銀でできた小さな池だった。
池の表面はまるで鏡のように静かに揺れ、その中を金色の金魚が優雅に泳ぎ回っていた。池の周囲には、ガラスでできた透明な芝生が広がっている。まるでライオンのたてがみのようにふわっと広がるその芝生は、丁寧に手入れされた庭園のようだった。ところどころに小さなガラスの木々が植えられ、装飾としてなのか、鑑賞用なのか、庭全体に不思議な調和を生み出している。
カナが水銀の池のそばに歩み寄り、近くに置かれた袋から何かを取り出した。それはパンくずのような、細かな鉄の粉だった。磁力で固められていたその粉は、カナの手が触れると磁力を失い、さらさらと崩れて普通の鉄の粉に戻った。
カナはそれを一握りつかむと、水銀の池に軽く撒いた。
すると、静かに泳いでいた金魚たちが一変し、まるでイルカのような勢いで水面を飛び跳ね、鉄の粉に飛びついた。口で食べるのではなく、全身でその粉を浴するようにして栄養を吸収しているようだった。金魚の鱗が鉄の粉をまとってキラキラと輝き、池の水面に微かな波紋が広がる。
「暶君もやってみる?」
カナが私を振り返る。
「いや、遠慮しとく」
本当は少し興味をそそられたけど、どこかで「水銀は人間にとって危険」という知識が頭をよぎった。人間のふりを続ける以上、ここは慎重になるべきだと思い、怖がるふりで断った。
「水銀って、人間には危ない物質だからな」
そう言うと、カナはまるで子供をあやすような口調で答えた。
「大丈夫だよ。この水銀は何百回も再処理されてて、触れても完全に無害なの。ほら、この金魚たち、全部タンパク質でできてるんだから」
「え、鉄の粉を浴びても大丈夫なの?」
私は思わず聞き返した。
「浴びてるだけだから。食べるんじゃないの」
彼女の説得に流されるように、私は差し出された鉄の粉を渋々受け取った。
「じゃ、せっかくだからやってみるか」
鉄の粉を手に取ると、その感触にまず驚いた。
まるで砂漠の細かい砂よりもずっと柔らかく、さらさらと手のひらをくすぐるような心地よさがあった。思わずこの粉を口に入れてしまいたくなるような、誘惑的な感触。
だが、その衝動をぐっと抑え、私はそっと池に向かって粉を撒いた。すると、池の中で一番大きな金魚が、まるで漁師に釣り上げられたばかりの大物のような勢いで水面を突き破り、私の撒いた鉄の粉に体当たりしてきた。その衝撃で水銀の飛沫が弾け、まるで小さな銀色の矢のように私とカナに向かって飛んできた。服や顔に水銀の滴がついてしまい、思わず二人で顔を見合わせた。
「………」
0.01秒の沈黙の後、私はとりあえず驚いたふりをしながら、ポケットからハンカチを取り出し、顔をせっせと拭ってみた。水銀の感触はべたべたというより、ぬるっとした生ぬるさで、表面張力が弱く、まるで柔らかい粥をかけられたような奇妙な感覚だった。
「暶君! 大丈夫?」
カナが心配そうに近づいてきて、すぐさま自分の服の裾で私の顔を拭き始めた。
私は自分のハンカチで十分だと伝えようとしたが、彼女の顔にはあまりにも深い心配が浮かんでいて、このまま任せておいた方が彼女の気持ちを落ち着かせるのにいいかもしれないと思った。決して自分で拭くのが面倒だったからではない。
「ごめん」カナが謝った。「まさかあんなに高く跳ねるなんて思わなかった……」
私は軽く笑って答える。「元気な金魚だね」
「なんか今日はいつも以上に元気みたい。久しぶりに客が来てくれたからかな」
一方、カナも水銀で濡れていた。
私以上にびしょびしょだった。
よく見ると、彼女が水銀の飛沫から私をかばってくれたせいだと気づいた。自分だけ拭いてもらうのはなんだか申し訳なく感じたので、私は彼女の手をそっと止めた。
「もういいよ」
カナは渋々手を止めたが、すぐに心配そうに聞き返してきた。
「まだ濡れてるよ。ちゃんと拭かないと、風邪ひいちゃうかも」
「大丈夫。真夏だし」
「夏風邪がどれだけ厄介か知らないの? ダメだよ、ちゃんと拭かなきゃ」
「それ言うなら、カナこそ心配だよ。俺よりびしょびしょじゃん」
そう言って、今度は私がハンカチで彼女の顔を拭き始めた。
「……」
私のハンカチがカナの頬に触れた瞬間、彼女はピタリと動きを止めた。
まるでシステムが一時停止したかのような、完全な静止状態だった。わけがわからなかったが、彼女の青い瞳が、まるで少し重たく、気まずいほどに真っ直ぐ私を見つめてくるので、目を逸らしてしまった。
すると、彼女の口から小さな声が漏れた。
「ありがとう」
その「ありがとう」は、まるでこの言葉を脳内で10,000,000回は反復練習したんじゃないかと思われるくらい完璧な発音だった。
彼女はもう一度、ゆっくりと言った。
「ありがとう、暶君」
そうか、と私はふと思った。
彼女は感激すると硬直してしまうのか。
感謝の気持ちでフリーズしてしまうのか。
こんな愛らしい反応があるだなんて。
この瞬間、初めて私は、カナを心から、誠に、かわいいと思えた。
「どういたしまして」
私は礼を返し、拭き続けた。
私の数少ない持ち物の一つ、30センチ四方の正方形のハンカチは、シルクとグラフェンを織り交ぜた、たぶん私が持つ中で一番高価なものだ。そのハンカチが水銀でびしょびしょになり、まるで銀色のクッキングホイルのようになるまで、彼女の顔がすっかり綺麗になるまで、私は執拗に彼女の顔を拭き上げた。
そうして、私たちは互いの顔を丁寧に拭い終えると、ガラスの庭を抜けて本館――つまりカナの家へと向かった。
ドアを開けると、勢いよく一匹の猫が飛び出してきた。カナが言っていた「タリーちゃん」だ。
金髪の少女に似た、大きくて透き通るような青い瞳を持ったその猫は、カナの胸に飛び込み、まるで久しぶりの再会を喜ぶように体をすり寄せた。カナは笑顔でタリーちゃんを抱きしめ、柔らかな毛並みを愛おしそうに撫でた。
しばらくじゃれ合った後、そっと地面に下ろすと、今度は猫が私の方に興味を示してきた。大きな瞳をキラキラさせ、まるで「ねえ、あなたは私のこと可愛がってくれないの?」とでも訴えるように、私をじっと見つめてくる。
タリーちゃんは、月の淡い光を浴びて銀色に輝く毛並みを持つ、しなやかな猫だった。大きくて透き通るコバルト色の瞳は、カナを映す鏡のように、静かな好奇心を湛えていた。
だが、正直なところ、私はこの猫のあまりにも明るい、まるで犬のような存在感に少し気圧されていた。この月の世界では、いつも暗い背景が広がり、大気もない静寂の中で、こんな活発な生き物はどこか場違いに感じられる。
過剰に「可愛い」存在には、なぜか少し抵抗を感じてしまう。
とはいえ、冷たくあしらうわけにもいかず、私はぎこちなく笑顔を浮かべ、軽く手を振ってみせた。すると、タリーちゃんは一瞬、期待を裏切られたような表情を見せ、かすかに「ミャウ」と不満げな声を漏らした――気がした。
だが、すぐに気を取り直したのか、くるりと身を翻し、私たちを先導するように玄関の廊下を軽快に進んでいった。
「入ろうか」
カナの声に促され、私は彼女の後ろについて家の中へ足を踏み入れた。




