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  作者: 真好


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33.裸足の演奏

33.裸足の演奏


「ちょうど地球から戻ってきた貨物船があるのよ」

 マスターが宙を見上げながら、穏やかに説明した。

 突然、どこからか強い風が吹きつけたが、彼女の視線に触れると、まるでそよ風に変わるかのように柔らかくなり、パチパチと静電気のような軽やかな音を立てて通り過ぎた。

「船に乗るにはいい天気ね」

 マスターは、心地よいマッサージを受けた後のような満足げな表情で、私とカナを手招きし、滑走路へと歩き出した。

 滑走路と呼ぶには、どこか不思議な感触だった。

 アスファルトやコンクリートのような硬さはなく、アイボリー色の芝生が一面に広がっている。まるで居間のふわふわしたラグを思わせる、柔らかく温かみのある質感だ。

「あ、言い忘れてた」

 マスターがふと振り返り、私たちの足元を指さした。

「靴と靴下、脱いで。ここは裸足で入る場所なの」

 私とカナは顔を見合わせ、学生靴と靴下をゆっくり脱いだ。

 まるで卒業式で帽子を空に投げる大学生のようにはしゃぎ、靴を高く放り投げた。すると、どこからともなくトビウオのような光の群れが、光速の1万分の1の速さで飛んできて、私たちの靴と靴下をさらって消えてしまった。

「ちょっと! 泥棒!」

 カナがトビウオたちを指さして叫んだが、彼らはすでに滑走路の彼方に姿を消していた。

 マスターは裸足になった私たちを見て、無邪気に笑った。

「これで、もう元の状態には戻れないね!」

「どういう意味ですか?」

 私が尋ねると、マスターは軽やかに答えた。

「素足だと、いろんなことが感じやすくなるの。それに、飛行するなら裸足に決まってる。シートベルトみたいなものよ」

「靴を履いたままだと危ないんですか?」

「うん、危ないの」マスターが説明する。「君たちじゃなくて、乗り物がね。靴の硬い靴底で傷ついてしまうから、私の育てた船には絶対に裸足で乗ってもらうの」

 私たちは裸足のまま歩を進めた。

 ノクターンの夜を思わせる深い静けさが漂い、マスターの足音がまるで子守唄のようなメロディーを奏でる。彼女の素足が芝生に触れるたび、柔らかなピアノの音が響き、単なる音を超えて音楽そのものに変わっていく。

 私はその音に心地よく揺られ、眠気を誘われながらも、次に進みたい衝動に駆られた。

 退屈を嫌うカナも同じ気持ちだったのか、マスターの後ろ姿を追いながら、どこか疲れたような声で尋ねた。

「どこに行くんですか?」

「もちろん、君たちを地球に運んでくれる貨物船よ」

「ありがとうございます」

 私はまるで夢の中で強制的に感謝を口にさせられているような気分で答え、カナの質問に自分の疑問を重ねた。

「じゃあ、マスターは人間に売られたヒューマノイドロボットを地球に運ぶ仕事をされてるんですか?」

「それは私の仕事の一部よ。でも、収益の1%くらいにしかならない。本業は別にあるの」

「どんなお仕事ですか?」

「言えないよ」マスターがくすっと笑う。「企業秘密だから」

 確かに、と私は納得し、それ以上は追求しなかった。代わりに別の質問を投げかけた。

「貨物船まであとどれくらい歩くんですか?」

「正直、歩く必要はないのよ」マスターが答えた。「乗客が乗り物に行くんじゃない。乗り物が乗客のところに来るの。トトロの猫バスみたいにね」

「じゃあ、なんで歩いてるんですか?」

「じっと立ってたら、素足の演奏ができないでしょ?」

 その言葉に、私はまたしても納得してしまった。

 マスターの素足から響くピアノのメロディーが、あまりにも心地よかったからだ。これまで聞いたどんなクラシック音楽よりも心に響き、録音して永遠に耳元で再生していたいと思うほどだった。

 その演奏に魅了されているのは私だけではなかった。カナもまた、うっとりとした目で自分の足元を見つめ、不満げに呟いた後、マスターに尋ねた。

「どうしたらマスターのようになれるんですか?」

「練習するしかないね」

 簡潔な答えに、カナは少し反省するように口を閉ざした。

 そして、彼女の練習が始まった。

 素足になったばかりの両足で、アイボリー色の芝生の上で、ピアノの音を奏でるように歩き始めた。

そう、カナはついに、歩くことの楽しさに気づいてしまったのだ。

 私はカナのまだたどたどしい演奏を微笑ましく聞きながら、静かに歩き続けた。

 楽器を演奏する趣味はない。ただ、音を聞くのが好きなだけだ。

 特に、それが私の大切なカナの奏でる音となれば、なおさら愛おしい。

 カナは最新型のヒューマノイドロボットだ。彼女は歩きながら、前をゆくマスターの足音に全神経を集中させていた。

 やがて、私がそばにいることすら忘れたかのように、マスターの裸足のメロディーに夢中になった。そして、驚くべき速さで、彼女の演奏の腕はぐんぐんと上達していった。

 17秒ほど経った頃、カナの裸足の演奏は、ほぼマスターと同等のレベルに達していた。

 その瞬間、マスターがぴたりと足を止めた。

 彼女の足音が止まると、ピアノのメロディーも途切れた。

 私とカナは、まるで赤ん坊のカモが母を追うように盲目的に後を追い、つられて立ち止まった。

 アイボリーの芝生に覆われた滑走路は、一瞬、深い静寂に沈んだ。

「心の準備ができたみたいね」

 マスターの声が響く。カナが答えた。

「はい」

 そのやりとりを聞いて、私はまるで未知の物理法則を発見したような驚きに打たれた。

 これまでずっと、カナのための散歩だったのだ。

 私は自分がこの物語の中心だと思い込んでいた。いや、マスターは人間を装う私にこそ関心を寄せていると勝手に想像していた。

 だが、違った。

 マスターの視線は、私のような嘘つきの大犯罪者にはまるで興味がなく、ただ私のそばにいる愛らしいカナだけに向けられていたのだ。

 その事実に、私はこれまで感じたことのない、メモリーチップに刻まれたどの記憶とも異なる、新鮮な悟りを覚えた。

 同時に、強烈な不安が胸を締め付けた。

 もしマスターとカナがあまりにも深く共鳴し、まるでデュエットの演奏のような絆を築いてしまったら、カナは私が嘘つきだと知ってしまうのではないか。そんな恐怖が頭をよぎった。

 ふと、片方の腕の裾を何かが引っ張る感触があった。

 見下ろすと、9歳の小さなマスターが、まるでスーパーでお菓子をねだるような無垢な表情で私を見上げていた。

「大丈夫?」

「……はい?」

 私が聞き返すと、マスターは少し困ったように言った。

「いや、急に泣き出したからさ。カナの演奏がそんなに感動的だった?」

 その言葉で、初めて気づいた。

 私の可視光線しか捉えられない貧弱な眼球の周りに、液体による歪みが生じている。

 マスターに引っ張られた裾をそっと取り戻し、その裾で眼球の液体を拭った。透明なその液体は、喫茶店で飲んだ水だとすぐに分かった。

「どう? 涙の味は?」

 マスターが心配そうに尋ねてくる。私は、まるで子供を安心させるような気軽な笑みを浮かべて答えた。

「しょっぱいですね」

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