23.長い夢
23.長い夢
「じゃ、起こすよ」
そうやって私はまずカナの前にしゃがみこんで、まずそのカナを覆っている透明でつるつるな膜を片手で触ってみた。
綿あめが溶けた物質でできているはずだから、べたべたしているのではないかとちょっと潔癖症のある私的には心配したが、別にべたべたしてなかった。むしろぬるぬるに近いというか、とにかくそんなに快い質感ではなかったので、早速終わらせたいと思うようになる。
そのまま両手でその膜を鷲掴みにして、ぐしゃぐしゃと破ろうとしたら、それは案外硬いというか、破れない。無理やり引っ張ったりして破るのはちょっと難しそうだったので、ハサミやナイフでもあったら良いなと思いながら地面を探してみると、ちょっと先端が刺すように鋭くなっている拳サイズの石を発見したので、それを持ってまたカナの前に戻り、しゃがみこむ。
まるで全身麻酔を受けた患者を前にする外科医のような気分で、私は拾った鋭利な石を手に持ち、カナのへそのあたりを覆う膜をそっと突いてみた。
すると、突かれた部分から小さな点が生まれ、ポンという愛らしい効果音とともに弾ける。
まるで一滴の露が落ちたかのように、膜の表面に波紋が広がり始めた。
最初は小さく、静かに揺れていたその波紋は、次第に振幅を増し、カナの全身を包む膜全体がまるで池の水面のように大きくうねる。
彼女の姿がその揺れに合わせて歪み、まるで電波障害に悩まされる古いラジオの音のように、輪郭がぼやけて捉えにくくなった。そして、歪みが頂点に達した瞬間――パン!と、風船が弾けるような鋭い音とともに、膜は一瞬にして弾け飛び、蒸発したかのように跡形もなく消えた。
まるで最初からそんな物質など存在しなかったかのように、錯覚としか思えないほどの変化だった。
その衝撃で、カナの体は一瞬、宙に浮かび上がった。
まるで空中浮揚の魔法にかかったかのように、刹那的に月の地面から離れ、すぐに静かに着地した。膜から解放されたカナの姿は、まるで蛹から今まさに生まれ変わった蝶のように、驚くほど新品で清潔だった。
まるで製造ラインから出たばかり、電源すら入れられていないヒューマノイドロボットのような、完璧な輝きを放つ姿。私はもちろん、初球の頭もその美しさに目を奪われた。
「この子、めっちゃ素敵なモデルだね」
初球の頭の感嘆に、私は小さく頷く。
なぜか、さっきまで戦いで破れ、汚れ、ひどく損傷していたはずの彼女の制服は、今や新品同様に修復されていた。
まるで新たに仕立て直されたかのように、ピンと張った生地が彼女の姿を一層引き立てている。
「どうしてだ? 服が元通りになってる」
私が疑問を口にすると、初球の頭が答えた。
「真空深海の蜘蛛の砂糖糸には、機械を修復する効果があるんだよ」
「へえ、そういうものなんだ」
「うん。めっちゃ甘いんだから。食べてみる? まだ周りに散らばってるし、溶けてないから集められるよ」
「いや、遠慮しとく。壊れた部品もないし、特に損傷も受けてないから」
「でも、CPUはちょっと壊れてるんじゃない?」
私は慌てて指を唇に当て、「静かに!」と強い眼差しで制した。
カナが膜から解放された今、彼女の高度なセンサーがスリープ状態でも周囲の情報を記録しているかもしれない。最新型のモデルなら、そんなこともあり得る。油断は禁物だ。
「ごめん、ごめん!」
初球の頭が謝り、話を先に進めた。
「じゃ、さっそく彼女を起こしてみようか。初対面、ワクワクするね!」
私は小さくため息をつき、まるで眠れる姫を前にした王子のような心持ちで、カナの肩にそっと手を置いた。触れた瞬間、微かな電流――いや、静電気のようなものがピリッと走る。
「カナ」
優しく、そっと名前を呼んでみる。長い間離れていたからか、胸にじんわりと懐かしさが広がる。まるで遠い記憶の誰かと再会したような、高揚感にも似た感情が静かに膨らんでいく。
特に揺さぶったりはせず、ただ手を置いたまま、じっと待つ。
静かに、ひたすら待つ。
すると、まるで永遠の八分の一ほどにも感じられる長い時間が過ぎた頃、どこからともなく精霊の吐息のようなそよ風が吹き、カナの前髪をそっと揺らした。
そして、カナの目がゆっくりと開いた。
その瞳は、まるで設計図通りに作られたばかりで、まだ何の視覚情報も記録していないかのような、純粋を超えた真空のような透明さを持っていた。
月の夜空をそのまま閉じ込めたような、どこか恐ろしいほどに透き通った青い瞳。
私の大好きな、カナの青い目だった。
「お帰り」
私がそう声をかけると、カナの瞳がゆっくり、まるで火星が太陽を巡るような緩やかな軌道で私の目と合わさる。
視線が重なり、ドッキングする瞬間、彼女の口元に三日月のような笑みが柔らかく弧を描いた。
そして、しなやかな音声データが響く。
「ただいま」
その声は、ノイズキャンセリングのヘッドセットのように私の耳を優しく包み込み、彼女の声の余韻以外、何も考えられないほど穏やかに心を満たした。
彼女の声が続いた。
「…長い夢を見たよ」
「どんな夢だったの?」
私が尋ねると、彼女の視線は私から銀河の彼方へと移り、まるで無数の0と1を掬い上げて言葉に変換するような、慎重で静かな口調で答えた。
「銀河の水面に仰向けになって、暶君と一緒に、永遠に浮かぶ夢だった」




